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【 第9話: 同い年 】
しおりを挟む――それから年月が経ち、僕はあの日記を開くことにした。
そう、僕は遂に、希さんと同じ年齢、30歳になったんだ。
この日だけは、希さんにどうしても会いたかった。
同じ年齢になった僕を、希さんに見て欲しいと思っていたから。
『昭和54年5月6日(日)』
『彼は浮気相手と結婚して、子供まで出来て、幸せそうな家族写真を会社内で見せていた……。許せない……。私が10年間彼女だったのに……。』
僕は日記の余りの内容に、言葉が出てこなかった。
希さんがこのようなことを日記に書いているなんて、想像も出来なかったのだ。
『あの家族を呪ってやる! 私だけ不幸なんて……、許せない! 絶対に!』
それは、希さんが使う言葉ではなかった。
希さんは何かに取り憑かれたかのようだった。
でも、それが現実だったのか思うと、僕の頭の中の思考回路は、完全に止まってしまったかのような感覚に陥った。
すると、そこへ2年ぶりに希さんが姿を現した。
「友也くん! 久しぶり!」
「の、希さん……。お久しぶりです……」
希さんは、笑顔を作って現れたが、でもどことなくどこか寂しそうな表情にも見える。
僕が手にしている、その日記のページを見て、全てを察したようだ。
「わ、私、最低でしょ……? 友也くんがずっと私に言ってきたポジティブでも、前向きでも、プラス思考でも、実はないの……。これが、本当の私よ……」
僕は言葉に詰まった。
一番信じたくない、希さんの中にある一面……。
僕が思い描いていた、30歳になった頃の希さんのイメージとは、余りにもかけ離れたものだった。
これが現実なのか……。
「幻滅したでしょ……?」
「ど、どうして……、希さんらしくないです……」
僕の口からは、思わずそんな言葉が漏れてしまった。
そして、彼女から笑顔が消えた……。
「それが、本当の私なの……。日記では、頑張って前向きなことを書いていたけど、本当の私は、後ろ向きで、マイナス思考の女なの……」
「う、うそです……、希さんはそんな人じゃないです……」
「私、頑張って、見栄を張っていたんだと思う……」
彼女は俯いて、泣いているよう。
そんな彼女は、見たくない。
ネガティブな僕を勇気付けてくれた希さんの姿が、僕の中の希さんなんだ。
今こそ僕が彼女を元気付ける番……。
「僕、今日、誕生日なんです。今日、僕、30歳になりました。希さんと同じ年齢になりました」
「そう、おめでとう……。友也くんも、もう30歳なんだね……」
「僕、希さんと同い年になった記念に、今日、この日記を開きました。どうしても希さんに30歳になった僕を見て欲しかったから」
「うん、友也くん、立派で、素敵な男性になったね……。おめでとう……」
「ありがとうございます、希さん……」
希さんは、また作り笑いを見せて、僕の方を見る。
ちょこんと布団の上に座り、目には涙をいっぱい溜め込みながら、彼女はこんなことを言う。
「もう、敬語は使わなくてもいいよ……。同い年になったんだから……」
「はい。分かりました」
「だから、そういうの……、ううぅ……」
彼女の瞳からその涙が溢れ出した途端、彼女は僕の胸に飛び込んできた。
彼女は僕の首に手を回して、すぐ側で声を出して泣いている。
2年経っていたが、今でもはっきりと彼女を感じる……。
でも、こんな泣き虫な彼女を見るのは、初めてだ……。
いつも年上で、僕をやさしく受けとめてくれていた希さん……。
僕たち二人は、違う年代を生きて来たが、時を越え、いつしか、同い年になっていたんだ。
僕たちは布団の上で抱き合ったまま、会話を続けた。
「ごめんなさい……、友也くん……、ごめんなさい……。ううぅ……」
「どうして謝るんですか? 謝る必要なんて、希さんにはどこにもありません……。僕は希さんの全てが好きです。希さんをずっと愛してます……」
彼女は泣きながら一言「ありがとう」と言った。
その時、彼女の涙が肩に零れ落ちてくるのを感じた。
おばけでも涙は流すし、その涙は僕の服を濡らす。
でも、僕は泣かない……。
希さんと出会って12年経ち、僕は少し強くなったんだ。
「僕たちはもう、前の彼氏さんよりも、長く付き合ってます。もう希さんと出会って、12年経ちました。でも、希さんに対する愛情はどんどん今でも増しています。希さんに会えない時があっても、ずっと希さんのことが大好きでした」
「あ、ありがとう、友也くん……」
肩越しの彼女を感じながら、僕は微笑んでこう言った。
「僕、前の彼氏さんに勝ちました。だって、12年経っても希さんへの愛情が変わっていないですから。希さんは30になった僕のことを今でも好きですか?」
「うん、好き……、大好きよ、友也くん……。ううぅ……」
彼女はそう言うと、僕の服を強く握って震えながら泣いている。
彼女の頭に手をやり、やさしく髪をなでるように、抱きしめる。
はっきりと希さんを感じる……。
おばけだって、人間と同じように、はっきりと感じることができるんだ。
僕たちはしばらくの間、お互いの存在を確認するように、抱きしめ合った。
やがて、彼女の泣いている声が聞こえなくなり、彼女がゆっくりと顔を上げる。
その表情には、少し笑顔が戻ってきている。
「友也くん……」
「何ですか?」
「日記もあと残り、最後のページだけになってるの……」
「あと1ページだけ……?」
「そう、あと1ページ、最後のページだけ……」
僕が一番望んでいないこと。
一番来て欲しくない現実……。
日記の一番最後のページ……。
それはすなわち、希さんとの永遠のお別れを意味していた……。
僕は重い口をゆっくりと開く。
「ということは、希さんに会えるのも、あと『1日』っていうことなんですよね……?」
「そう……、あと1日で、おばけの私とも永遠のお別れ……」
「僕……、考えたくないです……。希さんとの別れなんて……」
彼女は、鼻声で涙目のまま、微笑んだ表情で斜め下の方を向いている。
「友也くん、お願いがあるの」
「お願い……ですか……?」
「うん……。友也くんが部長になった時に一緒にお祝いしたいから、最後のページはその時に開いて欲しい……」
「僕が部長になった時……?」
「そう。友也くんが夢だった部長になった時……」
僕の夢は、部長になることなんかじゃない……。
そう言おうとした時、彼女はそれを感じ取り、この言葉よりも先にこう言ったんだ。
「お願い。お願いだから。その時に日記を開いて。その時に、もし友也くんに彼女がいれば日記は開かなくていいから……」
「そんな……」
「じゃないと、友也くんの性格からすると、ずっと彼女作らなそうなんだもん……」
彼女はそう言いながら、赤くなった鼻を一回擦り、少女のようにもじもじしながら、服の端を下に引っ張り、あどけない笑顔で微笑んでいる。
「僕は、ずっと希さんだけですから……」
「ほらね。そうなっちゃうから、約束して欲しいの。友也くんも好きな女性が現れたら、私を忘れてその人と結婚して欲しいし……」
そう言って希さんは、両手を合わせながら、僕の方を真っ直ぐに見る。
僕も希さんを真っ直ぐに見つめながら、自分の決心を口にする。
「僕は希さん以外の女性は考えられません」
「うふふっ、とてもうれしいけど、それじゃあ、前を向いていけないわよ。これからは色々な女性と付き合って」
「そんなこと言わないで下さいよ……。希さん……」
「だから、期限を付けるの。友也くんが部長になる時って。私を忘れることが出来れば日記はもう友也くんには必要ないから……」
「必要ないって……、僕には希さんが必要なんです……」
「約束して。友也くん」
僕は声を搾り出すように、この言葉を彼女に伝えるのが精一杯だった……。
「うぅ……、んん……、分かった……」
今まで堪えていた涙が溢れ出した。
大粒の涙を零しながら、もう一度、希さんの胸に飛び込む。
希さんの体はとても柔らかく感じる。
おばけなのに、人間と同じ温もりを感じることができる。
でも、僕はおばけの希さんに恋をしてしまったことに関しては、後悔は全くない。
それほど彼女を愛していたし、彼女からもらえる笑顔や希望、愛情が、僕の想像を遥かに超えていたから。
――彼女が消えてから、僕は希さんとの約束を果たすために、時間を忘れて、必死に努力し今まで以上に働いた。
希さんから教えてもらった色々なノウハウや、考え方、特に、ポジティブで前向きなプラス思考の考え方で、業績を上げていった。
そして、希さんと別れてから更に12年後、
遂に、僕は……、
部長になった――。
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