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 ミレヴン国立宮廷学校。
 『貴族』という身分であれば必ず通うことになる此処の大広間では、卒業記念の夜会が行われていた。上品かつ豪華な室内、テーブルには『希望』の名を冠するクトゥスの花が上品な造りの花瓶に生けられ、片隅には王宮所属の音楽隊が会話の邪魔にならない程度に華やかな音楽を奏でている。
 そんな中を思い思いの礼服に身を包んだ卒業生たちは、世話になった教員や後輩たちとの思い出話に花を咲かせ、明日からの希望と不安を胸に抱きながら楽しんでいる最中に『それ』は起こった。
「ミレイユ・ギルマン!」
 突如あがった声に、何事かと周囲はざわつく。
 見れば、この国の第一王子であるセルジオ・ライナルディが、ビシッと人差し指を突きつけていた。その指の先にいるのは、彼の婚約者であり、公爵令嬢のミレイユ・ギルマン。金糸の髪に少し釣り目がかった緑色の瞳の彼女は、臆することもなく背筋を真っすぐに伸ばしてセルジオを見据えていた。
「何ごとでしょうか、セルジオ様? そのような大声を出さずとも良いでしょうに」
 あくまでも冷静な声と言葉に、セルジオはぐ、と奥歯を噛みしめる。だがそれも終わりだ、とばかりに改めて口を開いた。
「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」
 周囲の騒めきがさらに大きくなった。中には悲鳴のような声も聞こえる。
 そんな中、婚約破棄を突きつけられるという衝撃的な体験をした筈のミレイユは、あくまでも冷静な様に見えた。さすがに緑色の瞳を静かに細めはしたが。
「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」
「とぼけるのか!? お前の暴虐非道な行いは既に耳にしている!」
「身に覚えがありませんわ、そのようなこと」
 などというやり取りを見つめている、セルジオに肩を抱かれている渦中のアンナは内心で思っていた。

(やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)


 男爵令嬢アンナ・ラブレは俗にいう『転生者』である。
 転生するきっかけはよくある展開を想像していただければ良いので割愛。
 そして前世を思い出したのは、物心付いた時のこと。前世はぶっちゃけパッとしない、といっては身も蓋もないが、平凡中の平凡な人生だった。それなりの学校に通って、それなりの資格を取って、中小企業に就職した極々普通の日本人のアラサーOL。趣味は読書(ネット上のものも含む)、ゲームやアニメ、映画鑑賞。それがアンナの前世の姿だ。
 そうしたことを思い出した上で、前世の自分とは似ても似つかぬストロベリーブロンドの青い瞳の愛らしい少女である自らの顔を鏡で改めて見て、ピンと来た。
(あっ、ここ何かの乙女ゲーの世界だ)
 これまで何万回(言い過ぎだが)と投稿サイトで読んできたことがまさか現実になるなんて、とアンナは愕然と頭を抱える。
 だが、いやいやと思い直した。
(まだ分からない。私がヒロインの立場ではない可能性はゼロじゃない)
 となればするべきことなど一つしかない。
(折角この世界に生まれたんだから、貴族の世界を勉強して馴染むしかない!)
 そう、今の自分に足りていないものは『知識』。この世界がどんな場所なのか、どんな文化が発達しているのか、そして『男爵令嬢』という肩書があるからには、礼儀作法をしっかりと身に着け、学ぶ必要がある。
 だってここはゲームの世界ではなく、現実。学ぶことは即ち生きることにも繋がる。
 よくある前世の知識を生かしてチートだの飯テロだの、そんなことをするつもりは一切無い。というか凡人中の凡人の知識や料理の腕なぞ、たかが知れてる。強いてあげるとすれば、事務職で培ったパソコンスキルだが、そんなもんこの世界に無いことは確認済みだ。
 そんでもってよくある神()がくれたチート能力とやらも無い。現実というのは非情であると、アンナは割り切ることにした。
(転生してしまったもんはしゃーない。この世界で一人の男爵令嬢として生きるしかない)
 それに『貴族』の勉強ってどんなものだろう、というワクワクした気持ちもあるし。
 そんな訳で家族や家庭教師の指導の下、貴族の礼儀作法はもちろん基礎的な勉強を学び、ミレヴン国立宮廷学校に入学してからはさらに本格的になったそれらを学び……残念ながらやはり成績はそこそこをキープだったが……、晴れて卒業となった訳だが。
(結果これかよ!)
 悪い予感が当たってしまった、とアンナは思わず眉を寄せた。
 それを見たセルジオは何を勘違いしたのか、こうのたまった。
「ああ、アンナ。そのような顔をさせてしまって、申し訳ない。ただちにこの悪女を断罪し、君と新たな道を」
「お断りします」
 溜息と共に吐き出した言葉に、沈黙が落ちた。
「あ、アンナ?」
 恐る恐る名を呼んでくるセルジオに目を狭めながら、アンナはその腕をやんわりと己の肩から外して改めて口を開く。
「お断りします。……と、今までに何度も何度も申し上げましたよね、セルジオ様?」
 耳付いてんのかお前、と付け加えたくなるのをぐっ、と堪えながら、アンナはさらに言葉を紡いだ。
「そもそも私には婚約者がいます……これもまた何度も何度も申し上げましたよね?」
 それともその耳は飾りなのか、とこれまた付け加えたくなるのを堪えつつそう言えば、セルジオは信じられないとばかりに目を見開く。
「い、いや、だが親の決めたものだろう? 家同士の白い結婚などしても」
「白い結婚などと……何故そう決めつけるのですか? 幼い頃より婚約者様とは幾度となく顔を合わせ、文も交わしております。それ以前に貴族の結婚というものは、家同士の繋がりを重んじるものではないのですか?」
「そ、それ、は……」 
「さらに」
 口ごもるセルジオに、アンナはさらに言葉を続けた。
「貴方の婚約者様は、幼少より王妃になるための教育を受けている筈です。……それを私にたった今から受けろと言うのですか? そのようなことをされても、結局は付け焼刃になるだけです。セルジオ様を支えきれないばかりか、最悪の場合この国を亡ぼす可能性があります。セルジオ様は、この国の滅亡をお望みなのですか?」
「そ、そのようなことは!」
「それなら尚更お断りですよ。少し調べさせていただきましたが、あのような過酷なカリキュラムをこなすなど、私には到底不可能です。ああ、男爵令嬢一人如きが精神的身体的に病み、死亡したとしても取るに足らないことだと言うのですか?」
 バッと扇を広げて口元を隠し、にぃ、と瞳を細める。

「王族というものは、人の命を随分と軽んずるものなのですねぇ」

 その言葉には、嘲笑、そして怒気が多分に含まれ、びりびりと空気を揺らした。
「そして王族である以前に、人の命を軽んじ、婚約者がいるというのに他の令嬢に手を出そうという浮気性な方と結婚など、不幸になる未来しか見えませんもの。……改めて、お断りいたします」
 アンナは精一杯優雅に見えるよう、カーテシーをした。
 そしてミレイユに向き直り、口を開く。桃色の唇から零れ落ちたのは、騒がせてしまったことのお詫び……ではなく。
「浮気、といえば……ミレイユ様。貴方も例外では無いようですね」
 ぴくり、とミレイユの形の良い眉が跳ね上がった。
「貴方まで言いがかりを付けるというの? 私には身に覚えがありませんわ」
 先程と同じ台詞を言われ、「語彙力無いのかテメーは」とか言ってやりたいが、アンナは堪えた。
「左様ですか。放課後に裏庭のガゼボで留学生の方と『2人きり』で『親密に』お話されていたようですが、どういうことでしょうか?」
 しかも毎日のように、と付け加えてやれば、ミレイユはわなわなと震え出す。
「なっ……。妙な勘繰りは止めてちょうだい。彼には相談に乗ってもらっていただけよ!」
「ああ、私ことアンナが『セルジオ様に言い寄っている』という事実無根にも程がある相談をですか?」
 そう、先ほどのやり取りで一人で盛り上がっていたのはセルジオだけで、アンナは断り続けていた、ということが証明された。よって、ミレイユの相談は全くの無駄だった、ということになる。
「あ、あの時はっ……そう思っていたからですわ」
「左様ですか。ではお尋ねします」
 ひたり、とミレイユの目を見据え、アンナは問う。

「何故、私に『事実確認』をなさらなかったのですか?」

 恐らくセルジオには聞いたか忠告はしたが、その留学生に『セルジオ様に進言はしているのですが……』とかなんとか言って、同情を引くための餌にしたのだろう。
(というか、その『進言』ってのも片手で数えられるくらいなんだろーな……)
 将来を共にする婚約者が暴走していた場合、不興をかおうが何だろうが全力で諫めるだろう。それがこの国を担う人物なら尚更だ。
 そして諫める前にすることは、それが真実かどうか『相手にも事実確認をすること』だ。その結果事実ではなかった場合、無実の相手を諫めて進言をしている、などと訳の分からないことになる。それは貴族……いや人間としてどうなんだ。
「……それは貴方がお話にならなかったからですわ」
 その答えに、「話にならない」とアンナは小さく溜息を吐いた。
「『学びの庭では平等であれ』と謳われてはいても、下位貴族が上位貴族においそれと声はかけられません。ご用事がおありでしたら、ミレイユ様からお声をかけていただかなくては」
 ちなみに、とアンナは目を狭めてみせる。
「リオン様の婚約者であられるジェルメーヌ様、ユリアン様の婚約者であられるリゼット様、ラッサン様の婚約者様であられるマリー様 アルベルト様の婚約者であられるシモンヌ様はきちんと『事実確認』をしてくださいましたよ」
「なっ……!」
 驚愕に目を見開くミレイユ。その周りを円状に囲んでいる中の該当の令嬢たちは、軽く頷いて肯定の意を示した。その隣には、当然とばかりに攻略対象『だった』それぞれの婚約者がいる。
 そう、結局のところアンナの立ち位置は『ヒロイン』(今更過ぎる気もするが)。入学初日から、第一王子を初めとし、宰相の子息やら騎士家系の息子やら神官やら公爵家の長男やらが入れ替わり立ち代わり、偶然……いや、ゲームの強制力だろう……出会うのに「ああ、これ顔合わせってヤツや……」と内心でげんなりとしつつ、当たり障りのない対応をしてその場は難を逃れた、と思っていたのに、結局その後も強制力は続き、どうしたものか、と悩んでいたところ、それぞれの『正当な』婚約者の令嬢から聞かれたのだ。
 『〇〇様(攻略対象)と親しくしているようですが、どうなのですか?』と。
 そこでアンナは言い切った。
『親しくなどとんでもありません。むしろ困惑しているのです。私のような下位貴族の娘など相手にしたところで、何のメリットもないというのに』
 そしてさらに。
『××様(攻略対象の婚約者)のような素敵な方が婚約者だというのに、何の不満があるのでしょう。××様は……』
 と、続けてそれぞれの婚約者の長所をこれでもかと並べ立て褒めまくったのだ。外見だけでなく、知識やら作法やら、得意分野やらを出来る限りの語彙力を駆使して褒めて褒めて褒めまくった。
 何故長所を知っているかって? 将来的に国を担うであろう対象の婚約者たちだ。下位貴族とはいえ、様々な形で長所や短所も嫌でも耳に入って来る。その長所のみを少々誇張して口に出して差し上げただけだ。
 そして褒められて嫌な気分になる人間はいない。さらに上位貴族というのは、素直で真っすぐな賞賛に慣れていない場合が多い。
 結果。
『貴方がそこまで思ってくださるなんて……。分かりましたわ、私の方からも〇〇様に進言いたします。貴方も何かお困りのことがありましたら、頼ってくださいましね』
 全員から要約すればこのような言葉を賜ることに成功した。「おおっっっしゃああああああ!!」とガッツポーズをしたいのを堪えながら、『ありがとうございます、感謝いたします』としおらしくカーテシーをしたものだ、としみじみと思い出す。
 そのため『ミレイユから』声をかけてさえくれれば、アンナは同じ対応をするつもりだった。
 しかし、今日この日までそんなことはなく。セルジオにどれだけ言っても、彼の様子も変わることなく。
「『事実確認』をする時間はない程忙しい……というワリには、留学生の方とお会いする時間はあったのですねぇ」
 上位貴族の方の時間の使い方は、所詮下位貴族には分かりませんわ、とアンナは目を細めてみせる。
 ミレイユは屈辱にわなわなと震えながらも、口を開いた。
「貴方に時間の使い方を指図される覚えはありませんわ。先程も申し上げました通り、彼には相談に乗っていただいただけ。貴方の思う下劣極まりない行動など起こしておりませんわ!」
 随分きっぱりと宣言してくれたもんだ、とアンナは思う。ふっ、と軽く息をつき、懐から数枚の写真を取り出した。
「相談に乗っていたにしては、随分と距離が近いですねぇ。手を取り合うなんて」
 ひゅっ、とミレイユの喉から声にならない悲鳴が迸った。
 そう、写真に映し出されていたのは、ミレイユと黒髪に褐色の肌、琥珀色の瞳の青年が仲睦まじげに手を取り見つめ合っている光景だった。
「他にもありますよ。これは抱き合っておりますし、これなどは口付けまで交わしておられますが。……相談している様子とは、とても思えないのですが説明を願えますか?」
 次々と証拠の写真を突きつけられ、ミレイユの顔は青を通り越して真っ白に染まっていく。握り締められた扇は、みしみしと音をたてていた。
 対してアンナは(あー、この写真、これがスチルってヤツなんだな)と妙に冷静な頭で思っていた。
「ミ、ミレイユ、お前っ……!?」
 驚愕に目を見開くセルジオ。アンナはそれを(テメーに責める権利なぞ無いわ)と冷めた目で見つめた。
「そ、そんな写真でたらめよ! 合成に決まってるわ!」
「ゴウセイ? ゴウセイとはなんですか?」
 前世の世界では当たり前の技術だが、この世界ではそこまで発達していない。だからそのようなことが出来る訳がないのだ。
 そしてそんなことを口走ったミレイユは、つまり……しかしアンナはそれは一先ず置いておいて口を開く。
「それに、この写真を提供してくださった方は確かな情報筋の方です」
「な、なんだっていうのよ!?」
 最早取り繕うことも忘れたのか、般若の形相で叫ぶミレイユ。それに嘲笑を返しながら、アンナは答えた。

「王宮直属の密偵『影』によるものですわ」

「……っ!」
 完全に色を失くすミレイユ。何故そんなものに自分が見張られていたのか、とかおめでたいことを考えているんだろうな、とアンナは思った。
 まあ、ミレイユと留学生との光景を実際に見たのは偶然だったのだが。自分に事実確認もせず、事実無根の相談を別の男性にするとか、マジあり得ないだろ、とアンナに憤りを感じさせるには充分だった。
 そうして「頼ってもいい」というお言葉に甘えて、将来的に王宮に仕えるであろう宰相の子息リオンの婚約者ジェルメーヌに相談したのだ。『学校から真っすぐに帰って王妃教育を受けなければならない筈のミレイユ様が、庭園で留学生の方とお会いしている』と。するとジェルメーヌもミレイユに思うところがあったのか、リオンに相談し、王に進言してくれたのだ。信じて貰えないかもしれないという危惧はあったが、王は将来的に王妃になるミレイユに後ろ暗いところがあってはならないと『影』を付けてくれた。それはセルジオも同様なのは言うまでもない。
 その結果がこれである。
「婚約者の浮気を咎めるどころか、ご自身も浮気にお忙しいとは。高位貴族、しかもこの国を担う筈『だった』立場の方の貞操観念がこれ程までに低いなんて……」

「今までどのような教育を受けていたのですか?」

 そもそも学校という場所をどのように考えていらっしゃるんですか、と嘲笑すれば、ミレイユは助けを求めるかのように辺りを見渡した。
「ああ、留学生の方……ビスカ様でしたら母国にお帰りになりましたよ」
「……っ」
 息を飲む音が響く。
「失礼を承知で写真をお見せしたら、顔色を悪くさせて一目散に駆けだしていきましたよ。ああ、王家から直接写真を母国に送らせていただいたそうですよ、と付け加えさせていただきましたが」
 今頃船の上じゃないでしょうか、と少し遠くを見つめてみせる。王からリオン、そしてジェルメーヌを通じて教えてもらったが、その留学生ビスカの正体は南国の王族。所謂『隠しキャラ』というものだろう。国に着いたら大騒ぎだろうが、そんなことこっちの知ったこっちゃない。
「そして、ミレイユ様。貴方の犯した罪はこれだけではありません」
 これが最後とばかりに、アンナはパシンッと音をたてて扇を閉じる。
「数ヵ月前、私のロッカーに香水が入れられていたことがありました。ご丁寧に『貴方をお慕いしております』という手紙付で」
「それが何だというの? セルジオ様が贈ったのではなくて?」
 負けじと緑の瞳が細められた。その真っすぐで激しい視線を平然と受け止め、アンナは答える。
「いいえ、調べましたところセルジオ様の筆跡ではありませんでした。……似せてはありましたが」
 どなたが書いたのしょうねぇ、とワザとらしく口角を吊り上げた。
「あからさまに怪しいので、瓶に『手を触れることなく』薬学の先生をお呼びしました。そして成分の調査を依頼したところ」

「第一級禁止薬物である『セイレーンの吐息』が検出されたとのことです」

 ざわっ、と大広間が再び騒めいた。
 無理もない。『セイレーンの吐息』は所謂『惚れ薬』としての効果が絶大で、使われると相手の言うことを無条件に信じ込み、命じられたことを何の躊躇いもなく実行してしまう。効き目は半永久的に続き、特効薬も開発されていない。さらに『相手の言うことを実行し過ぎる』余りに自殺させられた、という悲劇が多発したのだ。
 それ故に『所持するだけ』で重罪に問われる第一級禁止薬物に指定されたのだが。
「……そのようなもの、私は知りませんわ」
 呼吸を整えたのか、努めて冷静に振舞うミレイユ。顔が真っ白なのは治っていないが。
 あくまでシラを切るか、まあ無理はないわな、と思いながらアンナは口を開く。
「先ほども申し上げましたが、これは『数ヵ月前』のこと。さらに栄えあるミレヴン国立宮廷学校内に第一級禁止薬物が持ち込まれたとあっては大問題。ですが生徒たちに混乱を招く訳にもいきません。私は事件の当事者ということもあり、『内密に』捜査が入ったことを知っておりますが……」
 すう、と思わせぶりに目を細め口角を吊り上げてみせれば、さすがに察したのかミレイユは目を見開いた。
「ま、さか……!」
 その時。

 バンッ!!

 豪奢な造りの扉が大きな音をたてて開かれた。
 そこにいたのは、揃いの鎧を身に着けた王宮所属の騎士団。その中でも一際豪奢な鎧を身に着けた壮年の男性……団長が、前に進み出て口を開いた。
「ミレイユ・ギルマン! 第一級禁止薬物『セイレーンの吐息』を所持した疑いにより、その身を拘束する!!」
 ミレイユの顔が絶望に染まる。逃げようとしてか反射的にその足が動いたが、それよりも素早く駆け寄った騎士団によりあっという間に拘束された。
(あれ所謂好感度が上がる系の『課金アイテム』ってやつだろうな。私が思い通りに動かなかったことが気に入らないから、気軽な気持ちで取り寄せて、みたいな感じなんだろうけど)
 そもそも半永久的に効果が続く怪しいものに、妙なものが入ってない訳がないのだ。どうしてそこまで頭が回らなかったのか……そこまで深く考えないのも無理はないかとも思う。
 何故なら、ミレイユ・ギルマンも『転生者』なのだから。……これもまた今更だ。
 そのことをアンナが知ったのは、入学して間もない頃。偶然……もしかしたら必然かもしれないが……誰もいない廊下で鉢合わせしたことがあった。貴族の嗜みとしてアンナは道を譲り、その場でカーテシーをした。
 そしてミレイユが静かに通り過ぎようとした、瞬間。

「希望の名の下に。クトゥスの花のキャロル」

 そう呟くように言われ、「何言ってんの、この人?」と思った。何かの小説のタイトルか? と思い、失礼を承知で顔を上げて尋ねた。
「何かの小説でしょうか……?」
 めちゃくちゃ困惑した表情を作ってみせれば、納得したのか何なのか無言で立ち去ってしまったが。
 その直後に「ああ、乙女ゲーのタイトルか」と理解出来た。が、生憎とプレイしたことはないし、そもそも前世の自分はアクションゲームが好きだったため、乙女ゲーをプレイしたことはなかった。なので、タイトルを知ったところでどうすることも出来ない。
 そしてその後も話しかけられることも……いや、そういえばじっとこちらを見つめていたことはあったな、と思い出したが、ミレイユが結局のところ事実確認をしなかったのは事実だ。こちらがきっかけを作るのを待っていたかもしれないが、そんなもん作ってやる義理は無い。
 そもそも聞きたいことがあれば、聞けばいいだけの話だ。抽象的な言葉並べられても反応に困るし、その口は食べたり呼吸するためだけのものじゃない。
「し、知らなかった。知らなかったのよ!! 離しなさい、この無礼者!!」
 公爵令嬢らしからぬミレイユの叫び声に、アンナは我に返った。
 知らなかった、で済まされないに決まっているのに本当に呆れる。第一級禁止薬物を所持しただけで重罪に問われることは、家で学ぶ基礎教育、そして学校に通ってからも散々に教えられる筈なのに何を聞いていたんだろうか。それ以前に貴族平民問わず必ず教えられる常識中の常識だ。
 前世で麻薬を所持するのと同じだってことに結びつかなかったんだろうか、とんだお花畑だな、とアンナはふうと息をついた。
 そして。
「罪を犯した者は、裁かれるべきですわ」


「法の下では誰もが『平等』なのですからねぇ」


 目を狭め、口角を吊り上げて嘲笑しれやれば、ミレイユの顔が憤怒に歪んだ。
「あんたが、あんたが悪いのよ! ヒロインのクセしてゲームの強制力に逆らうからっ……!」
「聞くに堪えんな。手荒に扱っても良いと許可は得ている。おい」
 団長が目線で指示を出すと、部下は「はっ」と頷いてミレイユに容赦なく猿轡を噛ませた。
「んんぅ! んんー!!」
 それでも尚こちらを睨みつけて何かを叫ぼうとするミレイユを、騎士団はさっさと連れていく。
 そして呆然自失の表情で固まっていたセルジオは、団長に促されてよろよろとした足取りでこの場を後にしていった。
「貴方もこちらへ」
 アンナも促され、それもそうだと思った。断罪劇の当事者がこの場に残っていては、またややこしいことになる。
「皆様、大変お騒がせしたこと、心よりお詫び申し上げます。正式な謝罪は後程させていただきますので、失礼させていただきます」
 精一杯優雅にカーテシーをし、その場を素早く立ち去る。
 秘密裏に処理という訳にはいかなかったことが本当に悔やまれる。セルジオルートを進まされたことといい、やはりゲームの強制力なのだろうか。
「はあ……」
 アンナは何度目かも分からない溜息を、そっと吐き出した。


 あの衝撃的な断罪劇()から半年後。
 アンナは窓の外を見つめ、物思いに耽っていた。雲一つない青空が酷く眩しく感じる。
 ここは辺境地エスペダ。アンナの婚約者が治める領地だ。
 当初はアンナだけが赴く予定だったのだが、あのような騒ぎを(不本意とはいえ)起こしてしまったこともあり、周囲から好機の目で見られると危惧した婚約者が両親共々迎え入れてくれたのだ。彼の懐の深さには、本当に感謝する他はない。
 ここまで本当に忙しかった。あの場にいた全員に謝罪の手紙を書いたり、前世で言うところの調書を取られたり、引っ越しをしたり片付けをしたり。息つく暇もない日々を支えてくれたのは婚約者と、学校で出来た友人、そして攻略対象の婚約者たちだ。
 彼女たちは学校生活中にセルジオからの誘いを断るのにさりげなく力を貸してくれたり、アンナの学校での態度を改めて証言してくれたのだ。よってアンナは極々普通に学校生活を送っていたことが無事に証明された……だからなんだという話だが。
 婚約者たちは酷く同情してくれたのか『卒業後も力になりますわ』とそれぞれに有難いお言葉をいただいた。これは強力なバックが付いたことになるのだろうか、何とも不思議な縁で繋がったものだ。
 そしてセルジオがどうなったかというと、「学業を疎かにしたばかりか、婚約者のいる令嬢にうつつを抜かすなど言語道断。さらに王である私の許可も得ずに婚約破棄を宣言するとは、なんと愚かなことを」と、父である陛下に失望され性根を叩き直すべく、騎士団へと強制的に入団させられたという。しかも一番下っ端として扱うよう通達をされたため、第一王子としてはかなりの屈辱だろう。が、籍を抜かれたわけではないから、彼の努力次第では返り咲くことも可能だ。本意ではないとはいえ、深く関わってしまった相手の未来に救いがあることに、アンナは少しばかり胸を撫でおろした。
 そしてミレイユは厳しい取り調べと、ギルマン家から縁を切られたことにより発狂。「こんなはずじゃなかったのに」などということをぶつぶつと虚ろな目で言うだけの半ば廃人と化した。所謂そういう人たちが行く『施設』に送られたが、実際は幽閉だ。最低限の世話はしてもらえるだろうが、誰も迎えに来ない、助けも来ない、そんな現実の中で果たして彼女は無事でいられるだろうか。
(万が一正気取り戻しても無理だな。人に第一級禁止薬物使わせようとしたんだから、良くて追放だろうし。そしたらまた発狂かな)
 学校の勉強が出来るだけじゃ駄目だな、としみじみ思う。
(私をよくいる『お花畑ヒロイン』だって見下すからこうなるんだよ。ゲームでは選択肢とか場所とか選ぶだけだけど、それ現実でやるととんでもない行動力が必要になるっての)
 そこまでの行動力があるんだったら、勉学に充てた方が身になるというものだ。
 だってここはゲームじゃなくて現実。ゲームは終わりがあるけれど、現実はそうじゃない。
(あの時『貴方も転生者か?』とか言ってくれれば、また違ったんだろうな……)
 今更そんなことを思っても、仕方ないけれど。
 コンコン
 ノックの音に振り返り、「はい」と答える。カチャ、と軽い音をたててドアが開いた。
「アンナ。……美しいね」
 そう言って嬉しそうに、そして照れたように微笑んでくれるのは、婚約者ディラン・ブラット。
「ありがとうございます、ディラン様」
 アンナもまた頬を染め、笑みを返す。
「緊張しているかい?」
「……少し」
「実は私もだよ」
 顔を見合わせて、2人くすくすと笑いあう。
 そして。
「さあ、行こう。皆が待っている」
 大きな手が差し出された。アンナはその手を取り、「はい」と微笑む。その身を包むのは、白いウエディングドレス。頭のヴェールがひらりと揺れる。
 胸元に光るのは、クトゥスの花のブローチ。ディランの胸にも、揃いのブローチが煌めいて。
 それが何だか酷く眩しくて、そして胸が何だか熱くなる。
「ディラン様、愛していますわ」
 心のままを口にすれば、ディランは深い茶色の瞳を見開いた。そして嬉しそうに頬を染めて、口を開く。
「私も愛しているよ、アンナ」
 大切な言葉を口にすることは、口にしてくれることは、こんなにも心が満たされる。
 だからこそ、『希望』がはっきりと見えるようになるのだ。少なくとも、アンナはそう信じている。
 これから先はゲームの強制力も働くことはないだろう。それでも油断は出来ない。『平凡で普通』の幸せを望んでも、苦しい時や立ち止まる時というのは必ず訪れるというものだ。
「君を大切にするよ」
「私も、貴方を大切にします」
 神に誓う前だというのに、と2人はまた笑いあった。
 アンナはこちらをまっすぐみ見つめる優しい眼差しに、「ああ、大丈夫だ」と思った。


 希望は、今ここにあるから。


 それを見失わないように、歩いていけばいい。ディランと二人、ずっと一緒に。
 クトゥスの花が陽の光を反射して、きらり、静かに光った。


(終)
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みんなの感想(1件)

miki
2024.09.29 miki

ゲームでは「ヒロイン」の立ち位置である主人公が、現実の貴族社会で、自分の無実を理路整然と証していく頭脳と行動が素晴らしいです。
それに対して「悪役令嬢」の転生者、自分が不貞を犯して麻薬に手を出したら、普通に犯罪者として裁かれるのは当たり前でしょうに・・・

柊
2024.09.29

ちゃんと学んで自分の力で行動する転生ヒロインがいてもおかしくないじゃないか、と思いましたので、素晴らしいと言っていただけてとても嬉しいです。「悪役令嬢」も別の人とくっつく、という結末が多いのも不自然では? これって浮気では?とも感じましたので、このような結末にしました。課金アイテムはゲーム内知識とお金さえあれば手に入ってしまうものなので(それもどうかと思いますが)悪役令嬢の転生者は安易な道へと走ってしまいました。コメントありがとうございました。とても嬉しいです!

解除

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