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さよならコンサート
伴奏と共演
しおりを挟むそうだった。彩音さんは『一緒にやりたい』とは何度も口にはしていたが、『伴奏をお願いする』とはひとことも言っていなかった。僕が勝手に伴奏するもんだと思い込んでいた。独りよがりに彩音さんの引き立て役になろうとしていた。
だからただ単に彩音さんが弾きやすい伴奏だけを考えていた。
……と僕はやっと大切な事に気が付いた。
彩音さんの憤りの原因はそれだった。僕はヴァイオリンに向き合わずに彩音さんの顔色を窺っていただけだった。
音の粒を見ていなかった。
彩音さんならこういう音が欲しいだろう。彩音さんならここはこう弾くはずだから……とか、先回りしたような音。言ってみれば痒い所に手が届くような伴奏……彩音さんがイラついた原因はまさにそれだ。
彩音さんは僕を共演者としてみてくれていたのに、僕は単なる伴奏者としか考えていなかった。
彩音さんは僕のピアノの音を聞いてそれにすぐに気が付いた。だから憤った。
――僕はなんちゅう小賢しい真似をしとったんや――
折角、彩音さんとのディオなのに……楽しみにしていたはずなのに……僕は彩音さんに下駄を預けるような態度で、任せっきりで無責任な音の粒を出していた。彩音さんからしたらとても失礼な音に聞こえたに違いない。
ピアノを弾きながら僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
――始めから彩音さんと二人で旋律を奏でる事を……創り上げる事を放棄していたようなもんだ――
とっても失礼で無礼なピアノ。彩音さんはそれを僕に弓一本で教えてくれた。
僕は心の中で彩音さんに謝りながら、改めて気持ちを入れ直してピアノに向かった。
ピアノが
――やっと気が付いたか! この愚か者め――
と言っている。ホンマ……バカタレやったなぁ……
彩音さんの出す音の粒、旋律そのすべてと調和するような音の粒。
――ここはヴァイオリンの音色にシルエットになる音が欲しい――
そう鮮やかな魅惑的な赤に対して淡い紫の影。そっと寄り添うようなピアノ。でも存在感はなくさない。さらに不安定さを煽ってあげよう。
彩音さんがちらっと僕を見た。
視線が柔らかい。
――やっと気が付いたようね――
――遅まきながら……何とか……――
僕は少しほっとしたが、緊張の糸は切れていない。まだまだ彩音さんの要望に応えきっていない。
僕は伴奏というのを舐めてかかっていた。奏者として同じ立場にいる。それを今日彩音さんに教わった。
前奏曲を弾き終えると彩音さんは静かに弓を下ろした。
そして
「うん。やっといつもの藤崎亮平が帰ってきてくれたわ。お帰り」
と言って満面の笑みで僕をねぎらってくれた。
――やっぱり彩音さんには敵わないな――
僕は彩音さんの笑顔に暫く声も出せずに見惚れてしまっていた。
音楽家としての腹の座り方が僕とは全く違う。心のありどころも違う。もっともっとこの人と一緒に演奏したかった。
僕は何とも言えない気持ちで彩音さんから視線を楽譜に戻した。
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