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~7~ 髪紐とリボン
しおりを挟むアリスの元を離れたダレンは、店のなかに入るとすぐに品を見定めた。
「この黒いやつと、こっちの薄茶色いのももらおう」
先ほどの明るい雰囲気を、今の彼はまとっていない。
ピリピリとした空気を発しながら、笑顔ひとつない顔で椅子に深く座っている。
「お館様も人が悪い。あれでは勘違いもするでしょうに」
髪紐を包みながら店主が言った。その言葉にダレンは意味が分からず、
「勘違い? 俺が何をしたと?」
店主は自分を睨みつけるダレンに、ひるむことなく言葉を続ける。
「店の中から拝見しておりました。馬に乗ってくるお姿も、今しがた店の前でのご様子も。あれでは、若い娘が勘違いしても責められませんよ」
「何のことだ? 若い娘とはアリスのことか?」
「ほぉ、アリスさんとおっしゃるのですか? ええ、そのアリスさんのことです。主と使用人として、きちんとした態度で接してやるのも雇い主の役目です。
彼女が本気になる前に……」
「何が言いたい? はっきり言ってみろ」
凄みを増すダレンの態度に、店主はビビリもしない。
「私はあなたのお母上の頃からお世話になっておりますし、あなた方ご兄妹が赤子の頃から知っております。
ご当主でありながら女っ気のないことを気にかけていた、ただの老いぼれでございます。もはや、怖い物などもなく、思った事はなんでも口にできます。
さすれば、一言。
その手に囲うおつもりが無いのなら、使用人に手など出すものではありません。いずれあなた様もご結婚なさるでしょう。その時に、使用人でしかない娘がその身を隠さねばならなくなるような、そんなお粗末な未来しか与えてやれないのなら、最初から何もくれてやらぬが賢明でございます。
誰も幸せにはなれますまい」
「な! 俺たちはそんなのではない。決して!」
「そうでございましたか。それならば安心でございます。この老いぼれの目が腐っていただけでございますね。それは良かった。
誰も幸福になれぬ想いなど、犬にでも食わせてやればよろしいのです。
お館様である、あなた様ならお出来になれますね?」
店主は含み笑いをしつつ、箱詰めされた髪紐をそっとダレンの前に差し出した。
それをしばらく黙ったまま見つめるダレンの瞳は、どこか揺れ動いているようだ。どちらも身動きせずに、いたずらに時間は過ぎる。
「外でお付きの者がお待ちでございますよ」
店主の言葉に深い瞬きを一つすると、ダレンは黙って立ち上がった。
そして、奥にある応接室を出ると店の中に姿を現し、店内をぐるりと見渡した。なるほど、店の中から外がよく見える。
今、アリスは店の外で一人立って待っている。その姿があまりに寂しそうで、ダレンは唇をかみしめた。
後ろにいる店主の視線を感じなから一歩足を踏み出し、ふと触れた視線の先に筒状に巻かれた何色ものリボンが目に入った。
その中の一色。真っ青な空のような青いリボンが目に止まる。
そのリボンの前まで自然に足が運ばれていき、気が付くと無意識に手に取っていた。
「髪紐と同じ長さでよろしいですか?」
後ろに控えた店主の言葉に、「ああ」と返事がダレンの口からこぼれる。
なぜ、このリボンを手に取ったのか、これを買ってどうするのかもわからないままに、彼の口はそれを欲した。
ダレンの髪紐とは違い、簡易な紙袋に入れられたそれをダレンは黙って受け取った。
「ダレン様の瞳によく似た、綺麗な青でございますな。
そして、今日買われた髪紐のお色は、誰を思い出し選ばれた物でございましょうか?」
俯き話す店主の言葉に、ダレンは振り返り彼を見る。
「そんな、わけ……」
そうじゃないと、そうハッキリと口にしたいのに、それが出来ない。
彼女はただ可愛いだけの、庭にいる動物と同じように、只ただ可愛いだけの存在のはずなのに。
そう、思っていた……はずなのに。
ぼんやり考えこむ背を店主に押され、ダレンは店を出た。
それを見つけたアリスがゆっくりと近づき、深く頭を下げた。
「気に入った品はございましたか?」
アリスの声がいつもより切なく聞こえる気がした。それは自分の気持ちのせいなのか? それとも彼女自身から発する物が、そもそもそうなのか?
ああ、きっと両方だなと妙に納得し、ダレンは無理して笑って見せた。
「お待たせ、アリス。疲れたろう? 何か買い食いでもして帰ろう」
思わず頭を撫でるために手が伸びそうになる。そんな自分の手を恨めしく思いつつ、こぶしを握りそれをなんとか堪えてみせた。
きっと今の笑顔は引きつっているだろうな。そんなことを思いながら。
「ダレン様。なんだかお疲れのように見えます。髪紐を買われたのなら、もう屋敷に戻られた方がよろしいかと」
心配そうに自分の顔を覗き込むアリスを見つめながら、少しだけ気疲れをしている自分に気が付く。
「そうだな。町へはいつでも来られるから。今日はもう帰るか」
ダレンの言葉にもうこんな日は来ないと知りつつ、アリスは黙って頷いた。
無言のまま少しだけいつもより距離を置き、後ろを歩くアリス。
ダレンの背を見つめながら馬留めまで来ると、朝来た時と同じように何の躊躇もなくアリスを引っ張り上げ、ダレンは自分の前に乗せた。
もう馬には乗らない方が良いと思ったのに、でもこの状況を断るのも急に怪しまれるし、歩いて邸に戻るには時間がかかりすぎる。
これで最後だ、今日で最後だと心に刻み、アリスはダレンの胸に背を預けた。
「少し遠回りしてもいいか?」
アリスの頭の上で問いかけられた言葉は、最初から否を認めないとばかりに馬の足が早まっていった。
なんとなく離れがたい思いを抱えていたアリスは、その問いに無言で是と答えた。
着いた場所は少し小高い丘の上で、全方向、この領地が見渡せる。
「アリス。これが我がスタック家の領地だ」
アリスは馬の上からぐるりと頭を動かし、見渡す限りの大地を見つめた。
「どこまでがダレン様の領地ですか?
「ん? どこまで? う~ん、見える所全部、だな」
「え? ぜんぶ?」
「ああ、全部だな。向こうに見える山が隣国との国境だ。
今は協定が結ばれ、大きな戦は起きない。安心して暮らしていけるだろう」
「こんな広い土地を治めるダレン様は、やっぱりスゴイ方なんですね。私とは大違いです」
「ふっ。どうした、アリス。お前も俺も、何も変わらんよ。そうだろう?」
「いいえ、うちのミラー家の領地なら、2~3個は入りそうです。
こんな広い土地を見たのは初めてですし、ただ驚きしかありません。
ダレン様はやっぱりすごいです」
ダレンに背を預けたアリスの背を包むように、その温もりを同時に感じていても、お互いの顔色を知ることは無い。
同じ方向を向いていても、どんな思いで、どんな表情をしているかわからない。
「アリスはずっとメイドを続けるのか?」
ダレンの問いの意味が分からず、答えを捜すアリス。
「ここを追い出されても、他のお宅で仕事はすると思います。実家に戻っても居場所はないですし。だから、お役にたてる間は置いていただければ嬉しいのですが」
段々と尻すぼみなる声に、自分の意図したこととは別の方向に捉えたと気が付いたダレンは、「すまない。そう言う意味じゃないんだ」と答え、
「アリスが居たいだけ、ずっと居てくれて構わない。いつまでも、ここにいればいい」
いつもなら、アリスの頭を撫でながら笑い合えるはずなのに。
ダレンには店主の言葉が、アリスには店員の言葉が胸に刺さり、その棘が抜けずにいた。深く、苦しい棘が。
自分でもわからない胸の痛みが増して来るようで、ダレンは右のポケットに手をあてた。中にはさっき買った青いリボンが入っている。
ポケットの上からそれを握ると、カサリと紙袋の音が聞こえる。
これを取り出し、目の前にある髪の結び目に付けたらどうするだろうか?と、考えてみる。喜んでくれるだろうか? それとも、こんな高価な物は無理だと突っ返されるだろうか?
しばらく広い大地を無言で見続ける二人に、いつものような笑顔はなかった。
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