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第三章 瑞穂国の神々

50.口説き上手

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 書庫から何冊かの本を持って、紅優は部屋に戻った。
 寝ているだけでは暇だろうから、蒼愛と寝所で本でも読みながら漢字の勉強でもしようと思った。
 昨晩は蒼愛を離せなくて、かなり無理をさせてしまった。
 我ながら、やり過ぎたと反省している。

(蒼愛は俺が想像もしない言葉で俺を安心させてくれる。まるで俺の心が見えているみたいに)

 たった十五年しか生きていない人間が、千年以上を生きてきた妖狐を癒してくれる。
 とても不思議な感覚だ。

(初めて会った時から、そうだった。紙風船を飛ばしていた時、あの時の言葉で、俺は蒼愛に興味を持った)

 魂の美しさは会った瞬間に気が付いた。
 けれど、初見では理研から来る他の子供たちと大差なく見えた。
 興味を持ってからは、気になって仕方がなかった。
 少し捻くれていた言葉や態度は、話すたび、触れ合うたび、本来の素直な質が見えてきた。
 劣悪な環境で擦れた心を綺麗に磨いてみたくなった。

(どんどん綺麗になっていく魂に、どうしようもなく惹かれた。蒼愛は俺が求めていた理想の相手だったから)

 弱い心を許してくれる優しさと、紅優に喰われない霊力量を有した人間。
 本当は、ただそれだけで良かった。
 蒼玉で、色彩の宝石で、理の代弁者になり得る人間。蒼愛の価値はどんどん上がっていく。

(俺のせいでもある。神力を有し、色彩の宝石の代わりとして均衡を保つ妖狐の番。だからこそ、蒼愛の価値が上がってしまう。けど、俺はおまけみたいなものだ。蒼愛の価値は蒼愛自身が押し上げている)

 そのうちに、遠くへ行ってしまうのではないかと怖くなる。
 紅優の手が届かない場所に行ってしまうのではないかと、そういう存在になってしまうのではないかと。

(失いたくない。誰にも渡したくない。俺だけの蒼愛でいてほしいのに)

 まるで自分勝手な願いをどうすれば叶えられるのか、紅優はそればかり考えていた。
 憂いの息を吐きながら、紅優は部屋の扉を開けた。 
 室内の光景に動きが止まった。

「は……? なんで火産霊が寝てるの?」

 蒼愛に腕枕して、火産霊が同じ布団に寝ている。
 枕の上には、練習したのであろう神々の名前が書かれた紙が散らばっている。
 同じように枕元に数冊の本があった。

 眠る二人を観察する。
 着衣に乱れはないようだから、食事をしたわけではなさそうだ。
 体も繋げてはいないだろう。
 一先ずは、安堵した。

「ふふ……、うふふ。こうゆぅ、ふわふわ……、くすぐったぁい」

 蒼愛が寝言で笑っている。
 その顔に癒された。蒼愛は寝言でも可愛い。

「こうゆぅ……」

 自分の名を呟きながら、蒼愛が火産霊に腕を伸ばした。

「んー……蒼愛?」

 寝ぼけた顔の火産霊が蒼愛を抱きかかえる。
 思わず火産霊の体を掴んで押し退けた。

「蒼愛! 俺はこっち! それは俺じゃないから!」

 間に割って入って蒼愛を抱き寄せる。

「ふぇ? こうゆぅ?」

 思いっきり寝ぼけた蒼愛が紅優を見上げた。

(ああ、もう。寝ぼけてる顔も可愛い。今すぐ喰いたい)

 とはいえ、昨晩、食い潰したばかりなので、流石に喰う訳にはいかない。
 引き寄せた蒼愛が自分から紅優に抱き付いた。

「紅優、あのね、火産霊様が漢字を教えてくれたんだよ。神様の名前、書けるようになったよ。神話を読んでね、大気津様のお話を聞いたよ。楽しかったんだ」

 抱き付いて来た蒼愛を抱えて、紅優は思わず動きを止めた。

「え? 大気津様の話を?」

 火産霊を振り返る。
 目を覚ました火産霊が大欠伸をしながら起き上がった。

「あーぁ、蒼愛と一緒に寝ちまったか。昼寝も、たまにぁいいもんだなぁ」
「火産霊、蒼愛に大気津様の話をしたの?」

 大きく伸びをする火産霊に、鋭い目を向けた。

「あぁ、話したぜ。創世記を読んでりゃ、出てくんだろ。ま、この記述が本当か嘘かってところまでは、話してねぇけどな。あくまで本を読んだだけだ」

 紅優は『瑞穂国創世記』の表紙を、じっと見詰めた。

「淤加美と月詠見は、蒼愛に探し物を見付けさせてぇんだろ。だったら必要な情報だ」
「そうだけど。何も蒼愛が見付けなくても」

 力ない声の紅優を、火産霊が横目に眺めた。

「抗うのは無駄だぜ。蒼愛は色彩の宝石、理の代弁者。神々がそう認識している以上、役割からは逃げられねぇ。神話が予言のように告げた人間が、本当に現れちまったんだ。受け入れるしかねぇだろうぜ」

 火産霊の言葉は正しい。
 それは、この国で多少なりと神に関わる役割を果たす紅優だからこそ、理解できる。
 宝石の人間を見極め育てるのも、色彩の宝石を見つけ出すのも、均衡を保つ紅優の役割だ。

「神話の中では、色彩の宝石を作る人間が理の代弁者と書かれているだけだよ」

 我ながら、子供っぽい言い分だと思った。

「淤加美と月詠見が期待をかけるにぁ、充分だ。蒼愛には、実現できちまいそうなポテンシャルもある。俺ですら、ひょっとしてと思うんだ。アイツ等が放っておくわけがねぇ。わかんだろ」

 火産霊の言葉は的を射ていて、何も言い返せない。

「わかってる。俺が嫌なだけだよ。蒼愛を取られるのが嫌だ。失いたくない。怖いんだよ」

 神だろうと理だろうと、蒼愛を持っていかれるのが、怖くて堪らない。
 火産霊が、紅優の背中に自分の背中を預けて凭れ掛かった。

「俺もわかってるよ、紅優の気持ちはなぁ。だから、安心しろ。俺がちゃぁんと守ってやる。紅優と蒼愛が離れねぇでいられるように。それも、色彩の宝石を守る神の務めだろ。お前らは二人で一つの番なんだからな」

 後ろから聞こえた声に、紅優は蒼愛を抱きしめた。

「……うん、ありがと、火産霊」

 背中で火産霊が息を吐いた気配がした。

「紅優……? どうしたの?」

 寝ぼけて話した後、また眠ってしまった蒼愛が目を擦っている。目を覚ましたらしい。
 見上げた蒼愛が紅優に手を伸ばした。

「泣かないで。僕がぎゅってするから。悲しい時は手を繋ぐって、約束したでしょ」

 紅優の手を握って、蒼愛が紅優に抱き付く。

「泣かないよ。蒼愛がいれば、悲しくないから」

 握ってくれた手を握り返して、紅優は微笑んだ。

「ふふ、紅優、温かいね。大好き」

 蒼愛が紅優の頬に口付ける。
 まだ半分くらい寝ぼけているのかもしれない。
 蒼愛から紅優に照れずに甘えてくるのは、珍しい。

「大好きって、前より言えるようになったね、蒼愛」

 最初は『好き』がどんな感情かも、わかっていなかったのに。

「僕ね、分かったんだよ。好きって、とっても大切で離れたくない相手に言う言葉だって。自然とぎゅってしたくなるのは、紅優だけだよ」

 蒼愛が紅優の首に腕を回して抱き付いた。
 何にも代えがたい温もりが、紅優に触れる。

「蒼愛……、愛してる」

 堪らなくて、紅優は蒼愛を抱き返した。
 ぐぅ、と締まりのない音が蒼愛の腹から響いた。

「あ……、ごめん、お腹すいちゃったみたい」

 腕を解いて、蒼愛が紅優を眺める。
 その顔を見ていたら、おかしくて紅優は吹き出した。

「締まらねぇなぁ、蒼愛。折角いい話していたってぇのに。よし、飯にするか」

 蒼愛の頭を一撫でして、火産霊が先に部屋を出ていった。

「俺たちも、行こうか」

 立ち上がった紅優の着物の裾を、蒼愛が引いた。

「あのね、紅優。火産霊様と神話の本をちょっとだけ読んだんだ。でもちょっとだけだから、後で一緒に続きを読んでほしいんだ」

 蒼愛の申し出に、表情が曇ったのが、自分でもわかった。

「紅優と一緒に読みたいんだ。これから僕たちが何をするべきなのかとか、しなきゃいけないのかとか、ちゃんと知りたい。その為に、この神話は読んだ方がいいって、思うんだ」
「蒼愛……」

 蒼愛の覚悟が、紅優には痛い。

(やっぱり蒼愛は淤加美様や月詠見様が期待をかけるような存在なんだろう。自分から運命に飛び込んでいく度胸も覚悟も持ち合わせてる)

 蒼愛が紅優の手を握った。

「紅優と一緒の幸せを見付けるために、瑞穂国を安全で良い国にしたい。僕ら二人の役割だよね」

 蒼愛がにこりと笑いかけた。
 その顔に、紅優は息を飲んだ。

「二人の……、そっか。そうだね」

 均衡を保つのは、紅優の役割だった。
 しかし今は、蒼愛と紅優、二人の役割だ。

「紅優のいない世界でなんか、僕は生きられないから。どこにも行かないでね。僕の隣に居てね」

 蒼愛が紅優の頬に口付ける。
 同じ気持ちの同じ言葉が蒼愛から飛び出して、紅優はやっと安心できた。

(いつの間に俺はこんなに弱くなったんだろう。いつの間に蒼愛はこんなに強くなったんだろう)

 嬉しくて悲しくて、ちょっと切ない。

「また口説き上手になったね、蒼愛」

 同じように頬に口付けを返す。
 蒼愛が嬉しそうに笑んだ。

「口説くって、よくわからないけど、紅優が喜んでくれるなら上手になるよ」

 相変わらず成長の度合いがデコボコで、妙に幼かったり大人びたりしている。
 そのアンバランスさが、余計に可愛いのだが。

「上手になっちゃ、ダメ。他の人まで口説いたら、俺は国を壊しちゃうよ」

 蒼愛の唇を食んで、笑う。

「他の人を口説いたりしないよ。国がなくなっちゃったら、紅優と暮らせる場所がなくなっちゃう」

 蒼愛が紅優の唇を食み返す。
 少し前までたどたどしかった仕草は、随分と慣れてやけに色っぽい。

「やっぱり蒼愛は、俺が欲しい言葉ばかり言うようになったね」
「ふぁ、んぅ……」

 唇を押し当てて、舌を強く吸い上げる。
 これ以上、可愛い口説き文句を言われたら、空腹の蒼愛を押し倒したくなる。
 霊力を吸わないように気を付けて、愛を確かめるだけの深いキスをした。



『瑞穂国創世記より抜粋。
 失われた色彩の宝石は、いずれ人の形をして現れる。瑞穂国のために、理の代弁者が総てを暴き導く』
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