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4巻

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 王都にあるフィンレー侯爵家のタウンハウス。その二階の自室で僕は鏡に向かっていた。

「この制服を着るのも今日が最後だね」

 そう言って振り返ると、僕の専属メイドであるマリーがにっこりと笑う。

「記念にお写真を撮っておきましょうか」
「ふふふ、そうだね。でもせっかくだからマリーと一緒に撮ろうか」
「わ、私とですか!?」
「うん。マリーがいなかったら僕はきっとここにはいなかったもの。記念に一枚よろしいですか?」
「光栄でございます、エドワード様」

 僕はルーカスに頼んで、アル兄様と一緒に作った『カメラ』でマリーと一緒に記念写真を撮った。
 そして出来上がった写真の一枚をマリーに渡した。

「ありがとうございます。大切に、大切にいたします」
「マリーったら泣かないで。来年になったら今度は高等部の制服姿でまた一緒に撮るからね」
「! はい、楽しみにしております」

 そう言って泣き笑いをしているマリーに、いってきますと言って、僕は一階に下りた。

 僕の名前はエドワード・フィンレー。十五歳。四歳の時にハーヴィン伯爵家からフィンレー侯爵家に引き取られた。ハーヴィン家にいた頃の事はあまりよく覚えていないんだけど、僕は実の両親から虐待を受けていたらしい。
 専属侍女だったマリーと、僕の実父の兄である父様が助けてくれたんだ。そしてハーヴィンの神殿で身体を治してもらっている時、僕は自分の中に僕ではない誰かの『記憶』がある事に気が付いた。『記憶』の中にある小説はこの世界にとてもよく似ていて、そこでの僕は兄様を殺してしまう『悪役令息』だった。しかも自分も断罪されて死んでしまうんだよ。
 僕は『悪役令息』にならないように一生懸命頑張った。途中から兄様が僕の『最強の味方』になってくれて、その後は父様にも小説のお話をした。父様は僕達を信じて、小説に書かれていた『世界バランスの崩壊』と似た事が王国に起きている件を、詳しく調べ始めてくれたんだ。
 こうして僕の味方は増えていき、僕は十二歳になって王都の学園に入学した。
 兄様を殺してしまうのは学園に入る前の出来事だったから、僕達は約束していた通り「あの小説とこの世界は違っていたよね」ってお祝いをしたよ。小さい頃からずっと願っていたように、僕は『悪役令息』にならなかったんだ!
 それなのに小説と同じく『愛し子』は現れた。何かの力が働いているのかもしれないって怖くなった。しかもその『愛し子』は小説では女の子だったのにここでは男の子で、この世界はゲームの世界だって言い出したんだ。
 でもね、時間が経つにつれ、『愛し子』のルシル・マーロウもこの世界が小説やゲームの世界とは違うって感じ始めた。起きる筈の『イベント』が起こらなかったり、生きている筈の人がもう亡くなっていたり、似ているけど、違う事が多すぎるって。僕も『悪役令息』にならなかったしね。
 それなのに小説の中の『世界バランスの崩壊』に似た出来事は王国内で確実に増えていた。
 女性しかかからない奇病、エターナルレディ。王国に出現する魔物の増加。
 さらに小説には書かれていなかった、王都の街に魔素溜まりが出来てネズミが魔獣化するなんて騒ぎがあったり、僕達が通っている学園内に魔素が現れて、そこから魔物が湧き出したりする事件も起きた。
 そして、その魔物をルシルが聖属性の魔法で浄化して消してしまった事で、王国内には大きな波紋が広がった。
 どこまでが小説やゲームと同じで、どこからが違うのか。本当に『世界バランスの崩壊』というものは起きているのか。そして……この世界はどこに向かっているのか。
 分からない中で僕は初等部の卒業の日を迎えた。


「アル兄様、おはようございます」

 一階に下りると、ちょうど王城へ出かける兄様と会った。今日は少し早めに出かけるからって朝食は一緒じゃなかったんだ。

「おはよう、エディ。ああ、今日で初等部は修了だったね」

 そう言ってにっこりと笑ったのは僕の兄様、アルフレッド・グランデス・フィンレー。学園を卒業した兄様はシルヴァン第二王子の側近として王城で働いている。

「はい。無事修了です。そうだ、兄様、さっきマリーと写真を撮ったんです。この制服も今日で最後ですから。とてもうまく撮れました。『カメラ』がもう少し小さく出来たら、スティーブ君のお祖父じい様の商会を通して販売を考えてもいいかもしれません。あ! すみません。出かけられるところでしたね。いってらっしゃいませ」
「見せて?」
「え?」
「写真を見せてくれる?」
「え、あ、はい」

 僕は自分の分の写真を見せた。学園の皆にも見せて、せっかくだから一緒に撮ろうかなって思っていたんだ。

「エディ」
「はい」
「一緒に撮ろう?」
「え? でも時間が」
「大丈夫。でも、そうだね、外で撮ろう。そうすればすぐに出かけられる」
「分かりました」

 僕は持っていたカメラを出して、再びルーカスにお願いをした。そしてタウンハウスの前で兄様と一緒に写真を撮った。もちろん僕の分もね。

「うん。よく撮れている。やっぱりカメラを作って良かったな。エディ、気を付けて行っておいで。初等部修了のお祝いにいつもの店のケーキを頼んでおくから、夕食後にでも食べよう」
「! はい。ありがとうございます」

 兄様はそのまま王城に出かけていき、僕は兄様との写真を見つめて思わずにんまりとしてしまった。一緒に写真を撮ったのは二回目だ。一度目は兄様が卒業してから一年後。ようやくカメラが出来た時だ。
 あの時はカメラの前でにっこり微笑むのが恥ずかしくて、ものすごく緊張して自分でもびっくりしちゃうようなひきつった顔をした僕と、笑いをこらえている兄様の写真になっちゃったんだ。
 捨ててくださいってお願いしたんだけど、兄様は「これも記念だから」って父様達には見せない約束をして、さっさとしまい込んじゃったんだよ。だから僕の手元にはその後に撮った、普通の顔をした写真しかない。もっともその写真も、今見たらちょっと微妙だと思うけど、兄様が持っているあの写真は本当に酷かったんだ。思い出すだけで恥ずかしくなる。
 でも今回はうまく笑えたよ。兄様もお城に行くために側近の服を着ていたからすごく珍しい写真になったな。

「ふふふ、宝物が出来ちゃった」

 そう呟いているとルーカスが「エドワード様、そろそろお時間が」と声をかけてきた。そうだった。僕も学園に行かなくては!

「うん、そうだね。初等部の最後の日、よろしくね。ルーカス」
「はい。よろしくお願いいたします。では参りましょう」


 馬車で学園に向かいながら、僕は初等部に入った年について思い出していた。
 学園内に初めて魔物が湧いた事。ルシル達がそれと戦った事。そして兄様が学園を卒業した事。
 あれから二年が過ぎたけれど、幸い学園内に魔素が溜まる事も、魔物が湧くような事もなかった。ただ相変わらず王国内のあちこちに魔素が現れて、おそらくはそこから魔物が湧いているのだろう事例がポツポツと報告されている。
 けれど、父様達が考え出した。各領での自衛の強化や、騎士達の育成が少しずつ実を結び始めているのも事実で、なんとかこのまま『世界バランスの崩壊』というものをうまく回避出来たらいいなぁと思っているんだ。

「ではいってらっしゃいませ」
「うん。いってきます」

 馬車を降りて教室まで一人で向かうようになったのは三年生になってからだ。もっともその前に誰かと一緒になる事が多い。今日はトーマス君だ。

「エディ、おはよう。いよいよ初等部も終わりだね」
「おはよう、トム。ほんとにね。三年間あっという間だったような、それなりに長かったような。でも魔物が出てきたりして、なかなか刺激的だったかな」
「確かに!」

 そう言ってふふふと笑って、僕達は揃って教室に入った。
 結局、初等部を修了する今日になっても、僕達の背丈はあんまり変わらなかった。トーマス君が百六十七ティン(百六十七センチ)で、僕が百六十六ティン(百六十六センチ)。この国の十五歳の平均身長が百七十三ティン(百七十三センチ)なので僕達はかなり低い。高等部に行ったら伸びる人もいるっていうから期待はしているんだ。

「あのね、今日アル兄様と考えたカメラを持ってきたんだ。もしよかったら後で一緒に写真を撮らない?」

 僕がそう言うとトーマス君は「ぜひ!」と嬉しそうな声を上げた。その後みんなが次々とやってきて、皆で撮ろうって話になった。やっぱり持ってきて良かったなって思ったよ。
 こうして見ると他の皆はなんだかすっかりお兄さんだ。レナード君もユージーン君もスティーブ君もミッチェル君も百八十ティン(百八十センチ)を超えている。クラウス君なんて百九十ティン(百九十センチ)だよ。まだ初等部なのに!

「今日は初等部修了の会に出席したらおしまいだよね」
「うん。皆一緒に終わるから、そのまま学園の入口辺りで撮るのはどう?」
「了解」

 初等部の聖堂で合同の初等部修了の会を行って、高等部についての説明を受けたらおしまい。これで来年になったら僕達は高等部に進学だ。
 そうしたらもっと細かく進路が分かれる事になる。こんな風に何人もの友達と一緒に過ごす時間が少なくなるのかなって思うと少し淋しい気持ちもするな。
 合同の修了会はそれほど長くなく終わった。入学式や卒業式のように家族が来るわけではないので無事に修了しましたという事と、注意事項と、高等部に上がった時は一応入学式がありますっていう話がされた。もっともその入学式も初等部が終わった後の午後にちょっと集まって、初等部用のバッジを高等部用のものに取り換えるだけって言われたよ。

「ねぇ、エディは魔法科と騎士科とのどちらに進むの? あ、もしかして専学科?」

 約束をした通りに、聖堂を出て、中央の馬車回しに向かって歩いていると、ミッチェル君が小さな声で尋ねてきた。一年の時の講義は皆で相談したけれど、高等部はそれぞれに進む道が異なる筈だから、僕達はあえて学科の相談をしなかったんだ。だから誰がどこの学科に進むのか、なんとなく聞けずにいたんだよね。

「迷ったけど、魔法科に進むよ」
「そうなんだ! 僕と一緒だ!」
「え? ミッチェルは魔導騎士科じゃないの?」
「うん。僕も迷ったけどやっぱり魔法の方を専攻したいと思ったんだ」
「そうなんだ。じゃあ同じクラスになれるかな? よろしくね」
「うん! よろしくね!」

 僕とミッチェル君がそんな話をしていたら、やっぱり皆気になっていたみたいでそれぞれが声をかけてきた。するとスティーブ君とユージーン君とトーマス君も魔法科に進む事が分かった。もちろん同じクラスになれるかは分からないけれど、そうなったらいいな。

「来年もよろしくね」
「こちらこそ」

 そんな挨拶をして、皆で一緒に写真を撮った。八人いるから八回撮る。写真というものは他にはないから、結構注目を集めてしまったよ。スティーブ君が「やっぱり需要がありそうですね」って笑って、僕も「そうだね」って頷いた。ただ、同じ写真を沢山作れないのが今後の課題だね。
 それぞれ少しずつ違う写真を手に、僕達は笑って挨拶をした。

「じゃあ、また来年。高等部でもよろしくお願いします」

 そう言って馬車に乗り込んだ僕は撮ったばかりの写真を見つめた。
 手の平くらいの紙の上で笑う僕と友達。

「宝物、いっぱいだね」

 僕はまた一枚増えた写真をそっとバッグにしまった。

   ◇◇◇

 高等部に入るとそれぞれの学科ごとにクラスも分かれた。
 僕とミッチェル君、トーマス君、スティーブ君、ユージーン君が魔法科。レナード君とエリック君は魔導騎士科、そしてクラウス君は皆の予想通りに騎士科を選択していた。
 意外だったのはルシルも魔法科だった事。だから高等部ではクラスが同じになった。
 初等部一年の終わりに兄様から彼が正式にシルヴァン王子の側近候補となったと聞いて、僕は周囲を気にしてルシルと話をしないというのをやめた。
 兄様はシルヴァン王子の側近だし、その側近候補のルシルと僕が全然話をしないっていうのも不自然かなと思ったから。それにルシル本人も早口でわけの分からない話をする事はなくなってきたからね。
 もっとも初等部は三年間クラスが変わらないので、僕とルシルが話をする機会はそれほど多くはなかったけど、合同講義で会った時に挨拶をしたり、少しずつだけど会話をしたりするようになった。
 ダニエル君達が卒業をしたから、学園でルシルとやりとり出来るのはミッチェル君だけになった事も理由の一つだった。
 仲間の一人だけがルシルと関わりがあるっていうのは、やっぱりちょっと面倒で、何かあった時に放っておいていいのか、手を出した方がいいのか判断がつきにくくなるからね。
 もちろんルシルはお城で兄様達と話が出来る筈なんだけど、どこと接触したとか、取り込もうとしているのではないかとか、派閥がどうだとか、学園以上に周りの目が面倒だってルシル本人からも聞いたよ。それで何かあった時は、ミッチェル君が伝言を任されるようになったんだ。
 ちなみにルシルと話をするようになったって兄様に言ったら、月に一度あるかないかの頻度だったけど、兄様はルシルへの伝言を僕に言づけてくれた。それは本当に他愛のない内容で、何かを確認してから来てほしいとか、来る前にどこかに寄って受け取ってきてほしいものがあるとか、そんな事だったけど話をするきっかけになるものね。
 でもね、僕がルシルを受け入れられるようになっていったのは、やっぱり『記憶』の話が出来るっていうのが大きかったかなと思っているんだ。
 初等部の時にも感じていたけど、僕の『記憶』はどんどん薄くなっていく。小説の中のエドワードは断罪をされて死んでしまっているから、高等部の彼は存在しない。それもあってなのか、エドワードが亡くなってからの話はほとんど思い出せないし、最近は『記憶』自体がすごくあやふやになっている。ルシルに聞いてみたら、ルシルも前世の『記憶』というのが少しずつ薄れているらしい。だから忘れたら困る事はなるべく早めにハワード先生に話をしたり、自分で書き留めたりしているんだそう。もっともこの世界は小説やゲームとは違っている点が多いから、ルシルも半分以上切り離して考えているって言っていた。

 高等部の生活にもだいぶ慣れてきた三の月。
 ここがフィンレーだったらまだ肌寒いけれど、王都ではすっかり春の陽気だ。

「エディ、次は学年合同だよ。急いで」

 トーマス君が椅子から立ち上がって振り返った。

「うん。あの階段教室、魔法科からだと一番遠いんだよね」

 僕がそう言うと、ミッチェル君も頷きながら口を開く。

「どうせなら体力がある騎士科を一番遠くしたら良かったのに」
「これくらい動いた方が身体のためだよ。ミッチェル」
「ええ!? 僕そんなになまっていないと思うよ。ジーン」
「話していないで。ほら、行きますよ」

 高等部になってもまとめ役のスティーブ君の声を聞きながら、ミッチェル君が後ろを振り返った。

「ルシル~! おいていくよ~」
「ま、待って!」

 高等部になってから、ルシルは僕達と一緒に行動するようになった。
 同じクラスになったから僕が誘ったんだ。皆は特に何も言わなかったけど、必然的に話をする機会があったミッチェル君が一番声をかけている感じかな。

「あ~、やっぱり一番遅かったか~」
「仕方ないよ、ミッチェル」

 僕がそう言うと、先に到着していたレナード君が「席はとっておいたから大丈夫だよ」と小さく笑った。

「ありがとう、レオン」

 学科が違っても月に三、四回ほどはこうして学年の合同講義がある。
 高等部の三年になると合同もほとんどなくなるみたいだけど、一、二年生のうちは完全に分かれてしまうわけではなく、ダンスとか作法などは不定期に、現在の王国の状況と魔物に関する報告が一回、魔法と剣の実技がそれぞれ一回ずつ学年全体で行われているんだ。
 でもそのおかげでこうして他の学科に行った皆とも顔を合わせる事が出来るし、今年も引き続き乗馬と魔道具の講義で会っている。そうそう。エリック君はカメラを見て、魔道具の講義も取る事にしたんだよ。ふふふ、皆で卒業までに何か作り上げられたらいいな。
 確保してもらっていた席に座って、近況報告などをしていると講義が始まった。
 今日の講義は王国で起きている事と変化をしている事の報告。こうした内容もしっかり学んでおかないと今どういう状態なのか、どんな風に王国の中が変化しているのかが分からないからね。
 ちなみにこういう講義が始まったのは、あの魔物事件の後からだった。未成年でも王国の中で何が起きて、どうなっているのかを知るべきだって学園も考えたらしい。
 他領については大人が教えてくれないと僕達はなかなか知る事が出来ないから、正直とてもありがたい。

「この一カ月に魔素から湧いたと思われる魔物が現れたのは三回。領は非公表。現れた魔物はアーミー・アント、キラー・マンティス、マンティコア。いずれも主な生息地と言われている土地からは離れた場所に出現した事から魔素から湧いたものと推定されます。被害の状況は中度から軽度。自領の騎士団による討伐と、各領のギルドから冒険者達に出された緊急依頼および養成所から派遣された騎士による討伐で解決しました。負傷者は各領と近隣の神殿へ移送。この辺りの連携は非常にスムーズになってきました。アーミー・アントは数が多く、ランクが低い割に手がかかったという報告が上がっています。では魔物について具体的に説明します。なお、マンティコアは以前取り上げた通りですので割愛します」

 そこからは魔物の説明が始まった。
 ミッチェル君とルシルが見ていても分かるくらい興奮していて、視線が合ったトーマス君とクラウス君と一緒につい苦笑してしまったよ。

「やっぱり、アーミー・アントは数が多いのと、蟻酸ぎさんを吐くっていうのが小狡こずるい感じがするよね!」
蟻酸ぎさんは臭いし、触れると水疱すいほうが出来るのが嫌だと思う」
「え! 臭いの? 知らなかった。本物を見てみたい」
「人の赤ん坊くらいの大きさがあるから結構グロいと思うよ」
「『グロい』っていう意味がよく分からないけど、なんとなく理解出来た気がする。そうか。人の赤ん坊くらいのがわさわさ湧いたら確かに引くね」
「だよね」

 講義の合間にこそこそと話す内容は、実は周囲に筒抜けだ。魔物の事に関して、ミッチェル君とルシルの二人はとても仲良しだと思う。僕とトーマス君は絶対に見たくないと顔を引きつらせた。

「昼食前にこの講義はきついなぁ」
「確かにね。でもこの前のハルピュイアよりはマシだよ」

 苦笑を浮かべたエリック君が小さく答えた。

「ああ、あれは酷かった」
「やめて! この後、昼食だからやめて」

 トーマス君が涙目になってクラウス君達を止めた。うん。そうだよね。だって、老婆のような人面の猛禽もうきんで、食べた獲物の残骸に排泄する習性があるんだって話だもの。考えるのも嫌だし絶対に遭遇したくない魔物の一つだよ。
 講義が終わって、僕達は早々に教室を出た。誰かに話しかけられないようにするのは初等部の時と変わっていない。それに、合同講義の時はいつも絡みつくような視線を感じるのも変わらない。というか、ルシルが加わってからそれがなんとなく悪化した気がしている。
 どこから向けられているものなのか、僕は絶対に振り返らないけど、予想はついているんだ。でもどうしてそんな視線を向けられるのか分からない。
 ルシルが一緒に行動するようになって恨まれているのかなとも思ったんだけど、視線以外には特に何かあるわけではない。話しかけられる事も、嫌がらせをされた事もない。とはいえ、この視線はとても嫌だ。

「今日は天気もいいから、中庭の方で食べるのはどうかな? 皆に会えると思って小さなマドレーヌも持ってきたんだよ」

 僕がそう言うと皆がコクリと頷いて、僕達は揃って中庭に移動した。
 こういう時にマジックバッグって便利。組み立て式のテーブルセットを出して皆で昼食の準備をする。高等部の校舎は初等部と違って講義が細分化するから教室も少し狭いし、使われている事も多い。だから食事をするのにちょうどいいき部屋がなかなか見つからないんだ。
 皆とは毎日会えるわけじゃないから、合同講義の時は、出来れば一緒に食事をしたいなって話になり、中庭の案が出た。クラウス君のお兄さん達も中庭で食事をした事があったんだって。
 それを聞いていたレナード君とエリック君が「多分、エディが考えている食事のとり方とは違うと思うよ」って言っていたけど、僕はよく分からなくて最初はマジックバッグの中からちゃんとしたテーブルと椅子を出したら皆がびっくりした。
 それでスティーブ君のお祖父じい様が取り扱っていた、野外でのお茶会にも対応出来るようなテーブルと椅子のセットを購入したんだ。ちなみに椅子はセットに付いていたものが少なくて、椅子だけ取り寄せようかって思っていたら、椅子くらいなら以前もらったマジックポーチの中に入れておくって皆が言ってくれたんだよ。
 あ、ルシルにも「遅くなったけど側近候補のお祝いと同じクラスになったから、これからもよろしくね」って高等部になって声をかけた時に、皆と同じように瞳の色に合わせた、淡いアメジスト色のマジックポーチを渡したんだ。そうしたらなんだかよく分からないけれど「ありがとう」ってちょっぴり泣かれてしまって、その後で「すごく嬉しい」って言われた。
 こんな風に喜んでもらえるなら、話し始めた初等部のうちに渡せば良かったかなって感じたけれど、やっぱりこれで良かったのかもって思い直した。多分、これくらいの時間がなかったら、皆もルシルをきちんと認められなかったかもしれないなって。ほら、最初の印象がちょっと酷かったからね。
 そういえば中庭の食事の時に、頭の中にぼんやりと『ピクニック』って言葉が浮かんで消えた事があった。きっと『記憶』の人の世界の言葉なんだろうなって、ルシルに言ったら「すごく贅沢ぜいたくなピクニックだね」って笑っていたから、やっぱりそうなんだなって思ったよ。
 もうほとんどないけれど、そんな風にたまに知らない言葉が浮かんでくる時がある。
 でもいつかそういう事もなくなってくるのだろう。父様と話をしてから僕は『記憶』が薄れていく事も怖くなくなったし、それでいいのかなって考えてしまう事もなくなってきた。だって父様が言った通り、『記憶』があってもなくても、僕は僕だからね。

「エディ、準備が出来たから食事にしよう」

 トーマス君が僕を呼んだ。

「うん。お料理も沢山持ってきたから一緒に食べて?」
「ふふふ、昼食じゃなくて贅沢ぜいたくなお茶会だね」
「本当にね」

 レナード君とユージーン君が笑って席に着く。

「わぁ! マドレーヌって言ったのに、エディってばシュークリームもあるよ!」

 ミッチェル君の声にクラウス君が「落ち着けよ」って言って…………
 こんな風に皆がずっと笑っていられるといいなと思いつつ、食事をしながらの話題はやっぱり先ほどの講義についてだ。

「それにしても王国が補助をしている騎士の養成所もだいぶ馴染んできた感じだね。魔物討伐の依頼もさっき聞いた限りではスムーズだったみたいだし、今は養成所を卒業した騎士達に自領のみの騎士爵を与えて自衛騎士団に入れる事が可能となっているから、安定した生活を送りたかった者には良かっただろうね」

 レナード君がそう言った。

「確かにね。ただ魔物騒ぎが落ち着いた後の件も考えないといけないなって思うんだ。落ち着いたからっていきなり解雇して反乱でも起こされたら、とんでもない事になるもの」

 これはトーマス君。

「そこは王室も考えていて、自衛の騎士を抱えた人数に応じて領の税金を軽くしたりする措置そちはとっていくみたいだよ。確かそんな話が出ていたと思う」

 それにルシルが答えて。

「へぇ、そうなんだ。でも何もない事はいい事かもしれないけれど、有事に備えるのも大事だよね。王国だって周りを他国に囲まれているんだしさ。それくらいの備えをきちんと作っていくべきだってそれぞれの領主が思うようにならないとね」

 エリック君が頷きながらそう言った。

「ルフェリットには他国と大きく争った歴史がないから、余計にそういった危機感がないのかしれませんね。王国が今の形になるまでの国内の領地争いのようなものはあったと思うけど、他国との争いは習った覚えがない」
「ああ、確かに。国境がきちんと決まるまでの小競り合いはあったと思うけど、ルフェリットは西の国との間に大きな砂漠があるし、東の国との境にはフィンレーの森と大きな川があるしね。しかも北と南は山と海。自然に守られているという安心感があるのかもしれない」

 スティーブ君とレナード君の会話にミッチェル君が飛び込んだ。

「戦いなんてなければない方がいいよ。それよりも他国の珍しいものを手に入れたり、美味しいものを知ったりする方がいい。ほら、東の国にはドワーフとかエルフがいるって、ああ、西にもいるのかな。そういう違う種族の人にも会えたら楽しい」
「ドワーフか! とても素晴らしい剣を打つ事が出来ると聞いている」
「食いつくところはそこなの!? クラウス」

 ミッチェル君の呆れたような声に皆が笑った。

「でもそうだね。ミッチェルの言う通り他国の珍しいものを見るとワクワクする。前に見た星見のランプもすごく素敵だったもの」

 僕がそう言うとスティーブ君が嬉しそうに頷く。

「まぁ国内で起きている事をしっかりと把握しつつ、周辺の国の情報も耳に入れられたらいいね。ルフェリットで魔物や魔素が現れていて、混乱しているなんていう情報が伝わって何か考える国が全くないとも言い切れないから」
「…………そんな事がないように祈りたいね」

 トーマス君が心細そうに呟いた。

「うん。これからも皆でこうして色々な情報を共有していこう。でもとりあえず、このシュークリームとマドレーヌは美味しく食べてほしいな。食べきれなかったら持って帰って?」
「わぁ! やったー!」

 ミッチェル君が嬉しそうに声を上げて皆の表情が再び緩んだ。
 他国の話も頭の隅っこには入れておかないといけないけど、まずは魔素と魔物に注意して、このままうまく騎士の養成所も続いていく事を願いたい。もちろん、僕達の高等部での生活も穏やかなものでありますように。
 よく晴れた青い空を見上げながら僕はそう思っていた。

   ◇◇◇

 楽しかったけれど、少しだけ不安の残った昼食から少し経ったある日、僕は学園で驚きの噂を耳にした。以前、聞いた事のある噂の続きみたいだけど、どうしてそうなったのかって考えてしまうような内容になっていたんだ。

『ハーヴィン領でアンデッドが出た。しかもそのアンデッドの正体は元伯爵家当主の弟で、家督を争った元領主の娘夫妻を探して彷徨さまよっているらしい』

 聞こえてきたその声に、皆がハッとして僕をそこから遠ざけようとしたんだけど、聞こえちゃったんだから仕方がないし、そんな風に守られてばかりいても、いずれは分かってしまう事だってあるもの。皆困ったような、申し訳ないような顔をしていて悪かったなって思ったよ。
 それで、その時は「大丈夫だよ」って言ったけど、それが本当だとしたら、やっぱり怖いなって後になってから感じてしまった。
 この話の発端は、たしか二年くらい前。初等部一年が終わりに近づいてきた冬に起きた、『ベウィック公爵家の悲劇』と呼ばれている事件だ。
 いきなり、しかも魔物が領を襲ったというわけでもなく、ベウィック公爵は大怪我をして神殿送りになった。そして当時ベウィック家を訪れていたらしいハーヴィン元伯爵夫人が亡くなり、伯爵夫人の後を追うように公爵家を訪ねてきた元ハーヴィン伯爵の弟は行方不明。その場に一番に駆けつけたと言われているベウィック家の嫡男は自失して、その後自殺してしまったと噂されているけど真相は分からないままだ。
 そして嫡男の死後、その年の暮れにべウィック公爵自身も亡くなり、残された公爵夫人は本来家を継ぐべき次男に家督を譲る事なく、他家にとつぐ事が決まっていた長女の縁組さえ白紙にして爵位を返上してしまった。
 こうして王国の始まりから受け継がれてきたべウィック公爵家は、あっという間に姿を消した。それに誰もが驚いて、王室からも何が起きたのか報告するようにと公爵家に何度も何度も通告したらしいんだけど、夫人は実家に戻り、何かから逃げるように神殿に併設されている施設へ入ってしまった。そして次男は返上した公爵家以外の副爵位を名乗る事もなく、市井しせいに身を落としたと言われている。

「公爵家から平民になるのは相当の覚悟だろうと思うんだけどね……」

 何がそうさせたのかは二年以上経った今でも分かっていない。
 お城の役人達は事件について少しでも解明するために、公爵家で働いていた使用人達にも事情を聴いたらしい。もちろん公爵家自体がなくなってしまったのだから、山のように抱えていた使用人達も仕事を失ったわけで、彼らはそれぞれに新たな働き口を見つけたり、出された給金で新たな仕事を始めたりしていたのを捜し出したんだ。
 けれど公爵家で起きた件を尋ねると、皆一様に怯えて「知らない」の一点張りになるんだって。
 もしかしたら魔法の誓約みたいなものを交わしているのかもしれないと父様が言っていた事がある。だけどそのうち、下働きのような使用人達から、「アンデッド」とか「亡霊」とか「呪詛」といった言葉が聞こえてきた。


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