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ダンジョン編(殺人鬼)

クラス転移

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 日本でも有数の進学高校の校舎の一部が、ショベルカーで抉られたかのように無くなっている。

 二年生の特進クラスが、轟音とともに教室ごと忽然と消えてしまったのは二十五年前。俺だけトイレにいて難を逃れ、今やもう四十過ぎのおっさんになってしまった。

 消えた生徒たちの父兄の望みで、教室の消失跡はあのときのままの状態に維持されているが、当時教室にいたクラスメート二十九名は、いまだに行方不明のままだ。

「みんな、どこでどうしているのやら」

 世間ではクラスメートの生存を絶望視しているが、俺はみんながどこかで生きているような気がした。あのとき、トイレに行かなかったら、今のクソったれな人生はなかったのではないかと、ここに来るたびに考えてしまう。

桐木勇人キリキユウト、待っていたぞ」

 人通りのない校門の前で校舎を見ていた俺の前に、突然現れたのは骸骨顔に黒いローブの男。大きな鎌を担いでいる。

「し、死神?」

「ほう、よく分かったな。いかにも私は死神だ」

 その姿はどう見ても死神だろう……。ってことは……。

「俺はこれから死ぬのですか?」

 最近、仕事が徹夜続きで驚く元気もない俺は、死神の存在をそのまま受け入れた。

「いかにも。こんな肌寒い夜に出歩くのは、今のお前にとっては自殺行為だ。もうすぐ心筋梗塞で死ぬ。生きたいか?」 

 そう聞かれて、考えてしまった。俺って生きたいのか? 毎日、徹夜徹夜で仕事をさせられ、上司にパワハラされて、私生活では女に騙されてばかり。正直、疲れ果ててしまった。

「……どっちでもいいです」

「お前、そこは生きたいと言うところではないのか?」

「いや、生きていても面白いことがあまりないのですよ」

「しらけた奴だな。まあよい。お前の意思など関係ない。これから、二十五年前のあの日の教室にお前を戻す。トイレには行くなよ」

「え?」

 次の瞬間、懐かしい高校二年のときの教室の風景が、目の前に広がっていた。壁に掛かった時計を見ると八時十八分、教室が消える前の二分前だ。俺がいつも考えていた「もしも」が起きていた。

 だが、実際に起きてみて、冷静に考えてみて、別の結論に辿り着いた。

 もう一度、トイレに行って、人生をやり直した方がいい。

 二十五年も経った今、実際にクラスの奴らを見てみると、半分以上の生徒の顔と名前を忘れてしまっている。驚くほど親近感が湧いて来ない。

 所詮は他人でしかないか。妙な事件に巻き込まれたくはないな。

 俺は二十五年前と同じようにトイレに行き、二十五年前と同じようにトイレの中で教室の方から轟音を聞いた。

「桐木勇人、何という人でなしだ」

 トイレの入り口に死神が立っていた。

「よく分からないことに巻き込まれたくはないです。若い体を貰ったし、この先、日本で何が起きるか分かっているし、俺は日本でやり直したいです」

「それは許されぬ。同じ世界での人生のやり直しは禁忌行為だ。今、この場で殺すぞ」

 死ぬならそれでいい。生に執着する理由が俺にはない。

「……分かりました。どうぞ」

「面倒くさい性格だな。仕方がない。少し説明してやろう。まず、お前のクラスメートだが、二十五年前、すなわち、今日ということになるが、異世界に召喚された」

「異世界転移ですか!?」

「いかにも。ワシはそこにお前をワシの使徒として送り込みたい。二十九人の魂をこちらの世界に取り戻して欲しいのだ」

 すごく面倒な作業に聞こえた。何の魅力も感じられない。

「それは、かなり大変そうですね。やはり、心筋梗塞になって、このまま天国に行きたいです」

御堂絵梨花ミドウエリカから好かれる可能性があっても、行きたくはないか?」

 御堂絵梨花、彼女のことはよく覚えている。学校一の美女で、スタイル抜群の女の子だった。高校生のとき、ずっと想い続けていたが、告白する前にあの事件で消えてしまった。というか、告白する勇気なんてなかったが。

「少し興味が出て来ましたが、あれですか、チートな能力を頂けたりするのですか?」

 異世界にクラス転移して、チートスキルで無双して、クラスの女は全員俺のもの、というなら話は別だ。俺のゲスな心がうごめき出した。

「チートかどうかは分からぬが、ワシの出来ることはしてやれんでもない。だが、相応の努力は必要だぞ」

「俺、努力だけは得意です。でも、なかなか報われないのです」

「心配は要らぬ。『一念通天』というスキルを与える。努力が必ず報われるスキルだ。努力すればするほど効果は大きい」

 努力が必ず報われるって、めちゃくちゃチートじゃないか?

「やります。任せてください」

「ほう、やっとやる気になって来たか。そう来なくては話にならぬ。だが、よいか、この話には条件がある」

「何でしょうか?」

「なに、簡単なことだ。クラスメートたちの死の現場に立ち会っていればよい。ただ、それだけだ」

「どうやって、死の現場に立ち会うんです? ってか、クラスの奴ら、死ぬのですか?」

「人間は誰だっていずれ死ぬ。お前に密かに『死神の使徒』のロールと『臨終憑依』のスキルを与える。お前は死を迎えるクラスメートに次々と憑依することになる」

「憑依って……?」

「やってみればわかる。では、お前の魂を先に異世界に送るぞ」

「え? ちょ、ちょっと待って下さい。魂だけですか? 俺の体の方はどうなるんです?」

「お前が『臨終憑依』で体を抜けている間にも、肉体の方が自立して動けるように、肉体にも意思を持たせる。要するにお前は二人になる。もう一人の方は、潜在能力を最大限に解放して、御堂絵梨花を全力で守る騎士に仕立てるつもりだ」

「それって、俺のようでいて、俺ではないのでは?」

「お前自身だ。魂が抜けて感情はないが、お前が努力すれば到達できる知恵と体技を兼ね備えたスーパー桐木だ。一日に三分間だけ、お前は肉体に戻る。魂と肉体は、ずっと離れたままでは存在できないからだ。では、行けっ」

 まだ聞きたいことが沢山あったが、意識が遠のいて行った。

 次に俺が気づいたのは、異世界転移後と思われる教室の中だった。教壇に見知らぬ金髪の美人が立っていて、これから話を始めるところだった。

 俺はどうやら男子生徒に臨終憑依したようだ。こいつのことは覚えている。田中だ。正義感の強い男で、確か応援団に入っていたはずだ。

 憑依してみて、「臨終憑依」がどういうものか分かった。田中の考えていることが、はっきりと俺の頭に伝わって来る。また、視覚、嗅覚、聴覚もしっかりと共有していて、田中が見たり聞いたりするものが情報として入って来る。

 だが、完全に一体化しているわけではない。田中を自由に動かせるわけではないのだ。逆に、田中が何かに集中していても、俺は別のことに集中できる。例えば、田中は教壇の美人の顔を見ているが、俺は胸を見ていた。

『デカいな』

 俺の思いが田中の口から漏れた。声色は田中のものではなく、地の底から響いてくるような荘厳な感じだ。発した言葉の内容と声色の荘厳な感じのギャップが、俺のツボにハマったので、もう一度、発してみた。

『うーむ、デカい』

 田中が慌てて口を押さえている。なるほど、かなり渋い声を出せるようだ。

 教壇までは声は届いていないようで、金髪美人はこちらには気づかず、よく通る声で話し始めた。不思議なことに、流暢な日本語だった。

「私はお前たちの召喚主だ。名をヒミカという。席に着いて静かにしろ。これから命令を与える」

 そう来たか。このクラス転移は、残念ながら召喚主が悪のパターンだ。しかも、悪を隠そうとしていない。

 生徒たちはとりあえずは席に着くようだが、田中はヒミカの傲慢な態度が気に食わないようだ。

(ふん、青いな。美人は傲慢なところが、またいいのだ)

 生徒全員が席について、ヒミカは満足そうだ。

「お前たちにはダンジョンで魔石の採掘を行ってもらう。一人一日100ポイントのノルマだ。三十人を六人ずつの班に分けるぞ。今座っている席順でいく。こっちから一班、最後が五班だ。何だお前は。まだ、質問タイムではないぞ」

 田中が席を立っていた。

「そんな理不尽な話が通るかっ。すぐに俺たちを元の世界に戻せ」

 田中が叫んだが、ヒミカは表情ひとつ変えない。

「おい、そのバカの後ろのお前。こっちに来い」

 ヒミカに言われて、後ろの席の生徒が立ち上がるのが分かった。田中の横を通りすぎるときに誰か分かった。

(俺じゃないかっ!?)

 高校生の俺がヒミカに近づいて行き、ヒミカからナイフのようなものを受け取っていた。

「それであのうるさい男を黙らせろ。そうすれば、お前の班の粗相は見逃してやる」

 クラス中が静まり帰った。

「おい、桐木、あんな女の言いなりになるな。こんな一方的な話は、お前もおかしいと思うだろう?」

 田中の声が聞こえているのかいないのか、高校生の俺は冷静な顔つきのまま、田中に近づいて来たかと思うと、突然姿勢を低くして、田中に体当たりして来た。

 田中の腹が燃えるように熱くなった。いや、痛い。立っていられない。田中は腹を押さえながら、床にうずくまった。血がどんどん流れ出して行く。

「ほう、躊躇なく行動するとは見込みのある奴だな。約束通り、五班の粗相は許す。お前たち、何か勘違いしているようだが、お前たちは奴隷労働者で、私は主人だ。主人への反抗は死だ。分かったな」

 ヒミカは片側の口角を上げてニヤリとした。

 高校生の俺は、何事もなかったように席に座った。

 クラス中が静まり返っていた。

 だが、これはまだ序章に過ぎなかった。

 これから数週間後に俺が追放されるまでに、クラスの人数は三分の一にまで減るのだから。
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