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9、問題のドレス

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 ウィンリーナたちは、スーリア国の王都スマルトリコに着いた。
 すっきりした青空の昼下がり、大通りには溢れんばかりの人がいる。商店が所狭しと建ち並び、店頭には様々な商品が陳列されている。店員の活気ある呼び込みの声があちこちから聞こえ、眺めているだけでも陽気な雰囲気に圧倒される。

 人混みの中を馬車が進むので、速度はゆっくりとなる。ウィンリーナは感心しながら窓から景色を眺めていた。

 隙間がないくらいに高層の建物が立ち並ぶ。家は重厚な石造の基礎と木材を組み合わせて作られている。明るい白色で塗られた漆喰の壁には、小さな四角い窓がいくつもある。どの建物も朱色の三角屋根で特徴的だ。ウィンリーナの故郷と比べて、圧倒的な人口の多さだ。さすが大帝国の首都だと誇れる繁栄だ。

 ウィンリーナはすっかりお上りな気分で、見るもの全てに目を奪われていた。
 品揃え豊富な専門店がたくさんだ。美味しそうなお菓子屋も見つける。
 可愛いぬいぐるみの店までも発見して、思わず「あっ」と声を上げてしまった。

「どうしたんですか?」
「いえ、なんでもないです」

 フィルトに尋ねられても本当のことを言えなかった。成人したのに、子供っぽいと思われたくなかったからだ。
 でも、やっぱり気になって最後にチラリとお店に視線を送ってしまう。


 やがて馬車は王宮へ到着し、門のところで護衛たちが衛兵と手続きをする。
 大規模な王宮が遠くから見えていたが、近づくと圧巻だった。
 優雅なデザインの半円アーチ型の建築物が、いくつもの棟で連なり、重々しく待ち構えていた。
 途方もない高さの壁が石で精巧に積まれている。
 何も問題なく城内に入れたので、本当にフィルトたちは殿下の部下だとしみじみ感じる。妃候補としてやってきたが、元は小国の価値の低い王女。しかも、今着ているドレスだって、かなり着古してへたっている。彼らは気さくに接してくれるが、立場の違いを改めて感じて恐れ多い気がしてきた。

 そう考えたとき、息をのんだ。
 殿下にお会いするのに今のドレスでは、きっと第一印象が悪くなってしまうだろう。

 今回の密偵用に資金を母からもらっていたが、ドレスのような高額な買い物をしたら、あっという間になくなってしまう。でも、身なりは大事だ。勿体ないと言っていられない。到着早々資金を使って用意した方がいいだろう。

 王宮の敷地内に入っても、広大な芝生が一面に広がっている。遠くにある城に向かって石畳の上を馬車で近づいていく。

 さらに建物内に入っても、使用人に案内されてひたすら歩き続けた。やっと「こちらでお寛ぎください」と言われて入った部屋は、調度品が高級すぎて本当にここに座っていいのかと躊躇するぐらいの格式の高さだった。
 しかも、部屋に使用人まで用意されて、至れり尽くせりだ。ウィンリーナ自身の場違い感が甚だしかった。

「道中ご苦労でしたね。よく来てくれました」

 ここまで一緒についてきてくれたフィルトが、ウィンリーナを労ってくれる。

「セングレー卿こそ、道中守ってくださり、感謝いたします。おかげで無事に到着できました」

 ウィンリーナは彼の碧眼をじっと見つめる。彼も優しくこちらを見下ろしている。

「よかったら、また一緒に魔法の話をしましょう。これからは、私のことをフィルとお呼びください」

 名前を呼ぶことを許された。それは信頼の証だろうか。護衛が終われば、もう二度と会えないかもと思っていたので、その申し出に希望を感じて嬉しくなる。彼と知り合いくらいにはなれたのだろうか。

「はい、フィル様。それでは、わたくしのことはリナとお呼びください」

 そう伝えると、彼も嬉しそうに綺麗な目を細めた。

「いつ頃、殿下とお会いできるのでしょうか?」

 ドレスの件もあり、予定を早々に立てたかったので、フィルトに今後の状況を尋ねた。

「二回選考を行った後ですね。妃の選考は側近たちが行います」
「……そうなんですね」

 王子と会うのが遅いほど、殺される確率は、ぐっと低くなりそうだ。
 両手を上げて喜びそうになるが、フィルトの前なので行儀よく平静を装っていた。

「では、選考はいつから始まるんですか?」
「ええ、実は着いて早々で申し訳ないことに明日の午後に予定しています」
「まぁ! そうだったんですね。でも、わたくしの応募が締切ギリギリだったので、それは謝る必要はございませんわ」

 そうフォローすると、フィルトは安堵した笑みを浮かべる。

「お気遣いありがとうございます。ずっと馬車に乗っていたのでお疲れでしょう。今日はゆっくりとお休みください。何か御用があれば、部屋付きのメイドに伝えてください。もちろん、私に言っても構いません。リナ嬢の担当は、引き続き私になりますので」
「まぁ、フィル様とまだご縁が続くんですね。嬉しいです! よろしくお願いします」

 ウィンリーナもにっこり笑って挨拶すると、フィルトはじっと物言いたげな目をして見つめていた。
 何か思い詰めたような重苦しい感情が、一瞬彼から見えた気がした。何かあったのだろうか。特に心覚えがウィンリーナにはなかったので、彼の変化に戸惑いを覚える。

「実は、リナ嬢に謝らなくてはならないことがあります。本当は私は――」

 フィルトが何か話そうとしたときだ。いきなり彼は口元を押さえた。彼の顔の皮膚を光の線が走り抜ける。一瞬の出来事だったが、確かにあれは魔法の仕業だった。おそらく、何らかの制約を受ける魔法だ。何か他人に漏らしてはいけない内容を彼は口にしようとしたのかもしれない。

「フィル様、大丈夫ですか?」

 彼は手で口元を押さながら、必死にうなずいて答える。
 表情が険しいが、しばらく時間が経つと、彼は落ち着いてきたのか手をようやく口元から離した。

 少し口元の皮膚が、赤く切れたように痕が何本かついていた。

「まぁ、大変です! 顔に傷跡が残っています。フィル様から見えないでしょうし、わたくしが治しますか?」
「え? ああ、お願いします」

 了解がとれたあと、ウィンリーナはフィルトの顔に手を伸ばして軽く触れる。
 こうした軽い傷は、姉のせいでウィンリーナはいつも自分で治していた。
 今回もちょっと魔力を込めて元の艶々の肌に戻るように祈ると、ほのかに手が白く光った。
 手をどかして彼の顔を確認すれば、先ほどの痛々しい傷が嘘のように綺麗に治っている。

「良かった。すっかり治りましたよ」

 周囲から驚きの声が聞こえてくる。治療の魔法は特に珍しくないはずなので、戸惑いながらも手を引っ込めようとした。すると、フィルトに急に手首を掴まれた。

「あのっ!」

 びっくりして彼を見上げれば、彼は間近で一心にウィンリーナを見つけていた。
 俯き気味で顔は陰っているのに、彼の青い瞳は水面のようにキラキラと光を反射しているみたいに輝いていた。

「ありがとう、リナ嬢。こんな風に手をかざした瞬時に治せる人なんて、なかなかいないですよ」

 フィルトの低い声が、とても親愛に満ちている。彼の説明のおかげで、周りの意外だった反応が納得できた。
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