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第20話 第5章 支部長ディック登場③

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「ん、……ううん」
 ――どのくらい、気を失っていただろう。
 ソフィアは、霞がかった頭を振ると、ぼんやりと周りを見つめた。
 やや薄暗い部屋の明かりは、寂しいものだった。光源石と一つしかない窓から差し込む月明かりだけが、わずかに場を照らしている。
 ――人?
 正面に誰かが座っている。ソフィアは、たどたどしくもはっきりとした口調で話しかけた。
「どなた?」
「……お目覚めですかな。女王陛下」
「この声。あなたエイトールですの?」
 意識が鮮明になっていくにつれて、現状に理解が追い付いていく。
 どうやら、エイトールと同様に椅子に縛らているようだ。
 ソフィアは身をよじってみるが、頑丈な鎖が肌に食い込み痛むばかりで、解ける様子はない。
「〈風よ。切り裂け〉もう、アンチ・マジック材か……。アハ、馬鹿みたい。どうやら、ペドロに一杯食わされたようですわね」
「お恥ずかしながら。まさかオール帝国に国を売るとは。女王陛下の打倒ばかりを考えていたがゆえ、まるで見えておりませんでした」
 ソフィアは、頭がカッと熱くなった。悔しいことに、エイトールと同じ気持ちだったからだ。
 正直、見くびっていた。ペドロは、ソフィアに協力的な男ではなかった。だが、まさかこれほどまでに、大胆な行動を起こす胆力があるとは思えなかったのだ。
 ……沈黙が続いた。時折、窓から緩やかに吹く風が、前髪を撫でつけ、ソフィアは唯一の癒しにしばし身を任せた。
「……まだ、考えは変わりませんの?」
 緩やかな風に乗るような声で、彼女は呟いた。
「オール帝国は、想像以上に強大ですわ。すでに我が国の中枢にまで食い込み、まさに王手をかけようとしている」
「……」
「エイトール。本当は分かっているんでしょう。オール帝国に戦で勝つことはできませんわ。ワタクシの方法が正解とは言いません。でも、戦いだけは避けるべきです」
 返事は、思ったよりも早くきた。
「あなたのやり方は、理想にすぎぬのですよ。知っておりますかな。貴族達の中には、教会と結びつき、政府はいらぬと民を扇動する動きがあることを」
 ソフィアは、口をポカンと開けた。傭兵と結びつき、国家転覆を望む貴族がいることは知っていたが、宗教と結びついている者がいようとは思わなかった。
「政府は不要。神が国を統べるべきだと。神は信じる者にとっては、清浄なるもの。だが、汚い人間は、その無垢なる信仰心さえ利用する。
 神を自らにとって都合の良いプロパガンダとしか見れぬ輩は、信者を無垢なまま扇動するのですよ。神の敵だ。ソフィア女王は、平和を妨げる背徳者なのだと」
「そんな、ワタクシは」
「お辛いか? だが、目を見開いてみるといい。敵はオール帝国だけじゃなく、身内にも数多くいる。それも目に見えぬ敵がまだいるのです。
 理想だけでは、国は維持できない。混乱する我が国を導くためには、敵を明確に設定し、戦いの中で国を造り替えて行かねばならない。
 私は妻を失った時学んだのです。情だけで、国は導けない。汚かろうが、冷徹に徹して国は運営する必要があるのです。
 ……安心なされよ。あなた様から国を奪った際は、いかなる手段を用いてもオール帝国は潰させていただく。ドラゴンや幻想種と交渉をし、人質を取ってでも必ずや勝利する」
 エイトールの瞳が、光源石に照らされ、妖しく光る。
 ソフィアは、身に沸き立つ恐怖を感じながらも、悲しみを込めた声を投げかけた。
「エイトール。鏡があれば、見せてあげたいですわ。あなたのその顔は、悪逆非道なオール帝国にそっくりです」
 エイトールは、ソフィアの言葉を噛みしめるように目を閉じ、無言で笑った。
「構いません。祖国のためならば、悪鬼に成り果て、炎が我が身を燃やし尽くしても良い。私は人のまま国を導くあなたと違う。人をやめて、国に尽くすのです」
「それは間違いですわ。国は人がいて成り立つもの。人でなければ、民を想うことなどできない。
 人が統べぬ国は、人らしさを剥奪された集団でしかなり得ません」
 ソフィアは、譲れない気持ちを原動力に、エイトールの瞳と真正面から斬り合った。
 見えない刃は、確かに互いの間で火花を散らした。
「……」
「……」

 ――どれほど、そうしていただろう。
 
 長いのか短いのか分からぬほど、意志をぶつけ合っていた二人の耳に、足音が聞こえた。
「品のない足音。これはペドロのか」
 エイトールの吐き捨てるような声に少し遅れる形で、部屋の扉が開く。
 窓から差し込む月の光に対立するように、開け放たれた扉から明かりが入り込む。
 グレーの石畳を照らす光は、太った人影が映るところだけが切り取られたようで、ひどく不格好に見えた。
「おほ。目が覚めたようじゃな」
 ペドロは部屋に足を踏み入れるなり、ソフィアに近づき、顔を寄せた。
「ほほ、良い香りじゃ」
 顔を背けるソフィアの服を摘まむと、緩慢な動きで解いていく。
「やめなさい!」
「たまらん反応じゃ。もっと見せてみい」
 ソフィアの肩口まで伸びた銀髪を無遠慮に触り、膝に頭を乗せた。背筋に、ムカデがはい回るような不快さに、拳を握りしめ、必死に泣きそうになるのを堪えた。
(絶対に泣いてたまるものか。こんなヤツを喜ばせるのだけは死んでも嫌ですわ)
 彼女の葛藤などお構いなしに、ペドロはソフィアの足を撫でつけ、だらしなく笑った。
「ああ、ソフィア女王よ。見てみよ。エイトールがなんともいえぬ顔で睨んでおるわい」
「貴様は、こんなことのために国を売ったのか?」
 ペドロは体を揺するように笑うと、立ち上がり、腹を叩いた。
「そうじゃが? ああ、それにしても惜しかったぞ。お主の妻は美しかった。生きていれば、いずれお主の目を盗んで一夜を共にしたかったぞい」
「……」
 エイトールは何も言わなかったが、業火渦巻く目を見れば、どれほどの怒りを内に秘めているかは一目瞭然だった。
「ほほ、そう怒るな。さて、女王陛下。今日のところはこれで失礼します。時間がある時にでも、たっぷり楽しませてもらうから、待ってておくれ」
 エイトールは、口の端に垂れたよだれを拭うと、部屋を出て行った。
 ソフィアは、吐き気を堪えるので精一杯になった。性的な欲望を、あれほど身近に感じたことはなかった。ゆえに、頭が酷く混乱し、どうして良いか分からなくなった。
「女王陛下。陛下!」
 エイトールの鋭い声に、ソフィアはハッとなった。
「窓の外をご覧なさい。そして、ゆっくりと深呼吸をするのです」
 言葉にすがるように、外を見る。窓に切り取られた風景は、どんな絵画でさえ及ばない月と星が織りなす絶景だった。
 風が吹いて、彼女は息を吸う。恥辱によって発火した体を冷やすために。
「……落ち着きましたかな」
 幾度か繰り返して、ようやくソフィアは前を見るゆとりを得た。
「助かりました。まさか、ワタクシを殺そうとしたあなたに支えられるとは」
「……殺すのは、国が思うがため。ペドロのような行いを認めるつもりは毛頭ありません」
 そう、と短くソフィアは呟いた。彼女は俯くと、目を閉じた。
 浮かんでは消える様々な想い。父に託された国は、彼女にとって重く辛いものだった。
 だが、一度たりとも投げ出そうとは思わなかった。なぜなら、
(ワタクシは、この国を愛しています。だったら)
 ソフィアは顔を上げる。瞳に強い光を宿し、不退転の覚悟を抱きながら、告げた。
「エイトール、ワタクシはあなたにもペドロにもオール帝国にも、この国を渡すつもりはありませんの。ワタクシの愛は、余人の入り込む余地がないほど、輝いてますわ」
 エイトールは、寡黙な男には珍しく大声で笑った。
「なるほど、余人が入り込む余地がないほどですか。ならば、存分に競い合いましょう。国を想うがゆえに、我らは敵となる」
「フ、上等ですわ」
 父が生きていれば、なんて汚い言葉遣いだ、と怒られたに違いない。
 ソフィアは、温かくも力強い感情が全身を駆け抜けていくのを感じた。
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