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10、フィルトの帰還

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 誰もいなかった魔法研究所の所長室に一人の男が入ってくる。
 ウィンリーナを王宮の滞在先に案内したあと、別れたばかりのフィルトだ。
 彼が自分の髪の毛を掴んで強く引っ張ると、茶髪のかつらが取れて、黒い地毛が露わになった。

「殿下、長旅お疲れ様でした」

 彼の後に続くように同行していた護衛たち四人が続けて入室してくる。

「ああ、お前たちもご苦労だった。座るといい」

 フィルト——実はフィリアンク王子は、側近たちに労いの言葉をかけながら、自分の席に腰掛けた。

 所長室には彼の執務用の机のほか、応接用セットが中央置かれ、部屋の壁には収納庫があるだけのシンプルな調度品だ。彼が扱う魔法具や研究素材は、別の場所に厳重に保管されている。

 指示どおりに側近たちはソファに座り、強張った表情を主人に向ける。

「殿下、お怪我は大丈夫ですか? 肝が冷えましたので、契約魔法に違反しないようにお気をつけください」

 側近の中でも乳兄弟のゼロンが、配下の立場から言いにくい指摘をしてくる。王子が顔に怪我をするなど、あってはならなかった。

「すまない。身分を偽っているのが、つい歯痒くなってしまった」
「殿下……」

 選考会を企画したとき、フィリアンクは最終選考までは姿を表さず、妃候補たちと接して人となりを見定めようと計画していた。
 公平性を期すために契約魔法で正体を明かさないと誓いを立ててまで。

「彼女は本当に面白い。高い魔力だけではなく、魔法を操る能力にも長けている。彼女を知れば知るほど、探究心がそそられる。それに、彼女は嘘がつけないのか、顔や態度に出て分かりやすくて人柄もとても良かった。だから、嘘をついてまで探るのが面倒くさくなったんだ。側近の立場では、彼女とずっと一緒にいられないだろう?」

 フィリアンクは卓越した魔法を操るだけではなく、研究にも心血を注いでいた。
 研究素材へ並々ならぬ執着をして、膨大なサンプルを地道に収集分析。誰もが否定できないほど強固な結果を論文にまでまとめ上げた。
 強いこだわりと優れた頭脳があるからこそ、成し得た功績だ。

 側近たちは、王子の言葉に納得するしかなかった。

「たしかに彼女は珍しい黒目の持ち主で、人当たりも良く、魔法にも優れています」
「やはりゼロンも分かるか」
「ええ、魔法に強い関心を持つ殿下が、彼女に興味を持つのは理解できます。ですが、それはあくまで彼女の特質に興味を持っているだけではないのですか? 残念ながら人当たりがいいのも、一時的に取り繕うことは可能です。殿下の伴侶として相応しいかは、私は別のことだと考えております」
「……それは」
「我々は、まだ彼女の全てを知っているわけではございません。それを調べるための選考会です。彼女が殿下が求める人物像なら必ずや選考会に残るはずです。だから、身分を偽っていることを気に病まれる必要はないと存じます」

 ゼロンの理路整然とした説明を聞いて、彼の心配や配慮が伝わってきた。そこまで考えが回らなかったのは、夢中になりすぎて視界が狭まりがちになっていたせいだろう。昔から没頭しすぎて周りが見えなくなることがあった。

「……確かにゼロンの言うとおりだ。最後までやり通すことにしよう」
「はい、殿下のお心のままに」
「ゼロンのおかげで、後ろめたかった気持ちが少し和らいだ気がした。ありがとう」
「はい、殿下のお役に立ててなによりです。彼女の故郷であるアグニス国について調べましょうか」
「そうだな。裏付けは必要だろう。許可する」

 フィリアンクは他にも道中捕獲した盗賊たちの取り調べのついても指示を出す。

「お前たちも疲れただろう。下がって休むがいい」

 側近たちが退室したあと、王宮の護衛兵たちが廊下で待機する。

 初めは彼女の貴重な黒目が珍しいだけだった。でも、裏表のない人柄が好ましく感じると同時に独特な魔法にとても興味を引かれた。

 ハプニングで彼女と密着することになったとき、彼女が恥ずかしそうに頬を赤らめている姿がとても可愛らしくて、いつまでも触れていたいと思ったとき、自分が彼女に惹かれていることを自覚した。

 彼女の大きな黒目がちな瞳はとても印象的で、翳りのない宝石のような輝きを発していた。まるで夜空に輝く星のように。
 鼻筋はきれいに通ってバランスがよく、艶のある唇は真っ赤な果実のように愛らしい。
 白く透き通った肌はきめが細かく、赤く染まった頬がとても可愛らしい。

 彼女の純真な笑顔を思い出すだけで、胸がきゅっと締め付けられる。

「はぁ、会いたいな……」

 思わず気持ちが口から漏れていた。
 まさか自分が恋に落ちるなんて、全然予想していなかった。
 でも、ただ好きなだけでは、彼女を妃に選べないことも理解していた。

 フィリアンクは王子だ。常に身の安全は確保され、万が一のことがあってはならなかった。傍に仕える者は、当然いつも選別されている。

 これからの選考会で彼女が残ってくれることを強く祈らずにいられなかった。


 §


 王子の研究室から退室したゼロンは、自分の屋敷に戻る馬車の中で、彼女に疑念を抱いていた。

 恐ろしい噂を聞いて知っていたにもかかわらず、なぜ妃候補として参加したのかと。

 王族を狙う敵が現れたせいで、王子のフィリアンクは立場的に討伐しに行かざるをえなかった。味方に被害を出さないために率先して力を奮い、強力な魔法で敵の一小隊を瞬殺した結果、相手は恐れをなし、あっという間に白旗を上げた。ところが、予想外なことに服従を明確にするために敵は首謀者たちを殺して塔に吊るしていた。

 その結果が、漆黒の死神という二つ名と、事実と異なる残虐非道な噂話である。

 彼女は母国を守るためと言っていたらしいが、彼女の身なりはお世辞にも良くなく、大切にされているようには見えなかった。おそらく、不吉な黒目だから、故郷で碌な目に遭っていなかったのではないだろうか。

 彼女が自ら望んでではなく、脅されて嫌々来たように思えて仕方がなかった。選考会に無理やり参加させられたが、本心では王子の妃になるつもりはない可能性もあった。

 側近だと思っていた人が、実は王子だと知ったのなら、逆にショックを受けるのではないだろうか。

 彼女が好意を向けるのは、王子が側近だと信じているせいだとしたら。真実を知ったとき、彼女は一体どういう反応を見せるのだろうか。

 すれ違いを生んだのは自分たちのせいだとはいえ、大事な主人には、これ以上女性関係で傷ついてほしくなかった。

「彼女には少し難度の高い問題を出すことにしましょう」

 これで落選するなら、彼女は王子に相応しくないことになる。
 そのときは、きっと課題を作った王子自身も諦めてくれるだろう。


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