香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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溺愛編

サンダの故郷2

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父のアガは他の兄弟たちが里を出て軍に入った時も一人里に残り続けた。里の中で仕事に就ける男はごく僅かであるから、その他のものは皆妻子を残して出稼ぎに出るのが伝統だった。耕す畑のない山間部、有事の際の兵役と薬草で税を支払ってきた土地柄、先の戦争の際も多くの男たちが軍で活躍していった。そのため里の外で働く男たちの大切な家族を守ることがドリの家の直系の長男に与えられた使命であるともいえ、父は祖父や、すぐ下の弟と共に里のものたちが心穏やかに生活できることに常に心を配っていた。

サンダ達兄弟が思春期に差し掛かったころはちょうど国も戦勝ムードが高まっていた時期でもあった。サンダが密かに願い、常々優しく理解のある母にだけは懇願していた中央で高等教育学校に上がることをついに父も認めてくれたのだ。もしからしたら里の世界を知らずに生きてきた自分を口には出さぬまでも他の兄弟の活躍する姿を見るにつけ引け目に感じていた部分があったのかもしれない。

ともあれサンダは中央で商売をしていた母方の一族を頼って弟のゲツトと共に就学のため里を出ることができた。
母方の一族が暮らす湖畔の街は中央の利便性と湖畔地域の風光明媚な美しさが合わさった、国の中でも一度は訪れてみたいと憧れるものが多いとても暮らしやすい場所だった。若いサンダは見るもの聞くもの全てが刺激的でのちに妻となった恋人も見つけ、中央での生活にすぐに夢中になった。共に中央に上京してきた弟のゲツトはさらに変化が顕著だった。アルファ判定を受けたのち、元々聡明だった彼は見る見るうちに頭角を現し、兄より早く飛び級で学校を卒業すると母方の親族と共に国内外を回ってフェル族の伝統工芸品を買い付けをする仕事について中央すら飛び出して行ってしまった。最初里を出ることに消極的だった大人しい弟を引っ張って中央にきたつもりが、思いがけず弟と袂を分かつことになり、サンダは非常に動揺した。このままでは自分だけが里に戻り、またあの単調な日々の中、古い因習の中で生活を繰り返すこと、広い世界を知ったのちにはそれはとても陰鬱な未来に感じたのだ。

学校を卒業したのちも祖父の家に居座り中々里に帰らぬまま数年たった。当然痺れを切らしたアガや里長である祖父から何度も一度里に戻る様に連絡が来たが無視し続けた。彼らの仲を心配した母の弟で身を寄せていた家の主である叔父のルミナがとりなしてくれて、嫌々里から一番近くの街まで連れ添われて宿にて話し合いをした。その折図らずもアガと大喧嘩となってしまったのだ。

一族の直系として務めを果たせと迫るアガに、サンダは今までの自分の思いをぶつけ、興奮のあまり言わなくてもよいような父の生き方を否定するようなことまで口から飛び出してしまった。

『父さんは里の外に出たことがないから、狭い世界しか知らないから、里での生活に耐えられただけだ。外の世界を知っていたのに、母さんは周りは父の親族ばかりで若い頃からたった一人で相談相手もいない気づまりな里での生活に耐えてきた。絶対に苦しかったに違いないし、里で暮らすより自由な中央で暮らしていた方が幸せだったかもしれない。その証拠に、旅の話をしてくれた時の母さんはいつも目が輝いて生き生きとしていた。俺は父さんとは違う。自分の恋人を里に連れ帰って閉じ込めようとは思わないし、離れて暮らそうなんて思わない。俺は里には戻りたくない。責任を果たせっていうけれど、俺は好き好んであんな里に生まれたわけじゃない。家族がバラバラに引き裂かれながら生活しなければならないような辺鄙な山里。あんな場所無くなってしまえばいいんだ」

そこからはお互い興奮してしまい、どんな風に罵り合ったのか覚えていないほどだが、サンダは朝早く中央に向けて帰り、アガも山里に戻っていった。

だが叔父は翌日になっても帰らず、サンダは自分の身の処し方の話し合いがアガや祖父と叔父の間で折り合いがつかずに揉めているではないかと気が気ではなかった。

しかし実際はそれどころではなかったのだ。
あの日、サンダが願った通り、生まれ故郷は人為的な雪崩によって真っ白な雪に塗り潰されてしまったのだ。

厳格な祖父母、父の一番の理解者だった叔父、家族思いで穏やかな叔母たち。まだ子供が生まれたばかりだった叔父の妻とその子。そのほかにも大勢の親族がこの雪崩で亡くなった。

一番末の妹と弟、そしてその子たちの面倒を見てくれていた叔母はちょうど里のはずれにある家に遊びに来ていて無事だったが、サンダは最愛の母も雪崩で亡くしてしまった。

あの日自分が吐いた呪いの言葉と激高した目がどこか哀しそうだった父の姿、そして事故後に訪れた何もかもが雪の中に消えてしまった山里の風景が今も脳裏に焼き付いて離れない。

その後いろいろな経緯を経て、サンダは結局母方の叔父やその親族たちと共に中央で商売をしている。
弟のゲツトはソート派を地で行く人生を送り、番と共に各地を転々としては買い付けた品物を送ってくるが、国に寄りつかない。
そう。ゲツトもどこかで里から出ていったこと、母や妹を救えなかったことが計り知れぬ傷となってそこから目を背けて生きているのかもしれない。

だから亡くなった叔父の忘れ形見であるカイが中央勤務の軍人に出世し、立派な若者に成長して中央のサンダの元を訪ねてきた時はどんな顔をして会ってよいのか分からなかった。
カイは美丈夫である叔父のラグを髣髴とさせる若者に成長していて中年になり最近生意気な息子の勢いにも手を焼くほどになっていたサンダには酷く目に眩しく感じた。カイは親し気にサンダに接し、これから中央で暮らしていく予定なので挨拶をしに来ただけだというが、その時末の妹や弟の話が飛び出したのだ。

彼等はちょうどサンダが中央に出てきたのちに生まれた子であるので実はほぼあったことがない。兄弟だという感覚が希薄だということもあり、薄情かもしれないがあまり心を留めたこともなかった。

帰り際、戦後憧れの的となっているアイスグレーの軍服姿が凛々しいカイは店の若い娘たちからも秋波を送られながらも涼し気な顔でサンダに告げた。

『もしかしたらヴィオとこちらで一緒に暮らすかもしれません。ヴィオがこちらの生活に慣れられるように、その時は色々と助けを借りるかもしれません』

思わせぶりな微笑みの意味を考えた時、思い当たるのは一つだった。


しかし今、その弟は緊張気味な面持ちでサンダの目の前に立っている。
絶世の、と表現するにふさわしいような麗しい美男を伴って。

サンダの元を訪れた彼は、長いこと思い出すことすら苦しく、敢えて記憶の隅に封じてきた母と瓜二つの美貌、父に似た美しい金の環が煌く瞳をもって真摯にサンダを見つめ返してきた。
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