懴悔(さんげ)

蒼あかり

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 権八が襲われたのは少し前の事だった。
 店の仕入で町に買い物に行った帰りに、背後を襲われたのだ。
 十年も経てば人は誰しも歳を取る。身体も大きく屈強だった男も、その衰えはどうしても避けられなかった。
 突然背後から太ももを刺され、とっさに相手の髪を掴んだが、相手は髪が引きちぎれるのも構わずに振り切り逃げて行ったと言う。
 「逃げられると思うな」刺した刃物を握りしめたまま、背後から声をかけられた。声の感じからして、まだ若い男に思える。
 権八はとっさに太一の顔が浮かび、刺された足を引きずるようにしてなんとか与市の店へとたどり着いたのだった。
 傷は大きくは無かったが、止血と化膿止をするのが精いっぱいで、その先のことなど考える余裕も無かったのが現実だ。
 まともな医者も満足にいないような町。ましてや逃げている身でいながら、足が付くような真似など出来はしない。
 歩けるようになり、普通の生活が送れるだけでも御の字と言うものだ。

 これではっきりとわかった。太一はずっと見張っていたのだということを。

 与市たちも、太一の同行は注視していた。
 江戸に近い宮浦の地に長松を留まらせ、太一の様子を探っていたのだった。
 あの夜の後、銀次は拾った鈴の看病もあり、言われた通り家から出ることをしなかった。
 だが、権八、太一、長松の三人は、与市の元に集まり話し合いをしていた。
 こうなったからには塵尻になるしかない。大勢で逃げるには危険が大きい。
 盃を交わしたとはいえ、ここは皆が納得の上で解散をすると言った与市の言葉に、一人納得がいかない太一はごね始めたのだった。
 自分の仕出かしたことで大きく揺らいでしまったことを、太一は反省するわけでもなく、只々与市を攻め続けたのだ。

「もとはと言えば、この世界に誘った親父が悪いんだ」
「おめえ、何言ってんだ。この期に及んで気でもふれたか?」

 権八の腹に響くようなドスの聞いた声が、太一を責める。

「そうですよ。食うに困り、生きるのもやっとだった俺たちをここまで育ててくれたのは親父だ。それを忘れたんですか?」

 太一よりも弟分にあたる長松にまで苦言を言われ、太一は更に頭に血が上り始めた。

「そりゃあ、恩は感じてる。それでも、堅気で生きようと思えば出来んこともなかったはずなんだ。それを言葉巧みに言いくるめられて、廻りを囲われて逃げられんようにして。気が付いたら手を汚しちまってた。
 こんなん、俺のせいじゃねえ。親父のせいに決まってるだろう!」
「はぁー。話しにならん」

 権八は呆れたように捨て台詞を吐き、長松も大きく息を吐いた。
 それを聞いた与市は、穏やかな口ぶりで太一に話し出した。

「それは悪いことをしたな、太一。申し訳なかった」

 頭を下げる与市に、「親父やめてください」「親父が謝ることなんかないですって」と、権八と長松は彼を止めた。
 だが、その様子を見て太一は胸がすく思いだった。
 いつも威張りちらしていたあの親父が頭を下げている。それも俺のためにと。
 
「今回のことは切っ掛けにすぎねえんだ。そろそろ厄介払いしてもいいんじゃねえかと思ってたからな」
「親父?」

 権八の問いに与市は頷き、続けた。

「最近、やたらと俺らの内情が筒抜けになり始めてなあ。なんでだろうと思って、すこーしばかり探りを入れたら、まあ、出て来たよ。なあ? 太一。
 おめえだろ? おめえが俺らを売ってたんだろう?」
「な、なに言って……」

「知らねえとでも、バレねえとでも思ってたか? だとしたら俺も相当舐められたもんだな。おめえが俺らを売って、相当儲けてたことくれえ知ってたさ。
 金を稼ぐことは悪いことじゃねえ。ただ、仲間を売って危険にさらすことが許せねえんだよ。わかるか?
 俺はみんなの命を預かってる。危険な橋を渡らすわけにはいかねえんだ。
 もう様子を見る段階はとっくに終わった。
 近々、おめえは破門にするつもりだった。だから、おめえの戯言なんか聞いちゃいられねえんだよ」

 与市の言葉を聞きながら、太一は顔色を無くし黙りこんでしまった。
 若くして居場所を無くした太一は、町をさ迷っていた。食うに困り盗みを働きながら、なんかと繋いでいた命。それを拾い、絵描きの才能を見出したのは与市だ。絵を書いたところで腹が膨らむことなど無いと知っているからこそ、好きでもそれに手を出すことは諦めていた。
 そんな彼の腕に道筋を作り、背を押してやった。その恩を仇で返したのだ。

「咄嗟に手が出たことは仕方ねえ。あの嬢ちゃんには申し訳ねえが、運が無かったと思ってもらうしかねえ。だが、俺らはおめえのことを、もう信用はならねえんだ。おめえ一人のために、他のやつらを危険な目に合わせる訳にはいかねえ。
 今日でおめえは破門だ。これからは縁もゆかりもねえ、他人だ。
 消されねえだけ、ありがたいと思うんだな。
 わかったらさっさと出て行け!」

 与市の怒鳴り声にびくりと肩を震わせた太一は、俯いた顔を上げ、睨みつけた。

「ふん。今まで気が付かずにいたんだ、それだけ間抜けだったってこったろうが。腑抜け共に何が出来るっつうんだよ。
 破門じゃねえ。俺がおめえらを見限ったんだ。
 よく覚えとけ!!」

 言うが早いか、太一は立ち上がると走り出し、その場を後にした。
「このっ!」と、追いかけようとした長松を止めたのは与市だった。
「やめとけ。もういい、放っておくんだ。あいつにゃ、なんも出来ねえよ」

 そう言って権八と長松を納得させるのだった。
 本当ならただで逃げすわけにはいかない。今までなら、人知れず始末していたはずだ。それをしないのは、与市の中でどこかに負い目があるからだろうと、権八は考えていた。

 長として今まで守り、庇い、そうやって繋いできた縁。
どんな理由があるにしろ、その手を汚させてしまったという自責の念は与市の心を覆い尽くすほどに重いものだったのだ。
 できるなら、盗みだけで終らせてやりたかったと。
 その手を血濡れで染めることのないよう、そうしてやりたかったと……。
 言葉にしないのは信頼の証だと思っていたのが仇となったのだろう。
 与市の心は太一には通じていなかった。

 寂しそうに、与市は小さく息を吐いた。


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