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第五章 水の守護者の願い⑧
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「カリムと私はね……」
レアの頭を撫でながら、ポツリと彼女は語りだした。
「昔は神様として崇められていたの。当時は魔法を使う人とそうでない人が共存していたわ。細々と野菜を育て、狩ってきた動物に感謝して腹を満たす。私達兄弟は、そんな暮らしをしている人々と共に、穏やかに日々を過ごしていた」
「神様? 信仰の対象だったのか」
「ええ。ドラゴンは強大な力を持ち、知力も高い。神様として祀り上げるには、人にとって好都合だったのかもしれないわね。ちょっと、そんな顔しないで。別に神様として扱われて悦に入っていたわけではないわ。人々がそう望んだから、私達兄弟は応えただけ。実際、しばらくの間は上手くいっていたの。でも……」
懐かしむような表情に、翳りの色が見えはじめた。水に墨を垂らすように、じんわりと確実にその色は深さを増していき、サンクトゥスは苦しげに声を発した。
「ある日、村に男がやってきた。遠く離れた村からやってきたというその男は、私達兄弟を指差して叫んだ。『ドラゴンは神ではない。悪の化身である』と。はじめは誰も男の言葉に耳を貸さなかった。でも、月日が経つごとに、村人達の心に疑いの気持ちが生まれてしまってね。気付いた時には、私達兄弟は憎むべき悪として、村を追い出されることになったの」
「そんな馬鹿な話が」
「あったの。追い出された時は辛かったわ。家族同然だと思っていた人々から敵意を向けられるなんて夢にも思わなかった。今考えると、本当の地獄はこれからだってのに、そう思ってたなんて笑っちゃうわ」
黒羽は思わずギョッとしてしまった。サンクトゥスの顔に浮かぶ笑顔が、あんまりにも悲しみに満ちていたからだ。
「私達は彷徨った。荒野を抜けて、森を駆け抜け、太陽が照りつける砂漠を踏破した。途中で何度か他の村に立ち寄ったけど、正体は隠してわずかに滞在するだけだったわ。ドラゴンの姿に戻って山にでも住もうかって考えたこともあるけど、人の心の暖かさも知っていた私達は、諦めきれずに人と関わることをやめなかった。けれども、また拒絶されるのは怖かったから、半端に関わるだけの生活を続けた。そんな時、ひょんなことから正体がばれたの。崖から落ちた子供を助けた時に、本来の姿に戻ってしまった。私達は逃げようとした。でもね、その子供が住む村の人々は私達を受け入れてくれたの。ドラゴンに対する信仰も敵意も持たない真っ白な村。ここでならやり直せる。そう思ったわ」
レアの額に浮かぶ汗を手で拭い、サンクトゥスは自嘲気味に笑った。
「あの時、もしもそのまま逃げていればどんなに良かったかしら。私達を迎え入れてくれた村は、森に囲まれた素敵な場所だったわ。ちょうどレアの住むフラデンのように。ねえ、その村は最終的にどうなったと思う?」
心温まるハッピーエンドであるならば、苦難を乗り越えた二人の兄弟は幸せになるはずだ。だが、そうではないのだろう。そうであったなら、黒羽の目の前にいる女性はこんなにも弱々しく、悲しそうに佇むはずはないのだから。
「燃えたわ。全てが灰になった。火事は事故でも災害でもなく、人の手によるものだった。”聖なる人々”と名乗る一種の宗教団体によってね」
「”聖なる人々”? 随分御大層な名前だな」
「そうね。『人は聖なる生き物である。悪、特にドラゴンは危険な悪の化身である』というのが彼らの教え。この宗教の教祖は、私達を村から追い出すきっかけを作った男よ」
呆気にとられる。そんなことってあるのだろうか。サンクトゥスは、黒羽の考えが読めたかのように頷いた。
「ビックリするわよね。まさか宗教団体を作ってしまうなんて。どこで情報が漏れたかは分からない。当時の人々は、積極的に他の村や集落と関わりを持つことは少なかったのに……。でも、あの男が作った宗教は多くの村で広まったらしいから、もしかすると私達をかくまった村の中にそういった人がいたのかもしれないわ。とにかく酷い光景だった。”聖なる人々”は、燃やすだけでなく、虐殺を行ったわ」
「どうして? 曲がりなりにも人は聖なる生き物って教えなんだろう?」
その問いに、彼女は俯く。レアの額に置かれた手は、震えていた。
「『ドラゴンをかくまった人は、人ではない。悪である。ならば、どう扱おうと勝手だ』それが彼らの言い分よ。男達は全身を棍棒で滅多打ちにされて殺された。女達は犯されて殺された。子供は……燃えている家の中に投げ入れられた」
「――それは、あんまりじゃないか。命をなんだと思っている。人の人生を、尊厳を軽視しすぎだ。悪はそいつらの方じゃないか」
「そうね。だから」一度言葉を切って、サンクトゥスは「兄さんは壊れた」と言った。
「憎悪に支配された兄さんは、ウロボロスの力を解放して、その場にいた”聖なる人々”を殺した。私は止めようとしたけど、徒労に終わった。兄さんは、ドラゴンの姿となってしばらく居なくなってしまった。次に会った時、兄さんの手には首を斬られた人の頭部があったわ」
考えたくはないが、黒羽は答えが分かる気がした。
「もしかして、教祖の男のものか?」
サンクトゥスは頷き、口を手で覆った。黒羽は駆け寄ると、背中を優しくさすった。長い前髪がカーテンのように顔を隠しているので、彼女の表情は分からなかったが、無理をしているのが手の平に伝わる震えから痛いほどよく察せられた。
「おい、今日はもう休もう」
「ごめんなさい。話はまだ続くんだけど、お言葉に甘えるわ」
寝床を素早く準備して、そこに彼女を寝かした。ただでさえ陶器のように白い肌が、血の気を失っている。
黒羽は、鞄からジャスミン茶の入った袋を取り出し、お湯を沸かした。
「うん? 何の匂いかしら」
「お茶だよ。寝る前に、これを飲むんだ」
コップに注いだジャスミン茶を手渡すと、サンクトゥスはゆっくりと口に含んだ。
「美味しい。どこのお茶?」
「始まりの世界のお茶だよ。沖縄でよく飲まれているお茶でさ、リラックスするのにちょうど良いんだ」
サンクトゥスは吹き出すように笑った。むせたのかと思ったが、そうじゃないらしい。コップの縁を人差し指でなぞり、こちらを見た。
「凄いわね。あなたの提供するものは全て美味しいわ。お店を経営しているだけあるわね」
「まあな。これでも人気店の経営者だぞ」
「フフフ、そうだったわね。――ハア、もう寝るわ。おやすみ」
「ああ。今日は色々と話してくれてありがとう。少し相棒のことが知れて良かったよ」
レアの頭を撫でながら、ポツリと彼女は語りだした。
「昔は神様として崇められていたの。当時は魔法を使う人とそうでない人が共存していたわ。細々と野菜を育て、狩ってきた動物に感謝して腹を満たす。私達兄弟は、そんな暮らしをしている人々と共に、穏やかに日々を過ごしていた」
「神様? 信仰の対象だったのか」
「ええ。ドラゴンは強大な力を持ち、知力も高い。神様として祀り上げるには、人にとって好都合だったのかもしれないわね。ちょっと、そんな顔しないで。別に神様として扱われて悦に入っていたわけではないわ。人々がそう望んだから、私達兄弟は応えただけ。実際、しばらくの間は上手くいっていたの。でも……」
懐かしむような表情に、翳りの色が見えはじめた。水に墨を垂らすように、じんわりと確実にその色は深さを増していき、サンクトゥスは苦しげに声を発した。
「ある日、村に男がやってきた。遠く離れた村からやってきたというその男は、私達兄弟を指差して叫んだ。『ドラゴンは神ではない。悪の化身である』と。はじめは誰も男の言葉に耳を貸さなかった。でも、月日が経つごとに、村人達の心に疑いの気持ちが生まれてしまってね。気付いた時には、私達兄弟は憎むべき悪として、村を追い出されることになったの」
「そんな馬鹿な話が」
「あったの。追い出された時は辛かったわ。家族同然だと思っていた人々から敵意を向けられるなんて夢にも思わなかった。今考えると、本当の地獄はこれからだってのに、そう思ってたなんて笑っちゃうわ」
黒羽は思わずギョッとしてしまった。サンクトゥスの顔に浮かぶ笑顔が、あんまりにも悲しみに満ちていたからだ。
「私達は彷徨った。荒野を抜けて、森を駆け抜け、太陽が照りつける砂漠を踏破した。途中で何度か他の村に立ち寄ったけど、正体は隠してわずかに滞在するだけだったわ。ドラゴンの姿に戻って山にでも住もうかって考えたこともあるけど、人の心の暖かさも知っていた私達は、諦めきれずに人と関わることをやめなかった。けれども、また拒絶されるのは怖かったから、半端に関わるだけの生活を続けた。そんな時、ひょんなことから正体がばれたの。崖から落ちた子供を助けた時に、本来の姿に戻ってしまった。私達は逃げようとした。でもね、その子供が住む村の人々は私達を受け入れてくれたの。ドラゴンに対する信仰も敵意も持たない真っ白な村。ここでならやり直せる。そう思ったわ」
レアの額に浮かぶ汗を手で拭い、サンクトゥスは自嘲気味に笑った。
「あの時、もしもそのまま逃げていればどんなに良かったかしら。私達を迎え入れてくれた村は、森に囲まれた素敵な場所だったわ。ちょうどレアの住むフラデンのように。ねえ、その村は最終的にどうなったと思う?」
心温まるハッピーエンドであるならば、苦難を乗り越えた二人の兄弟は幸せになるはずだ。だが、そうではないのだろう。そうであったなら、黒羽の目の前にいる女性はこんなにも弱々しく、悲しそうに佇むはずはないのだから。
「燃えたわ。全てが灰になった。火事は事故でも災害でもなく、人の手によるものだった。”聖なる人々”と名乗る一種の宗教団体によってね」
「”聖なる人々”? 随分御大層な名前だな」
「そうね。『人は聖なる生き物である。悪、特にドラゴンは危険な悪の化身である』というのが彼らの教え。この宗教の教祖は、私達を村から追い出すきっかけを作った男よ」
呆気にとられる。そんなことってあるのだろうか。サンクトゥスは、黒羽の考えが読めたかのように頷いた。
「ビックリするわよね。まさか宗教団体を作ってしまうなんて。どこで情報が漏れたかは分からない。当時の人々は、積極的に他の村や集落と関わりを持つことは少なかったのに……。でも、あの男が作った宗教は多くの村で広まったらしいから、もしかすると私達をかくまった村の中にそういった人がいたのかもしれないわ。とにかく酷い光景だった。”聖なる人々”は、燃やすだけでなく、虐殺を行ったわ」
「どうして? 曲がりなりにも人は聖なる生き物って教えなんだろう?」
その問いに、彼女は俯く。レアの額に置かれた手は、震えていた。
「『ドラゴンをかくまった人は、人ではない。悪である。ならば、どう扱おうと勝手だ』それが彼らの言い分よ。男達は全身を棍棒で滅多打ちにされて殺された。女達は犯されて殺された。子供は……燃えている家の中に投げ入れられた」
「――それは、あんまりじゃないか。命をなんだと思っている。人の人生を、尊厳を軽視しすぎだ。悪はそいつらの方じゃないか」
「そうね。だから」一度言葉を切って、サンクトゥスは「兄さんは壊れた」と言った。
「憎悪に支配された兄さんは、ウロボロスの力を解放して、その場にいた”聖なる人々”を殺した。私は止めようとしたけど、徒労に終わった。兄さんは、ドラゴンの姿となってしばらく居なくなってしまった。次に会った時、兄さんの手には首を斬られた人の頭部があったわ」
考えたくはないが、黒羽は答えが分かる気がした。
「もしかして、教祖の男のものか?」
サンクトゥスは頷き、口を手で覆った。黒羽は駆け寄ると、背中を優しくさすった。長い前髪がカーテンのように顔を隠しているので、彼女の表情は分からなかったが、無理をしているのが手の平に伝わる震えから痛いほどよく察せられた。
「おい、今日はもう休もう」
「ごめんなさい。話はまだ続くんだけど、お言葉に甘えるわ」
寝床を素早く準備して、そこに彼女を寝かした。ただでさえ陶器のように白い肌が、血の気を失っている。
黒羽は、鞄からジャスミン茶の入った袋を取り出し、お湯を沸かした。
「うん? 何の匂いかしら」
「お茶だよ。寝る前に、これを飲むんだ」
コップに注いだジャスミン茶を手渡すと、サンクトゥスはゆっくりと口に含んだ。
「美味しい。どこのお茶?」
「始まりの世界のお茶だよ。沖縄でよく飲まれているお茶でさ、リラックスするのにちょうど良いんだ」
サンクトゥスは吹き出すように笑った。むせたのかと思ったが、そうじゃないらしい。コップの縁を人差し指でなぞり、こちらを見た。
「凄いわね。あなたの提供するものは全て美味しいわ。お店を経営しているだけあるわね」
「まあな。これでも人気店の経営者だぞ」
「フフフ、そうだったわね。――ハア、もう寝るわ。おやすみ」
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