上 下
36 / 49
第5章 兄弟子

5-4 仲直り

しおりを挟む
 屋敷に到着して中に入り、そのまま私の部屋に連れ込まれる。
 やっと手を離されるのかと思いきや、再び抱きしめられた。ギュッと力を込められる。
 息遣いが荒々しくて、彼の強い感情が伝わってきた気がした。
 やはり怒っているのだろうか。

「マルクごめんね」

 思わず謝罪が口から出ていた。すると、彼はすぐに首を軽く振る。

「謝るのは私のほうです。無神経なことをして申し訳ございませんでした。現在あの男は年を取って中年男になっていたので、若い頃の顔なんて覚えてなかったんです。あなたに言われるまで、似ていることを失念していました」
「ううん、マルクは悪くないよ。ごめん、怖くて仕方がなかったの。それより、いきなりあの息子が現れたのはどうして?」
「私の弟子にただ単に興味があっただけだと思います。先触れなく来るとは思っていなかったので、突然会わせることになり、申し訳なかったです。でも、危険な人物だったら決して会わせはしませんでしたよ。あの男みたいに話が通じない方ではないので、ご安心ください」
「そっか」

 マルクに他意はなかったみたいで少し安堵した。

「ところでミーナ」

 急に彼の声色が変わった気がした。少し感情的に。しかも、私の背中に回していた腕の力がぐっと加わったせいで、彼から不穏な気配を感じた。

 不吉な予感がして彼をこっそり見上げると、彼の目から光りが消え、昏い深淵の穴を覗いているような色をしていた。

「まさかと思いますが、あの男に会うのが嫌だからと、私の弟子を辞めると言い出すつもりだったんでしょうか? だから実家に帰るつもりだったんですか?」

 あのとき、実家に足を向けた直後だったのに、行き先が完全に彼にバレていた。

「ち、ちがうよ!」

 慌てて首を振る。

「前にマルクが言っていたでしょ、私は短慮だって。だから、マルクに相談してから判断しようと思っていたよ? それに家に帰ろうと思ったのは気まずかったから、顔を合わせづらかっただけだよ」
「それはよかったです。元々あの男に会わせるつもりもないですし、万が一遭遇しそうなら、きちんと予告します。愛妾にもさせないので安心してください」
「うん」

 説明しながら明らかに彼も安堵していた。
 よほど私に弟子を辞められるのを恐れているようだ。
 彼がそれほど弟子の件で困っていたとは知らなかった。

 それとも、前世で彼と喧嘩したとき、すぐに「弟子を辞めてもらってもいいんだよ」と脅していたせいだろうか。

 今思うと、あれは師匠の立場を利用した、酷く悪いやり方だった。
 あんな人を試すようなやり方じゃないと人を信用できないほど、私は心の弱い人間だった。

「私は弟子を辞めないよ。マルクこそ安心してね」
「——でも、私に対しても怒っていましたよね? なぜ息子がいたのかと」
「それは、うん、実はちょっとだけ。でも、マルクも国には逆らえないから仕方がないよね」

 諦めたようにつぶやくと、彼にぎゅっと思いっきり抱きしめられた。

「私は、絶対にあなたを裏切りません。それだけは約束します。信用できないなら、私に下僕の呪いをかけても構いません」
「わ、分かったから落ち着いて! ごめんね、ちょっとだけ疑って!」

 本当に?と尋ねるようにマルクが私の顔色を窺ってくる。
 その目は少し不安そうに揺れていた。
 まるで捨てられた子犬のような心細さまで感じる。そこまで彼を弱らせてしまい、とても申し訳なくなる。
 彼の両頬を手で包み込むように触れて、安心させるように微笑むと、彼も嬉しそうに笑顔を返してくれた。

「ところで、そろそろ離れてもいいかしら?」

 まだ彼に抱きしめられていた。逞しい体に包まれて、居心地はいいんだけど、緊張して落ち着かない。

「もしかして、ドキドキしてますか?」

 そう尋ねる彼の声が、明らかに楽しそうだった。

「う、うん」

 こちらは恥ずかしいのに、彼は余裕な態度だ。
 私と違って何も感じていないらしい。

「そういえば、前に誰にだってドキドキするって言ったけど、あれ違ったわね」
「どういうことですか?」
「さっきあの人に触られそうになったとき、すごく嫌だったの。だから、誰でもってわけではないのね」

 前世では抱きしめられた経験がなく、現世では抱っこして可愛がってくれたのは家族だけだから、新たな発見だった。
 つい前世のように研究の成果を分かち合う感じで彼に話していた。

「……それは私だけにドキドキするってことでしょうか?」
「うーん、どうだろう? 他の人で試したことはないけど」
「試さないでください絶対に」

 マルクは絶対にですよと念を押すように強く注意してくる。
 目が、目力がすごい。
 私がコクコクと必死にうなずいたら、やっと解放してくれた。

「はぁ、あと二年は長いですね」
「二年?」
「いえ、なんでもありません。ところで、ミーナは私の手記を読まれましたか?」
「……いいえ?」

 いきなりの脈絡のない質問に戸惑いながらも正直に答える。
 パンツが書かれていたのなら、他も色々と書かれているだろう。
 彼の恨み節つきで。自分の黒歴史をわざわざ見るつもりはなかった。

 すると、一拍の間を置いたあと、彼は困ったように微笑んだ。
 もしかして売上に貢献していなかったのは不義理だった?

「ごめん、お小遣いを貯めたら買うつもりだったの」

 彼はそれを聞いて吹き出していた。

「わざわざ買う必要はないです。本なら私の書斎にありますよ。あと、すみませんが、私はこれから学校に戻ります」
「うん。わざわざごめんね。追いかけさせちゃって」
「いえ、謝罪する必要はありません」

 そう言われたとき、前に指摘された点を思い出した。

「そっか。ありがとうマルク」
「はい」

 今度は嬉しそうに微笑むと、部屋から出ていった。
 先ほどまで不快だった気持ちがもう落ち着いている。
 彼とじっくりと話し合えて良かったと心から思った。

 着替えでもしようとクローゼットに気分良く向かう。

 でも、このときの私は、まさか自分がもうすぐ大魔導士として広く世の中に知られることになるなんて、思いもしなかった。

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。

石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。 ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。 そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。 真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。

お姉ちゃんが僕のことを構い過ぎて色々困ってますっ

杏仁豆腐
恋愛
超ブラコンの姉に振り回される弟の日常を描いたシスコン、ブラコン、ドタバタコメディ! 弟真治、姉佳乃を中心としたお話です。※『姉が僕の事を構い過ぎて彼女が出来ませんっ! 短編』の続編です。※イラストは甘埜様より頂きました!

婚約破棄狙いの王太子が差し向けてくるハニートラップ騎士が…ツンデレかわいくて困る!

あきのみどり
恋愛
【まじめ王女×不器用騎士の、両片思いの勘違いラブコメ】 恋多き王太子に悩まされる婚約者ローズは、常に狙われる立場であった。 親に定められた縁談を厭い、婚約の破棄を狙う王太子に次々とハニートラップを仕掛けられ続け、それはローズのトラウマとなってしまう。 苦しみつつも、国のために婚約を絶対に破棄できないローズ。そんな彼女に、ある時王太子は己の美貌の騎士を差し向けて(?)。新たな罠に悲しむも、ローズは次第に騎士に惹かれてしまい…。 国事と婚約者の裏切り、そして恋に苦しむ王女がハッピーエンドをつかむまでの、すれ違いラブコメ物語。 ※あんまり深刻にはなりすぎないと思います。 ※中編くらいを予定のぼちぼち更新。 ※小説家になろうさんでも投稿中。

変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!

utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑) 妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?! ※適宜内容を修正する場合があります

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

冷酷非情の雷帝に嫁ぎます~妹の身代わりとして婚約者を押し付けられましたが、実は優しい男でした~

平山和人
恋愛
伯爵令嬢のフィーナは落ちこぼれと蔑まれながらも、希望だった魔法学校で奨学生として入学することができた。 ある日、妹のノエルが雷帝と恐れられるライトニング侯爵と婚約することになった。 ライトニング侯爵と結ばれたくないノエルは父に頼み、身代わりとしてフィーナを差し出すことにする。 保身第一な父、ワガママな妹と縁を切りたかったフィーナはこれを了承し、婚約者のもとへと嫁ぐ。 周りから恐れられているライトニング侯爵をフィーナは怖がらず、普通に妻として接する。 そんなフィーナの献身に始めは心を閉ざしていたライトニング侯爵は心を開いていく。 そしていつの間にか二人はラブラブになり、子宝にも恵まれ、ますます幸せになるのだった。

異世界で王城生活~陛下の隣で~

恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。  グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます! ※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。 ※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。

【完結】巻き戻してとお願いしたつもりだったのに、転生?そんなの頼んでないのですが

金峯蓮華
恋愛
 神様! こき使うばかりで私にご褒美はないの! 私、色々がんばったのに、こんな仕打ちはないんじゃない?   生き返らせなさいよ! 奇跡とやらを起こしなさいよ! 神様! 聞いているの?  成り行きで仕方なく女王になり、殺されてしまったエデルガルトは神に時戻し望んだが、何故か弟の娘に生まれ変わってしまった。    しかもエデルガルトとしての記憶を持ったまま。自分の死後、国王になった頼りない弟を見てイライラがつのるエデルガルト。今度は女王ではなく、普通の幸せを手に入れることができるのか? 独自の世界観のご都合主義の緩いお話です。

処理中です...