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第30話 第九章 集う力と交わされる密約④

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 黒の絵の具を塗り重ねていくように、暗さが増す室内に、叫び声と笑い声がこだまする。
「がああ、ああああ」
「薬をお飲みなさい。もっと、ウロボロスを肉体に馴染ませるのです」
 血のような色をした鎖に巻かれたニコロは、ただひたすらに叫び、薬を飲むとさらに暴れて、派手に鎖が鳴った。
 代弁者は満足そうに手を叩くと、壁に埋め込まれた光源石に魔力を流した。
 薄っすらと光が灯り、物の輪郭が鮮明になる。代弁者は、ゆっくりと室内を見渡し、四隅の一角に目を止めた。
「おや、意外な客人。皆さん、拍手」
 光源石の柔らかな光を、ぎらつかせて反射する鎧。それを身に纏う桜髪の美女は、冷めた瞳で代弁者を睨んだ。
「満足か? 見つけるのに苦労したぞ」
「おや、あなたは前にお会いしたトカゲでは? わざわざ殺されにやってくるとは、手間が省けてありがたい」
「笑止。貴様如きに殺される私ではない。私の動きを追えずに、傷を負ったのは誰だ?」
 あざけるアネモイを、狂気が渦巻く瞳で見つめ、代弁者は自身の足、わき腹を叩いた。
「覚えていますとも。ええ、本当に覚えてますよ。痛かったなああああああ。だから、決めていたんです。心待ちにしていたんです。あなたが現れたら、同じ部位を痛めつけて、カリムに切り落とした四肢をプレゼントしようと。どうですか、もう始めて構いませんか?」
 代弁者は懐に手を入れ、小袋を取り出そうとする。その瞬間に、アネモイは距離を詰め、喉すれすれの位置に剣先を突き付ける。
「おや?」
「動くな。ほんの僅かに剣を動かすだけで、お前はあの世行きだ」
 代弁者は真っ赤な舌をベロリと出し、蛇のように細やかに動かした。
「ベロベロバー。どうぞ、ご自由に。でも、良いんですか? 喉を切られても、私はすぐさま薬を飲み、あなたに襲い掛かります。すぐに絶命するでしょうが、あなたは死ぬ。クハ、そうすれば、先にあの世に旅立った同志達と一緒に、あの世でもあなたを殺しますねえ」
 アネモイは、寒気がするのを感じた。どれほど勇敢な者でも、死への恐怖を感じるのが生き物だ。しかし、目の前にいる男は、死を恐れない。それどころか、どこか楽しんでいるふしさえある。
「貴様と刺し違える覚悟くらいある。だが、それではカリム様が悲しむ。それに、今私がお前の前に現れたのは、交渉をするためだ」
 代弁者は、右目を限界まで開き、左目を細めた。この奇妙な顔は、代弁者なりの驚きの表情なのだろうか。……見る者にとってはただ不快だ。
「ええい、その顔をやめろ。もういい、本題に入る。貴様、サンクトゥスと戦っていたな」
「おや、どこかでコソコソと見ていたようだ」
「うるさい! 黙って話を聞け。博愛主義のあの女のことだ。その男を救出するために、必ずやってくる。恐らく、剣術の強い黒髪の男と一緒にな。いくら貴様と言えど、ウロボロスが使える武術の達人とドラゴンを一緒に相手にするのは面倒だろう」
「はあああ、まあ、そうですかね」
 アネモイは目をぎらつかせた。
「そこで提案だ。あの二人が来た時、私がサンクトゥスの相手をする。そうすれば、負担は減るだろう」
「なーあるほど。愛ゆえに邪魔者を殺したいわけですね」
 アネモイは咄嗟に言葉を紡げなかった。一度、深く呼吸をして首を振った。
「何を……言っている」
「おや、正解ですか。まあ、トカゲが誰を愛そうが知った事ではありませんが、面白い」
「貴様に、誰かを愛する気持ちが分かるものか」
 アネモイの出した大声を意に介さず、代弁者は肩を上下させて笑った。
「分かりますよ。ただの狂人と思っているようですが、人間のあらゆる感情を経験し、素晴らしき教えに出会えた末路がこの代弁者なのですよ。ええ、そうです。ターマさんも言ってやってください。え? すでに言った。ありがとうございます」
 カッと頭に血が上ったアネモイが、食って掛かろうとした時、代弁者は口を挟む。
「そのご提案、お受けいたしましょう」
「あ、な、そ、そうか。……では、ここで待たせてもらおう」
 アネモイは、代弁者から離れると、四隅の一角を再び陣取る。疲れたように吐息を吐き、壁に背を預け、目を瞑る。あまりにも絶妙なタイミングで口を挟まれたものだから、怒る気力を失ったのだ。
 チラリと、アネモイは気の抜けた心を充電するかのように、ニコロに視線を投げかけた。
「グゥウウウウ、ガウ」
(あれが、あの軽口を叩いていた男か。随分と副作用が強い薬のようだな)
 ニコロは、鎖を引きちぎろうともがいている。血が流れ、肉が削れようと気にも留めない。
「フフフ、良い調子ですよ。薬が切れたら、また差し上げますからね」
 代弁者はニコロの頭を愛おしそうに撫で、部屋の外に向けて歩いた。彼が歩くごとに音が反響し、ニコロの雄叫びと不出来なジャズを奏でる。
(下手な鼻歌)
 一流の音楽家気取りのつもりなのだろうか? 代弁者は鼻歌で、不協和音に更なる雑音を加える。
 腰を振り、手でリズムを作り、入り口に近づいて行く。そのまま部屋を出るかと思いきや、代弁者は急激に体の向きをアネモイに向けた。
「ああ、そうそう。言い忘れてました。彼らが本当にここへ訪れ、一戦交えるというならば、立場を忘れ助け合いましょう。でも、戦いが終われば、アハ」
 アネモイは頷く。――続きの言葉は言わずとも、分かっている。
「安心しろ。殺してやる」
「それを聞いて安心しました。仲間と勘違いして腑抜けたトカゲを狩っても、つまらないですからね」
 濃厚な殺気と無邪気な笑み。
 不釣り合いな感情が入り混じる混沌。
 アネモイは、代弁者と名乗る男の狂気の底が見えた気がした。
 代弁者は、上半身を振りながら、外へ出る。その背中を見つめながら、アネモイは
「仲間? どこをどう間違えばそう思える」
 と唾を吐くように呟いた。
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