北野坂パレット

うにおいくら

文字の大きさ
上 下
125 / 406
器楽部

瑞穂の遠慮

しおりを挟む
 鍵盤に指をそっと置くとピアノの意思が伝わってくる。今日の乾いた空気の中でこの曲はとても合いそうだ。この頃、こうやってピアノの声を聴くのが弾く前の儀式の様になっている。

 ピアノは僕の思う通りに弾けと言っている。勿論そのつもりだ。そして理由の判らない瑞穂の葛藤と遠慮を無駄にするつもりでもある。

 ピアノの音の粒が音楽室に軽さをもって鳴り響く。曲の始まりから僕の頭の中ではヴァイオリンとチェロも絡みながら鳴っている。瑞穂の編曲は原曲を忠実に守りながらも彼女の個性をそこに乗せている。個性を出し過ぎるとそれは有名な曲であればあるほど違和感となって、聞き手のストレスになる事がある。

 瑞穂は巧みにそれを避けながらもヴィオラの無い分音の厚みをチェロとヴァイオリンに上手く振り分けていた。

 ヴァイオリンとチェロのハーモニーは美しく僕の頭の中で鳴り響いていた。これならストリングスの薄さをそれほど感じないだろう。

 そんな事を考えながらも僕の指は鍵盤の上を軽くステップを踏むように弾んでいた。音を作り上げていく。瑞穂が本来書いたであろう音の粒を僕は想像しながら即興で弾いた。
それは透明感増しながら僕の頭の中で共鳴するハーモニーを軽く乗せて舞い上がっていく。とっても良い感じだ。

 右手に呼応して思わず左手が絡もうとすると頭の中でヴァイオリンとチェロが寄り添ってきた。
あ、そうだった。これはピアノソロではなかった。瑞穂の懸念はこれか!

 ピアノが勝手な自己主張する隙は無い。

 どうやら瑞穂が自分が書いたスコアを消した理由は、僕の気に障るのを危惧しただけの事だったようだ。確かに僕自身、頭の中にヴァイオリンとチェロのパートを思い浮かべずに弾いたら僕の左手は気ままに踊っただろう。

 瑞穂もそう考えたから、敢えて抑え気味の左手として書いたのだろう。もしかしたらこのストリングスの薄さを僕がピアノで何とか力技でカバーするのではないかと思ったのかもしれない。

 如何にソリストのピアニストとはいえ、それぐらいの事は僕にだって解る。
僕がそれに気が付いてくれると彼女は思っていたようだ。僕のプライドに触れるのを躊躇(ためら)ったのか。だから敢えて瑞穂はそれを書くのをやめたのか……本当に見た目とは違って気が付く……いや考え過ぎな女の子だ。でもこういう子は嫌いじゃない。

 弾き終わると瑞穂と哲也が拍手をしてくれた。
「亮ちゃん……」
瑞穂は目を見開いて僕を見ていた。やはりあの消されたスコアはこんな感じで書かれていた様だ。

「どう?」
僕は笑って彼女に答えた。

 瑞穂はハッとした表情を一瞬見せたが直ぐに持ち直して
「亮ちゃん! 良い、とっても良い! やっぱり亮ちゃんに任せて良かった」
と目を輝かして言った。

「でしょう?」

「うん。私もヴァイオリンを持って来れば良かったなぁ」
と最後は少し残念そうだった。

「流石やなぁ。瑞穂が言いうだけあって綺麗な音をだしとんなぁ。俺もチェロが弾きたくなったわ」
と何も気が付かない哲也も褒めてくれた。

 僕は図に乗って
「そうやろ?」
と笑った。
「ご満足いただけたようでホッとしたわ」
と同時に二人を見て本音が少し零れた。

 瑞穂は安堵の表情を浮かべて、新しい楽譜を取り出した。
さっきまでの硬い表情はもう完全に消えていた。

 やはり彼女の一番の気がかりは僕のピアノだったようだ。
彼女の意図を僕は間違わずに汲み取れたようだ。瑞穂の顔に安堵の表情が見えた。本当に分かり易い女の子だ。
でも鈍感な哲也は分かっていないんだろうな。そう思いながら僕は瑞穂から新しい楽譜を受け取った。

「今度は……ほんまにアマデウスかぁ……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

結婚して四年、夫は私を裏切った。

杉本凪咲
恋愛
パーティー会場を静かに去った夫。 後をつけてみると、彼は見知らぬ女性と不倫をしていた。

処理中です...