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第8章  収束への道のり

324. 攻防

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 が、緑と土とに染まった魔物達に塞がれた、スタンピードの始点から流れ出しているのを誰も、気づかなかった。
 否、気配を感じた者はいたけれど、すばやく宵闇に紛れ込んだのだ。

 騎士達の疲労と安堵。そしてそこから生まれてくるこれからの事への不安と不満。
 小さな不安は集まると疑惑となり、心に隙を作り始める。
 その影のような暗い淀みを頼りにして、それは魔物達の亡骸の間からスルスルと外に向かって進み始めた。

 もはや人ではなくなったそれは、途切れ途切れの意識の中でなぜこんな事になったのかを考えた。
 外へと飛び出す魔物達と一緒に、かつての自分を馬鹿にして、陥れた者達が怯え、絶望するさまを見てやりたい。そう思っていた。それなのに……。

 最初はうまくいったと思っていた。あの牢獄から連れ出してくれた<声>も喜んで褒めてくれた。
 けれど、全て押さえられ、鎮められてしまった。あれほど見事だった黒竜も消えてしまい、更にはあの<声>すら聞こえなくなってきた。
 ときおり小さく「フィンレーの森へ行け」と言うだけだ。だが、フィンレーには強い結界があって森にも領主の屋敷にも近づけない。

 ふっと意識が落ちて、また戻ってきた。何を思っていたのか分からなくなっていたが、一つの言葉が浮かび上がる。
 フィンレー、フィンレー、フィンレー……。

 ああそうだ。最後の最後に必ず立ちはだかる。今もほら、森の中からやってくる。確かあの男だった。
 あの喉笛に嚙みついてやろうか。それともあの口から臓腑に入り、この身体と同じようにしてやろうか。そう思った途端、声が飛び込んできた。

「父様!」

 立ち上がった、まだ少年の面影を残すような者。
 そうだ、思い出した、こいつが、私が従える筈の魔物たちを奪ったんだ。

『余計な事を、フィンレーの小倅が!!』

 大きな口を開けて襲い掛かると、ペリドット色のその瞳が見開かれたーーーー……。



「エドワード!!!」
「エディ!」

 父様と兄様の声が交差する。
 大きく口を開けたそれは間違いなくあの夢の中に現れた「こわいの」と同じだ。僕は黒くて大きなその口と、闇の中に赤く光るような狂った瞳に捕らえられてしまったかのようにただそれを見つめていた。

「エドワード様!」

 けれど次の瞬間、すぐそばでマリーの声が聞こえて思い切り身体が引き寄せらた。同時に目の前にマリーの闇の防御壁が、そして父様の風の防御壁と、兄様の水の防御壁が幾重にも重なってハッとする。

「……あ……」

 今更ながらカタカタと身体が震えて小さな声が漏れ落ちた。突然の出来事に皆も固まっている。
 何が起きたのか。一体何だったのか。どうなっているのか。

「エディ! 怪我は!」

 兄様が僕とマリーの所にやってきた。

「だ、大丈夫です。防御壁を張っていただいたから……」

 そうだ。僕自身は何も出来なかった。皆が守ってくれなかったら今頃はあの口の中に取り込まれていたかもしれない。

「危ないからもう少し奥へ。皆と一緒にいるんだ、いいね。でも奥に行き過ぎてはいけないよ。灯りが届くところにいてね」

 兄様はそう言って戦いの場へと転移をした。視線の先では黒い悪意の塊のようなそれにマーティン君が光の鎖を巻き付けている。

『ガァァァァァァァァ‼‼‼』

 もはや魔人とも呼べなくなったようなそれが瘴気を吐き出しながら魔物のような咆哮をあげた。あれが本当に元オルドリッジ公爵だったんだろうか。

「絶対に分裂させるな! 攻撃魔法は出すなよ!」
「瘴気に気を付けろ!」
「アル、聖水を使ったジェイルを」
「光魔法を使える者は魔道具で固めたその上からジェイルを重ね掛けしてもいい」
「周囲に逃げ込める魔素が湧いていないか注意をするように!」
「灯りをもっと出せ!」

 飛び交う声。僕達の方からは良く見えなかったけれど、恐らく元オルドリッジ公爵であろうそれは、マーティン君の光魔法の鎖とダニエル君の魔道具から出る網のような魔法ががっちりと捕らえられて、兄様が聖水を使ったジェイルで囲み、更にその上から光魔法を使える魔導騎士達が光檻ライトジェイルで拘束をして分裂をしないように警戒をしているみたいだった。

 戦闘が続く中、ズズズと音を立てて大きく地面が揺れた。

「うわぁ!!」

 周りから思わず声が上がった。

「……今のは大きかったな。ミッチェル、始点の状態は分かるか?」

 クラウス君が周りを警戒しながら口を開いた。

「う……ん、蓋が壊されていないのは分かるんだけど……森の中とか道から近づいてくるのと違って、空間からいきなり飛び出してくる感じだからさ」
「まだ蓋が壊されていないのが救いだね」

 眉間に皺を寄せながらレナード君がそう言った。

 その間にも始点の奥では魔人のとの戦いが続いていた。

『ガァァァァァッ!』

 何重にも張り巡らされたらジェイルの中から魔人の声が聞こえて来て、僕はブルリと身体を震わせた。それを見てマリーが声をかけてきた。

「大丈夫ですか? お怪我はされていませんか?」
「うん。大丈夫だよ。さっきは呆然として何も出来なかった。防御壁ありがとう」
「はい」

 ニッコリと笑ったマリーに僕も小さく笑い返した途端、近くにいきなり魔素が湧き出した。

「ヒッ!」

 今度こそ自分で防御壁を出して、僕とマリーはそこから距離を取る。兄様たちの方でも同じようでどうやらいきなり魔素が湧き出しているらしい。

「まさか……魔素を、呼んでいるのか?」

 エリック君が信じられないと言う様な声を出す。それを聞いて周囲に緊張が走った。もしも本当に魔人になったオルドリッジ公爵が魔素を呼んでいるとしたら。この魔素の中から以前のように魔物が湧き出してしまったら。そして万が一にでも魔人が檻の中からでも魔素の中へと移動が出来たとしたら。

ジェイルを強化しろ! すぐに聖神殿に送るように書簡を!」

 父様の声が聞こえる。

「光魔法の浄化を使える者は出来る範囲で魔素の対応を! 他の者は魔素から離れろ!」

 レイモンド伯の声も聞こえた。

 魔素はまるで仲間でも呼ぶかのように灯りで照らされた森の中にふわりふわりと現れた。

「前にさ、魔素の中に落ちて行方が分からなくなった人がいたとか、魔物だけでなくアンデッドが出てきたとかそんな噂があったよね。せっかく扉が出来たのに、これじゃあ付ける事が出来ないよ」
「ミッチェル、とにかく防御壁だけは出しておけよ」
「うん。分かっているよ。魔素の中には落ちたくないもん」

 ミッチェル君の言葉に皆が頷いた。
 ズズズとまた地面が揺れる。音が強くなってくる。こうして魔素が湧く中で始点が決壊をして再びスタンピードが始まったらどうしよう。父様達の応援は来てくれているけれど、周りに魔素が湧いているのはかなり厄介だ。

「デイヴィット! 聖神殿での受け入れが難しいと返ってきたぞ!」
「受け入れられる所などそこしかないだろう! どういう事だ?」
「それが、怪我人の収容やなどで今は魔人を神殿には居れる事が出来ないと」
「ではどうしろと?」
「とりあえず、光属性の浄化が出来る者で抑え込むしかないな」


 声を潜めてはいても、父様とレイモンド伯の声は良く通る。聞こえてきたその言葉に僕たちは思わず聞き耳を立ててしまった。その横でユージーン君がボソボソと口を開く。

「ここでの戦いで聖神殿に送られた人は大勢いるしね。本来なら欠損や命に関わるような治療以外は王宮神殿で受け入れが出来るんだけど、今は魔物や魔素が湧いているし、封印もしているからダンジョンからの重傷者を含めて全て聖神殿が受け入れているのだと聞いたよ。ルシルもそちらに駆り出されているらしい」
「そうだったんだ。もう黒竜の討伐も終わっている筈なのになってちょっと思っていたんだ」

 僕がそう言うとクラウス君も頷きながら「封印の強化に参加をして、黒竜討伐にも出て、聖神殿での治療じゃきついよな」と言った。

「うん。でもさ、僕はエディも心配だよ。大きな力を使った後だもの。本当ならどこかで休んでいてもらいたいくらいだよ」
「大丈夫だよ、ミッチェル。それに疲れているのは同じだよ。こんな風に皆が駆けつけてくれて嬉しいし、スティーブの力で扉が出来たのも有難い。何とか魔人を浄化してもらって、魔素が湧かなくなったら、次のスタンピードが来る前に扉を設置したいね」
「ああ、そうだね。本当にこんな時には聖属性は無理でも光属性が欲しかったとつい考えてしまうよ。こればかりは仕方がない事だけど」
 
 珍しくレナード君がそんな事を言って、僕はただ魔素から逃げ回っているような状況が何とかできないかを考えた。

「うん。聖属性は勿論、光属性も後から取得しづらいからね。でも、ルシルも頑張っているみたいだし、僕達も頑張ろう。魔素の浄化は出来ないけれど、魔素が自然に消えるまで結界をかけてしまうのはどうかな。それなら中から魔物やアンデッドも出てこられないし、魔素に落ちる事もないかな。その、出来るかどうかは分からないし、また魔力も使っちゃうけど」
「よし、試してみよう。結界でそれが防げるならやる価値はある。魔素や魔物達を入れないようにする結界はするけれど、魔素自体に結界をするのは初めてだからね」

 ユージーン君がそう言ってくれて、僕達は近くに湧き出した魔素自体に結界をかけていった。実体のないものに結界がかかるのか不安だったけれど、自然に魔素が消えるまでは結界が残っている事が判った。
 もっとももしもそこから強い魔物が現れたら、恐らくは壊されてしまうと思うのけど、それでも突然来られるよりはいい。

 魔人は幾重にもかけられた檻の中で光魔法が使える人達が浄化試みていた。
 ズズズっと地面がまた揺れる。どうか、どうか浄化をしてほしい。そしてあの蓋が壊される前に出来上がった扉を付けてしまいたい。魔素は少しずつ出現が減っている。あと少し、どうか……。

 その時、聞き覚えのある声が本流の道の方から聞こえてきた。

「ああ、やっとたどり着いた。一気に転移をすると危ないって言われたから少し遅くなりました。聖神殿への受け入れが難しいので直接こちらへ参りました。光の愛し子の加護を持つルシル・マーロウです。よろしくお願い致します」

 すっかり暮れた森の中に、もう一度歓声が響いた。

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もう一人の愛し子到着
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