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エピローグ
クリスマスの真実
しおりを挟む愛車のレクサスを傍らに、高そうなブランドもののスーツで立つ、目立つ存在。マンションの住人が視線を集めるその人物は、今日、私がデートするお相手。
クリスマス当日。
私は、普段あまり着ない黒の総レーストップスを着て、チェック柄のロングコートを身にまとう。下はタイトスカートで、きれいめスタイル。今日は少し、お洒落をしたつもり。
マンションの前で待つ彼は、私の歩幅に合わせるように助手席のドアを開けた。慣れたように車の天井の角に手を置き、エスコートする。
「うん。可愛い。」
そして、すかさずそう言って微笑む彼に、思わず耳が熱くなった。
これから、どこへ行くのかは分からない。けれど、車内に流れる音楽に耳を傾けながら、黙って外を眺める。
そうして、車が走り始めてから1時間。
外の景色が、だんだん見覚えのある街並みへと変わっていった。辺りが気になり始め、通ってきた道をソワソワと振り返りながら、何度も彼の横顔を見た。
その時、突然車が路肩に停められた。
そのままドアを開けにくる千秋さんに促されながら、半信半疑で車を降りると、見えたものに愕然とした。
目の前の大きな建物を見上げ、声を漏らす。
「桜の、結婚式場.....?」
なぜ、こんなところへ。
ドクドクと体中の血管が脈打つ中、同じように式場を見上げる千秋さんが、ボソッと呟く。
「ここが、全てのきっかけかな。」
それ以上、何も言わなかった。
どこからともなく現れたスタッフの男性に、車のキーを手渡すと、戸惑う私の腰に手を回す。
そのまま館内のレストランへ連れて行かれ、少し遅めのランチを取ることになった。
訳もわからず、食事は始まる。なぜか何事もなかったかのように注文を始め、これ以上踏み込めない空気を作る彼。それから黙々と食べ進めるものの、あまり食べた気がしなかった。
カラカラになった喉を潤すように、一気にコップ一杯の水を飲み干す。食事を終え、全ての食器がさげられても、どこか気まずい空気は続いた。
「少しだけ、何も言わずに聞いてくれる?」
その時、唐突に彼は言った。
あまりに突然で、ごくりと唾を飲み込む音が今にも聞こえてしまいそうなほど。慌てて口元を拭きながら、こくりと首を縦に振った。
「今の会社はさ。元々は、じいちゃんの会社だったんだ。」
しかし、話は思わぬ角度から入った。
「一人息子だった父親は、勝手に音楽の道に進んで、会社を継ぐことを放棄した。だから、孫だった俺に役目が回ってきた。3年前にそのじいちゃんも死んで、そのまま俺が。」
想像していたような話とは違い、新たに頼んだコーヒーを飲みながら、思わず手が止まった。
けれど、彼は至って真剣だった。
一瞬、突然何の話が始まったのかと言いたくなったけれど、何も言わずに聞いてほしいという彼の言葉を思い出し、今は黙って聞くことを選んだ。
「学生時代からずっとフラフラ遊んでばっかで、それが会社継ぐことになるなんて思ってもみなくてさ。そしたら、28の時だったかな。そろそろ将来考えろって、お見合いさせられて。......それが、前の彼女との出会いだった。」
だんだんと頭が混乱する。
ちらりと見た千秋さんの顔が、あまりにも穏やかで、愛おしい記憶を思い返すようにどこか遠くを見つめている。
その姿に、胸がギュッと締め付けられた。
「天真爛漫で、太陽みたいに笑う子で。初めはお見合いも結婚も、乗り気じゃなかったはずなのに。いつからか、俺の方がどんどん惹かれてた。プロポーズもして、結婚する気にもなってた。」
私の知らない、彼の過去。
愛のない結婚がしたい――
偽装結婚を持ち出された時、そう言った千秋さんの言葉を思い出す。訳ありげな彼の言葉に関わる人物。
知りたいと知りたくないの狭間で揺れる私の心は、複雑な感情で渦巻いていた。
「その人、今は?」
とうとう口にしてしまうと、一瞬、千秋さんの表情が曇ったのを感じる。鼻から抜けるような息を吐き、切ない表情を見せた。
「亡くなった。6年前に。」
危うく、コーヒーのカップが手からこぼれ落ちそうになる。
聞いてはいけないことを聞いてしまったと、後悔に手元が震えた。
「彼女、医者でさ。」
それでも、彼は話を続けた。
「私は人の命を救えるんだって、いつも自信満々で。もし自分が死んでも、人を助けられるようになりたいって、......ドナー登録までしてた。」
そう言うと、突然携帯をいじりだす。
不思議に思って見ていると、しばらくして私にその携帯を差し出してきた。恐る恐る受け取り、画面を見ると、ある写真が映し出されていた。
その瞬間、目に写ったものに体が固まる。
どんどん鼓動が速くなり、手で口元を押さえた。
「ヒスイカズラ。」
彼はただそう言って、私の様子をじっと見つめる。
鳥のくちばしのような形をした、エメラルドグリーンの花。滅多に見かけない珍しい花。
しかし、私はそれに見覚えがあった。
「こんなの、俺も初めて見たんだけどさ。あいつ、育て方が難しいんだって言いながら、家の温室ですっごい本気になって育ててた。」
その時、彼と目が合い、体中にゾワッとした感覚が走る。
「それが、突然だったんだ。交通事故に遭って、すぐに手術を受けたけど、もう手遅れで。脳死状態って診断された。」
テーブルの上に置いていた彼の手に、ギュッと力がこもるのが分かった。
見つめていると、辛い表情を抑えるように歯をグッと食いしばり、顔を歪める。それが、余計に見ていられなかった。
「彩の体はドナーになって、臓器がいろんな人に移植された。もちろん、心臓も。」
その時、私の心臓がドキッと鳴った。
「それが、君のお姉さんだった。」
心のどこかで感じていた胸騒ぎが、現実となる。全身の血の気が引いていき、全て嘘だと思いたかった。
しかし、思い出される6年前の記憶。
私が21歳の誕生日を迎えたばかりで、アメリカに留学していた頃。姉の桜は、日本で心臓移植を受けていた。
「で、でもっ。」
戸惑う心。私は視点が定まらないまま、慌てて声を出す。
「移植された人もドナーになった人も、個人情報は明かされないはずなのに。それが、どうして姉だって――」
「向こうの家族に頼んで、俺からもサンクスレターを出したんだ。一緒に、彩が育ててたそのヒスイカズラを押し花にして。」
しかし、落ち着いた様子の彼が、私の言葉を遮った。
サンクスレター。
それは、臓器提供者と臓器移植者が、唯一繋がりを持てる方法。個人情報が保護され、お互い相手のことを知ることができない中で、臓器移植ネットワークが手紙などの受け渡しをしてくれる制度。
桜も、移植を受けた直後は、そんなやりとりを行っていた。
「今は、SNSの時代。だから、期待した。あんな珍しい花が送られてきたら、写真でもあげてくれるんじゃないか。彩がどこにいるのか、分かるんじゃないかって。」
「それって.....」
私は、思い出した。
家から出られず、暇を持て余していた桜が始めた闘病日記のようなブログ。移植をうけてから半年ほど経ってから、「ありがとう」とタイトルをつけ、写真を載せていた。
――私の心臓の人、ヒスイカズラって花が好きなんだって
桜から聞いた、そんな言葉が蘇る。
点と点が瞬く間につながっていき、現実は恐ろしいほど残酷だった。
「本当は、こんなやり方しちゃいけないって分かってる。でも、どうしても知りたかった。彩が、今も誰かの中で元気に生きてるってこと。」
私は、なんとなく分かった気がした。千秋さんが、どうして愛のない結婚をしたいなんて言ったのか。
彩さんという女性。
きっと千秋さんの心の中には、まだ彼女の存在が色濃く残っている。今でも、きっと愛している。
「だから、偽装結婚なんて。」
私は、千秋さんの優しさを履き違えていたのかもしれない。
私を助けてくれたのも、病院を救ってくれたのも全部、彩さんが桜の中にいたから。
何も知らずに、好きだのなんだの言っていた私は、独りよがりで。そんな自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「それは違う。」
目の前に突きつけられた現実に放心状態でいると、彼はそう言って私をジッと見つめていた。
「たしかに、最初の出会いはそうだったかもしれない。彩の心臓が、お姉さんに移植されたって分かって、君の病院に近づいた。経営状態を知って、助けたいと思った。だから、治験の依頼も出資も考えたんだ。」
すると、そう言ったまま彼は黙り込んだ。突然ウェイターの男性を呼び止め、黒のクレジットカードを手渡す。
置いてきぼりでそわそわしていると、彼はおもむろに立ち上がった。
「ちょっと、着いてきて欲しいところがあるんだ。」
そして、また真剣な顔つきを見せる。
私は、そんな彼の後ろをついていき、そのまま店を後にした。
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