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レーシー
父と子の聞こえる音
しおりを挟むレーシーは僕の顔をじっと見て聞いていたが、話し終わると僕の瞳を覗き込むように凝視した。何か心の底まで見透かされていそうな気がした。
いやそのまま僕の目の中に飛び込んできそうな気さえした。
すっとレーシーの表情が緩んだ。
「はは~ん。そうかぁ。お父さんは……お父さんは、神の聴く音を聞き分けられる人ね。それを奏でる事も出来る人でも……あった」
「そうなの?……ていうか、そんな事まで分かんの?」
レーシーの予想外の言葉に僕は驚きながら聞き返した。
「うん。分かるわ。でもお父さんはもう奏でる事は止めている……」
と少し悲しそうな表情で言った。
――そんな事まで分かるんかぁ――
僕は心の中で驚きながらも
「うん。もうピアノは弾かんみたいやなぁ」
と応えた。
「本当に残念ね。でも仕方なかった事なのね」
「そうみたやなぁ。でも良く分かったなぁ」
本当にこの妖精はなんでもお見通しの様だ。僕はこの妖精の力に驚いてばかりだ。
「うん。亮平が見たものを今、わたしも見てきたからね。ついでにお父さんの子供の頃も」
「へぇ。流石やな。そんなもんまで見えるんや」
レーシーの千里眼には驚きを通り越して感動すら覚える。いやこの場合は透視能力というべきか?
「当たり前でしょ。何年妖精していると思っているの?」
レーシーは自尊心が傷つけれれたと言わんばかりに憤っていたが、他に妖精なんか知り合いにいないから妖精が何年生きるものなのかなんて知らないし、そもそも妖精って生きているって定義していいのかどうかも分からない。
そんな事を反論しようと思ったがやめた。
不毛な会話が続くだけの様な気がしたから。
「でも、亮平はお父さんの真似はしない方がいいわ」
レーシーは急に真顔になった。
「真似?」
「そう。お父さんと同じような弾き方はしない方が良いわ。それは亮平の音じゃない。お父さんの音」
トレーシーはきっぱりと言い切った。
「父さんの音?」
「うん。お父さんはそれを亮平に言おうか言うまいか迷って言わなかったようね。でも言った方が良かったのに……亮平は亮平の音を見つけた方が良いな」
「見つける?」
僕はレーシーが言わんとする事がよく分かっていなかった。
軽く頭の中が混乱していた。僕に理解力がないのかとちょっと心配になった。
「う~ん。見つけるというか感じるというか……亮平はお父さんと同じように本当の音が聞こえると思う。でもそれはお父さんが聞いていた音とはまた違うものよ」
「それはどういう意味?」
僕はさっきからレーシーに質問ばかりしている。
それに対してレーシーは一生懸命説明してくれようとしている。
「言葉にするのは難しいわ。感じるしかないわ。例えばお父さんは神の聴く音は聞こえるけど、亮平みたいにピアノや空間が求めている音は聞こえないし分からないのよ。
そう……昨日、亮平が弾いた『月光』だけど、お父さんの音は月の光そのものだけど、亮平の音は湖面に映った月の影。それが一番わかるのは第一楽章ね。明らかにお父さんとあなたの音は違うもの。
その空間の呼吸というか意思というか情景を含めて全ての中で今弾くべき音を感じて、それをその場で奏でようとしているのが亮平……あえて言葉にするとそんな感じかな」
「空間が求めている音? ……それはなんとなく分かるような気がする」
僕がこの頃感じているあの不思議な感覚……多分その事をレーシーは言っているんだろう。やっとレーシーの言っている言葉の意味を少し理解できたような気がした。
「うん。亮平がこの頃感じている感覚は正解よ。その通り。で、お父さんにはそれが分かったようね。お父さんは亮平の聞いた音を理解しているわ」
「そうなんや。ピアノ弾かなくなったのに凄いな……父さんは」
生まれて初めてオヤジの凄さを感じたような気がした。十六年近く父親が存在しない生活をしていて、僕は今一気に父親というものを身近に感じている。
何故だか分からないが、オヤジの凄さを感じて喜んでいる自分を自覚した。
「あなたのお父さんは本当によくピアノを辞められたわね。あと少しのところで頂上からの景色を見れるところだったのに……本当に神に愛されていたようねえ……」
レーシーは呆れたように感心していた。オヤジは一体どんな愛され方をされていたんだ?
異国から家具にくっついてきたような妖精にも分かるような愛され方ってどんなんだ? オヤジでって神に溺愛されていたのか?
そしてどんな思いでピアノを諦めたんだろう……僕には想像すらできない。
「なぜ父さんは僕にその事を言わなかったんやろう? そんなんことぐらい教えてくれたらエエのに……」
僕はレーシーに聞くとはなく呟いた。ほとんどそれは独り言みたいなもんだった。
「あ、だからお父さんは言わなかったんだ……わたしはしゃべりすぎね」
レーシーは僕の顔を覗き込み大事なことに気がついたように目を見開いた。そしてすぐに余計なことを言ったと言わんばかりに顔をしかめた。
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