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第7章  厄災

239. 涙と決心

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「忙しいところすまないね。だがあの場から君を連れ出してしまった方がいいような気がしたんだ。それに一度話もしたかったしね」

そう言って、ニールデン公爵はルシルを豪奢な応接間に連れてきた。
ニールデン家専用だから遠慮なく寛いでと言われても勿論寛げるはずもなく、ルシルは出されたお茶を前にまさしく借りてきた猫のようになっていた。
メイソン子爵が来るまでは護衛を中に入れようと言われて入れたが、入ってきた者を見て公爵は眉を寄せた。

「護衛は一人なのかな」
「はい。私は伯爵家の養子ですし、学生ですし、側近候補ですし……」

言いながらどんどん小さくなっていく言葉は自信のなさと同じだとルシルは思っていた。

「私たちがもう少し気を付けなければならなかったね。学園に行く時も彼だけなのかい?」
「はい」
「一人だけでは不安だろう。常に2名を付けられるように公爵家から騎士をつけよう。ああ、その、囲い込むような事ではないので安心してほしい」
「ありがとうございます」
「ロイスはちゃんとやっておりますかな」
「え? あ、はい。とても落ち着いておられて、すごくお仕事も早くて正確ですし、皆さん頼りにされていると思います」
「ふふふ、息子の同僚から話を聞く機会などそうそうないからね。ああ、メイソン卿がいらしたようだ」

公爵がそう言うと、ドアが開かれてメイソン子爵が現れた。

「ニールデン公爵様、色々と有難うございます。ルシル様、座ったままで結構ですよ」
「いやいや、もう堅苦しい事は止めましょう。すでに同士のようなものですから。さて、ではまずはルシルさん、今日の話の内容を聞かせてほしい。どのようなやりとりだったのか覚えている範囲内でよいので」
「今日の……ああ、はい」

ルシルはシルヴァンが、進まない話し合いに苛立ちを覚えていた事。眠らせるための薬草をみつけたらしいなと口を開いてから、一気にその不満を口にし始めた事を話した。

「上位の者だけを集めた話に無理やり参加をしたけれど、他よりはマシな程度だと仰った事で、他の皆様の顔色が変わって、それに対して信じられないと言う顔をしているが、自分の方がもっと信じられないような気持ちだと」

ハワードが小さく溜息をついた。

「封印が解けかけている首を眠らせるという方法も、再び封印するという方法ももどかしいと仰いました。封印をしなおしてもまた解ける可能性もあって、同じ事が繰り返されるかもしれない。それならば浄化をしてしまった方が良いとなぜ思わないのかと。それに対して皆様とのやりとりが始まりました。消してしまう浄化の力を持つ愛し子は私だけなので難しいというような事を言われると、試してもいないのに出来ないと決めるのかと、王国の貴族ならばというような事を口にされ、それに対して王国の為に全てを投げうって守れと言うのかと少し売り言葉に買い言葉のようなやりとりもありました。あとは浄化をした事によって首に変化があるかもしれないと仰る方もいて。でもシルヴァン様はシルヴァン様なりに王国の事を心配されているのです」
「そうですね。心配はしているのでしょう。でもそれはとても危険が考え方を孕んでいるのですよ」
「危険な」
「はい。それは後ほどお話ししましょう。それで?」

ハワードはそう言って先を促した。

「あ、はい。それで言い合いのような形になって、アルフレッド様が本当にあそこに私を連れて行くのかと、自分には出来ないと仰いました。シルヴァン様は世界が滅ぶかもしれないのにって。そうしたら、そんな事でしか守れない世界ならば滅んでしまえばいいと」

ハワードとニールデンは揃って「ああ……」という小さな声を漏らした。

「アルフレッド様は、決してその名を口にする事はしませんでしたが、きっとエドワード様の事を考えていらしたと思うのです。大事な者をあんな所に連れて行って、あんな化け物と対峙をさせて、生死をかけて浄化をさせるなんて出来ないと、大事な者を犠牲にする事など出来ないと、行こうとするならばどんなに無様でも止めると仰いました。そして、シルヴァン様にシルヴァン様にとっては私は、使い捨てられるような存在なのか、王国の為に死ねと言えるような存在なのかとお聞きになりました。シルヴァン様はどう思っているのかは関係ないと仰いました。国を脅かす禍が存在をして、それを浄化できるような力を持つ者がいるのだからと。貴重な力を持つ、大事な臣下だとも……仰って」

すぅっとルシルの頬に一筋の涙が流れた。

「申し訳ない」

ニールデン公爵が深々と頭を下げた。

「あ、い、いえ。すみません。どうしてかな。ハハハ、変ですね」

ルシルは小さく笑って涙を拭いた。

「アルフレッド様は、シルヴァン様と自分では「大事な者」という概念が違うようだと仰いました。シルヴァン様はなぜ死ぬと決めるのか、守れる方法を探せばよいと。どうやったら厄災から守って、私の力を最大限に引き出す事が出来るのか。その方がよほど現実的だと仰いました。それに対してアルフレッド様は私は道具ではないと、殿下の言葉はそうとしか聞こえないと仰いました。シルヴァン様は誰に当て嵌めてそう言っているのか、他にも私のような力を持つ者がいるのかとお聞きになって、アルフレッド様が謹慎したいと、罷免も受けると仰ったところで侯爵様方がおいでになりました」

ルシルはそう言ってゆっくりと頭を下げた。

ハワードとニールデンは渋い表情を浮かべながら、もう一度溜息をついた。

「ありがとう。もう一度謝罪をさせてほしい。辛い話をさせて申し訳ない」
「いえ、とんでもございません。私はこの力があるが故、ここにいるのですから」

そう言ったルシルにハワードはゆっくりと口を開いた。

「変わられましたね」
「………変わる他ないでしょう。私が知っていた世界とは似ているところはあっても、ここはあまりにも違い過ぎました。浮かれてなどいられないのはさすがにすぐに分かりましたから。それでもお側に来る事が出来ました。それは感謝をしております。けれど、もしも……もしも、この世界が穏やかな時間を取り戻せたら、何もかもを隠して、市井に下りたいと思うようにもなりました。ただの、ルシルとしてひっそりと。人は、どこに幸せがあるか分からないものですね。記憶は薄れてきておりますが、それでも前を合わせると私も41ですからね」
「は?」

ひっそりと笑ったルシルにニールデンが気の抜けたような声を出した。

「ああ、すみません。私は前世の記憶というものを持っていたのです。もう薄れてきましたが」
「そ、そうでしたか。それはまぁ、はは。とりあえず、やはりあの場から連れ出したのは正解でした。記憶の事はさておき、自分の気持ちを吐き出すと言うのは大事な事なので。まずは言われた事を吐き出しました。今度は貴方の気持ちを吐き出すのですよ。それは今日でなくても構わない。私たちでなくとも構わない。けれど、誰かに聞いてもらいなさい。必ず抱え込まず押し込めずに出しなさい」

ニールデン公爵の言葉にルシルは「はい」と頷いた。

「では私からも。シルヴァン殿下は頭も良く、色々な事に気付き、行動力もあります。ですが、圧倒的に言葉が足りず、配慮も足りない」

ハワードの言葉にルシルは何も言えずに俯いた。それを見つめながらハワードは言葉を続ける。

「臣下は自分を投げうってでも賭けたいと思えば、その方に命を差し出すでしょう。ですが、臣下にそれを強要する事は本来はあってはならない。それが私の考えです。王が臣下を選ぶように、臣下も王を選べる筈です。この人について行きたいとね。そうしなければよい関係など出来る筈がないのです。そして、先日ニールデン公爵が仰った通り、王家の者が誰かを守っては駄目なのです。自分が守って、自分が力を最大限引き出して見せる。そう思うのは間違いです。王家が守るべきものは国です。個人ではない。無論王家の人間も人ですから、誰かを愛する事もあるでしょう。その人を守りたいと思うでしょう。それは結構。ですが政策の中で、あるいはこう言った作戦を立てる中で、自分が守れると思うのは不遜です。勿論今回のアルフレッド様についても思う事は色々ありますが。それは父であるフィンレー侯爵が諫めるでしょう。殿下に対しては一度お話を致します。さて、もう一つ貴方ご自身についてです。色々と考える事はあると思いますが、貴方自身はこの厄災という化け物の首の封印についてどう思われますか?」
「どう、とは……」

何を聞かれているのだろうとルシルは思った。何を返せばいいのだろう。

「お、恐ろしいものだと思います」
「はい」
「……本来ならば、一刻も早く封印を、いえ、出来るのならば浄化をした方がいいと思っています。ですが、私にもそれが浄化が出来るのか、自信はありません。キマイラやガルムが赤子同然などと言われるようなものの浄化がはたして可能なのか。そして……もしも浄化をして、それと引き換えに、自分の命が終わってしまうのは、恐ろしいです」
「はい。当然です」

静かにそう言われて、再び、涙が零れた。

「怖くないと言えば嘘になります。たとえ……例え、シルヴァン様が守って下さると言って下さっても、万が一シルヴァン様に何かあってはと思い、尚更恐ろしいです。でも心のどこかでは思っているんです。シルヴァン様の思いに沿って浄化が出来ればよいと。でも自信はありません。死ぬのは、怖いです」

ただ同じ言葉を繰り返しただけのようになってしまったが、ルシルの思う事はそれだけだった。浄化が出来るならばしてさしあげたい。けれど、失敗が許されないような状況である事も十分わかる。出来る自信はない。そして、死んでしまう事は、怖いのだ。

「死ぬのは怖い。それは当たり前の事です。死を怖くないなどと思うようになる方が恐ろしい。出来る自信がないのも当然です。貴方は当たり前の事をきちんと口に出来ているのですよ。あなた一人に何かを負わせるような事はしません。それは大人として当然の事です。殿下ともきちんとお話を致します」
「遅くなりましたね。今日は私の家の者に送らせよう。護衛についても交代で2人ずつがつけるようにします。貴方はまだ庇護下にある学生だ。今、少しだけ貴方自身の気持ちを吐き出したとは思うけれど、それでも溜め込まず、必ず誰かに吐き出しなさい。見つけられなければロイスでも、メイソン卿でも、私でもいい。今日はこのまま帰りなさい」

二人の大人たちの言葉にルシルは「ありがとうございました」と頭を下げた。

そして、扉の前でもう一度ハワード達に向き直り、キュッと唇を結んで…………開いた。

「もしも、もしも何か方法があって、浄化を試せるならば、試してみたいです。怖いし、死にたくないという気持ちは勿論ありますし、浄化をする事が全てではないとも思っています。でも百年後、二百年後にまたこんな騒ぎにならないように出来るのであれば、試す事が許されるのであれば……浄化をしたいです。それは私の気持ちです。今日は、ありがとうございました」

こうしてルシル・マーロウはもう一度深くお辞儀をして、部屋を出た。
大人二人はその背中を黙って見つめていた。

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