萬事処あやし亭

霞花怜

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第23話 伊作の懺悔

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 近江屋佐平治が与右衛門をはじめ甚八と伊作に村の再建の話を秘密裏に持ち込んで以降、しばらくは何の接触もなかった。

「あれから急に砂金泥棒も姿を消しただろう」
「そうだったな。だから俺たちは里山の普請を進める話を詰めていたよな」

 伊作は頷き、話を続ける。

「あれだけ荒れちまったら歩くこともままならねぇ。手入れのされない山は死んじまう。だが、村人だけじゃぁ人足も足りないと思った。だから口入屋に仕事を出しに行ったんだ」

 それは与右衛門も承知の上だったという。

「確かにそんな話を、庄屋さんから聞いたな」

 記憶を辿るように甚八が、くりっと目を泳がせた。

「その時だ、近江屋に偶然出くわしたのは」

 歩き慣れない江戸の往来を行く伊作に声を掛けてきた近江屋佐平次は、伊作の事情を聞くと何とも気の毒そうな顔をした。

「それは難儀でございましょう。口入屋から人足を雇えば金も掛かる。そういう事でしたら私共の方から人手をお貸し致します。なに、友人である与右衛門さんの村のことだ。とても他人事とは思えませんからねぇ」

 正直なところ、数年前の飢饉のせいで村の懐は寒い。
 人足が足りないのも、飢饉の時の流行病で多くの村人が死んでしまったせいもある。佐平次の申し出は芽吹村にとって願ったり叶ったりである。
 伊作は一度、与右衛門に相談に戻ると言ったが、佐平次はそれを止めた。

「その必要はないでしょう。聡明な伊作さんの判断ならきっと与右衛門さんも賛成なさる。事後報告でも問題はないでしょう」

 それでも納得できずに戻ろうとする伊作に、佐平次は囁いた。

「それにね、大仰な作業をしなくても里山を普請する法もあるのです。これなら人手もそう掛かりません。この間の非礼をお詫びする機会を私に与えて頂くことはできませんか」

 ここまで言われてしまうと伊作も戻るに戻れない。
 何より人手の掛からない大仰でない普請法に興味が湧いた。
 一先ず話を聞くだけならばと、佐平次に付いていくことにした。

「あれが全部、間違いだったんだ」

 苦渋の顔で目を伏す伊作を、甚八はじっと見つめて、次の言葉を待った。

 佐平次に案内されたのは、近江屋の敷地の奥、こじんまりと隠すように建てられている離れだった。
 人気の全くないその部屋に一人、通される。

(変わった匂いだな)

 香でも焚いているのか、特殊なその香りに少し頭がくらりとして、伊作の中にじんわりと小さな不安が滲んだ。
 間を開けずに佐平次が一人の対談方を連れて戻って来た。

「今思えば、あの時からおかしかったんだ。頭もぼんやりしていたし、佐平次の声も一緒にいた対談方の顔も、よく覚えていない」

 甚八は難しい顔をして、伊作の話を聞き続ける。
 特殊な香に包まれた狭い部屋の中で、高価な菓子と茶を前に、佐平次の話が始まった。

「里山の普請ですが、まずは歩けるまでに戻すため下刈りをしなければいけませんね」
「そう、です」

 ふわりふわりと心地の良い気分が伊作の中に広がっていく。
 伊作は思考を繋ぎとめようと茶を含み、佐平次の話に集中しようとした。
 しかし、茶を飲めば飲むほど思考は鈍り、体がぐらりと揺れる。
 すると、共にいた対談方の男が伊作の体を支え、耳元で囁いた。

「旦那様がこれからおっしゃることを実行すれば、里山も村も綺麗に整備されます。伊作殿にしかできぬことです。頼めますか?」

 ぼんやりとした頭の中に、その言葉はやけに鮮明に入ってくる。

「それは、勿論」

 伊作は男に体を預けたまま、頷いた。
 対談方の男が佐平次に向かい、頷く。佐平次は伊作に寄り添い、同じように耳元で囁いた。

「里山の一部に火を放ってください」

 はっきりと聞こえた声が、とんでもないことを言っている。
 そう思うのに、逆らう気になれない。伊作の最後の理性が、何とか言葉を反復した。

「火を、放る?」

 眉間に寄る皺に気付いた対談方が、伊作に茶を勧める。
 やけに乾く喉に抗えず勧められるままにそれを啜ると、伊作の中の疑念や不安がすっと消えていった。

「野火付け、のようなものです。どこでもするでしょう。不要なものを焼いて、残った部分を普請すれば手間も人足も省けるでしょう。その手伝いをしていただきたいのです」
「そういう事なら」

 確かに、野火付けは昔からある普請法だ。
 だが、延焼を引き起こすため幕府が禁令を出している。
 それに今の状態の里山にそんな真似をしたら野火付けどころではきっと収まらない。大火事になり里山を丸ごと焼いてしまいかねない。
 それ程に、森の中は荒れ果てているのだ。
 普段の伊作なら、その程度のことは容易に判断できる。
 しかし、この時はとても良案のように感じ、そう思い込んだ。

「場所は里山の北側二ヵ所。私どもの対談方が支持します。上手くいくようにまじないも掛けましょう。札と森の護り神に捧げる供物を共に焼くのです。それで村と里山は守られます」

 佐平次の言葉に、こくりこくりと頷き返す。
 村と里山が今より住み良くなるのなら、何でもしようと思った。

「それでは早速、参りましょう。巌、頼んだよ」

 巌は頷いて、伊作の体を持ち上げ立たせた。

「さぁ、こちらへ」

 他の音は何も聞こえない伊作の耳に、巌の声はやけに良く響く。
 伊作は言われるがまま、歩き出した。

「意識がはっきりした時には、目の前で里山が燃えていた。何故こんなことになったのか、その時はわからなかった。だが、確かにあれは俺がやった。指示通りに供物を土に埋めて燃やし、木に札を貼って、大きな松明を二つ、違う場所に放り込んだ。それはちゃんと覚えているんだ」

 伊作の苦悶の声が響く。頭を抱えて小刻みに肩を震わせる伊作の前で、甚八は只々黙ってそれを聞いていた。

「火の勢いがどんどん強くなって、このままじゃ村にまで飛び火すると思った。早く村に報せねぇとって、半鐘を鳴らしに行った」
「あの半鐘は、お前ぇだったのか」

 通常より早く短い間隔で鳴らされた半鐘。
 あれがあったから、村人は早急に非難でき、死人は出なかった。

「あの火事は、俺のせいだ」
「それだけじゃ……!」

 ばっと顔を上げた甚八に、伊作が見開いた目を向ける。
 甚八は思わず声を飲み込んだ。

「佐平次が最初に庄屋さんの所に来た時、本当は、俺は、村が良くなるなら里山を少し削るのも悪いことじゃないと思った。あの場では否定したが、そんな風に考えていた。だから、こんなことに手を染めちまったんだ」
「伊作……」

 何も言えず、甚八は悔しそうに、ぎりっと歯軋りする。

「森塚の参りに行っていた松が、俺の姿を見付けて追いかけてきたらしい。とても尋常じゃぁない顔をして歩く俺を見て恐ろしくなって、六を小川の方に置いて俺を追ったと言っていた。俺は、それにすら全く気が付かずに、松にこんな酷ぇ火傷まで負わせちまった。六も今どこにいるかわからねぇ、生きているのかも」

 伊作が、後ろで臥床する松に目を向ける。
 全身に酷い火傷を負っている松は、眠ったままもう何日も目を覚まさない。

「こんなことに、なっちまうなんて……」

 頭を抱える伊作と項垂れる甚八の前で、一葉が場違いな程、明るい声で言った。

「六なら俺たちの所に居るよ」

 ばっと振り返った二人に、双実が補足する。

「四、五歳くらいの人の童女を預かっているわよ。怪我一つなく、ちゃんと生きてるわ」
「本当か!」

 小さくしていた体を崩し、身を乗り出す伊作に、二人はこくりと頷いた。

「六、そうか、六。ありがとう、ありがとう……」

 崩れた体が畳に突っ伏し、伊作は嗚咽混じりに泣いた。
 その姿を、歯を食いしばり怒りを隠せない顔で甚八が見詰めている。
 零は、静かに隣に座っている睦樹をちらりと覗いた。
 こちらもまた、甚八と同じような顔で葛藤している様子である。
 ふぅ、と息を吐いて、零は睦樹の頭を乱暴に撫でると、甚八と伊作に向かい声を掛けた。

「まぁ、これで真相がはっきりしたな。甚八さん、あんたの依頼は、これで仕舞ぇだ」
「ああ、そう、だな」

 俯いて歯切れの悪い返事をする甚八に、零は間を開けず続ける。

「だが俺としちゃぁ不思議でねぇ。伊作さん、あんた何で出るとこに出なかった? こんな風に誰にも相談せず逃げ回る理由が何か、あったかね?死罪はやっぱり、怖かったかぇ?」

 江戸において火付けは如何なる理由があろうと一度で死罪。
 唆されたとはいえ、それを免れるのは難しいだろう。
 伊作は姿勢を直し、その場に座り直した。

「実は、何度も火盗改めに出向いた。だが門前払いで、相手にしちゃもらえなかった」
「そりゃつまり、佐平次が手を回していたってことかよ」

 甚八の怒る声に、伊作は戸惑いながら「そうかもしれない」と呟いた。

「伊作に事実を話されちゃぁ、手前ぇらもお縄になっちまうもんな。いくらでも金をばら撒いていそうだぜ。何が慈善の佐平次だ、反吐が出らぁ」

 行き場のない怒りを吐き捨てるように甚八が畳を殴る。
 その拳を伊作に向けた。頬を思い切り殴られた伊作はその場に倒れ込み、呆気に取られて甚八を見上げた。

「伊作よ、お前ぇが何で俺に相談しなかったのか、よくわかる。わかっちゃいるけどな、俺ぁ、俺を頼りにしなかった手前ぇに怒ってるぜ。相談しやがれよ、俺をもっと頼りにしてくれよ」

 崩れるように座り込み、ぼろぼろ零れる涙を腕で乱暴に拭う甚八に、伊作は済まなそうに頭を下げた。

「面倒に巻き込むわけにゃ、いかねぇと思った。俺がいなけりゃ村は与右衛門さんとお前にしか仕切れねぇ。しかも只でさえ村の一大事って時だ、だから」
「んなこた、わかってら!」

 涙を拭いながら怒鳴る甚八に、伊作はもう一度、礼をした。

「すまなかった、甚八」
「もう、謝るんじゃねぇ!」

 肩を抱き合って泣きあう二人に、声を張る人物がいた。

「申し訳ありませんでした!」

 額を畳に擦りつける勢いで頭を下げているのは、惣治郎だ。

「そういえば、いたわね。あんな子」

 双実のぼそりとした呟きに誰も何も言えない程、存在感を消していた惣治郎が、二人に向かい頭を下げたまま言葉を続けた。

「二代目がそのような悪事を働いていたこと、同じ屋根の下で共に商いをしていながら全く気が付けなかった私の未熟な眼、それがこれ程の惨事を起こしていた事実を知らずにあの人を尊敬していた自分を恥ずかしく思います。村の人々にも、甚八さんと伊作さんにも、何と謝罪すればよいか。これは近江屋の罪、私も同様に責を負うべき者です。本当に申し訳ございません」

 肩を小刻みに震わせて懸命に発する言葉は、真摯な心を含んで聞こえて、伊作と甚八は顔を見合わせた。

「惣治郎さん、頭を上げてくだせぇよ」

 甚八が促しても惣治郎は首を振り、決して頭を上げない。

「このような卑劣な所業を知って、お二人にお向けできる顔などありません」

 困った風に頭を掻いて、甚八はぼそぼそと言った。

「全く無関係とも思わねぇが、惣治郎さん。あんた新しい村の社に俺が文句付けた時、もう一度ちゃんと考え直すって言ってくれただろ。俺ぁ、あれが嬉しかったんだよ」

 同じ姿勢のまま、惣治郎は目を開いた。

「正直、佐平次は村の開拓がしたくて堪らねぇって俺には見えていたが、あんたは違う気がしてた。それに、あれからだろ?蔵の辺りの事を調べてくれるようになったのは」

 少しだけ顔を上げて、惣治郎は頷いた。

「社の場所は、村の皆様が祀っていた森塚の辺りでした。しかしその奥こそが神域。その場所に近江屋の蔵を建てることに違和感がありました。何故そこまであの場所に拘るのか疑問が湧き、調べるうちに、私の中にも彼に対する疑念が膨らんでいったのです」
「あすこは確か小川の源流で、湧き水の出る岩石にゃぁ豊潤な金がこれでもかってくらい含有されているんだったよなぁ」

 顎をさすりながらわざとらしく会話に割って入った零が、睦樹に目をやる。
 睦樹はこくりと頷いて、惣治郎たちに視線を向けた。

「それが、佐平次の真の狙い……」
「金山を独占する為に、あの場所に蔵を建てたがっていたのですね」
「そんな事の為に、火付けして里山を失くすなんて酷ぇ真似を」

 三人が口々に思いを吐露し、そしてそれぞれに表情を硬くする。
 言葉を失くした三人はそれぞれに難しい顔をして押し黙ってしまった。
 暫くして、思案顔を最初に上げたのは伊作だった。

「事がここまで至ってしまった今では、もう里山を作り直すことはできない。佐平次の悪事に腹を立てるばかりでは、村はこのまま奴の好きなようにされてしまう。ならせめて俺たちの手で、金色川だけでも守ることは、できないだろうか」

 その意見に、甚八が力強く賛成する。

「小川の源流が残っているんなら、できるんじゃねぇか。あとは村の作り方次第だ」

 惣治郎に目を向けた。

「蔵については、まだ基礎すらできていません。場所の確保のみです。これからなら、どうにかできるかもしれません」
「三人で考えてみようぜ。金色川の源流を残して、里山は無理でも、あすこにまた緑と神様を取り戻すんだ、俺たちの手で」

 甚八が惣治郎に手を差し出す。躊躇いながらも手を伸ばした惣治郎の手を甚八が半ば強引に掴んだ。

「いや、俺はもう一度火盗改めに出向こう。このまま何事もなかったような気で、のうのうと村で暮らすことは、できないからな」

 伊作の言葉に甚八が大袈裟な程に振り返ったその時、零がいつもの怠そうな声で、またもや割って入った。

「丸く収まってるとこ悪ぃがなぁ、あの火事は伊作さんのせいじゃぁねぇぜ」

 三人が、これまた大袈裟な程に驚いた顔で、零を振り返った。

「さっきは意地の悪ぃ言い方をして悪かったが、あんたのせいじゃぁねぇ。あの里山には、あんたらが大事にしている神様がいるだろ。高々松明の一つや二つで山を灰にしちまう程、弱っちぃ神様でもねぇのよ。なぁ、睦樹」

 ぽん、と小さな頭に手を乗せる。
 睦樹は、こくりと頷いた。
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