織りなす楓の錦のままに

秋濃美月

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 15:37。
 萌子が、朝にサラームと別れた交差点に行くと、道路の邪魔にならない位置に、既にサラームの自動車が停められていた。
「ごめんなさい、待った?」
 萌子が小走りに車の方に駆け寄ると、サラームはすぐに自動でドアを開けて萌子を招き入れた。
「俺も、今来たところだ」
「そう? それならいいけど」
 萌子が車内の椅子に座り、背もたれに寄りかかったのを確認してから、サラームは自動車を静かに発進させた。
「家への道順、わかる?」
「ナビがあるからわかる。大丈夫だ」
「よかった」
 サラームが難なく最新型のカーナビを使いこなし、何の危なげもなく運転をするのを見て、萌子は何か聞きたそうな顔になった。

(かなりレベルの高い奴隷になるんだろうね。どこで覚えたんだろう?)
 だが、聞いても答えてもらえないかも知れない。
 そう思った萌子は、学生鞄の中からスマホを取り出した。

 今はまっているスマホのアプリのゲームをぽちぽちと始める。
 可愛い果物の落ちゲーで、萌子のクラスで流行しており、女子達は毎日のようにランキングの数字を競っていた。
 車内が静かだった事もあり、萌子は元々集中力はある方なので、たちまちゲームに夢中になってしまった。次々と落ちてくる果物をうまく組み合わせながら、上手に消していく。

「もう少し……もっと……ああああッ!」

 しかし、初歩的なミスで、萌子は連鎖の順番を間違えてしまった。
「あー、もう! あとちょっとで、七連鎖いけたのにぃ!」
 独り言でそう愚痴ってしまう萌子。

「スマホのゲームが好きなのか?」
 同じ車内にいるんだからどうしたってその様子はわかる。思わず、と言ったように、サラームが萌子に声をかけた。

「大好き! 燃える!」
 萌子は二つ返事でそう言った。
「……」
 バックミラーの中でサラームが考え込む表情になって黙ってしまった。
 もちろん、サラームは、スマホをどうやって自由に使える身分になるか、考えていたのだった。

「!」
 だが、萌子は違う方に受け取った。
(サラームってスマホもてない立場なんだよね……ゲーム見せびらかしたみたいに思われたかな?)
 そう思った萌子は、気を利かせたつもりでこう言った。

「このゲーム、初めての人でも出来るし面白いよ。あとでちょっと、一緒にやってみない?」

「いいのか?」
 サラームは驚いて、バックミラー越しに萌子を見た。
 萌子は、楽しそうに笑っている。
 気に入りのゲームを布教出来るのが嬉しいのだ。

「帰ったら、一緒にゲームしよう。ちょっとの間なら、お母さんも気にしないわよ」
「ネットを使ってもいいか?」
 サラームは素早くそう尋ねた。萌子は思わず目を瞬いた後、それほど気にはしなかった。前に、正子がいた頃、料理のレシピサイトなどを検索させてやったことがあるからだ。

「別にいいけど、変な単語で検索したりしないでよ? 後、検索するときは、私が見ている前でやることになってるけど」
「そんなことはしない。見ている決まりもわかる。そこは、頼む」

 家に帰宅した後、萌子は自分の部屋にサラームを呼び、実際に、落ちゲーをさせてみた。

 予測の範囲内だが、サラームは強かった。元からゲームを知っていた訳ではなさそうだが、ルールを説明すると、スイスイとスマホの画面を操作してゲームを進め、最初のうちは三連鎖が精一杯だったが、すぐに五連鎖を出せるようになった。
 それでも、萌子ほどは持ちこたえられず、初歩的なミスでゲームオーバーになってしまったが。

「スゴイ。初めてでここまでいい点数出せる人初めて見たよ! ゲームとか強い方なの?」
「……まあ、やったことがないわけではない」
「ゲーム強いんだねー。……って、あ。ネット使いたいんだっけ? はい、スマホ。その調子なら検索の仕方はわかるね?」

 サラームは、萌子からピンク色の乙女らしいカバーのついたスマホを受け取った。そして萌子と同じく、畳の上にじかに座りながら、案の定、スマホの検索機能を慣れた手つきで使いこなす。
「……」
 萌子はじっとその手を見守った。

 サラームが検索したのは、「大浦 家紋」の情報だった。
 すぐに検索がヒットし、楓をシンボルとした家紋がずらりと並び始める。

「何、大浦家の事を、調べたいの?」
「…………」
 サラームは困った顔で萌子を見ている。
「何よ。少しぐらい、教えてくれたっていいじゃない。せっかく、スマホ貸してあげてるのに」
 いつも通りのだんまりが始まりそうだったので、さすがに萌子はすねそうな口調でそう言った。
 すると、サラームは見るからに慌てた。

「俺が豊葦原に来る原因になったことなんだ」
 かなりぼかしながらサラームはそう説明した。

「!」
 萌子は即座に食いついた。それはずっと、気にしていた事なのだ。サラームが、豊葦原に来た理由。

「どうして豊葦原に来たの。聞いてもいい?」
「……大事な人の故郷なんだ。それでどうしても来たかったんだが、船が、途中で海賊船に襲われて、今のようになってしまった」

「!!」
 萌子は自分の予想以上の展開を耳にして、絶句した。しばらくは息も止まったほどだった。だが、現代の豊葦原ではないことではない。海賊はまだまだ、現役で活動している。それなら、わかる話ではある。

(それって、違法なやり方で人を奴隷にしたんじゃないの? でも、書類はきっちりしていた。どういうこと? もしかしたら偽造の書類? お父さんに相談した方が、いいかも)
 萌子はそんなことをぐるぐる考え始めた。
 奴隷虐待があったかもしれないような商人だったことも気になった。

「ねえ、サラーム。海賊のこと、お父さんに、相談しようか?」
「しなくていい」
 意外にも、サラームはあっさりとそう答えて、大浦家の情報をスマホでずっと追いかけている。

 萌子はそのことを疑問に思ったが、サラームが真剣に、大浦家の情報を追いかけているので、聞きそびれてしまった。
「父上の知り合いの大浦とは、どういう人なんだ」
 不意にサラームがそう尋ねた。
「……サラームの大事な人が大浦の関係者なの?」
 萌子は珍しく、真剣そのものの顔になりながらそう尋ねた。
「そうだ。大浦の関係者だ」

 萌子はしばらく考え込んだが、やがて言った。
「悪い事には絶対使わないでね。お父さんの知り合いなんだから。確か、大浦晴季おおうらはるすえ。晴れた季節って書いたはずよ。……お父さんの信用に関わるから、変な事には絶対しないでね」
 萌子はそう念を押した。

「……わかった。そうする」
 サラームは、重々しい声でそう言った。固唾を飲んでサラームを見守っていた萌子はほっとしたように深い息を吐いた。
 サラームが、大浦晴季の名前で検索をかけると、世界的なsnsがヒットした。すると、大体の概略がわかってしまう。サラームはそれらの情報をひとしきり追いかけ、重要なところはその場で暗記した。

「ありがとう。助かった」
 サラームはそう告げて、そっと丁寧な手つきでスマホを萌子に返した。
「もういいの?」
「ああ。ありがとう。ゲーム、楽しかった」

 それだけ言って、サラームは軽く会釈をして、萌子の部屋を出て行った。自分の部屋に帰るのだろう。あるいは、幸世の手伝いをするのかもしれない。
 萌子はスマホを片手に、自分の学習机の前の椅子に座り、ため息をついた。

「うーん?」
 やはりどうしても、サラームの事が気になってしまう。
(サラームが悪い訳じゃないんだろうけど、こっそり、お父さんに相談しておいた方がいいのかな……だけど、私の考えすぎだった場合、もしかしてサラームに恥をかかせることになっちゃうかもしれないし……。奴隷商人もサラームも、私やお母さんのこと笑えない勘違いして、サラームを売ったのよね……そんなのお父さんに言いづらいよ)
 萌子はまだまだ高校二年生の女の子である。父親の事は信頼しているが、言い出しづらいことは山ほどあった。



 翌日。
 萌子の授業中。
 サラームは、自動車を飛ばしていた。
 大浦晴季が私邸を構える上屋敷町の方へ。さすがに灯京でも中心部にあたり、車道はかなり混んでいた。

 カーナビを駆使しながら、何とか大浦私邸の近所の駐車場に車を入れる。料金は結構、高額だったが、そこは萌子の父兼久に感謝して、金を使うことにした。

 駐車場を出ると、瀟洒な建物と、ゴミ一つ落ちていない清潔な道路がずっと続いているようだ。それでも、電柱や信号などはあるわけで、サラームは電柱に張り出されている番地などの標識を頼りに、大浦邸に向かった。
 正午近い午前中の上屋敷町に、人通りは少なかった。皆、何をしているのだろうと思う。サラームは豊葦原の上流階級の人間達の生活ぶりの事は、そんなに詳しくはない。

(大浦……でいいのだろうか。母さんは、自分の出身の事を”津軽”と言っていたが……母さんの父さんの名前はツガルハルノブ……津軽晴信と書いたはずだ)
”晴”の字はあっている。それに、サラームは、古い家柄には一つの姓だけではなくいくつかの通り名や、隠し姓などがあることは知っていた。それに、母の年齢から逆算すると、大浦(津軽?)家が代替わりしている可能性もある。
 実際、サラームの姓である、アル=アウスにも、通称はある。アル=ハーリサなど、いくつか。
 それと同じ事が豊葦原にもあるかもしれない。

 そのことを調べたかったので、直接、大浦家まで出向いてのはいいが、周囲には人通り一つなく、とても静かだった。

 サラームは難なく大浦邸……わざわざ、門に大浦の表札と家紋を出していた……を見つける事は出来たが、周りに人気が全くないから聞きたい事も聞けない。かといって、懐刀と小夜香の思い出だけで名乗り出る事も不自然である。

「……」
 ほんの数分、サラームは門の前で立ち尽くした。結局、サラームは門の前から離れ、近くの電柱の影に行くと、持ってきた母の形見の懐刀を確認し、それから思い切って、魔法を使った。


 魔法。魔術。
 豊葦原に限らず、この世界にはまだ、いくつかの科学では説明出来ない現象が存在し、それを自由自在に駆使しする人々がいる。シークの血を継ぐサラームは、その古代の秘技の伝承者でもあった。

 口の中で小さく呪文を唱え、指先で印を切ると……。
 たちまち、サラームの姿はその場で空気のように溶け込んで、透明化し、誰にも視認することが出来なくなった。さらに言うなら、物音一つ立てなくなった。

(ここまで来て手ぶらで帰るのもなんだか残念だ。母さんの関係者かどうか、何とか調べてみよう。大浦晴季、申し訳ない)
 そういうわけで、シークの息子で、現在、萌子の奴隷のサラームは、自分が透明人間になってしまうとさっさと大浦家に不法侵入してしまったのであった。


 大浦家はさすがに大名屋敷で、萌子の家よりも広かった。
 サラームは、豊葦原の言葉は話せるが、文化や歴史の事には疎いので、窓の形もふすまの模様も珍しかったが、見物している暇はない。
 しばらく歩き回って母屋の中に入ってしまうと、そこにはさすがに人がいた。

 二人の中年の女中……サラームから見ると、和風メイドが、何やらおしゃべりをしながら洗濯籠を抱えて歩いてきた。
「全くお嬢様と来たら、旦那様にはすぐ猫をかぶるんだから」
「いやあねえ。お嬢様ぐらいの年頃の娘だったら、誰だってそうでしょう? 親に何でも正直に話す娘なんて聞いた事ないわ」
 主人家族の噂話に興じながら、これから洗濯機でも回すのだろう。
(お嬢様?)
 大浦晴季には娘がいるのだろうか。
 通りすがりにそれが気になったサラームは、女中達のぺちゃくちゃ喋るのを聞くためにこっそり後を着いていった。

 だが。女中達は主人達の軽い愚痴をこぼしたあとは、夕べ見たテレビの話、芸能人の噂話などにすぐに話題が転換してしまい、全く、情報にはならなかった。サラームがわかったのは、この大名屋敷の主人である大浦晴季には、大学生の澄香すみかという娘……女中の言うお嬢様がいるということだった。

(スミカ……サヤカと微妙に名前が似ているな……)
 まさか透明化……隠形の術を解いて、女中達から話を聞き出す訳にもいかない。結構不便な思いをしながら、サラームは女中達から離れ、大浦晴季か、その娘の澄香を探すことにした。

 現代の大名屋敷の中を、時折、女中とすれ違った。その後、今度は、きっちりと袴をはいて帯刀した侍が横切った。
(……)
 サラームはその侍の後を着いていった。女中からは実入りのある話はそんなに聞けなかったが、この男は恐らく、大浦晴季の部下だろう。もしかしたら主人に会いに行くかもしれない。

 そんな単純な思考で、自分より数歳年上の男の後をつけていくと、やがて彼は、奥まった畳の一室に入っていった。
 そこには、四十がらみの一人の男が、何やら手書きの書類を作っていた。細かい数字を帳面にせっせと書き込んでいる。
 着ているものは、サラームの目には、すぐに兼久の着物と同じ材質かそれより上とすぐわかった。

(もしかして?)
 そう思った時、侍が口を開いた。
「杉原様、先日の件ですが、商人どもが何やら騒いでおります」
「……商人が?」

 杉原と呼ばれた男は書類から顔を上げ、鋭い眼光を若い侍に飛ばした。途端に侍は首をすくめて萎縮した。
「は……」
 何やら、杉原というこの男を、かなり恐れている様子である。

(晴季ではないのか。では何者だ?)
 サラームは、透明化していることをいいことに、杉原の方にそっと近づいていった。そして書類仕事の方を見下ろして、思わず唖然とした。

 帳面はそっくりのものが二つあり、並んでいる数字がまるで別だった。だが、その内容を見れば、シークである父親の片腕として仕事をしてきたサラームには一目瞭然であった。

 二重帳簿だ。

 この男、大浦藩の財政、ごまかしている。
 その誤魔化された金は……まあ当然、この「杉原」という男の懐に入っているのだろう。
 懐刀で頭をかち割りたい気持ちに駆られつつも、サラームはそこから動けなくなった。


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