香りの鳥籠 Ωの香水

天埜鳩愛

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番外編 ヒート休暇のお店番 7

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 いよいよ祭り当日。

 ランはいつになくキリッとした表情でアスター香水店の店舗前の出店ブースに立っていた。

 アスター香水店のメインの人気商品はやはりオメガの香水だ。季節によってラインナップを変えているが定番のソフィアリの紫の小瓶、隣国の王妃の玉虫色の小瓶などは随時おいてある。
 瓶もラベルも手作りの非常に凝った逸品揃いでやはり中央からの観光客向けの高価な価格帯になっている。
 店のショーウインドウは若い恋人たちに頬を染め目を輝かせながら眺める甘いひとときを供給してはいるが、街の若い娘たちには憧れられつつも手が出ないのが現状だ。

 しかしこの街を愛するメルトと、若い人にも香水の良さを知ってほしいというランの願いからメテオと三人で相談し考え出したのは小さな小さなガラスの瓶のネックレスに少しだけ好きな香水をいれて販売するスタイルの考案だった。

 このガラス小瓶のペンダントは小さいので本当は高価でとてもとても技術がいるわけだが、色や大きさがまちまちなものを祭り限りの売り切りの数だけでという約束で日頃香水瓶の発注をしている工房の若手作家の力を借りて作ってもらった。少しお小遣いを貯めれば若者にも買える価格にし、将来の顧客を獲得するための宣伝費と考えて赤字覚悟で数を絞ってだしている。

 その他にはさらにお手頃なアロマ石鹸の工房のカービング技術を使って作った型をもとに、青く染めた石膏をいれて作った海の女神の像をもした大きめのペンダントを作ってもらった。こちらは今日だけ香るように香水をふりかけて縁起物にする。出店には海の女神の縁起物として様々な商品がお披露目されているが、アスターの店ではこれを売り物にすることにしたのだ。

 こちらもランのアイディアでメルトはその発想をいたく気にいっていた。

 今日はランの他にメテオの代わりに母にも出店を手伝ってもらい、父は特別な客のために店舗内にいる。兄が不在でかつ、自分も手掛けた商品を売るとあり、なんだか少し膝に震えが来る心地のランだった。

 昼の少し前から開店したがいきなりかなりの量のお客さんに出店の前は囲まれてしまった。

 大きな声を出し慣れぬランがもたもたしてお客さんを上手くさばき切れずにいたら、様子を見に来たリアムが大きな声を張り上げてテキパキと整理を始めてくれた。

「ここからこういうふうに並んでください! 順番に声をかけさせてもらいます!」

 頼もしいリアムの様子に助けようかと店舗の中から見ていたメルトは微笑んでそのまま若者たちを見守る。

「ありがとう。リアム」

 心の底から感謝して深々と頭を下げたランの髪を年上らしい仕草でくしゃりと撫ぜると、リアムは坂の少し上にある自分の店舗へ戻っていった。

 大勢にいっぺんに対応しようとするととても難しい。
 だけど並んでもらって母と二人ずつ応対して切り盛りしていったら商品はみるみる減っていった。
 前によくお店の前でみかけたの若いカップルが二人で来てくれて、萌葱色の色ガラスの小瓶にお目当ての玉虫色の小瓶の香水を選んだ。

 二人はとても幸せそうで、彼女の方は細い指先で首から下げたペンダントを弄びながら歩き、それを見つめる彼氏の方もとても満足げだった。
 仲睦まじい人を見るにつけ、何となく脳裏には兄の優しい笑顔が浮かび、ランは少しだけ落ち着かないような、胸がきゅんとするような心地を味わった。

 誰かのことを思い出すことでこんなに甘美で切ない気持ちになったのは初めてだったのだ。

 昼をまわり父に代わってもらって店舗の住居スペースで軽食をとりすぐに持ち場に戻ると、父が鮮やかな手付きで商品を売りさばいていた。
 まるで市場にたまにくる名うての香具師のようだ。堂々たる香水の口上を聴くだけでみな顔を輝かせて父を見上げている。
 自分もこんなふうに物語のあるお店の香水たちをたくさん人に届けていけたら。兄と一緒にこの店で……

「父さま、代わります」

 もちろん半人前だがいまこの出店を任されているのはランだ。
 父はランを見るとその背に大きな手を回して抱えるようにして自分の前に立たせた。

「よかった。ラン、戻ったね。こちらのお客さんの接客をしておくれ」

 列の隣で控えるように立っていたのはすらりとした色の白いとても美しい男性だった。

 ランがメルトに気を取られて気が付かなかっただけで出店の最前列から少し外れてたっていたようだ。
 列に並ぶ他の人々は父と母とがにこやかに応対をはじめる。

 改めて任された客にお待たせしましたと頭を下げてからランは相手を見上げた。

 ひと目で中央の人なのだろうなあと思う洗練された服装だ。パリッとした深い紺色のトラウザーズ。旅人の中にはこの街より涼しい中央の気候そのままの服装できて汗だくになっている人もいるがこの人は違う。淡いブルーの風通しの良さそうな麻のシャツを品よく組み合わせている。こちらの気候を熟知していてかつ、中央の流行の形の服を着ていた。
 長いダークブロンドの髪をモーブの彩紐でくくり、すらりと背筋の伸びた麗しい佇まいは周りの人々の中では明らかに浮いている。その堂々たる立ち姿はソフィアリのようなしなやかな強さも色香も併せ持っていた。

 絶対に父の賓客だと思うのに、メルトが彼を連れて店舗に戻らないのを不審に思いつつも客を待たせてはいけないと判断し声をかけた。

「あの、香水瓶にはいったシリーズは…… 店舗の方にしかなくて、こちらはお土産のようなものしかなくて…… 大丈夫ですか?」

 彼は優しく微笑んで頷く。あ、この人の目の色キラキラした朱色のトマトみたい。とランはさっき食べた好物の冷やしトマトを思い出していた。

「香水のシリーズは中央でも購入することができるから…… ここには旅の思い出の品を買いに来ました。よかったら君が選んでくれないかな?」

 何故か躊躇いがちに聞こえた問にランは任された事への気持ちの高まりから少し声を上擦らせる。

「えっ? 僕で良いんですか?」

「是非」

 真っ白なテーブルクロスを引かれた台上には石膏でできた海の女神。キラキラした粉も練り込まれ少し青が強く出てしまったが芳しい匂いも立ち上っている。
 香水瓶のペンダントは硝子の職人さん手作りで特製の傾斜のかかった木の台に、青いビロードをひき、その上に丁寧に一つ一つ置いてある。全部は並べきれていないし欠品した色があるなと素早く見渡すランだ。

「この石膏の女神像は祭りの思い出には最適だと思うのですが、どなたに差し上げるかお教えいただけますか?」

 彼は長いまつげを反返らせ、美しい大きな大きな瞳を見開くと、形良い唇に指を押し当てた。

「そうだね…… 子どものために」

 彼の若さから言ってまだ小さなレディーに差し上げるのかもしれない。

「どんなお子様なのですか? 好きな色は?」

 微笑を浮かべた口元のまま、瞳を伏せて思案する。

「好きな色は、わからないけど。雰囲気に似合いそうなのは花のような色かな。愛らしい感じがいい」

 それは難しい。ひとえに花と言ってもいろいろな色がある。
 しかし今見本で出している黄色や白、水色ではないということなのか。

 まだ出していなければたしかストックのところに少し大きめだから弾いてしまっていたが、とても美しいオレンジがかったピンクのガラス瓶があった。

 ランの好きな暖かな色なので、誰も買わなかったら自分のお小遣いで買わせてもらおうと父に頼もうと思っていたものだ。
 国を旅した硝子工房のお兄さんは「ここよりさらに南方の蓮の花のような色」といっていた。
 思い入れのある瓶だがテーブルの下の籠から取り出した。

「あの、この瓶はいかがですか? 少し大きいんですが」

 彼は美麗な顔を綻ばせそれこそ花が咲いたようににっこりして肯定してくれた。
 ランは嬉しくなって続けて中に入れる香水も勧めてみることにした。

「この瓶に合う香水なのですが。通常はこの時期は置いていないもので、でも昔からの定番品で薔薇色の小瓶というのがございまして。
 始まりの香水とも呼ばれています。店主のメルト・アスターが初めて作ったオメガの香水です。あ…… ご存知でしたか?」 

 この店に男性で訪れる人はたいてい商談相手か妻子か恋人の連れ、もしくは本人が大変なメルトのファンだ。 

 それに気が付きランは急に恥ずかしくなって客を小うさぎのような目でじっと見つめ返す。彼は頷きつつも先を促すように優しく見守るような視線を送り返してきた。その眼差しに勇気をもらう。

「あの、この香水はすごく、すごく甘い香りで。薔薇に蜂蜜をかけられたようなとも評されて人々のこの好みが代わってあまり人気が出なかった時期もあったんです。
 でも父…… メルトが甘い香りが好まれるのは世間が落ち着いてきた象徴でもあるからそのうちまたこの香水をつけて着飾る人々も増えるだろうって。それに少量の小瓶やこの石膏に着けるならばこのぐらいインパクトがあってもいいかなあって……」

 自分の言葉で語るにはランの経験は少なすぎて。言っているうちにまた小声になってしまう。でも優しい雰囲気の貴公子は大きく頷いてくれた。

「僕もこの小瓶にはこの香水が似合うと思う。僕にとってとても大切なものになりそうだよ」

 この優しいお客様の嬉しい一言にランはともに微笑み、喜びを分け与えて貰えた。

 お祭り期間は包装はしない。ペンダントの小瓶に香水を父に入れてもらい用意すると客の彼に手渡す。

 彼は小さなランの手毎、温かな手で包むように受け取ると過たず首から下げた。

 子どものためにと言っていたが少し大ぶりの小瓶は彼にも似合っていたようだ。蓮の花のピンクの小瓶は行くべき場所をランより先に見つけてようだ。彼の胸で幸せそうに輝いていた。

「君はこの店や街が好きかい?」

 ザワザワした街角で、彼の声はいやに耳にストンと落ちる。

「はい。この街もこの店も大好きです。もっと沢山香水の勉強もして、ずっとここで家族とお店を守りたいって。僕最近そのことばかり考えているんです」

 何故か家族にも言えなかった願望を初対面の人に、素直に話してしまった。

「サリエル」

 彼が声をかけると黒髪の男性が人混みをかき分けるようにこちらに向かってくる。その手には女神の象徴である青いリボンがあしらわれた大きめのブローチを持って現れた。

 真ん中には日の光に煌めく熟れた赤みの強いオレンジの果実のような色の大きな硝子ビーズが縫い付けられている。

「海の女神の恩恵が受けられる縁起物だそうだ。選んでくれたお礼に一つうけとってくれないか?」

「海の女神の恩恵」

 青いリボンで縁取られた掌に乗る素敵なロゼット風のブローチ。これは男性でも取り入れやすいデザインかもしれない。
 昨日ミレイ婆さんからもらったお小遣いを合わせたコツコツためたお小遣いを思い切ってつかってみるのだ。
 お祭りで何か兄へ女神の恩恵が受けられるような、お守りになるようなものを探してあげたいと思っていた。
 ランはこれをみてこれが絶対にこれがいいと閃いた。ちらっと父を見ると受け取っても良いと頷く。黒髪の男から小瓶の代金ごと受け取った。

「あ、ありがとうございます。失礼ですがこれって街の出店にいけば売っていますか?」

 すると急に彼は焦り、黒髪の男と目を合わせながら狼狽えたような声を出した。

「き、気に入らなかったかい?」

「えっ! あっ! そんな失礼なことは考えておりません! あんまり素敵だったから…… その…… 兄にも、プレゼントしたくて」

 頬を染めてもじもじとしたランの様子を見て男は少しだけ寂しげに見える微笑みを返した。

「海の市場の方で売っていたから探してみるといい。キドゥから出店している洋品店だそうだよ。この真ん中の硝子の色はたくさん選べて…… 僕はこれが良いかと思ったんだ」

「気にいられて手に入れたものですのに…… 僕が頂いても良いんですか? この色あなたの瞳の色にも少し似てる」

 日の光を閉じ込めたかのような。煌めく視線が絡み合う。

「そうだねこれは……」

「兄さん!」

『君の瞳の色にもね』

 彼のつぶやきは店に中央の一行を連れてやってきた兄を人混みに見つけたランの満面の笑みを浮かべた大声にかき消された。

 黒髪の男はその一行を見つけると、彼の主に目配せをし退出を促した。

 中央の貴公子は後ろ髪を引かれつつもランの姿を目に焼き付けるようにぎゅっと目を瞑り、足早に店の前から姿を消したのだった。

 ブローチとともに渡された紙幣が小瓶には、高額すぎると気づき、ランが慌てて追いかけようとするのをメルトが優しく制した。

 兄はランの顔を見ると日頃見ぬほどの大きく表情を崩し、嬉しげな笑みを浮かべた。しかし店に到着したメテオの腕には、小さな日傘をさす女性のなよやかな白い手が回されている。

 中央の仕立ての良いドレスで着飾った令嬢が兄と父とを交互に見上げながら頬を染めて片端に立っていたのだった。

 そのさまが目に触れた瞬間、未だかつて感じたことのないほどの胸の痛みにランは襲われた。

 初めて感じたこの気持ちは……
 これがきっと……

(みんなと一緒じゃ嫌、の好き)



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