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第6章

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ある日の昼下がり。

私は内心、あまり穏やかではなかった。


何度も後ろを気にしながら、アルバイト先へ向かう道のり。ろくに前も見ず、私はお店の裏口へと続く道を慌てて歩いた。

その瞬間、ドンッと鈍い衝撃を受ける。

「おおっ。」

「わっ!」

そして、同時に出た声。私は誰かにぶつかった。

心臓が止まる思いで思考が停止し、パッと顔を上げる。すると、そこには両手を上げた状態で、ムッとした表情を向ける創くんが立っていた。


「ちょっと、瀬川さん。急に激突してこないでください。」

私はその見慣れた顔にホッとして、胸を撫で下ろす。

「びっくりした、創くんか。」

「それは、こっちのセリフです。後ろばっか気にして、絶対ぶつかると思った。」

私は、そんな彼の言葉をハハッと笑って誤魔化すと、またちらりと後ろを振り返る。


「気のせいか.....。」


それは、千秋さんと会ってから数日が経ったある日のことだった。

最近、誰かに見られているような視線を感じる。そう思うことがよくあった。

今日も、家を出てからなんとなく後ろに気配を感じ、何度も振り返りながらここへ来た。でも、姿が見えるわけでもなく、結局モヤモヤとした気持ちが残るだけ。


「なんか、誰かに狙われてんすか?」

すると、同じ目線に立ち、冗談っぽく言う創くん。

私は目を丸くし、彼の横顔をジッと見つめる。その言葉を、馬鹿正直に間に受けてしまった。


「えっ......。」

「え?ああ、ごめん。なんでもない。」

すぐに反応の間違いに気づき、歩き出す。

「ちょちょちょちょ、今の何すか。」

しかし、そう言う創くんにパッと腕を掴まれ、引き止められてしまった。


「ごめん、反応間違えただけだから。」

「じゃなくてっ。」

目も合わせず、背中越しにする会話。掴まれた腕にギュッと力がこもると、彼はボソッと呟いた。


「普通に、気になるんで。」


その言葉に、スッと力が抜けた気がした。

私は諦めたように振り返り、彼の顔を見上げる。すると、少し照れ臭そうに顔を赤らめる表情が見え、正直驚いた。

そんな素直な顔の創くんを、私は見たことがなかったから。

「大した.....ことじゃないんだよ?」

苦笑いを浮かべ、俯く。腕からそっと彼の手を離すと、近くの壁に寄りかかった。


実際、"見られているような気がした"というだけで、なんの証拠もない。勘違いだったかもしれない。ここで言っても、心配をかけるだけのようで、打ち明けるだけで少し恥ずかしい気もした。

でも、そう言ってくれる創くんの気持ちが嬉しくて、私まで素直になってしまう。年下の男の子だけど、今はこのまま甘えたくなった。


「え、それいつから?」

「んー、ここ最近かな。」

例の話を打ち明けると、創くんは疑う様子もなく、真剣な顔をして聞いてくれた。

「まあ、でも直接何かあったわけじゃないし。私の気にしすぎって場合もあるから。」

甘えたいと思いながらも、結局は心配をかけまいと、そう付け加えてしまう私。凍える手をさすりながら、冗談っぽく笑った。


「今日、ラストまでですよね。」

しかし、創くんによって、話は急に打ち切られた。

「うん。そうだけど.....、なんで?」

「もうそろそろ、行った方がよくないっすか?遅刻しますよ。」

なぜか会話が成立せず、質問は質問で返される。

さっきまで、あんなに真剣に聞いてくれていたのに、何か言ってくれるわけではない。そう言ったまま「お疲れ様です」と、突然帰ってしまった。


1人になり、ボーッと立ち尽くしながら、寒さに体をブルッと震わす。ふと携帯で時間を見ると、その瞬間ハッとした。

「やばっ。」

私は裏口から中へ入り、バタバタと着替え始める。


結局、なんだったのだろう。急にスイッチが切り替わったように帰ってしまい、彼の考えていることは分からない。

何か言ってほしかったわけじゃない。けれど、何も言われないと、それはそれで気になる。

結局こちらでもモヤモヤして、そんな感情が残るだけだった。



それから、7時間。私は無心で働いた。

今日のディナータイムは予約で埋まり、一段と忙しかった。そのおかげもあってか、余計なことを考えなくてもすみ、少しホッとしている自分がいた。


「じゃー、皆そろそろ上がっちゃって。お疲れ。」

オーナーの声と共に、皆はバラバラと挨拶をしながらタイムカードを切っていく。それぞれ流れるようにスタッフルームへ入っていくと、私はロッカーを開けた途端、どっと疲れが出た。

無意識に首を動かしながら、制服を脱いでいく。

その時、私はその場にいたもう1人の人物を見て、急に手が止まった。

「なんですか?」

斜め向かいのロッカーを使う、可愛らしい顔立ちの彼女。私の視線に気づき、嫌そうな表情をする胡桃ちゃんだ。

「ううん。なんでもない。」

一瞬、頭をよぎる疑惑。急に、彼女の言葉が蘇った。


――胡桃、子供じみた嫌がらせなんてしませんから

――何かあっても、胡桃のことは疑わないでくださいね?


最近感じているあの視線の正体。

私は、わざわざ牽制するように言ってきた胡桃ちゃんの言葉を思い浮かべ、それが余計に私を不安にさせた。


彼女は、何事もなかったかのようにまた着替え始める私を見て、不満気に首を傾げる。そんな中、私は自分の世界に入りながら、心臓がドクドクと脈打っていた。

あの視線は、胡桃ちゃんによる嫌がらせだったのか。

頭の中でグルグルとそんなことを考えてしまい、目を泳がせる。


「おつかれさまでーす。」

さっさと着替えを済ませ、颯爽と私の横を通り過ぎていく胡桃ちゃん。

「お疲れさま。」

しかし、これは証拠もない浅はかな考え。閉まりかける扉に声をかけながら、すぐにそう思いため息をついた。

きっと、私の考えすぎだ――。

心の中で自分にそう言い聞かせ、頭を抱えるようにその場にしゃがみ込んだ。



それから、胡桃ちゃんに続くように店を出た私は、裏口から出てすぐに、きゃっきゃと甲高い声を聞いた。

暗闇の中に見える、2つの人影。

街灯が、スポットライトのようにその場所を照らしていた。


カップルのようなシルエット。見ないようにと目を伏せながら、私は足早に通り過ぎようとした。

「あっ。」

しかし、通りに出ようとする私を見て、1人がそう声を出す。

「えっ。」

声に反応し顔を上げると、その瞬間、目が合った。

そして、思わずそう声を漏らす私が見たのは、昼間、家に帰ったはずの創くんだった。

先程、アルバイトを終えたばかりの彼と、交代するようにここで会ったはず。それがなぜか、また舞い戻ってきていた。


隣には、彼にピッタリとくっつき、腕を絡ませる胡桃ちゃんが立っている。私の存在に気づくと、またもやこちらをギロリと睨んだ。先ほど聞いたのは、彼女の声であった。


声に反応して立ち止まったものの、すぐに会釈をして歩き出す。

きっと、胡桃ちゃんと約束でもあったのだろう。そう思い、邪魔してはいけないと素通りしようとした。


「ごめん。俺、瀬川さん待ってたんだわ。」

しかし、そんな声が聞こえてきて、さすがに無視するわけにはいかなかった。

「じゃ、また明日バイトで。」

「え、ちょっと創さん!」

彼女の腕を振り払い、小走りで駆け寄ってくる彼。私は思わず立ち止まり、ゆっくりと振り返っていた。


「なんで?」

「あんなこと聞いて、放っとけるはずないでしょ。家まで送ります。」


私は、そんな創くんの顔を見上げ、戸惑いを隠せずにいる。

立ち尽くす胡桃ちゃんと目が合うと、ムッとした表情で、去って行くのが見えた。


「私、とことん恨まれそう.....。」

わざわざ、私を家まで送るために来てくれた創くん。こんなの、胡桃ちゃんからしたら面白くないに決まっている。

彼女の後ろ姿を呆然と見つめながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
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