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第二部 ピアノとヴァイオリン
渚さんの言葉
しおりを挟む「コンクールで採点者に評価される音とリサイタルで観客に感動を与える音は全く違うモノよ」
渚さんはそう言うと僕が弾いているピアノの鍵盤に視線を落とした。
「それは何となく分かる」
「はっきり言って今亮平に必要なのは技術。でもそれはもう充分あるわ。音の粒も綺麗に出とうし、何よりも音に力がある。これは凄い事やねんなぁ」
軽く鍵盤を撫でるように指先を滑らせながら渚さんは言った。
「はぁ」
そう言われたものの僕にはあまりピンと来ていなかった。
確かに音の粒は綺麗だと自分でも思うが、はなからそんなもんだろうと思っていたから、今更言われても……というのが本音だった。
「そう、これからコンクールに出て行く亮平にはそこをもっと極めてもらいたいんやけど、気持ちが他に行きかけとうからねえ……」
「他にって?」
「そうやねえ……一音一音を大事にしたい。音の粒を更に綺麗に磨きたい。テクニックより全体的な雰囲気とか完成度を重視したいとか……要するにもうコンクールで勝負しなくていい人間の感覚になっとうような気がするんやけど?どうなん?」
「はぁ……それは否定せえへんけど……本当にコンクールは興味ないから」
僕は正直に渚さんに答えた。
今の僕に大事な事は、その場で一番いい音を奏でる事だった。それはピアノが教えてくれる。
僕はその音を忠実に再現するだけだった。
だからピアノが欲しい音が必ずしも超絶技巧に繋がるとは限らなかった。
「そう、音の粒に自我が乗ってきているんよねぇ。それって本当は良い事なんやけどね。亮平だから弾ける音なんやから……」
渚さんはそう呟くと
「だよねえ……だからねえ……日本にいる意味が無いんだよねえ……」
と続けて言った。
「え?」
「いや何でもないわ。それよりも伊能先生に聞いたけど、あんたこの一年で本当に音が成熟したみたいね」
渚さんは首を振ると話題を変えた。
「そうみたい……先生にそう言われたし」
「他人事みたいに……、先生曰く『まるで夏休み明けの二学期に会ったらマセガキになっていた高校生みたいな』……って、あんた高校になってから何かあったん?」
渚さんは笑いながらそう言った。
「いや、別に……なんもないけど」
「ふ~ん。もう宏美ちゃんとやったとか?」
「ぶ!! 何をいいだすんや。まだなんもしてへん」
渚さんの目つきがいやらしい……。
じっと僕の目を見ていたかと思と
「なんや、まだかぁ……そうなのかぁ。根性なしやな」
渚さんは本当に残念そうに呟いていた。
まさかこんなツッコミがあるとは予想していなかったので、僕はどう反論して良いのか分からなかった。
「案外、奥手なんやね。あるいは真面目なんかな?」
渚さんは悪戯っぽく笑って言った。
「まだ、その話を続けるかぁ?」
「だってぇ、男の子ってこれぐらいの歳の時ってそんな事ばっかり考えてんのとちゃうの?」
ハッキリ言って渚さんの言う通りかもしれない。でもそれ以上に頭の中はピアノの事が占めていた。
「知らんわ、そんなん……」
僕は子ども扱いされるのが嫌だったが、こんな事で大人ぶるのも気が引けた。
特にここでつまらんネタを振ってしまったら、後で宏美や冴子にどんな形で伝わるか分かったものではないと思ったので余計な事は言わない様に我慢した。
しかしなんだか言われ放題で癪だった。
「まあ、今の亮平の場合は頭ン中はピアノしかないか……今は自分の音探しでも良いかぁ……」
僕はそれを黙って聞いていた。
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