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33.あなたは私じゃないんだもん
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「あなた、傘は持ってるの?」
一階の受付の前を通ったとき、病院の事務員さんから声を掛けられた。
「寒いと思うわよ。風邪引かないでね。はい、これ」
事務員さんが渡してくれたのは、一本の傘だった。
病院を出て傘を開く。大人用の大きな傘で、私の体もすっぽりと収まる。濡れる心配は無さそうだ。
月渚の代わりである、この大切な体が濡れなくて済む。
「……あれ?」
雨の中、私は立ち止まった。
バスが前を通り過ぎる。乗る予定だったはずのバスだ。無人のバス停を素通りして走って行ってしまった。
でも、そんなことはどうでもよかった。私は、ある事実に気付いた。
私が壊れても困る人はいない。
だって、本物の月渚が目を覚ましたのだから。偽物の私は用無しだ。
傘の柄をぎゅっと握る。アンドロイドだから寒さは感じないはずなのに、手が震えている。
月渚みたいに、ごはんを食べてみたかった。
月渚みたいに、すいすい泳いでみたかった。
でも、そんな日は来ない。絶対に。
だって私は、人間じゃないんだから。
お母さんやお父さんの手作りの料理を食べることも、水に浸かることもできない。
月渚のように恋をすることだって、できない。
私は傘を閉じた。雨粒が私の頭と肩を濡らしていく。もちろん頬も。
(泣くって、こういう感じなのかな)
傘を差さずに、歩いて家まで帰った。
辺りが暗くなっていく。空には厚い雲がかかっているし、そろそろ日も傾く。
やっと家についた。鍵を開けて、玄関のドアを開く。ドアを開けると、自動で電気が点くようになっている。
それなのに、視界は暗いままだった。私は玄関に倒れ込んだ。
充電はまだ十分にあるはずなのに、ピピピとアラームが鳴っている。
*
病院で目を覚ました月渚の回復ぶりは、すさまじかった。
会話もできるようになったし、食事も少しずつ口からとれるようになった。
寝ている間に筋力が減ってしまって、まだ歩いたり走ったりすることはできない。でも、車椅子に乗って明後日の卒業式には参加できることになった。
一方、私はというと、リビングの隣の和室に布団を敷いて、充電しながらそこでずっと寝ている。
月渚が目を覚ました日、雨でずぶ濡れになった私の体は、上手く動かなくなってしまった。少し動いただけで、くたくたに疲れてしまう。
私を直すための部品が届くまで、かなり時間がかかるらしい。
学校には、「小暮月渚はまた体調が優れなくて家で休んでいる」と伝えてある。
「よーし、卒業式に向けて頑張るぞーっ!」
今日も月渚は張り切って出かけていく。病院でリハビリを受けるためだ。
彼女は弱音なんて少しも吐かない。小暮月渚は明るい子だったと聞かされていたけれど、本当に元気いっぱいだった。
「学校、行きたいな……」
一人ぼっちの家の中で呟いた。
*
月渚が病院から帰って来たのは夕方だった。
空子さんの手作りのプリンを食べ終わって、私のところに来る。そして隣にごろんと寝転がった。
知らない人たちが私たちを見たら、仲の良い一卵性の双子だと思うだろう。
「ルナ、学校の話聞かせて!」
病院で寝ている間、小学校でなにがあったか。その話を月渚にしてあげるのが私の日課となっていた。
友達との他愛のない会話の内容も、臨海学校でのできごとも教えてあげた。
だって、知らなかったら友だちと話をする時に辻褄が合わなくなる。
それでは月渚がかわいそう。
「……ごめんね」
私が謝ると、月渚は首を傾げた。
「なんで謝るの?」
「私、あなたみたいに明るく振舞えなかった。友達にも言われちゃった。前と雰囲気が違うって……」
月渚に文句を言われるかなと覚悟したけれど、彼女はにこっと笑ってみせた。
「しかたないよ」
月渚は私の頭を優しく撫でる。
「あなたは私じゃないんだもん」
「……」
「びっくりしたよ。いつの間にか寝てて、やっと起きて家に帰ってきたら私とそっくりなアンドロイドがいるんだもん! でも、中身は全然違うね!」
何気ない月渚の言葉に、胸のあたりがちくりと痛む。体のパーツ同士がぶつかり合っているような感覚だ。
「私の居場所を守ってくれて、ありがとね」
月渚はもう一度微笑むと、目を閉じて寝てしまった。リハビリを頑張ってきたから、疲れたらしい。
私はゆっくりと起き上がり、手を伸ばして毛布をつかんだ。
洗濯物のかごを持ってリビングに戻ってきた空子さんと目が合った。
「必要無いわよ。家の中は暖かいんだから」
それだけ言って、空子さんはふいっと目をそらしてしまう。
「ごめんなさい」
空子さんはラグの上に座って洗濯物を畳み始めたかと思うとまた立ち上がり、薄いブランケットを持って和室に来た。
「これならちょうどいいと思う。掛けてあげて」
空子さんは無表情でブランケットを渡してくる。受け取って、月渚のお腹に掛けてあげた。
「ありがとう」と、空子さんが言った気がした。
でもとても小さい声だった。聞き間違いだったかもしれない。
一階の受付の前を通ったとき、病院の事務員さんから声を掛けられた。
「寒いと思うわよ。風邪引かないでね。はい、これ」
事務員さんが渡してくれたのは、一本の傘だった。
病院を出て傘を開く。大人用の大きな傘で、私の体もすっぽりと収まる。濡れる心配は無さそうだ。
月渚の代わりである、この大切な体が濡れなくて済む。
「……あれ?」
雨の中、私は立ち止まった。
バスが前を通り過ぎる。乗る予定だったはずのバスだ。無人のバス停を素通りして走って行ってしまった。
でも、そんなことはどうでもよかった。私は、ある事実に気付いた。
私が壊れても困る人はいない。
だって、本物の月渚が目を覚ましたのだから。偽物の私は用無しだ。
傘の柄をぎゅっと握る。アンドロイドだから寒さは感じないはずなのに、手が震えている。
月渚みたいに、ごはんを食べてみたかった。
月渚みたいに、すいすい泳いでみたかった。
でも、そんな日は来ない。絶対に。
だって私は、人間じゃないんだから。
お母さんやお父さんの手作りの料理を食べることも、水に浸かることもできない。
月渚のように恋をすることだって、できない。
私は傘を閉じた。雨粒が私の頭と肩を濡らしていく。もちろん頬も。
(泣くって、こういう感じなのかな)
傘を差さずに、歩いて家まで帰った。
辺りが暗くなっていく。空には厚い雲がかかっているし、そろそろ日も傾く。
やっと家についた。鍵を開けて、玄関のドアを開く。ドアを開けると、自動で電気が点くようになっている。
それなのに、視界は暗いままだった。私は玄関に倒れ込んだ。
充電はまだ十分にあるはずなのに、ピピピとアラームが鳴っている。
*
病院で目を覚ました月渚の回復ぶりは、すさまじかった。
会話もできるようになったし、食事も少しずつ口からとれるようになった。
寝ている間に筋力が減ってしまって、まだ歩いたり走ったりすることはできない。でも、車椅子に乗って明後日の卒業式には参加できることになった。
一方、私はというと、リビングの隣の和室に布団を敷いて、充電しながらそこでずっと寝ている。
月渚が目を覚ました日、雨でずぶ濡れになった私の体は、上手く動かなくなってしまった。少し動いただけで、くたくたに疲れてしまう。
私を直すための部品が届くまで、かなり時間がかかるらしい。
学校には、「小暮月渚はまた体調が優れなくて家で休んでいる」と伝えてある。
「よーし、卒業式に向けて頑張るぞーっ!」
今日も月渚は張り切って出かけていく。病院でリハビリを受けるためだ。
彼女は弱音なんて少しも吐かない。小暮月渚は明るい子だったと聞かされていたけれど、本当に元気いっぱいだった。
「学校、行きたいな……」
一人ぼっちの家の中で呟いた。
*
月渚が病院から帰って来たのは夕方だった。
空子さんの手作りのプリンを食べ終わって、私のところに来る。そして隣にごろんと寝転がった。
知らない人たちが私たちを見たら、仲の良い一卵性の双子だと思うだろう。
「ルナ、学校の話聞かせて!」
病院で寝ている間、小学校でなにがあったか。その話を月渚にしてあげるのが私の日課となっていた。
友達との他愛のない会話の内容も、臨海学校でのできごとも教えてあげた。
だって、知らなかったら友だちと話をする時に辻褄が合わなくなる。
それでは月渚がかわいそう。
「……ごめんね」
私が謝ると、月渚は首を傾げた。
「なんで謝るの?」
「私、あなたみたいに明るく振舞えなかった。友達にも言われちゃった。前と雰囲気が違うって……」
月渚に文句を言われるかなと覚悟したけれど、彼女はにこっと笑ってみせた。
「しかたないよ」
月渚は私の頭を優しく撫でる。
「あなたは私じゃないんだもん」
「……」
「びっくりしたよ。いつの間にか寝てて、やっと起きて家に帰ってきたら私とそっくりなアンドロイドがいるんだもん! でも、中身は全然違うね!」
何気ない月渚の言葉に、胸のあたりがちくりと痛む。体のパーツ同士がぶつかり合っているような感覚だ。
「私の居場所を守ってくれて、ありがとね」
月渚はもう一度微笑むと、目を閉じて寝てしまった。リハビリを頑張ってきたから、疲れたらしい。
私はゆっくりと起き上がり、手を伸ばして毛布をつかんだ。
洗濯物のかごを持ってリビングに戻ってきた空子さんと目が合った。
「必要無いわよ。家の中は暖かいんだから」
それだけ言って、空子さんはふいっと目をそらしてしまう。
「ごめんなさい」
空子さんはラグの上に座って洗濯物を畳み始めたかと思うとまた立ち上がり、薄いブランケットを持って和室に来た。
「これならちょうどいいと思う。掛けてあげて」
空子さんは無表情でブランケットを渡してくる。受け取って、月渚のお腹に掛けてあげた。
「ありがとう」と、空子さんが言った気がした。
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