嫌いな人に褒められても嬉しくない理由

 好きな人や尊敬してる人に褒められれば素直に嬉しいけれど、嫌いな人に褒められても全く嬉しくない。むしろ「バカにしているの?」とか「お世辞を言っていて、気色悪い」としか感じない。

 そんな経験は誰にでもあると思う(少なくとも私にはある)。なので、なんで同じ言葉でも人によって印象が変わるのか、一つの仮説を立ててみた。

 ※あくまで仮定というか、作者の妄想です。あまり真に受けすぎないように……。
24h.ポイント 0pt
0
小説 192,887 位 / 192,887件 エッセイ・ノンフィクション 8,133 位 / 8,133件

あなたにおすすめの小説

作者は誰のために小説を書くのかっていう話。

みももも
エッセイ・ノンフィクション
私の作品が急に急上昇(語彙力)した。 うまくいく秘策を聞きたい? そんなことは私の方が聞きたい。 なんでこうなったの? なにがよかったの? 教えて偉い人。 まあもうそのことはどうでもいいや。 てなわけで偉そうな理屈とかをいうことはできないんだけど、こうなってしまったらどうなってしまうのか、今の心境を語ることはできるなって思ったので適当に書きます。 今後バズる予定のある人はご一読ください。

彼を知り己を知る

みももも
エッセイ・ノンフィクション
孫子と言えば「敵を知り、己を知れ」そんな言葉が有名です。 だけどどうにも、世の解説には意訳が過ぎて、それは何も本質じゃない気がしてならない。 ということで(前文から目をそらしながら)原文に立ち返り、どう解釈するべきかを考え直す。 そんな試みです。

うつ病の「私」

Scar20010427
エッセイ・ノンフィクション
「私」が産まれてから「うつ病」というものになるまでの過程。それから「うつ病」になった「私」の思考や状態について記したものです。

混沌に触れるだけでは混沌にはなれない

みももも
エッセイ・ノンフィクション
 混沌を嫌う人はいるけど、個人的に混沌とは個性の一種だと思う。  周りの人間と全く同じことを、ただ模倣しているだけの人から個性は感じない。  そんな人はいてもいなくても同じ。所詮戦力の1に過ぎないのではなかろうか。  無論集団の中の一人として戦う生き方もあるんだろうけど、そこに個人としての意思の自由は存在しない。  だからこそ僕は混沌を身につけたいと思うわけだけど……。

都市伝説

鉄幹
エッセイ・ノンフィクション
信じようが信じまいが無意味です。なぜならこれは私たちの計画に沿って実行されるからです。あなたがどこで何をしようと、どんなに犠牲を払おうと、戦争を止めることは不可能です。

見込みスコアがずっとゼロでショックです

コーヒーブレイク
エッセイ・ノンフィクション
久しぶりにアルファポリスに連載を投稿したら、ポイントはついているのに、見込みスコアがまったくつかないので、落ち込んだという話です。

(偽善者のつぶやき)「命の重み」を認められるのって一部の生き物だけだよね。「残酷」って何だろう。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
「命の大切さ」などと「命」という言葉自体は大切にされるけれど……。テレビや新聞で出てくる「命」というものは、人間やペットなど「殺さず守るべき生き物」のことだ。しかし命というのは蚊にもゴキブリにもカビにも、牛やニワトリにも、微生物にも植物にもある。「命を大切に」ということは殺菌も草むしりもしないのか? そんなことはないはず。「命」の格差というか差別というか……。同じ命なのに暗黙の了解で「大事にすべき命」と「殺されるべき命」がある。なぜ人は、限定的で差別的な概念に対して「命」という壮大な言葉を使いたがるのか。と言いつつ私も「命」という言葉を乱用している。

精神病棟日記

喜多條マグロ
エッセイ・ノンフィクション
筆者が精神病棟に入院した際の自伝的小説

処理中です...