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【 第8話: タイムリミット 】
しおりを挟む僕は希さんとコンビを組んで、会社で業績をグングン上げて、それが認められ、異例のスピードで昇進していった。
「友也くん、係長昇進、おめでとう!」
『パァーン!』
「ありがとうございます、希さん!」
「さあ、ロウソクの火を吹き消して」
「はい! フゥーーッ!」
「友也くん、おめでとうーっ!」
僕は希さんのおかげで、係長へ昇進していた。
この日、希さんが僕のために作ってくれた手作りケーキで、その係長昇進を二人でお祝いしたんだ。
「やりましたね、希さん。僕たち二人で掴んだ昇進ですよ」
「そんなことないわよ。友也くんの実力よ」
「いいえ、希さんがいなかったら、係長なんて一生僕なれなかったと思います」
「うふふっ、何はともあれ、おめでとう」
「ありがとうございます」
希さんは、僕の係長昇進を自分のことのように喜んでくれている。
僕のネガティブな発想を、希さんは完全にポジティブな発想に変えてくれたんだ。
「でもすごいわね。この若さで係長さんだもんね」
「僕も信じられないです。希さんがいなかったら、ここまで仕事が楽しいなんて思えませんでした」
「今の友也くんだったら、もう、私がいなくても、立派にやっていけるね」
「そんなこと言わないで下さいよ。まだまだ希さんがいないと、僕は半人前ですから」
美味しそうにケーキを頬張っている僕の様子を、希さんはテーブルに肘をつき、顎を両手の上に乗せて、嬉しそうに僕の顔を眺めている。
ほっぺに付いたケーキの生クリームを、「もう、ケーキ付いちゃってるぞ」と笑いながらやさしく親指で取ってくれる。
そんな夢のような生活を僕は、おばけである希さんと一緒に手に入れた。
でも、あることが気になっている……。
『日記がしばらく書かれなくなったこと……』
それをこの日、希さんに聞いてみたんだ。
「そう言えば、この日記に書かれていない日があるんだけど、どうしてなんですか?」
すると、希さんはそれまでの笑顔から一変し、真剣な顔つきに変わった。
「そ、それは……、日記の続きを読んでいけば、その内分かるわ……」
彼女が何でそんなことを言うのか、この時の僕には分からなかった。
彼女は急に下を向き、何かを考えているよう。
少し寂しそうな表情に見える。
すると、彼女は僕にこんな信じられないことを言ったんだ。
「と、友也くん……。聞いて欲しいことがあるの……」
「何ですか? 希さん」
「その日記の最後のページを読み終わったら、私たち……、もう会えなくなる……の……」
「えっ? ど、どうしてですか……?」
突然のことだった。
「ほら、友也くんがその日記を読むと、私が現れるでしょ?」
「うん……、そうだけど……。でも、何故?」
「友也くんがその日記の最後のページを読めば、私は天国に成仏できるのよ……」
天国……?
成仏……?
どういうこと……?
僕は混乱していた。
「そ、そんな、嫌です! 希さんと別れるなんて……、そんな、僕、嫌です!」
「でも、しょうがないの……。だから、あとその日記に書かれているのは、せいぜい3日くらいだと思う……」
えっ……?
「あ、あと3日ですか……? そ、そんなの僕、嫌です……。あと、3日で希さんとお別れだなんて……」
僕はショックだった。そして、とてももどかしかった。
なぜならば、日記を読まなければ、希さんと会えない。
でも、日記を読み進めれば、あと3日で希さんと二度と会えなくなる……。
そんなジレンマの中に僕の心は、揺れ動いていたんだ。
そんな思いの中で、僕は俯いている希さんに、思わずこんなネガティブなことを言ってしまったんだ。
「希さんと、お別れしたら、僕どうすればいいんですか? 仕事だってまだ半人前だし、希さんがいなかったら係長なんてとても務まらないし、それに、何より、希さんは僕の恋人じゃないですか!」
すると彼女は静かに僕にこう言った。
「今の友也くんだったら……、私がいなくても、一人で前向きに生きていけるわ……」
「そんなの無理ですよ! 僕はまだまだ、ネガティブでマイナス思考な人間なんです! 希さんみたいに、ポジティブでプラス思考な人には、まだまだなれません!」
「大丈夫……、今の友也くんだったら、立派にやっていけるわ……」
「そんなのいきなり出来ません……。ぼ、僕は……、希さんが大好きなんです……。大好きな希さんと別れるなんて、僕には出来ません……。ううぅぅ……」
「大丈夫……、大丈夫だから……」
僕は希さんに駆け寄ると、彼女の胸に飛び込み泣いた。
希さんは、そんな僕のことをやさしく包み込むように、抱きしめていた。
希さんの目からも、涙が頬を伝って僕の手に落ちているのが分かる。
おばけである彼女の瞳からも涙は零れ、その涙を今なら僕も感じ取れる。
おそらく、希さんもこの時、僕と同じ思いだったんだと思う。
この夜、僕はふとんの中でも、希さんに抱きしめられながら、ずっと泣いていた。
希さんも胸の鼓動から、僕と同じようにずっと涙していたんだと思う。
ようやく、僕は彼女をはっきりと感じることができるようになったのに……。
――やがて、朝になり、目を覚ますと、そこに希さんの姿はもうなかった……。
僕は、枕元にあった日記を手にすると、日記を開こうか悩んでいた。
これを読み進めれば、あと3日で、希さんとは二度と会えなくなる。
しかし、希さんには会いたい想いが強い。
その日記をグッと握り締めると、今日は希さんに会う日ではないと、心の中で呟いた。
――その日から、僕は一人で会社へ行き、自分の力だけで、仕事を頑張るようになった。
希さんが教えてくれた、前向きでポジティブなプラス思考の考え方で、僕は必死に仕事に打ち込んだ。
そして、その結果が徐々に出てきて、28歳になった頃、僕は課長に昇進した。
このことを希さんに報告がしたくて、胸の高鳴りを抑えながら、あの日記を久しぶりに開いてみる。
でも、そこには、僕にとってとても衝撃的な内容が書かれていたんだ……。
『昭和52年4月1日(金)』
『彼から別れてくれと言われた。どうして? なぜ別れなきゃいけないの? 10年も付き合って来たのに……』
そこには、希さんが前の彼と別れたことが綴られていた。
僕が衝撃を受けたのは、それだけではない。
いつものポジティブな希さんだったら、これをバネにまた前向きに生きていこうという内容が書かれていると思っていたからだ。
でも、日記に綴られていたのは、そんな僕の思いとは全く違うものだった……。
『あんなに好きだったのに……、あんなに好きだって言ってくれたのに……。ずっと、二股かけてたなんて……。それで、浮気相手に子供が出来たなんて……。私は、あなたの子供を一度堕ろしているのに……』
そこには、希さんが一度妊娠し、子供を諦めていたことが書かれていた。
僕は、しばらく呆然とし、力を失くし何も考えられなくなっていた……。
すると、そこへ希さんがゆっくりと現れたんだ。
「友也くん、久しぶりね! 元気だった?」
「の、希さん……」
希さんは、いつもの明るく元気な様子だ。
おばけだけあり、年齢も変わらずアラサーのままだった。
「私、友也くんに会いたかった! ようやく、会えたね! 友也くん、少し大人びたみたい!」
「う、うん……」
僕は、久しぶりに希さんに会えた喜びももちろんあったが、それよりも日記の内容が頭から離れずに、気の無い返事をしてしまった。
「どうしたの? 友也くん、元気ないみたいだけど……」
希さんは、僕が手にしている日記のページを見て、思わず顔を横にそらした。
しばらく沈黙していたが、無理矢理少し口角を上げながら、笑った様子でこう口を開いた。
「そ、それ……、読んだのね……」
「う、うん……。彼と別れたんですね……。希さん……」
「そう……、私、浮気されちゃって……。だから、彼と別れたの……」
「子供……」
僕の口から思わずこの言葉が漏れる……。
そう言った瞬間、後悔の念が押し寄せる。
「そうよ……、彼の子……。友也くん、私のこと幻滅したでしょ……?」
「い、いいえ……。少しショックでしたけど、今日、希さんに会えて嬉しいです……」
「久しぶりに友也くんに会ったけど……、やっぱり、会わない方が良かったかもね……」
「そんなことないです……」
久しぶりに希さんに会えたのに、僕は彼女を傷付けてしまったのかもしれない。
彼女は、布団の上で座りながら、遠くを見つめてこう言った。
「随分会えなかったから、友也くんにも新しい彼女が出来たのかなって、思ってた……」
(違うんだ、希さん……)
「新しい彼女なんていないです……。僕の彼女は希さんだけです……」
「無理しなくてもいいのよ……。それに私、おばけだから、人間の彼女の方が……」
僕は思わず身を乗り出して、彼女の顔を見つめ思いを告げた。
「僕は希さんが好きなんです! 僕もずっと会いたかった……。でも、あのまま希さんと毎日会っていたら、もう二度と希さんに会うことが出来なくなるから……。だから、僕は希さんに立派な大人になった姿を見せたくて、それまで希さんに会うのを我慢して来たんです……」
「そ、そうだったの……?」
希さんは、僕の方に向き直すと、驚いている様子をみせた。
「はい……。今日、僕、課長に昇進しました……。だから、希さんに褒めて欲しくて、今日だけは希さんに会いたかったんです……」
すると、彼女はやさしい表情を浮かべ、お祝いの言葉を僕にくれた。
「課長に昇進したんだね……。友也くん、おめでとう!」
そんな希さんに、僕はたまらず抱きついた。
泣きながら希さんの体を久しぶりに強く抱きしめた。
僕はまだ、強くはなれてない。
まだ僕には、希さんが必要で、側に居てくれなければ、強く生きていくことなんて出来ない。
彼女が僕には、必要なんだ……。
そんな僕をやさしく彼女は、笑顔を作って受けとめてくれた。
「友也くんは、もう立派な大人だよ……。課長なんだから、メソメソしないの!」
「はい……、すみません……。ううぅ……」
「まだ、新しい彼女は出来てないの?」
「はい……、僕は一途なんです……」
「うふふっ、ありがとう。ヨシヨシ」
そう言うと、希さんは僕の頭をナデナデしてくれた。
まるで甘えん坊の子供をあやすかのように。
「でもすごいね、友也くん。一人でも課長になれるくらい頑張ったんだね」
「はい。頑張りました。希さんに会いたくて、報告したかったんです」
体を離すと、希さんは僕を真っ直ぐ見て、いつものように元気付けてくれる。
「さあ、あのハゲ部長の席も、もうすぐ友也くんのものにするわよ。それまで頑張って!」
「はい。頑張ります!」
「ヨシ! 夢の部長まで頑張れ、友也くん!」
「はい! 僕、希さんとお祝いしようとケーキを買ってきたんです。一緒に食べましょう!」
「OK! でも私はおばけだから食べられないけどね。ふふふっ」
僕は希さんの言葉で元気を取り戻し、立ち上がると、買ってきていたケーキを持ってきた。
ケーキを箱から出して、フォークで少しケーキをすくうと、希さんにあの攻撃を仕掛ける。
「はい、希さん。ほら、あ~んして!」
「もう、友也くんったら~。 あ~ん……」
久しぶりだった。
こんな思い。
「あははは、照れた希さん、かわいいです。僕、照れた希さんが一番好きです」
「もう、やめて友也くん。おばさん恥ずかしくて顔から火が出そう……」
そう言いながら、顔を赤くして両手をかわいらしく頬に当てる。
「そんな希さん、素敵です。今日、希さんに会えて本当に良かったです」
「ありがとう。私も友也くんに会えて嬉しい」
「ほっぺが赤い希さん、かわいい~」
「もう~、うふふっ……」
「あははは」
その夜、僕はふとんの中で、希さんにこれまでの出来事を夜遅くまで話した。
希さんは、全然変わらず、笑顔で僕の話を聞いてくれる。
久しぶりに会う希さんは、変わらず魅力的で、とてもかわいらしい。
僕は、希さんがおばけであることなんて、もうどうでもいいとさえこの時思っていた。
――そして、翌日、朝僕が目を覚ますと、隣に希さんの姿は既になかった……。
布団の中の僕の隣は、微かに温かなぬくもりが残っていた。
確かに彼女はそこに存在していたんだ……。
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