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「髪結いさん」と声をかけられ振り向けば、そこには源助がいた。
こんな時に会いたく無いと思っても、今更逃げることも難しい。
「ああ。源助さん、でしたか? どうかしやしたか?」
いつものように商売上の作り笑顔で答える。大丈夫、うまく出来ているはずだと心の中で思いながら。
「いえ、ちょいと話がしたいなと思いましてね。湯屋に行ったらもう帰ったって言うんで、こうして後を追ってきやした。銀次さん」
「……、俺の名を?」
「ああ、湯屋の人に髪結いさんのことを聞いたら、教えてくれましたよ。
まあ、立ち話もなんだ。どっかで一杯引っかけていきやせんか?」
源助はお猪口を持った仕草で、くいっとやって見せた。
「いや、妹が飯を作って待っててくれてるはずなんでね。帰りやせんと」
「ああ、鈴さんが……。そうですか、それはもっともだ。じゃあ、帰りしなに歩きながらと行きましょうか」
そう言うと、源助は銀次の隣に並び歩き始めるのだった。
何を、何の話があると言うのか? 銀次は警戒しながら銀次と並び歩くことにした。
「銀次さんと鈴さんは何歳違いですか?」
「え? ああ、歳ですか?」
銀次は慌ててしまった。自分の歳も鈴の歳も、本当の年齢を互いに知らないのだ。そう言えば今まで、誰かにそんなことを聞かれたことが無かったと気が付く。
「実は自分の歳も曖昧でしてね、考えたことも無かったですわ。
そうですね、一回りくらいは違うでしょうね」
「ほほぉ。一回りですか? まあ、そのくらい歳の離れた夫婦も珍しいわけじゃねえですからね」
「は? 夫婦って、なに言ってるんですか? 俺たちは兄妹ですよ」
「ん? ああ、そうでしたね、兄妹だ。でも、血は繋がってないでしょう?」
源助の言葉に銀次は一瞬、かっとなってしまうが、すぐに冷静さを取り戻す。
なにかある。こっちを揺さぶり、探るつもりなのだと感じた銀次は、その手に乗るもんかと一瞬で感情を沈めるのだった。
「誰かに聞いたんですかい? 確かに俺たちは似てないが、ちゃんとした兄妹ですよ。周りの変な話は信用せんでください」
「周りの変な話……ですか。いや、俺はまだこの町に来たばかりの旅人だ。誰からも、どこからも変な話なんて聞いてやせんよ。
まあ、なんていうんですかね。元岡っ引きの勘、とでも言うんでしょうか?
血の繋がりが無いのはすぐにわかりやしたよ」
「ふっ、そうですか。ま、岡っ引きの勘ていうのもあてにはならんもんですね」
銀次はわざと余裕ぶって笑みをこぼした。
「そりゃあ、おかしいですね。鈴さんは血が繋がってないって、認めてましたけどね」
「な! あんた、鈴に……。だから様子がおかしかったんか? 鈴に何を言った? 何を吹き込んだ?」
銀次は歩みを止め、源助に向かい合った。睨みを利かせドスのきいた声で威嚇する。こんなこと、岡っ引きをしていた源助に効果など無いのだろうが、怒りに任せた銀次にはそれすらも考えつかなかった。
「そうですか、鈴さんの様子が? ああ、思い出しやした。別に血の繋がりが無いとはっきり口にしたわけじゃありません。ただ、関係ないと言われただけです。それもあからさまに動揺してました、誰が見ても明らかなほどにね」
「あんた! 一体、俺たちに何がしたいんだ?」
怒りに震える銀次に、源助は冷静に言ってのけた。
「鈴さんを、私に預けませんか?」
「……は?」
源助の言葉に銀次は思考が止まりかけた。
鈴を預ける? 誰に?
この、会ったばかりのよく知りもしない男に、鈴を?
ぐるぐると余計なことが頭を回るが、どれもこれも役には立たなかった。
「お、お前、何言ってんだ? なんも知らねえ赤の他人に、なんで大事な妹を預けなきゃならねえんだ? 馬鹿も休み休み言えや」
ふざけるな!と言い返すのが、銀次にはやっとだった。
だが、そんな様子は想定内だったのだろう。源助は冷静にそれを聞いていた。
「突然でそりゃあ驚くのはわかりやす。こんな、親子ほども歳の離れた男が何言ってるんだって、そう思うのはあたりまえだ。
ただ、まあ。少し冷静になりやしょう、銀次さん。
あんたのこんな生活に、いつまで彼女を付き合わせるつもりですか?
いつ、姿を消すことになるかもわからんその身で、ある日突然あんたがいなくなったら、その時鈴さんはどうするんです?
他に身寄りもないのに小娘一人残されて、どうやって生きていけっていうんです?」
「な、なにを? おまえ……」
銀次は源助の言葉に狼狽えてしまう。冷静に、平静を装うつもりでいたのにそれももう出来ない。事実を突きつけられ、彼はもう平常心ではいられなくなってしまった。
そして、やはり源助は知っている。自分のことを。おかめ盗賊の一味だったということを。
ああ、どうすればいい?と、銀次の頭は渦巻き続けた。
「今なら、俺も人ひとりくらいなら守ってやれる。宮浦に戻れば知り合いもまだいる。俺がどうにかなっても、ちゃんと彼女の周りを固めてやることが出来る。
それに、このまま一人でいるわけにはいかねえ。ちゃんとした嫁ぎ先も用意してやれるかもしれねえし。
本当にあの娘を心配してやるなら、先のことを考えてやらにゃあならんでしょう。それが兄の務めですよ」
なにを好き勝手なことをと、銀次は腸が煮えくり返る思いで聞いていた。
そんなことわかっている。わかっていて、それでも手放せないと思ってしまうのだからどうしようもないのだと。
銀次は仕事道具を持つ手を震わせながら、怒りに耐えた。
「何も知らないまま、今のまま手放した方が彼女のためだ。
あの娘は、あんたを好い……」
「お前になにがわかる!!」
源助が言い終わる前に、銀次はその胸ぐらを掴んでいた。
大事な仕事道具の箱を放り投げ、力づくで締め上げるように着物の胸元をねじりあげる。銀次の方がいくらか上背が高く、上から見下ろすように睨みつけるも、源助には効果が薄いようだった。
十手を預かり修羅場をくぐり抜けて来た男にとって、このくらいのことは大したことではないのだろう。
「血の繋がらねえ妹を育てる難しさは俺にもわかる。
大事に育てた妹を独り立ちさせる寂しさもよくわかる。
唯一の家族を失う思いも身に染みてわかってる。
だがな、追っ手から逃げるように生活するのも、この世は二人だけだなんて錯覚させながら暮らす様(さま)は俺にはわからん。
真っ当な暮らしができるはずの娘を囲って、未来を封じるような生き方させるのなんか、わかりたくもねえ!」
源助の心の叫びともとれる言葉に、銀次は言葉を失った。
言い返す言葉が出てこない。何もかも知っているであろう男に対し、今更嘘で固めても仕方がないとわかっている。だからこそ本音をぶちまけてやりたいのに、その言葉が見つからなかった。何をどう言ったところで、目の前の男はお見通しなのだから。
「今の俺はただの旅人だ。何の権力もねえ。
妹の鈴の敵って言ったって、おめえたちを一人ひとり締め上げて息の根止めてやるほどの体力も残ってねえさ。
精々出来る事なんざ、お上に垂れ込むぐれえだ。証拠もなんもねえ、昔の事件だ。全員しょっ引けるとも思ってねえよ。
だがな、お天道様はちゃんと見てるもんだ。真っ当に生きてる人間を粗末にはしねえ。鈴の死が無駄死にじゃなかったって証明するためにも、俺はおめえたちを黙って見過ごすわけにはいかねえんだ。
だから、その前にあの子を俺に預けろ。悪いようにはしねえ、約束する」
源助の最後の訴えだった。
彼にとって鈴は、どうしたって死んでしまった妹に重なってしまう。
享年と同じくらいの年齢。同じ名。同じような境遇。
それら全てが妹と結びついてしまう。
守れなかった妹への、せめてもの罪滅ぼしという念が彼を突き動かしていく。
銀次は胸ぐらを掴んでいた手を離すと、黙って道具箱を拾い上げた。
そして、源助に向かって答えるのだった。
「おめえも俺も、救いようがねえな」
こんな時に会いたく無いと思っても、今更逃げることも難しい。
「ああ。源助さん、でしたか? どうかしやしたか?」
いつものように商売上の作り笑顔で答える。大丈夫、うまく出来ているはずだと心の中で思いながら。
「いえ、ちょいと話がしたいなと思いましてね。湯屋に行ったらもう帰ったって言うんで、こうして後を追ってきやした。銀次さん」
「……、俺の名を?」
「ああ、湯屋の人に髪結いさんのことを聞いたら、教えてくれましたよ。
まあ、立ち話もなんだ。どっかで一杯引っかけていきやせんか?」
源助はお猪口を持った仕草で、くいっとやって見せた。
「いや、妹が飯を作って待っててくれてるはずなんでね。帰りやせんと」
「ああ、鈴さんが……。そうですか、それはもっともだ。じゃあ、帰りしなに歩きながらと行きましょうか」
そう言うと、源助は銀次の隣に並び歩き始めるのだった。
何を、何の話があると言うのか? 銀次は警戒しながら銀次と並び歩くことにした。
「銀次さんと鈴さんは何歳違いですか?」
「え? ああ、歳ですか?」
銀次は慌ててしまった。自分の歳も鈴の歳も、本当の年齢を互いに知らないのだ。そう言えば今まで、誰かにそんなことを聞かれたことが無かったと気が付く。
「実は自分の歳も曖昧でしてね、考えたことも無かったですわ。
そうですね、一回りくらいは違うでしょうね」
「ほほぉ。一回りですか? まあ、そのくらい歳の離れた夫婦も珍しいわけじゃねえですからね」
「は? 夫婦って、なに言ってるんですか? 俺たちは兄妹ですよ」
「ん? ああ、そうでしたね、兄妹だ。でも、血は繋がってないでしょう?」
源助の言葉に銀次は一瞬、かっとなってしまうが、すぐに冷静さを取り戻す。
なにかある。こっちを揺さぶり、探るつもりなのだと感じた銀次は、その手に乗るもんかと一瞬で感情を沈めるのだった。
「誰かに聞いたんですかい? 確かに俺たちは似てないが、ちゃんとした兄妹ですよ。周りの変な話は信用せんでください」
「周りの変な話……ですか。いや、俺はまだこの町に来たばかりの旅人だ。誰からも、どこからも変な話なんて聞いてやせんよ。
まあ、なんていうんですかね。元岡っ引きの勘、とでも言うんでしょうか?
血の繋がりが無いのはすぐにわかりやしたよ」
「ふっ、そうですか。ま、岡っ引きの勘ていうのもあてにはならんもんですね」
銀次はわざと余裕ぶって笑みをこぼした。
「そりゃあ、おかしいですね。鈴さんは血が繋がってないって、認めてましたけどね」
「な! あんた、鈴に……。だから様子がおかしかったんか? 鈴に何を言った? 何を吹き込んだ?」
銀次は歩みを止め、源助に向かい合った。睨みを利かせドスのきいた声で威嚇する。こんなこと、岡っ引きをしていた源助に効果など無いのだろうが、怒りに任せた銀次にはそれすらも考えつかなかった。
「そうですか、鈴さんの様子が? ああ、思い出しやした。別に血の繋がりが無いとはっきり口にしたわけじゃありません。ただ、関係ないと言われただけです。それもあからさまに動揺してました、誰が見ても明らかなほどにね」
「あんた! 一体、俺たちに何がしたいんだ?」
怒りに震える銀次に、源助は冷静に言ってのけた。
「鈴さんを、私に預けませんか?」
「……は?」
源助の言葉に銀次は思考が止まりかけた。
鈴を預ける? 誰に?
この、会ったばかりのよく知りもしない男に、鈴を?
ぐるぐると余計なことが頭を回るが、どれもこれも役には立たなかった。
「お、お前、何言ってんだ? なんも知らねえ赤の他人に、なんで大事な妹を預けなきゃならねえんだ? 馬鹿も休み休み言えや」
ふざけるな!と言い返すのが、銀次にはやっとだった。
だが、そんな様子は想定内だったのだろう。源助は冷静にそれを聞いていた。
「突然でそりゃあ驚くのはわかりやす。こんな、親子ほども歳の離れた男が何言ってるんだって、そう思うのはあたりまえだ。
ただ、まあ。少し冷静になりやしょう、銀次さん。
あんたのこんな生活に、いつまで彼女を付き合わせるつもりですか?
いつ、姿を消すことになるかもわからんその身で、ある日突然あんたがいなくなったら、その時鈴さんはどうするんです?
他に身寄りもないのに小娘一人残されて、どうやって生きていけっていうんです?」
「な、なにを? おまえ……」
銀次は源助の言葉に狼狽えてしまう。冷静に、平静を装うつもりでいたのにそれももう出来ない。事実を突きつけられ、彼はもう平常心ではいられなくなってしまった。
そして、やはり源助は知っている。自分のことを。おかめ盗賊の一味だったということを。
ああ、どうすればいい?と、銀次の頭は渦巻き続けた。
「今なら、俺も人ひとりくらいなら守ってやれる。宮浦に戻れば知り合いもまだいる。俺がどうにかなっても、ちゃんと彼女の周りを固めてやることが出来る。
それに、このまま一人でいるわけにはいかねえ。ちゃんとした嫁ぎ先も用意してやれるかもしれねえし。
本当にあの娘を心配してやるなら、先のことを考えてやらにゃあならんでしょう。それが兄の務めですよ」
なにを好き勝手なことをと、銀次は腸が煮えくり返る思いで聞いていた。
そんなことわかっている。わかっていて、それでも手放せないと思ってしまうのだからどうしようもないのだと。
銀次は仕事道具を持つ手を震わせながら、怒りに耐えた。
「何も知らないまま、今のまま手放した方が彼女のためだ。
あの娘は、あんたを好い……」
「お前になにがわかる!!」
源助が言い終わる前に、銀次はその胸ぐらを掴んでいた。
大事な仕事道具の箱を放り投げ、力づくで締め上げるように着物の胸元をねじりあげる。銀次の方がいくらか上背が高く、上から見下ろすように睨みつけるも、源助には効果が薄いようだった。
十手を預かり修羅場をくぐり抜けて来た男にとって、このくらいのことは大したことではないのだろう。
「血の繋がらねえ妹を育てる難しさは俺にもわかる。
大事に育てた妹を独り立ちさせる寂しさもよくわかる。
唯一の家族を失う思いも身に染みてわかってる。
だがな、追っ手から逃げるように生活するのも、この世は二人だけだなんて錯覚させながら暮らす様(さま)は俺にはわからん。
真っ当な暮らしができるはずの娘を囲って、未来を封じるような生き方させるのなんか、わかりたくもねえ!」
源助の心の叫びともとれる言葉に、銀次は言葉を失った。
言い返す言葉が出てこない。何もかも知っているであろう男に対し、今更嘘で固めても仕方がないとわかっている。だからこそ本音をぶちまけてやりたいのに、その言葉が見つからなかった。何をどう言ったところで、目の前の男はお見通しなのだから。
「今の俺はただの旅人だ。何の権力もねえ。
妹の鈴の敵って言ったって、おめえたちを一人ひとり締め上げて息の根止めてやるほどの体力も残ってねえさ。
精々出来る事なんざ、お上に垂れ込むぐれえだ。証拠もなんもねえ、昔の事件だ。全員しょっ引けるとも思ってねえよ。
だがな、お天道様はちゃんと見てるもんだ。真っ当に生きてる人間を粗末にはしねえ。鈴の死が無駄死にじゃなかったって証明するためにも、俺はおめえたちを黙って見過ごすわけにはいかねえんだ。
だから、その前にあの子を俺に預けろ。悪いようにはしねえ、約束する」
源助の最後の訴えだった。
彼にとって鈴は、どうしたって死んでしまった妹に重なってしまう。
享年と同じくらいの年齢。同じ名。同じような境遇。
それら全てが妹と結びついてしまう。
守れなかった妹への、せめてもの罪滅ぼしという念が彼を突き動かしていく。
銀次は胸ぐらを掴んでいた手を離すと、黙って道具箱を拾い上げた。
そして、源助に向かって答えるのだった。
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