北野坂パレット

うにおいくら

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クリスマスの演奏会

アンコールはラピュタ

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 指笛が鳴る。観客の歓声を聞いて僕たちはうかがうように美奈子先生の顔を見た。
頷く先生。
もう弾くしかない。僕と宏美はアンコールに応えることにした。

「なに弾こう?」
と宏美が少し困ったような表情で僕に聞いてきた。

「お前の好きな曲でええんとちゃう?」
僕は宏美とこの場にまだ居られることが嬉しくて、曲は何でも良かった。

「好きな曲かぁ……」
宏美は少し考えてから
「ラピュタでも良い?」
と聞いてきた。

『天空の城ラピュタ』
 何の説明も要らない。誰もが知っているジブリのアニメだ。その主題歌『君をのせて』は宏美が大好きな曲で、一人でよく弾いていた。もちろん僕も大好きな曲で歌詞は全部覚えているし、僕もピアノでも何度も弾いたことがある。

 ヴァイオリンをメインに編曲したこの曲は、二曲目にはちょうどいいかもしれない。僕自身の気持ちの中に宏美のヴァイオリンをもっと堪能したいという思いもあった。ただ、まさかここで一緒に弾く事になるとは思ってもいなかったが……。

「ええんとちゃう」
と僕は笑って応えた。

「うん」
 宏美はほっとしたように頷いた。
この曲は何度も宏美と一緒に弾いてはいたが、こんな多くの人の前で演奏した事は無かった。
ほぼぶっつけ本番で弾くような感覚だった。

――最後にこれを一緒に弾いたのはいつやったかなぁ――

とか考えながら僕は鍵盤の上に指を滑らした。

 軽い僕のピアノの音を受けて、綺麗にビブラートがかかった宏美のヴァイオリンの優しい音がゆったりと響いた。

伸びのある良い音だ。弓が弦の上を滑る様に滑らかに流れていく。

――だが、少し早いか?――

と僕が思った瞬間、宏美は消え入りそうな音を出して一瞬の間を創り出した。
何と絶妙な間なんだろう。まるでそれは琥珀のため息のような一瞬だった。
観客が息を呑んだのが伝わってきた。それほど絶妙なピアニッシモだった。

――こんな艶のある音が出せるのか?――

この一つの吐息で宏美のヴァイオリンは観客の気持ちを鷲掴みしてしまったようだ。

 僕は初めて宏美の大人の色香を感じたような気がした。

儚さを帯びた宏美の音色は、ホールをゆったりと流れる。

 2コーラスを弾いた後の間奏で宏美は手を止めた。
この間奏はピアノソロだ。いつもならここは軽く流すのだが、敢えて重音を響かせて抒情的な演奏してみた。音の粒があふれ出ている。

――どうや!――

 宏美は僕の企みが解っているようだ。横目で僕を見て笑うと、体全体で応えてくれた。

――私は決めたの。亮ちゃんについて行くって――

――マジで?――

――だって、そっちの方が楽しそうやもん――

 僕が残した余韻という雲の切れ間から天空に翔け昇って行くように、宏美のヴァイオリンが儚げに高みへと昇っていく音の流れを僕は感じていた。

 良い景色だ。こんな音をここで宏美と創れるなんて思ってもいなかった。

僕がコンクールの練習で没頭している間に、宏美は自分の行くべき道を見つけたようだ。

――こんなところに素敵なヴァイオリニストが居た――

 本当に僕は宏美の何を見ていたんだろう。ここにきて僕は自分の迂闊さを悟った。
今僕の目の前でヴァイオリンを奏でているのは誰なんだ?

――いつの間に宏美はこんな音を奏でるようになったんやろう?――

 何もしないでこんな音の粒は出せない。
宏美は何も言わないけれど、一人でヴァイオリンを弾き続けていたんだろう。
何を思いながら彼女は弦を弾き続けていたのだろう?

 宏美の横顔を眺めながら僕はそんな事を考えていた。
ふと僕は何か取り残されたような気持ちになっていることに気が付いた。そう、とっても寂しい気持ちが湧き上がってきていた。でもすぐにそれは僕が宏美に対して抱かせていた感情だという事に気が付いた。

――宏美は僕と冴子をそういう風に眺めていたんや。こんな思いで見とったんや――

僕は本当に鈍感だと実感した。同時に宏美に対して申し訳なさを感じていた。僕は宏美をいつも置いてけぼりにしていた。今、僕はそれを味わった。

――彼氏、失格やなぁ――

そう思った時、僕たちの淡い時間は終わりを告げていた。

 宏美の奏でる長い余韻を聞きながら僕は、少し自己嫌悪に陥っていた。
弓が弦からスッと離れた。

宏美の顔に満足げな笑みが浮かんだ。

――もうこれは立派なヴァイオリニストの顔ではないか――

そう自分の音を出し切った笑みだ。

僕は立ち上がって宏美と並んで立った。

「亮ちゃん。やっぱり大好き」
と僕の耳元で宏美が唐突に呟いた。

「え? うん」
と応えるのが僕は精一杯やった。

 まるで僕の自己嫌悪を見透かされたような気持になったが、同時にこの一言がとても嬉しいひとことであったのも事実だった。僕の心のわだかまりが溶けていく。

僕と宏美は並んで客席に向かって頭を下げた。

 心地よい拍手と歓声だった。
この拍手は全て宏美に対してだった。それほどの演奏を彼女はここでやってのけた。

 僕は頭を下げたまま、宏美の彼氏である事を感謝していた。
出来ればここにいる人たちに「宏美は僕の彼女です」と公言したい気持ちにもなっていた。

しかし、僕は厨二病患者ではない。流石にそれだけは思い留まれる理性を持ち合わせていた。

 顔を上げた宏美は晴れ晴れとした表情を見せていた。
この笑顔だけで僕はご飯三杯まではいける。
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