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第5話 第二章 商魂祭前日①
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翌朝、黒羽は起きてすぐに、緑色の鍵を取り出した。昨日、荷物を詰めた大型バックパックを森へ忘れてきたことを思い出したからだ。
(ひとまず戻るか。また、来るかどうかはその時決めればいい)
鍵を空中に指すと、地下室にあった両開きのドアが――サイズは随分と小さい――出現する。開けて、一歩足を踏み込んだ。その時、
「黒羽さん、起きてますか? 朝食がそろそろできますよ……」
部屋に入ってきたレアと目が合う。しばしの沈黙、後にレアが口火を切る。
「ご、ごめんなさい。ノックしたけど返事がなかったから……。す、素敵なドアですね。それ」
頭を抱えた黒羽は、腹をくくって説明することにした。
「つまり、黒羽さんは異世界人なんですね」
「まあね。あのさ、異世界人ってこと誰にも言わないでね。この物件を譲ってくれた人にも、信用している人以外に言うなって言われてるし」
「信用している人以外? じゃあ私、結構信用されてるんですね」
仕方なくだ、という言葉を黒羽は心の中だけにとどめておいた。
現在、彼らは異世界トゥルーではなく、沖縄県琉花町の海辺にいる。
「気持ちいいですね。私、ずっとフラデンで過ごしていたので、海って見たことがなかったんです」
「そうなんだ、海はいいぞ。広々としていて、いくら眺めても飽きない」
黒羽は、己の言葉を表現するように大きく背伸びした。レアはその動きを真似て笑うと、空を指差した。
「あの鳥は何ていうんですか?」
「あれは……ハハハ」
彼女が指が指し示したのは鳥ではなく、雲一つない青空を線を引き駆け抜ける飛行機だ。
「飛行機っていう乗り物だよ。人が乗って馬車みたいに操縦するのさ」
「へえー、空を飛べるんですか。かなり魔力を使いそうですね」
「魔力はいらない。というか、この世界の人々は魔法を使えない。だから、科学っていう学問を発展させて、特別な力なしで生活を豊かにする術を身につけたんだ」
口も目も大きく開き、レアは固まった。
「ええ! そんな馬鹿な。あり得るんですか」
詰め寄るレアに、黒羽はポケットからマッチ箱を取り出した。
「これを見て。この箱の中に入ってる棒を、こうやってこするとさ」
火が灯る。黒羽は怪訝そうな顔をするレアに、箱を押しつけた。
「同じようにやってみて。魔法を一切使わないで、ただ箱の側面に棒を当ててこするんだ」
言われるがままマッチ棒をこする。当然、火がつく。ただ、それだけのことだが、彼女にとっては当然ではない。
「ひ、火が付いた。私、魔法を使ってないのに」
驚く彼女に代わってマッチを消してやると、黒羽は笑った。微笑ましかっただけではなく、合点がいったからだ。
(ああ、何を恐れていたんだ俺は。魔法が怖いと俺が感じるように、トゥルーの人だって俺達の常識はビックリすることなんだ)
「同じ心を持った人だ。魔法を使えるからってそれは変わらない」
レアに聞こえないように小声で呟く黒羽。言葉にすると単純で、心の中にあった魔法に対する不安と恐怖は、紅茶に水を足していくように薄まっていった。
「戻ろうか。朝食、もうできてるんじゃないか」
「あ、そうでした。お母さんに見つかる前に戻りましょうか。また、連れてきてくださいね」
波の音が鳴り響く海岸を背に、二人は歩いた。潮の匂いが混ざる風は、彼らを後押しをするように、そっと吹いた。
※
「おはようございます。エメさん」
黒羽が元気よく挨拶すると、エメは穏やかな声で返してくれた。
「おはようございます。朝食はもうテーブルに準備してありますよ。今日は調子良さそうですね。昨日はよほどお疲れだったのでしょう」
笑みでそれを受けると、黒羽はさっそく席へと座った。周りのテーブルは、すでに食べ終えた人が多いようで、コップを傾けつつ談笑している姿が目立つ。
「黒羽さん。お母さんの料理は絶品ですから、じっくり味わってくださいね。私は奥の厨房で皿洗いをしていますから、用があったら呼んでください」
レアが立ち去るのを見送ってから、黒羽は目の前の料理を注視する。
木製の皿には、赤い煮込み料理がもうもうと湯気を立てながら収まっている。鼻をひくつかせると、肉の匂いと酸味のある香りがした。
「エメさん、これは何ていう料理なんですか?」
「ポッルのトマト煮ですよ。トマト、ポッル、フラデン芋を煮て、レッシュフラワー、塩、胡椒で味つけしたものです」
トゥルーにも、こちらの世界――黒羽の住む世界――に共通する食材があることに黒羽は驚いた。だが、それ以上に黒羽の感心を引いたのは、未知なる食材の方だ。経営者の卵は、ニヤリと笑った。
「いただきます」
スプーンで肉をすくい、口へ運ぶ。煮詰めたトマトの酸味と胡椒の刺激を感じながら、肉を噛む。
(おお、おお。めちゃくちゃうめえ)
肉は柔らかく、噛めば噛むほど繊維にまでしみ込んだ旨みが溢れ出る。
――ああ、駄目だ。にやけてしまう。
黒羽は他人に見せられないほど、顔が緩んでいるのを自覚した。
(構うもんかよ)
早々に顔のゆるみを正すのを諦め、赤いスープに浮かぶ黄色い塊に目を留める。スプーンでその塊をつつくと、子気味よい音を鳴らして割れた。中は……見眼麗しいオレンジ色の芋が入っていた。
「それがフラデン芋ですよ。ここでしか食べられない芋でして、薄く衣をつけて揚げています」
「特産品ってヤツですね」
「そうです。他の芋に比べると少し値が張るんですが、それでも買う方は多いんですよ」
なるほど、と頷き黒羽は芋を口に放り込んだ。噛むとパリパリッと音が鳴り、じゅわりと甘みが染み出る。その甘みが、トマトの酸味と調和し、口の中はごきげんだ。
「これは良い! 凄く美味しいですね。サツマイモに少し似ているかな。うん……それにしても、この料理すごく清涼感がありますね。もしや、レッシュフラワーが関係しているのでは」
ニコリと微笑んだエメは、指を鳴らした。
「鋭い。お察しの通り、レッシュフラワーを入れると、お料理がさっぱりとするんです。フフフ、流石に飲食店を経営しようとしているだけありますね」
黒羽は首を傾げた。
「アレ? その話しましたっけ?」
「娘から聞いたんですよ。フラデンは珍しい食材が沢山ありますから、仕入れ先に選んだのは正解だと思いますよ。あ、そうだ」
彼女は大声でレアを呼んだ。
「何、お母さん」
「黒羽さんが食べ終えたら、南通りを案内してあげて。特に、美味しい食材を扱っているお店を重点的にね」
気が利く女性である。流石、宿を経営しているだけあると、黒羽は感心した。だが、黒羽とは異なり、レアは頬を膨らませて不満を露わにした。
「もう、そうなこと言って本当の狙いは買い物を頼むつもりでしょう。また、私が行くの」
「お願いよレアちゃん。お小遣いあげるから」
「フーンだ。……わ……いつもより多い」
エメの手に乗るお金を極力見ないようにするレア。しかし、自身の欲望にあっさりと負けてしまったようだ。硬貨をその手に握りしめると、
「いってきます」
「はーい。いってらっしゃい」
ハートマークな声で娘を見送るエメに、苦笑しながらも黒羽は立ち上がった。
「もう食べたんですか?」
「ああ、凄く美味かった。エメさん、ご馳走様でした。さあ、レア行こう」
黒羽はレアと共に外へ出た。
(ひとまず戻るか。また、来るかどうかはその時決めればいい)
鍵を空中に指すと、地下室にあった両開きのドアが――サイズは随分と小さい――出現する。開けて、一歩足を踏み込んだ。その時、
「黒羽さん、起きてますか? 朝食がそろそろできますよ……」
部屋に入ってきたレアと目が合う。しばしの沈黙、後にレアが口火を切る。
「ご、ごめんなさい。ノックしたけど返事がなかったから……。す、素敵なドアですね。それ」
頭を抱えた黒羽は、腹をくくって説明することにした。
「つまり、黒羽さんは異世界人なんですね」
「まあね。あのさ、異世界人ってこと誰にも言わないでね。この物件を譲ってくれた人にも、信用している人以外に言うなって言われてるし」
「信用している人以外? じゃあ私、結構信用されてるんですね」
仕方なくだ、という言葉を黒羽は心の中だけにとどめておいた。
現在、彼らは異世界トゥルーではなく、沖縄県琉花町の海辺にいる。
「気持ちいいですね。私、ずっとフラデンで過ごしていたので、海って見たことがなかったんです」
「そうなんだ、海はいいぞ。広々としていて、いくら眺めても飽きない」
黒羽は、己の言葉を表現するように大きく背伸びした。レアはその動きを真似て笑うと、空を指差した。
「あの鳥は何ていうんですか?」
「あれは……ハハハ」
彼女が指が指し示したのは鳥ではなく、雲一つない青空を線を引き駆け抜ける飛行機だ。
「飛行機っていう乗り物だよ。人が乗って馬車みたいに操縦するのさ」
「へえー、空を飛べるんですか。かなり魔力を使いそうですね」
「魔力はいらない。というか、この世界の人々は魔法を使えない。だから、科学っていう学問を発展させて、特別な力なしで生活を豊かにする術を身につけたんだ」
口も目も大きく開き、レアは固まった。
「ええ! そんな馬鹿な。あり得るんですか」
詰め寄るレアに、黒羽はポケットからマッチ箱を取り出した。
「これを見て。この箱の中に入ってる棒を、こうやってこするとさ」
火が灯る。黒羽は怪訝そうな顔をするレアに、箱を押しつけた。
「同じようにやってみて。魔法を一切使わないで、ただ箱の側面に棒を当ててこするんだ」
言われるがままマッチ棒をこする。当然、火がつく。ただ、それだけのことだが、彼女にとっては当然ではない。
「ひ、火が付いた。私、魔法を使ってないのに」
驚く彼女に代わってマッチを消してやると、黒羽は笑った。微笑ましかっただけではなく、合点がいったからだ。
(ああ、何を恐れていたんだ俺は。魔法が怖いと俺が感じるように、トゥルーの人だって俺達の常識はビックリすることなんだ)
「同じ心を持った人だ。魔法を使えるからってそれは変わらない」
レアに聞こえないように小声で呟く黒羽。言葉にすると単純で、心の中にあった魔法に対する不安と恐怖は、紅茶に水を足していくように薄まっていった。
「戻ろうか。朝食、もうできてるんじゃないか」
「あ、そうでした。お母さんに見つかる前に戻りましょうか。また、連れてきてくださいね」
波の音が鳴り響く海岸を背に、二人は歩いた。潮の匂いが混ざる風は、彼らを後押しをするように、そっと吹いた。
※
「おはようございます。エメさん」
黒羽が元気よく挨拶すると、エメは穏やかな声で返してくれた。
「おはようございます。朝食はもうテーブルに準備してありますよ。今日は調子良さそうですね。昨日はよほどお疲れだったのでしょう」
笑みでそれを受けると、黒羽はさっそく席へと座った。周りのテーブルは、すでに食べ終えた人が多いようで、コップを傾けつつ談笑している姿が目立つ。
「黒羽さん。お母さんの料理は絶品ですから、じっくり味わってくださいね。私は奥の厨房で皿洗いをしていますから、用があったら呼んでください」
レアが立ち去るのを見送ってから、黒羽は目の前の料理を注視する。
木製の皿には、赤い煮込み料理がもうもうと湯気を立てながら収まっている。鼻をひくつかせると、肉の匂いと酸味のある香りがした。
「エメさん、これは何ていう料理なんですか?」
「ポッルのトマト煮ですよ。トマト、ポッル、フラデン芋を煮て、レッシュフラワー、塩、胡椒で味つけしたものです」
トゥルーにも、こちらの世界――黒羽の住む世界――に共通する食材があることに黒羽は驚いた。だが、それ以上に黒羽の感心を引いたのは、未知なる食材の方だ。経営者の卵は、ニヤリと笑った。
「いただきます」
スプーンで肉をすくい、口へ運ぶ。煮詰めたトマトの酸味と胡椒の刺激を感じながら、肉を噛む。
(おお、おお。めちゃくちゃうめえ)
肉は柔らかく、噛めば噛むほど繊維にまでしみ込んだ旨みが溢れ出る。
――ああ、駄目だ。にやけてしまう。
黒羽は他人に見せられないほど、顔が緩んでいるのを自覚した。
(構うもんかよ)
早々に顔のゆるみを正すのを諦め、赤いスープに浮かぶ黄色い塊に目を留める。スプーンでその塊をつつくと、子気味よい音を鳴らして割れた。中は……見眼麗しいオレンジ色の芋が入っていた。
「それがフラデン芋ですよ。ここでしか食べられない芋でして、薄く衣をつけて揚げています」
「特産品ってヤツですね」
「そうです。他の芋に比べると少し値が張るんですが、それでも買う方は多いんですよ」
なるほど、と頷き黒羽は芋を口に放り込んだ。噛むとパリパリッと音が鳴り、じゅわりと甘みが染み出る。その甘みが、トマトの酸味と調和し、口の中はごきげんだ。
「これは良い! 凄く美味しいですね。サツマイモに少し似ているかな。うん……それにしても、この料理すごく清涼感がありますね。もしや、レッシュフラワーが関係しているのでは」
ニコリと微笑んだエメは、指を鳴らした。
「鋭い。お察しの通り、レッシュフラワーを入れると、お料理がさっぱりとするんです。フフフ、流石に飲食店を経営しようとしているだけありますね」
黒羽は首を傾げた。
「アレ? その話しましたっけ?」
「娘から聞いたんですよ。フラデンは珍しい食材が沢山ありますから、仕入れ先に選んだのは正解だと思いますよ。あ、そうだ」
彼女は大声でレアを呼んだ。
「何、お母さん」
「黒羽さんが食べ終えたら、南通りを案内してあげて。特に、美味しい食材を扱っているお店を重点的にね」
気が利く女性である。流石、宿を経営しているだけあると、黒羽は感心した。だが、黒羽とは異なり、レアは頬を膨らませて不満を露わにした。
「もう、そうなこと言って本当の狙いは買い物を頼むつもりでしょう。また、私が行くの」
「お願いよレアちゃん。お小遣いあげるから」
「フーンだ。……わ……いつもより多い」
エメの手に乗るお金を極力見ないようにするレア。しかし、自身の欲望にあっさりと負けてしまったようだ。硬貨をその手に握りしめると、
「いってきます」
「はーい。いってらっしゃい」
ハートマークな声で娘を見送るエメに、苦笑しながらも黒羽は立ち上がった。
「もう食べたんですか?」
「ああ、凄く美味かった。エメさん、ご馳走様でした。さあ、レア行こう」
黒羽はレアと共に外へ出た。
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