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第6章 大魔導士ウィスターナ

6-9 ヘブンスの求婚

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 何かあったらしい。表情からすぐに分かった。

 でも、私の方もまさか断られると思ってもみなかったから、激しく動揺していた。
 声を出せたのは、少し間を置いたあとだった。

「……ダメな理由をお聞きしてもいいですか?」
「もうマルクの厚意に甘えるのを止めようと思って。これ以上、あなたにがっかりされたくないもの」
「がっかり? そんな馬鹿な」

 彼女に失望したなんて一度もなかったから、意外な言葉に驚いて思わず目を見開いた。

「あり得ません。なぜそんな誤解をしたんですか?」
「……マルクの好きな黒薔薇の君っていう人が私だって分かったとき、マルクは言ったでしょ? 今さらあなたに全然何も期待していませんからって。今の私が、何かマルクをがっかりさせたんだなって、その言葉で気づいて申し訳なくなったの」

 今にも泣きそうなほど悲しそうな顔をしながら話す彼女に対して、やっと私は自分の失言に気がついた。

『あの、ごめんね。全然気づかなくて』
『別に謝罪はいりません。今さらあなたに全然何も期待していませんから』

 確かに私は彼女に向かって言っていた。何も期待をしていないと。言葉足らずなままで。

「申し訳ありません。あれは、そんな意味で言ったわけではありません」

 正直にあのときの気持ちを彼女に話すのは、本音を言えば恥ずかしい。
 でも、躊躇は一瞬だけだった。
 きちんと弁解しないと、彼女から距離を置かれてしまう。
 変な矜持のせいで、また失敗を犯したくなかった。

「あなたへの気持ちは昔から変わっていません。でも、あのとき私に想いを寄せられていると知って、私に謝るあなたを見て、また振られたと思って八つ当たりしてしまっただけなんです。想いが返ってこない虚しさを誤魔化すために、あえて何も期待しない方が、自分にとって都合が良かったんです。あのとき、それが咄嗟に口から出てしまい、あなたを傷つけて大変申し訳なかったです」

 彼女はそれを聞いて目を丸くしていた。

「そうだったんだ。でも私もマルクに誤解させてしまったみたいね。振ったつもりはなかったの。あのときの謝罪は、私の失礼な発言について謝ったつもりだったの。マルクの気持ちを知らずに私たちにやましい関係は全くないし、ある予定もないからって言ってたでしょう? あなたの前であまりにも無神経だったから」
「でも、あれは本心だったんですよね? なら、別に気にする必要はないです」
「そうじゃなくて、マルクは別の人が好きだと思っていたから、そんな可能性は全然ないと思っていたの」
「じゃあ、今は可能性はあるってことですか?」

 自分で質問しておきながら、口に出したあとに今の質問はまずいと気づいた。だが遅かった。

「マルクのことは大切に思っているし好ましく思っているよ。でも、」

 その先を聞きたくなくて、咄嗟に彼女の口元を手で塞いでいた。

 ああ、やはり好きの重さが、全然違った。落胆が喉元を通り過ぎて重く腹の中に落ちていく。

 発言を無理やり邪魔したのは、身勝手で失礼な振る舞いだと分かっている。
 でも、質問の内容が直球すぎて最悪だった。
 もっと自分に損害が少なそうな尋ね方をすれば良かった。

 彼女からゆっくりと手を退けた。

「すみません、質問を変えます。私より好きな人はいますか?」

 彼女の周辺に該当する人物は念のため調べたがいなかったので、答えは分かりきってはいた。

「ううん、マルク以上の人なんていないよ」
「それは良かったです」

 やはり予想どおりだった。
 でも、「マルクが一番好き」と本人に言われたみたいで、すっかり気を持ち直してご機嫌になっていた。

「ミーナ、私と結婚してください」
「今の会話って、求婚するような流れだった?」

 苦笑しているけど、嫌そうではなくて、さらに安心する。

「ダメですか? 別に恋人らしい振る舞いを求めているわけではないんです。あなたと一緒にいる理由が欲しいだけなんです。あなたが大魔導士だと広まれば、私の弟子でいるのは難しいでしょう。師弟関係を解消すれば、あなたのそばにいる理由も後見の立場もなくなります。また、お互いに既婚者であった方が、今日のように無理やり結婚させられるのを防げると思うんです」
「うん、分かったわ」

 即答だったから、さらに嬉しかった。
 本当は分かっている。
 彼女も私に気を遣って譲歩していることを。

 でも、偽りの夫婦といえども、結婚してもいいと彼女がうなずいてくれた。
 自分の意に染まぬことには拒否反応を起こす彼女が。
 そこまで彼女が私に気を許していると分かっただけでも、私にとっては良い結果だった。

「でも、この契約結婚は私に利点ばかりで、マルクにはないんじゃないの?」
「そんなことはないですよ。またあなたと一緒に研究できますし、もう二度と誰からも干渉されず問題は起きませんから」
「そっか。マルク、ありがとう。本当は私もマルクと一緒に研究できたら嬉しかったの」

 彼女を見つめれば、いつものように穏やかに私を眺めている。
 その黒い知的な瞳には、激しい衝動も熱もない。
 かつて私に彼女が見せた、魔導の理論について熱く語ったほどの輝きが。

 彼女の一番は、常に魔導だった。下級魔導士の資格で良いと言いながら、彼女の関心はずっと魔導にあった。
 今日は何を読もうと、楽しみに学校へ通い、図書館でひたすら本を読み、その感想を食卓で楽しそうに語る彼女が、彼女らしくて安心していた。

 だから、彼女の中で私への好意は、魔導の次でも仕方がない。
 人間の中で一番好きだと言ってくれた現状で満足しようと思った。

 でも、ほんの少しだけでもいい。
 あの情熱が、私に見せてくれた魔導への想いが、ほんの少しでも自分に向けてくれたらと、思わないこともなかった。

 彼女に惹かれたきっかけが、あのときの彼女の輝かしい表情だったから。

『カイハーンの理論は、ついて来られる奴だけついて来いと言わんばかりに不親切な説明で、傲慢ささえ感じるくらいだったから、すごく腹が立って論破してやろうと思ったくらいだったのよ。でも、読めば読むほど奥が深くて、彼の賢さにさらに腹が立ってムカつくくらいだった。何度も読んで理解できたとき、さらにその完璧さに圧倒されて、本人に会ってみたいと思ったくらいだった。でも、既に故人だって後で知ってかなりショックだったのよね。そのくらい強烈な大魔導士だったの。可能なら、彼が生きているうちに会いたかったわ』

 そうだ。なぜ忘れていたのだ。あのときの彼女の言葉を。
 自分こそあのカイハーンだと言えずにいた、あのもどかしい気持ちを。

「あの、あなたにお伝えしたい事実があるんですが」
「なぁに? まだ言い忘れたことがあったの?」

 間の悪いことにちょうど屋敷に到着したらしく、馬車が停止して御者が話しかけてきた。

「あとで落ち着いたら話します」
「ええ、分かったわ」

 彼女自身が生まれ変わったのだから、きっと私の話を信じてくれるにちがいない。
 私の前世があのカイハーンだと知ったら、彼女との関係が変わるだろうか。いや、変わって欲しい。

 でも、あの彼女だ。私の予想を超えた反応をしてくるかもしれない。密かに用心しておこう。



 ――ところが、その悪い予想ほど、残念ながら当たるというのが、世の常だった。


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