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第16話 紫苑の予感
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一葉、双実、睦樹の三人が伊作探しに動き出した頃、紫苑は六を連れて開拓途中の芽吹村を訪れていた。
睦樹が六の傍に居られない間の子守を頼まれていたので、六の気晴らしと親探しを兼ねて、新しい村に散歩に来てみたわけである。
(そんなこと、頼まなくても誰かがやるのにねぇ)
睦樹の真面目な性質を思い、くすりと笑う。
眼前に広がる平らな土地を見晴らした。
「随分と綺麗になったものねぇ」
瓦礫と化した家屋はすっかり片付けられ、焦土だった地面は土を入れ替えて家を建てるには十分な土地に生まれ変わっていた。
田畑を作るにはまた土を育てなければならないだろうが、元の村人が戻ってくればすぐにでも生活が出来るまでには完成していた。
紫苑の手を握る六が、空を見上げる。
護りの森、睦樹たち鳥天狗の里山があった場所であった。
抜けるような青空を遮る低い山はもうない。真っ平らな更地は、村の延長として繋がっていた。
まるで昔からそこに里山など無く、村の一部であったかのように。
「神様のおうち、もうないね」
ぽそりとそう言って、六は紫苑の手をぎゅっと握る。
「そうね」
小さく返事して、紫苑は六の手を握り返した。
「それじゃあ意味がねぇ!」
突然、遠くから男の怒号が聞こえて、振り返る。
「甚八さんたら、やっぱり喧嘩しちゃうのねぇ」
紫苑はその光景を眺めて困ったように笑った。
あやし亭を訪れた後、甚八は零ともう一つの約束を交わしていた。
「新しい村に帰ること」だ。帰る資格がない、と思い悩む甚八に零が言った一言。
『あんたが戻らなけりゃ、伊作は出てきずれぇだろうよ』
その言葉が甚八に、新しい村に戻る決意をさせた。
だが甚八は、どうにも血の気が多く、思ったことをすぐに口に出してしまう性分らしい。
「良い人、なんだけれどねぇ」
紫苑は六の手を引いて、数人の男たちが口論する群がりに向かい歩き出した。
と、六が立ちどまったまま動かない。見下ろすと、幼い顔には明らかに不安の色が浮かんでいた。
「大丈夫よぉ、お姉さんが守ってあげるから」
六の目線まで屈んでにこりと微笑む。
すると六は、ふるふると首を横に振り、震える指で群がりを指さした。
「あそこに、森に火を付けた人がいる」
紫苑は目を丸くして六の指さす先を凝視する。
口論する男たちの群がりは、甚八をはじめとする元の村人たちと、近江屋佐平次の抱える対談方数名だ。
真新しい朱塗りの小さな社を前に怒鳴りあっている内容は、
『護りの森の代わりとしてこの社を建て祀る』という近江屋側に村人たちが真っ向から反対している、といった様子である。
「こんな小せぇ社を申し訳程度に作って終いたぁ、どういう了見だ!」
怒号を上げる甚八を、対談方数名がどっしりと迎え撃っている構図だ。
その後ろに佐平次の姿はなく、代わりに先代の息子の惣治郎があった。
対談方の男たちはまるで惣治郎を守る壁のようになって、村人に向かい合っていた。
紫苑が、六に向き直った。
「六ちゃんは火事の日、お母ちゃんと森塚にお参りに行ったのよね?」
「うちがお参りの当番だったの。明るいうちに森に入ったのに、暗くなっても出られなかったの」
火事があった日、六が何故あの場所にいたのかについては、既に確認していた。
芽吹村の住人たちは持ち回りで森塚を参ることが昔からの日課であった。
尤も森が荒れてしまってからは怖がって参拝の当番をこなさない住人も多かったようだ。
だが、六の家族は当番の日になると参拝を欠かさなかったという。
あの日も母親と参拝を終えて村に帰ろうとしたら、何故か森から出られなくなった。道を探してくるから動かないように、と言い残した母親が戻ってくることはなく、真っ暗な森の中で六は一人で待っていた。
すると突然大きな松明を持った数名の男たちが現れ、襲われそうになったところを、睦樹に助けられたのだ。
対談方の男たちを凝視して気配を感じ分け、気を探る。
この時点で大凡の予測はついた。
(零の読み通り、人の都合だけでは、なさそうねぇ)
心の中で溜息を吐きながら、紫苑は六と目線を並べて、群がりを指さした。
「ねぇ六ちゃん。森に火を付けたのは、あの中の誰?」
躊躇いながら上がった小さな指がさしたのは、紫苑の予感通り。
一番手前に仁王立ちする最も体格の良い対談方の男であった。
「腕組んで立ってるあの人。あとは、わからない」
真っ暗な森の中、松明の火が森を焼いたとしても、幼い童女が下手人の顔を覚えていることは稀だろう。
六がその顔を覚えているのは、その男に火の中に放り込まれそうになったからだ。 殺されるかもしれない恐ろしさが六の心に男の顔を擦り込んだのだ。他に数名いたであろう男の顔を覚えていないのは無理のないことである。
この小さな童にとってそれがどれほどの恐怖であったかなど、語るべくもない。
紫苑は手を伸ばし、六の小さな体を抱き締めた。
「怖いこと、思い出させてごめんねぇ、六ちゃん」
六は何も言わずに紫苑の着物をきゅっと握る。小さく震える六を抱いたまま立ち上がり、未だに口論が止まない群がりを眺める。
六が指さした男の気配をしっかりと感じ取り、その気を覚える。
甚八たち村人と対談方が対峙する後ろで、一人黙っている惣治郎の思案顔をしっかりと目に焼き付けると、紫苑は立ち去った。
睦樹が六の傍に居られない間の子守を頼まれていたので、六の気晴らしと親探しを兼ねて、新しい村に散歩に来てみたわけである。
(そんなこと、頼まなくても誰かがやるのにねぇ)
睦樹の真面目な性質を思い、くすりと笑う。
眼前に広がる平らな土地を見晴らした。
「随分と綺麗になったものねぇ」
瓦礫と化した家屋はすっかり片付けられ、焦土だった地面は土を入れ替えて家を建てるには十分な土地に生まれ変わっていた。
田畑を作るにはまた土を育てなければならないだろうが、元の村人が戻ってくればすぐにでも生活が出来るまでには完成していた。
紫苑の手を握る六が、空を見上げる。
護りの森、睦樹たち鳥天狗の里山があった場所であった。
抜けるような青空を遮る低い山はもうない。真っ平らな更地は、村の延長として繋がっていた。
まるで昔からそこに里山など無く、村の一部であったかのように。
「神様のおうち、もうないね」
ぽそりとそう言って、六は紫苑の手をぎゅっと握る。
「そうね」
小さく返事して、紫苑は六の手を握り返した。
「それじゃあ意味がねぇ!」
突然、遠くから男の怒号が聞こえて、振り返る。
「甚八さんたら、やっぱり喧嘩しちゃうのねぇ」
紫苑はその光景を眺めて困ったように笑った。
あやし亭を訪れた後、甚八は零ともう一つの約束を交わしていた。
「新しい村に帰ること」だ。帰る資格がない、と思い悩む甚八に零が言った一言。
『あんたが戻らなけりゃ、伊作は出てきずれぇだろうよ』
その言葉が甚八に、新しい村に戻る決意をさせた。
だが甚八は、どうにも血の気が多く、思ったことをすぐに口に出してしまう性分らしい。
「良い人、なんだけれどねぇ」
紫苑は六の手を引いて、数人の男たちが口論する群がりに向かい歩き出した。
と、六が立ちどまったまま動かない。見下ろすと、幼い顔には明らかに不安の色が浮かんでいた。
「大丈夫よぉ、お姉さんが守ってあげるから」
六の目線まで屈んでにこりと微笑む。
すると六は、ふるふると首を横に振り、震える指で群がりを指さした。
「あそこに、森に火を付けた人がいる」
紫苑は目を丸くして六の指さす先を凝視する。
口論する男たちの群がりは、甚八をはじめとする元の村人たちと、近江屋佐平次の抱える対談方数名だ。
真新しい朱塗りの小さな社を前に怒鳴りあっている内容は、
『護りの森の代わりとしてこの社を建て祀る』という近江屋側に村人たちが真っ向から反対している、といった様子である。
「こんな小せぇ社を申し訳程度に作って終いたぁ、どういう了見だ!」
怒号を上げる甚八を、対談方数名がどっしりと迎え撃っている構図だ。
その後ろに佐平次の姿はなく、代わりに先代の息子の惣治郎があった。
対談方の男たちはまるで惣治郎を守る壁のようになって、村人に向かい合っていた。
紫苑が、六に向き直った。
「六ちゃんは火事の日、お母ちゃんと森塚にお参りに行ったのよね?」
「うちがお参りの当番だったの。明るいうちに森に入ったのに、暗くなっても出られなかったの」
火事があった日、六が何故あの場所にいたのかについては、既に確認していた。
芽吹村の住人たちは持ち回りで森塚を参ることが昔からの日課であった。
尤も森が荒れてしまってからは怖がって参拝の当番をこなさない住人も多かったようだ。
だが、六の家族は当番の日になると参拝を欠かさなかったという。
あの日も母親と参拝を終えて村に帰ろうとしたら、何故か森から出られなくなった。道を探してくるから動かないように、と言い残した母親が戻ってくることはなく、真っ暗な森の中で六は一人で待っていた。
すると突然大きな松明を持った数名の男たちが現れ、襲われそうになったところを、睦樹に助けられたのだ。
対談方の男たちを凝視して気配を感じ分け、気を探る。
この時点で大凡の予測はついた。
(零の読み通り、人の都合だけでは、なさそうねぇ)
心の中で溜息を吐きながら、紫苑は六と目線を並べて、群がりを指さした。
「ねぇ六ちゃん。森に火を付けたのは、あの中の誰?」
躊躇いながら上がった小さな指がさしたのは、紫苑の予感通り。
一番手前に仁王立ちする最も体格の良い対談方の男であった。
「腕組んで立ってるあの人。あとは、わからない」
真っ暗な森の中、松明の火が森を焼いたとしても、幼い童女が下手人の顔を覚えていることは稀だろう。
六がその顔を覚えているのは、その男に火の中に放り込まれそうになったからだ。 殺されるかもしれない恐ろしさが六の心に男の顔を擦り込んだのだ。他に数名いたであろう男の顔を覚えていないのは無理のないことである。
この小さな童にとってそれがどれほどの恐怖であったかなど、語るべくもない。
紫苑は手を伸ばし、六の小さな体を抱き締めた。
「怖いこと、思い出させてごめんねぇ、六ちゃん」
六は何も言わずに紫苑の着物をきゅっと握る。小さく震える六を抱いたまま立ち上がり、未だに口論が止まない群がりを眺める。
六が指さした男の気配をしっかりと感じ取り、その気を覚える。
甚八たち村人と対談方が対峙する後ろで、一人黙っている惣治郎の思案顔をしっかりと目に焼き付けると、紫苑は立ち去った。
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