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父さんの色
洋菓子店
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JBLのスピーカーからは相変わらず70年代のロックが流れている。
「お前も不幸やな」
オヤジが珈琲カップを置くと僕に言った。
「何が?」
「初めて父親に会った日に一番変な濃い奴らに会ってしまうなんてなあ」
「そうなん?」
「ああ、そうや。ホンマにそうや」
今度は眉間に皺は寄せずに、人生の全ての不幸を背負い込んだ男を憐れむベニスの商人のような顔で僕を見て首を振った。
カウンターから
「聞こえてんぞぉ」
とマスターの声が。
それをオヤジは無視して真顔で
「もう高校生になったんやな」
と聞いてきた。
オヤジは案外表情が豊かな人だ。
「うん」
「どうや、高校生活は?」
「ぼちぼちやな」
「そうか」
オヤジに会ったらオフクロには聞けなかった離婚理由とか色々聞こうとおもっていたが目の前にオヤジがいるというだけでどうでも良くなった。聞きたくても聞けなかった。そんな雰囲気ではなかった。
そして会話が無くなった…。
確かにそんな雰囲気ではなかったが、テーブルを挟んで横たわるこの沈黙の空間を眺めながら実は僕は迷っていた。
離婚理由も聞きたかったが……本当はそれよりももっと聞きたい事があった。
それは『何故今頃会う事になったのか?』いや正確には『何故十六年間も会いに来なかったのか?』という事だった。
『こんな近くに住んでいるのに何故一度も息子と会おうともせずに放置プレイするとはどういうことなんだ?』ぐらいは息子として聞いても良いんじゃないかと思い始めていた。
でも、実際の僕はオヤジの顔色を伺うばかりで口を開く事が出来なかった。その上『タイミングを見計らって日を改めて聞けばいい』とか『オヤジがその内に教えてくれるだろう』とか都合の良い言い訳で自分の気持ちを誤魔化していた。
ひとことで言ってしまえば自分の口からそれを言い出す事が何故か怖かっただけだ。
唐突にオヤジが口を開いた。
「彼女とかおるんか?」
沈黙に耐え切れなくなったオヤジが苦し紛れに僕に浴びせた質問だった。
「おらへん」
ちょっとうざくなってきた。さっきまでの心の葛藤が一瞬で憤りに変わりかけた。
そんな話どーでもええやろ。あんたに関係ないやろ。放っておいてくれ。
どうせ彼女なんかおらへんし、そんなん説明するのも面倒くさいやろ……
その前に学校は楽しいかとか勉強はどうかとか他に聞きこといっぱいあるやろぅ……て聞かれたら聞かれたでそれはそれで面倒くさいけど……等と一気に考えてしまった。
要するにコッパズカシかった。そんな事を生まれて初めて会話を交わしたような父親に聞かれて、真顔で応えられるほど僕は大人になっていない。
しかし……十数年会ってなくても親子関係とは直ぐに正常化するもんらしい。
オフクロに同じ質問されたら「人の心配する前に自分の心配しせえよ」って言って終わっている。
それを言うか言わないかが十数年一緒に居たか居なかったの違いだな。
その程度の差だな。
そう、所詮年頃の息子と父親では会話は続かないようになっている。
それにオヤジも気づいたらしい。僕の顔を見て全てを悟ったようだ。
「今日はまだ時間あるんやろ?」
オヤジは聞いてきた。
「うん」
僕は頷くしかなかった。
「鈴原も安藤もこっち来て飲めよ。ビールの時間がやってきた!」
オヤジはカウンターに向かって声を掛けた。
カウンターで笑い声が響く。
「やっぱり耐え切れんかったな……父親ビギナーの一平君にはこれが限界か」
安藤さんの声が響く。
「そうやな。もう少し間が持つかと思ったが、案外早かったな」
そう言いながら鈴原さんが片手にビアグラスを持って、満面の笑みを浮かべながらこっちのテーブルへとやってきた。
「まあ、親子の会話なんてそんなもんだよ。親子ってな話をしなくても伝わるんや。特に父親はな」
鈴原さんは慰めるようにオヤジの肩を軽く叩いてオヤジの横の席に座った。
「つもる話なんてないもんだな。亮平に会ったらそんな話どうでも良くなったわ」
「いいんじゃないの? それで」
鈴原さんはオヤジの横顔を見ながら笑っていた。
「亮平君。お父さんとは長い付き合いだけどな、こんな表情のお父さんを見るのは初めてや。こんな嬉しそうで楽しそうなお父さんは初めてやわ。もし他にあるとしたら君のお母さんと結婚した時位かもしれない」
そういう鈴原さんもとっても楽しそうだった。
「離婚した時の間違いやないのか?」
「亮平君。ま、こんな素直じゃない父親だけどよろしく頼むよ。こう見えても頭だけは良い」
「だけはとはなんだ」
「頭良いは否定しいひんのやな」
と言って鈴原さんはビールを飲んだ。
この人たちの会話は楽しい。
こういった人に囲まれているオヤジを見たら実は僕も嬉しくなっていた。
そしてこの人達と一緒にいるのがとっても楽しかった。でもオヤジはどうやら、このメンツではいぢられキャラのようだ。
さっき感じたアウェイ感はもう完全に無くなっていた。今は完全に甲子園の一塁側アルプススタンドだ。
「ま、今日の一平は父親の顔をしているわ」
「そうかな」
オヤジは呟くように言った。
「ほい。一平、ビール。それと亮平君にはコーラね」
マスターがテーブルにビールとコーラを持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「君なんて要らんよ。亮平でええわ。な?」
とオヤジが言った。
「うん。それでいいです」
「了解。じゃあ亮平、ピザ食うか?」
安藤さんは言い直して僕に聞いた。
「はい」
「もうじき焼けるからちょっと待ってて」
「亮平、この店のピザは美味いで。ピザマルゲリータやっけ?」
「普通のミックスピザや。あほ」
安藤さんは間髪入れずに応えた。数十年培った息の合った間合いを感じた。ここはやはり関西で神戸だ。
「それでは改めて、かんぱ~い」
鈴原さんの声が響いた。
四十代のオヤジ連中って案外若いのかもしれない。くたびれたおっさんというイメージしか無かったが、この人達は違う。
こんなオヤジ連中なら将来なっても良いなと思った。
「ところで鈴原、さっき言ってた話ってなんなん?」
ビーフジャーキーを片手に持ってオヤジが鈴原さんに聞いた。
「ああ、ええんか? 親子の貴重な時間を潰して」
「気にせんでええわ。もう潰れとる。で、なんなん?」
「いやね。知り合いから相談を受けてね。お前にも聞いてもらおうかと思ったんだが。フローラって知っているやろ?」
「西洋菓子処フローラか?」
「そう、あそこ経営やばいらしいねんけど。何とかならん?」
「なんや。お前の会社、金出すんか?」
「うん。一応出そうか……な……と」
「へ~……決算書とかあんの?」
オヤジは驚いたような顔をして鈴原さんの顔を見ていた。
「あるで。ちょっと待ってな。え~と。あ、あった。これや」
鈴原さんはショルダーバッグから書類の束を出して、オヤジに手渡した。
オヤジは持っていたビーフジャーキーを一口で食べ、手をおしぼりで拭いてからそれを受け取るとパラパラとめくった。そしてあるページで手が止まった。
そこには訳の分からない数字がいっぱい書いてあった。
そのほとんど数字しか書いていない書類から何かを読み取ろうとしている。
そこに隠されている大事な事を見逃さないように探しているように見えた。
オヤジにはこの数字からこの店の状況が分かるようだ。
視線が数字から離れた。
「キャッシュフロー悪いな。やっぱり……。銀行からの借り入れは……1億ほど残ってんな。リスケしたんか?」
「1回やっている。もう1回お願いしたけど、はねつけられたらしい」
鈴原さんも書類を覗き込みながら応えた。
「そうか、2回も支払猶予はしてくれんやろ」
「まあな」
オヤジは再び書類に目を落して
「ここの社長なあ……知っているわ。職人としてはええ腕してたんやけどなあ……経営者としてはなぁ」
と呟いた。
「そうやねん。でもな、ここら辺のケーキ屋では結構な重鎮やろ? だから何とかならんんかって……」
「鈴原、お前、本当はこの話……銀行がもって来た余計な話やろう? ちゃうか?」
オヤジは書類から目を離し上目遣いで鈴原さんを見た。
「あ、分かった?」
鈴原さんはそう言うとバツが悪そうに舌を出した。
「シナリオが出来過ぎや…」
「やっぱりわかるかぁ……」
オヤジは書類に目を落としながら
「この銀行からの借入金を何とかしたら、とりあえずは一息つけるな。で、この社長はいらんな…昔は腕のいい職人も今は単なる出来の悪い経営者や。味もええ。まだ神戸では人気の洋菓子店や。経営さえしっかりしたら立て直せるな」
「そうか。一平もそう思うか」
オヤジのひとことに鈴原さんの表情が明るく変わった。まるで一筋の光明を見たような期待感が浮かんでいた。
オヤジは顔を上げて鈴原さんの顔をじっと見て
「思う。思うけど店舗は5店舗までにせえよ。それ以上はもたん。そういう店やない」
と答えた。
「全国展開できんか……」
明るくなりかけた鈴原さんの表情に少し暗い影が差した。
「できるか……。そんな規模の商売ではない事ぐらい判るやろ?」
オヤジはそんな事はお構いなしに突き放すように言った。
「まあな。お前ならできるかなと」
「アホか。それに第一これを誰にやらせるつもりや?おらんやろ?」
「そうやなぁ、うちは人おらんからなぁ……下畑とか田中とか稔はどう?」
「スズハラ本社の人間持ってきてどうする……。そもそも畑違いや」
「なあ、一平……暫くここの社長してくれへんか?」
「やらん。お前ができへんのやったらシラッチを社長にしたら? ちょうどええやろ。サポートやったらしたるから」
間髪入れずに何の躊躇もなしにオヤジは断った。
社長就任依頼ってそんなに簡単に断って良いのか?……と思いながらも僕は二人の会話を黙って聞いていた、
「白河かぁ……できるかなぁ……」
「父さん……聞いても良い?」
僕は思わず口をはさんでしまった。
「なんや?亮平……どうしたんや」
オヤジは怪訝な顔をして僕を見た。
「このケーキ屋の社長って上田っていうの?」
「確かそうやったな。なんや知り合いか?」
「いや、そうい訳ではないんやけど」
「まあ、ええわ。この話は明日事務所でやろう。今日は一平と亮平の再会を祝して飲もう! 一平、明日の朝は北野の事務所に来てくれ」
と鈴原さんが話を切り上げた。
「分かった。んじゃぁ、8時過ぎに行くから朝飯を用意しててね」
「はいはい……モーニング用意しとくわ」
鈴原さんは半ば呆れたような感じで返事をした。
そこへカウンターに行っていた安藤さんが戻ってきた。
「亮平、ピザ焼けたで。ピザマルゲリータや」
「単なるミックスピザとちゃうんかい!」
今度はオヤジが突っ込んだ。
このケーキ屋の社長は宏美のお父さんだ。間違いない。
オヤジギャグがさく裂する中、僕の頭の中には同級生の宏美の顔が浮かんでいた。
「お前も不幸やな」
オヤジが珈琲カップを置くと僕に言った。
「何が?」
「初めて父親に会った日に一番変な濃い奴らに会ってしまうなんてなあ」
「そうなん?」
「ああ、そうや。ホンマにそうや」
今度は眉間に皺は寄せずに、人生の全ての不幸を背負い込んだ男を憐れむベニスの商人のような顔で僕を見て首を振った。
カウンターから
「聞こえてんぞぉ」
とマスターの声が。
それをオヤジは無視して真顔で
「もう高校生になったんやな」
と聞いてきた。
オヤジは案外表情が豊かな人だ。
「うん」
「どうや、高校生活は?」
「ぼちぼちやな」
「そうか」
オヤジに会ったらオフクロには聞けなかった離婚理由とか色々聞こうとおもっていたが目の前にオヤジがいるというだけでどうでも良くなった。聞きたくても聞けなかった。そんな雰囲気ではなかった。
そして会話が無くなった…。
確かにそんな雰囲気ではなかったが、テーブルを挟んで横たわるこの沈黙の空間を眺めながら実は僕は迷っていた。
離婚理由も聞きたかったが……本当はそれよりももっと聞きたい事があった。
それは『何故今頃会う事になったのか?』いや正確には『何故十六年間も会いに来なかったのか?』という事だった。
『こんな近くに住んでいるのに何故一度も息子と会おうともせずに放置プレイするとはどういうことなんだ?』ぐらいは息子として聞いても良いんじゃないかと思い始めていた。
でも、実際の僕はオヤジの顔色を伺うばかりで口を開く事が出来なかった。その上『タイミングを見計らって日を改めて聞けばいい』とか『オヤジがその内に教えてくれるだろう』とか都合の良い言い訳で自分の気持ちを誤魔化していた。
ひとことで言ってしまえば自分の口からそれを言い出す事が何故か怖かっただけだ。
唐突にオヤジが口を開いた。
「彼女とかおるんか?」
沈黙に耐え切れなくなったオヤジが苦し紛れに僕に浴びせた質問だった。
「おらへん」
ちょっとうざくなってきた。さっきまでの心の葛藤が一瞬で憤りに変わりかけた。
そんな話どーでもええやろ。あんたに関係ないやろ。放っておいてくれ。
どうせ彼女なんかおらへんし、そんなん説明するのも面倒くさいやろ……
その前に学校は楽しいかとか勉強はどうかとか他に聞きこといっぱいあるやろぅ……て聞かれたら聞かれたでそれはそれで面倒くさいけど……等と一気に考えてしまった。
要するにコッパズカシかった。そんな事を生まれて初めて会話を交わしたような父親に聞かれて、真顔で応えられるほど僕は大人になっていない。
しかし……十数年会ってなくても親子関係とは直ぐに正常化するもんらしい。
オフクロに同じ質問されたら「人の心配する前に自分の心配しせえよ」って言って終わっている。
それを言うか言わないかが十数年一緒に居たか居なかったの違いだな。
その程度の差だな。
そう、所詮年頃の息子と父親では会話は続かないようになっている。
それにオヤジも気づいたらしい。僕の顔を見て全てを悟ったようだ。
「今日はまだ時間あるんやろ?」
オヤジは聞いてきた。
「うん」
僕は頷くしかなかった。
「鈴原も安藤もこっち来て飲めよ。ビールの時間がやってきた!」
オヤジはカウンターに向かって声を掛けた。
カウンターで笑い声が響く。
「やっぱり耐え切れんかったな……父親ビギナーの一平君にはこれが限界か」
安藤さんの声が響く。
「そうやな。もう少し間が持つかと思ったが、案外早かったな」
そう言いながら鈴原さんが片手にビアグラスを持って、満面の笑みを浮かべながらこっちのテーブルへとやってきた。
「まあ、親子の会話なんてそんなもんだよ。親子ってな話をしなくても伝わるんや。特に父親はな」
鈴原さんは慰めるようにオヤジの肩を軽く叩いてオヤジの横の席に座った。
「つもる話なんてないもんだな。亮平に会ったらそんな話どうでも良くなったわ」
「いいんじゃないの? それで」
鈴原さんはオヤジの横顔を見ながら笑っていた。
「亮平君。お父さんとは長い付き合いだけどな、こんな表情のお父さんを見るのは初めてや。こんな嬉しそうで楽しそうなお父さんは初めてやわ。もし他にあるとしたら君のお母さんと結婚した時位かもしれない」
そういう鈴原さんもとっても楽しそうだった。
「離婚した時の間違いやないのか?」
「亮平君。ま、こんな素直じゃない父親だけどよろしく頼むよ。こう見えても頭だけは良い」
「だけはとはなんだ」
「頭良いは否定しいひんのやな」
と言って鈴原さんはビールを飲んだ。
この人たちの会話は楽しい。
こういった人に囲まれているオヤジを見たら実は僕も嬉しくなっていた。
そしてこの人達と一緒にいるのがとっても楽しかった。でもオヤジはどうやら、このメンツではいぢられキャラのようだ。
さっき感じたアウェイ感はもう完全に無くなっていた。今は完全に甲子園の一塁側アルプススタンドだ。
「ま、今日の一平は父親の顔をしているわ」
「そうかな」
オヤジは呟くように言った。
「ほい。一平、ビール。それと亮平君にはコーラね」
マスターがテーブルにビールとコーラを持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「君なんて要らんよ。亮平でええわ。な?」
とオヤジが言った。
「うん。それでいいです」
「了解。じゃあ亮平、ピザ食うか?」
安藤さんは言い直して僕に聞いた。
「はい」
「もうじき焼けるからちょっと待ってて」
「亮平、この店のピザは美味いで。ピザマルゲリータやっけ?」
「普通のミックスピザや。あほ」
安藤さんは間髪入れずに応えた。数十年培った息の合った間合いを感じた。ここはやはり関西で神戸だ。
「それでは改めて、かんぱ~い」
鈴原さんの声が響いた。
四十代のオヤジ連中って案外若いのかもしれない。くたびれたおっさんというイメージしか無かったが、この人達は違う。
こんなオヤジ連中なら将来なっても良いなと思った。
「ところで鈴原、さっき言ってた話ってなんなん?」
ビーフジャーキーを片手に持ってオヤジが鈴原さんに聞いた。
「ああ、ええんか? 親子の貴重な時間を潰して」
「気にせんでええわ。もう潰れとる。で、なんなん?」
「いやね。知り合いから相談を受けてね。お前にも聞いてもらおうかと思ったんだが。フローラって知っているやろ?」
「西洋菓子処フローラか?」
「そう、あそこ経営やばいらしいねんけど。何とかならん?」
「なんや。お前の会社、金出すんか?」
「うん。一応出そうか……な……と」
「へ~……決算書とかあんの?」
オヤジは驚いたような顔をして鈴原さんの顔を見ていた。
「あるで。ちょっと待ってな。え~と。あ、あった。これや」
鈴原さんはショルダーバッグから書類の束を出して、オヤジに手渡した。
オヤジは持っていたビーフジャーキーを一口で食べ、手をおしぼりで拭いてからそれを受け取るとパラパラとめくった。そしてあるページで手が止まった。
そこには訳の分からない数字がいっぱい書いてあった。
そのほとんど数字しか書いていない書類から何かを読み取ろうとしている。
そこに隠されている大事な事を見逃さないように探しているように見えた。
オヤジにはこの数字からこの店の状況が分かるようだ。
視線が数字から離れた。
「キャッシュフロー悪いな。やっぱり……。銀行からの借り入れは……1億ほど残ってんな。リスケしたんか?」
「1回やっている。もう1回お願いしたけど、はねつけられたらしい」
鈴原さんも書類を覗き込みながら応えた。
「そうか、2回も支払猶予はしてくれんやろ」
「まあな」
オヤジは再び書類に目を落して
「ここの社長なあ……知っているわ。職人としてはええ腕してたんやけどなあ……経営者としてはなぁ」
と呟いた。
「そうやねん。でもな、ここら辺のケーキ屋では結構な重鎮やろ? だから何とかならんんかって……」
「鈴原、お前、本当はこの話……銀行がもって来た余計な話やろう? ちゃうか?」
オヤジは書類から目を離し上目遣いで鈴原さんを見た。
「あ、分かった?」
鈴原さんはそう言うとバツが悪そうに舌を出した。
「シナリオが出来過ぎや…」
「やっぱりわかるかぁ……」
オヤジは書類に目を落としながら
「この銀行からの借入金を何とかしたら、とりあえずは一息つけるな。で、この社長はいらんな…昔は腕のいい職人も今は単なる出来の悪い経営者や。味もええ。まだ神戸では人気の洋菓子店や。経営さえしっかりしたら立て直せるな」
「そうか。一平もそう思うか」
オヤジのひとことに鈴原さんの表情が明るく変わった。まるで一筋の光明を見たような期待感が浮かんでいた。
オヤジは顔を上げて鈴原さんの顔をじっと見て
「思う。思うけど店舗は5店舗までにせえよ。それ以上はもたん。そういう店やない」
と答えた。
「全国展開できんか……」
明るくなりかけた鈴原さんの表情に少し暗い影が差した。
「できるか……。そんな規模の商売ではない事ぐらい判るやろ?」
オヤジはそんな事はお構いなしに突き放すように言った。
「まあな。お前ならできるかなと」
「アホか。それに第一これを誰にやらせるつもりや?おらんやろ?」
「そうやなぁ、うちは人おらんからなぁ……下畑とか田中とか稔はどう?」
「スズハラ本社の人間持ってきてどうする……。そもそも畑違いや」
「なあ、一平……暫くここの社長してくれへんか?」
「やらん。お前ができへんのやったらシラッチを社長にしたら? ちょうどええやろ。サポートやったらしたるから」
間髪入れずに何の躊躇もなしにオヤジは断った。
社長就任依頼ってそんなに簡単に断って良いのか?……と思いながらも僕は二人の会話を黙って聞いていた、
「白河かぁ……できるかなぁ……」
「父さん……聞いても良い?」
僕は思わず口をはさんでしまった。
「なんや?亮平……どうしたんや」
オヤジは怪訝な顔をして僕を見た。
「このケーキ屋の社長って上田っていうの?」
「確かそうやったな。なんや知り合いか?」
「いや、そうい訳ではないんやけど」
「まあ、ええわ。この話は明日事務所でやろう。今日は一平と亮平の再会を祝して飲もう! 一平、明日の朝は北野の事務所に来てくれ」
と鈴原さんが話を切り上げた。
「分かった。んじゃぁ、8時過ぎに行くから朝飯を用意しててね」
「はいはい……モーニング用意しとくわ」
鈴原さんは半ば呆れたような感じで返事をした。
そこへカウンターに行っていた安藤さんが戻ってきた。
「亮平、ピザ焼けたで。ピザマルゲリータや」
「単なるミックスピザとちゃうんかい!」
今度はオヤジが突っ込んだ。
このケーキ屋の社長は宏美のお父さんだ。間違いない。
オヤジギャグがさく裂する中、僕の頭の中には同級生の宏美の顔が浮かんでいた。
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