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第五章 水の守護者の願い③
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黒羽は何もない空間に鍵を突き刺す。すると、両開きのドアが音もなく出現する。サイズとしては人がやっと通れるほどのもので、アナザーの地下室にあるドアの精巧なミニチュアを見ているようだ。
「確かあの辺りは川があって、不思議な木が沢山生えていたな。よし」
鍵を捻り、ドアが外側に開く。黒羽達を出迎えた景色は、地面に触れるほど細長い枝が特徴的なウォスロー・ツリーが生い茂る森だ。
「へえー、凄いわね!」
「驚いた? この鍵はさ、プレンティファルのあらゆるところに行けるアイテムなんだ。でも、一度行ったことがあるところじゃないと使えないのが、少し不便かな」
「あら、そんなことができるなら、どうしてわざわざ馬車を借りて、食材を森まで運んでいるのかしら? この宿まで運んで、移動させれば楽でしょう」
サンクトゥスの疑問はもっともである。黒羽はレアを見ると、彼女が説明をする。
「その、お母さんに黒羽さんが異世界人だってこと、秘密にしているんです。もし打ち明けて凄く心配するようなら……黒羽さんに会っちゃ駄目だって言われるかもしれないから」
顔を伏せるレアに、サンクトゥスは歩み寄り、額をデコピンした。
「痛い!」
「バーカ。もっと母親を信じなさい。あんなに危ない目にあって、それでもなお秋仁と会うのを止めないってことは、あなたとあなたが信じている秋仁を信用している証だわ。大丈夫。エメに秋仁の正体を明かすのが怖いなら、私も一緒に居てあげるわ」
「サンクトゥスさん……」
目を少し潤ませたレアは、感動のあまりサンクトゥスに抱きつこうとした。が、
「まあ、この宿を使えるようになれば、異世界へ渡るのがグンと楽になるから、早めに言いなさいな」
「私の感動を返してください」
レアはサンクトゥスの額目がけてデコピンを放つが、空しく空を切ってしまう。
「こら、馬鹿なことしてないで行くぞ。レア、案内を頼む」
表情に悔しさをにじませながら、レアはドアをくぐって森へと足を踏み入れた。黒羽とサンクトゥスが彼女に続いて、森に入るとドアは初めからなかったかのように消えた。
小鳥の声が響く森は平和そのもので、一見問題ないように思える。しかし、痩せた赤毛の狼が一匹横たわって朽ち果てているのを目撃すると、状態は芳しくないようだ。
レアは、枝をかき分け、アクア・ポセイドラゴンとカリムがいた川の辺りまで二人を案内すると、立ち止まって周りを見渡した。
「アクア・ポセイドラゴンは、基本的には川の近くにいるそうです。私達が見かけたのは、ここ。そして、レミルさんが言っていた場所は、さらに北上した所にあります」
「……ねえ、レアちゃん。あなたはどうやって位置を把握しているのかしら? 見たところ魔法や道具を使っているようには見えないのだけど」
その疑問は、黒羽にとっても不思議だった。いくら慣れているからといって、コンパスも持たないでこれほど正確に道案内ができるのだろうか?
「簡単ですよ。フラデンの周辺を囲むように広がるこの森は、場所ごとに生い茂っている木々が違うんです。例えば、ここはウォスロー・ツリーが密集している所で、東北東に位置しています。目的地は北東の辺りで、ロッグ・ツリーが沢山あります」
「なるほどな。場所ごとに乗ってる具材が違うピザみたいだな」
「ぴざって何ですか?」
「始まりの世界の食べ物だよ。肉や野菜を乗せた生地に、チーズを沢山乗せて焼いたもので、噛んだ瞬間に食材とチーズの味がパッと広がってめちゃくちゃ美味い」
思わずお腹に手を当てるレアの横で、サンクトゥスが手を叩く。
「ああ、あれね。昨日、てれびとかいう喋る箱に映ってたわ。ちょっと、味が濃ゆそうね」
「薄味が好みか?」
「そうね。薄い方が食材の味がしっかりと感じられて好きね」
「フーン。日本食がサンクトゥスの舌には合いそうだな」
「二人とも、のんびりしてたら日が暮れます。早く行きますよ」
レアは、干上がりかけている小川を飛び越えて先へ行く。
「レアちゃん。そんなに急ぐと危ないわよ。ほら、もう」
段差に躓き体勢を崩したレアの腕を掴むと、サンクトゥスは彼女の隣に並んで歩きだした。
「ちょっとお話しましょう。たわいのない話。久々に起きたんですもの、女同士でも会話したいわ」
「……そうですね。レアもあなたのことを知りたいです」
女性二人は会話をしながら進み、黒羽は少し遅れて歩く。
ウォスロー・ツリーの枝は、まるで髭のようだ。風が吹くごとに葉が擦れて音が鳴り、植物の香りがする。どこかで鳥が羽ばたく音が聞こえ、目の前を昆虫が横切った。良く見れば、その昆虫はカブトムシである。異世界だからといって、全ての生き物が異なるわけではなく、犬や猫など、共通する種も多い。
少年の頃は、虫網と虫かごを持ってガジュマルの木に引っ付いている蝉を取って遊んでいた黒羽にとって、この森はどこか懐かしく感じる場所だ。
枝をかき分け、木々の隙間から降り注ぐ太陽光に肌を焼かれながら、しばらく歩き続けていると、
(あ……心地良いな)
ほのかに涼しくなったように感じる。耳をすませば、川の流れる軽やかな音が聞こえてきた。
「そろそろロッグ・ツリーの群生地に入りそうです」
レアの言う通りだった。ウォスロー・ツリーの枝だらけの風景が徐々に減っていき、今度は岩にしがみつく形で生える木を沢山見かけるようになった。近づいて観察してみると分かるが、木と言うよりイソギンチャクと表現した方がしっくりくる。手の平くらいの太さの幹が岩の上に乗っかっており、細い枝は岩の至るところに入り込みへばりついていた。
「これがロッグ・ツリー?」
「そうです。地元の人は岩の妻って呼んでますけど」
「しつこそうな奥さんね。きっと浮気したら、そのまま絞め殺すわね」
サンクトゥスの一言で、時々店に来るサラリーマンのことを思い出した。『奥さんが相手してくれないから、最近浮気にはまっている』とか言っていたが、あの人は大丈夫だろうか? 最近、顔を見てないことに気付き、岩とロッグ・ツリーが男と奥さんに見えてきた。
「何で苦笑いしているの秋仁?」
「いや、何でもない。それより少し休憩しよう。レア、ここら辺で休める場所はないかな?」
「この先に川があるので、そこで休みましょう。もうクタクタです」
ロッグ・ツリーがへばりついている岩は、それぞれ大きさが異なり、なかには見上げないと上部が見えないものもある。そのため、見通しはお世辞にも良いとは言えない。
岩と岩の合間を縫うように進んでいると、大河が流れる場所に出た。ロッグ・ツリーは、イソギンチャクに似てはいても、どうやら水の中は苦手のようだ。川の中にある岩には生えていない。
「随分大きな川だな」
「はい。ここからさらに北東にずっと行くと、クリム山という山がそびえていて、そこから流れています。ただ、フラデンからやや遠いので、飲料水としても生活用水としてもあまり利用されていませんね」
この川は干ばつの影響をあまり受けていないらしい。川岸から覗いてみると、澄み切っているのに底が見えないほど深い。ロッグ・ツリーをはじめ、周りの植物も立ち枯れている様子はない。
「アクア・ポセイドラゴンは水のドラゴンなんだろう? だから、まだ無事なこのエリアに逃げてきたってところかな」
「それだけかしら……」
目を細め、川を見つめるサンクトゥス。彼女は、何かを知っているのだろうか? 気になった黒羽が声をかけようとした時、低い唸り声と共に地響きがした。
「な、何でしょうか?」
「分からない。おい! どうしたんだ、サンクトゥス」
彼女はウロボロスを纏い、唸り声が聞こえた方角に向けて猛然と駆けて行ってしまった。黒羽達も慌てて後を追う。サンクトゥスが通った空間には、道しるべのように漂うウロボロスの残滓と驚異的な膂力で剥がれた地面がある。
「レア、ウロボロスには触れるな。君にとっては毒と変わらない」
「は、はい。凄い濃度の魔力。体がウロボロスを完全に吸収できないほど魔力を精製している……黒羽さん、気を引き締めていきましょう」
「ああ、急いで俺達も追いつくぞ」
「確かあの辺りは川があって、不思議な木が沢山生えていたな。よし」
鍵を捻り、ドアが外側に開く。黒羽達を出迎えた景色は、地面に触れるほど細長い枝が特徴的なウォスロー・ツリーが生い茂る森だ。
「へえー、凄いわね!」
「驚いた? この鍵はさ、プレンティファルのあらゆるところに行けるアイテムなんだ。でも、一度行ったことがあるところじゃないと使えないのが、少し不便かな」
「あら、そんなことができるなら、どうしてわざわざ馬車を借りて、食材を森まで運んでいるのかしら? この宿まで運んで、移動させれば楽でしょう」
サンクトゥスの疑問はもっともである。黒羽はレアを見ると、彼女が説明をする。
「その、お母さんに黒羽さんが異世界人だってこと、秘密にしているんです。もし打ち明けて凄く心配するようなら……黒羽さんに会っちゃ駄目だって言われるかもしれないから」
顔を伏せるレアに、サンクトゥスは歩み寄り、額をデコピンした。
「痛い!」
「バーカ。もっと母親を信じなさい。あんなに危ない目にあって、それでもなお秋仁と会うのを止めないってことは、あなたとあなたが信じている秋仁を信用している証だわ。大丈夫。エメに秋仁の正体を明かすのが怖いなら、私も一緒に居てあげるわ」
「サンクトゥスさん……」
目を少し潤ませたレアは、感動のあまりサンクトゥスに抱きつこうとした。が、
「まあ、この宿を使えるようになれば、異世界へ渡るのがグンと楽になるから、早めに言いなさいな」
「私の感動を返してください」
レアはサンクトゥスの額目がけてデコピンを放つが、空しく空を切ってしまう。
「こら、馬鹿なことしてないで行くぞ。レア、案内を頼む」
表情に悔しさをにじませながら、レアはドアをくぐって森へと足を踏み入れた。黒羽とサンクトゥスが彼女に続いて、森に入るとドアは初めからなかったかのように消えた。
小鳥の声が響く森は平和そのもので、一見問題ないように思える。しかし、痩せた赤毛の狼が一匹横たわって朽ち果てているのを目撃すると、状態は芳しくないようだ。
レアは、枝をかき分け、アクア・ポセイドラゴンとカリムがいた川の辺りまで二人を案内すると、立ち止まって周りを見渡した。
「アクア・ポセイドラゴンは、基本的には川の近くにいるそうです。私達が見かけたのは、ここ。そして、レミルさんが言っていた場所は、さらに北上した所にあります」
「……ねえ、レアちゃん。あなたはどうやって位置を把握しているのかしら? 見たところ魔法や道具を使っているようには見えないのだけど」
その疑問は、黒羽にとっても不思議だった。いくら慣れているからといって、コンパスも持たないでこれほど正確に道案内ができるのだろうか?
「簡単ですよ。フラデンの周辺を囲むように広がるこの森は、場所ごとに生い茂っている木々が違うんです。例えば、ここはウォスロー・ツリーが密集している所で、東北東に位置しています。目的地は北東の辺りで、ロッグ・ツリーが沢山あります」
「なるほどな。場所ごとに乗ってる具材が違うピザみたいだな」
「ぴざって何ですか?」
「始まりの世界の食べ物だよ。肉や野菜を乗せた生地に、チーズを沢山乗せて焼いたもので、噛んだ瞬間に食材とチーズの味がパッと広がってめちゃくちゃ美味い」
思わずお腹に手を当てるレアの横で、サンクトゥスが手を叩く。
「ああ、あれね。昨日、てれびとかいう喋る箱に映ってたわ。ちょっと、味が濃ゆそうね」
「薄味が好みか?」
「そうね。薄い方が食材の味がしっかりと感じられて好きね」
「フーン。日本食がサンクトゥスの舌には合いそうだな」
「二人とも、のんびりしてたら日が暮れます。早く行きますよ」
レアは、干上がりかけている小川を飛び越えて先へ行く。
「レアちゃん。そんなに急ぐと危ないわよ。ほら、もう」
段差に躓き体勢を崩したレアの腕を掴むと、サンクトゥスは彼女の隣に並んで歩きだした。
「ちょっとお話しましょう。たわいのない話。久々に起きたんですもの、女同士でも会話したいわ」
「……そうですね。レアもあなたのことを知りたいです」
女性二人は会話をしながら進み、黒羽は少し遅れて歩く。
ウォスロー・ツリーの枝は、まるで髭のようだ。風が吹くごとに葉が擦れて音が鳴り、植物の香りがする。どこかで鳥が羽ばたく音が聞こえ、目の前を昆虫が横切った。良く見れば、その昆虫はカブトムシである。異世界だからといって、全ての生き物が異なるわけではなく、犬や猫など、共通する種も多い。
少年の頃は、虫網と虫かごを持ってガジュマルの木に引っ付いている蝉を取って遊んでいた黒羽にとって、この森はどこか懐かしく感じる場所だ。
枝をかき分け、木々の隙間から降り注ぐ太陽光に肌を焼かれながら、しばらく歩き続けていると、
(あ……心地良いな)
ほのかに涼しくなったように感じる。耳をすませば、川の流れる軽やかな音が聞こえてきた。
「そろそろロッグ・ツリーの群生地に入りそうです」
レアの言う通りだった。ウォスロー・ツリーの枝だらけの風景が徐々に減っていき、今度は岩にしがみつく形で生える木を沢山見かけるようになった。近づいて観察してみると分かるが、木と言うよりイソギンチャクと表現した方がしっくりくる。手の平くらいの太さの幹が岩の上に乗っかっており、細い枝は岩の至るところに入り込みへばりついていた。
「これがロッグ・ツリー?」
「そうです。地元の人は岩の妻って呼んでますけど」
「しつこそうな奥さんね。きっと浮気したら、そのまま絞め殺すわね」
サンクトゥスの一言で、時々店に来るサラリーマンのことを思い出した。『奥さんが相手してくれないから、最近浮気にはまっている』とか言っていたが、あの人は大丈夫だろうか? 最近、顔を見てないことに気付き、岩とロッグ・ツリーが男と奥さんに見えてきた。
「何で苦笑いしているの秋仁?」
「いや、何でもない。それより少し休憩しよう。レア、ここら辺で休める場所はないかな?」
「この先に川があるので、そこで休みましょう。もうクタクタです」
ロッグ・ツリーがへばりついている岩は、それぞれ大きさが異なり、なかには見上げないと上部が見えないものもある。そのため、見通しはお世辞にも良いとは言えない。
岩と岩の合間を縫うように進んでいると、大河が流れる場所に出た。ロッグ・ツリーは、イソギンチャクに似てはいても、どうやら水の中は苦手のようだ。川の中にある岩には生えていない。
「随分大きな川だな」
「はい。ここからさらに北東にずっと行くと、クリム山という山がそびえていて、そこから流れています。ただ、フラデンからやや遠いので、飲料水としても生活用水としてもあまり利用されていませんね」
この川は干ばつの影響をあまり受けていないらしい。川岸から覗いてみると、澄み切っているのに底が見えないほど深い。ロッグ・ツリーをはじめ、周りの植物も立ち枯れている様子はない。
「アクア・ポセイドラゴンは水のドラゴンなんだろう? だから、まだ無事なこのエリアに逃げてきたってところかな」
「それだけかしら……」
目を細め、川を見つめるサンクトゥス。彼女は、何かを知っているのだろうか? 気になった黒羽が声をかけようとした時、低い唸り声と共に地響きがした。
「な、何でしょうか?」
「分からない。おい! どうしたんだ、サンクトゥス」
彼女はウロボロスを纏い、唸り声が聞こえた方角に向けて猛然と駆けて行ってしまった。黒羽達も慌てて後を追う。サンクトゥスが通った空間には、道しるべのように漂うウロボロスの残滓と驚異的な膂力で剥がれた地面がある。
「レア、ウロボロスには触れるな。君にとっては毒と変わらない」
「は、はい。凄い濃度の魔力。体がウロボロスを完全に吸収できないほど魔力を精製している……黒羽さん、気を引き締めていきましょう」
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