218 / 406
オーケストラな日常
コンクールの後
しおりを挟む
オヤジのその表情にムカつきながら
「なに冴子に個人レッスンしとんねん」
と僕は詰め寄った。
「あれぇ? 冴ちゃん、うちの星の王子様にばらしたん?」
と、オヤジは意外そうに冴子の顔を見た。
「え? 星くずの王子様には、まだなんも言うてないです」
と冴子は頭を上げると首を振った。
「え?」
オヤジは驚いたように僕の顔を見た。
「あんなもん聞いたらすぐに分かるわ。それに俺は星の王子様なんかになった覚えはないぞ!」
僕は二人に見くびられたような気がして更に憤慨していた。
「そうかぁ……やっぱり分かるかぁ……流石、王子様やな」
そう言いながらオヤジの口元は緩みっぱなしだった。
僕が何を言っても面白くて仕方ないようだ。確かにツッコミどころ満載だろう。
――……というか、俺はそもそも王子様ではない――
「焦ったやろう?」
早速、いたずらっ子のような顔をしてこの中年オヤジは聞いてきた。
見ているだけでなんだか腹が立つ。
「ふん。まあ、少しぐらいは……」
――なんかムカつく――
「頭真っ白になったやろう?」
少しオヤジに対して殺意が湧いた。
「……」
――なんで分かんねん――
「図星みたいやな」
そう言うとオヤジは今度は声に出して笑った。
しゃくだったがその通りだ。言い返す気力も湧かないほど図星だった。
どうやらオヤジには全てお見通しだったようだ。
「真っ白な頭で演奏したらどうやった?」
と笑いを堪えながらオヤジは聞いてきた。
できる事ならこんなオヤジには何も答えたくなかったが、僕が感じたこの感覚を理解しできるのはオヤジしかいないというのも分かっていた。
「何か知らんけど考え過ぎて訳が分かん様になって、自分の弾きたいように弾いてた」
「ほほぉ……で弾いてたらどうなった?」
「舞う音の粒に自分が一緒に溶けているような気がしたわ」
と素直に思い浮かんだ言葉を全部言ってみた。なんだかオヤジの思った通りに自分が動かされているような気がして、応えながらがら更にムカついてきた。
それと同時に本当はもっといろいろな事な感覚を味わっていたし、ピアノを弾いている感触が今までとは全然違っていて、それをうまく言葉で説明できないもどかしさも感じていた。
もしかしたら実はその時感じた感覚を誰かに伝えたかった……いや、正直に言うと初めからオヤジには伝えたかったのかもしれない。
しかし僕の言葉を聞いたオヤジの勝ち誇ったような顔を見て、僕は脱力した。
――腹立つけど、このオヤジにはまだ勝てんな……お見通しや――
オヤジは僕の想いとは裏腹に
「おお、なんか格好いい事を言うてんなぁ……でもなぁ。ええ演奏やったわ。あれは間違いなくお前だけの音やったなぁ。亮平しか出せん音やった」
と満足そうな笑みを浮かべた。
もっとツッコまれるのかと思っていたのだが、なんだか褒められたような気がして少し嬉しくなった。
その一言で僕の中に少し残っていたわだかまりが消えた。自分で言うのもなんだが……僕は単純かもしれない。
「そうなんかな? でもどんな演奏したかはっきり覚えてへんねん」
「そうかぁ……まあ、そんなもんやろうな」
昔の記憶を辿る様にオヤジは少し考えてから言った。
「父さんも経験あんの?」
「ああ、あったなぁ……で、お前は至福な時を過ごせたんか?」
オヤジは当然のごとくと頷いてから僕に聞き返してきた。
――そうかぁ、やっぱりオヤジもあの景色を見ていたんや――
オヤジと一緒の景色を見たと思うと少し嬉しくなった。
「うん。もう一度あの景色が見たい」
そう言いながら僕にはあの情景が色が目の前に蘇っていた。本当に至福な時だった。
「ほほぉ。だったらもう大丈夫やな」
「何が?」
「頭でっかちのピアニストにならんで済んだってことや」
と言うと
「自分で感じた音が全てや。理論と技術があってもお前のピアノには風景が無かった。確かにええ音出しているんやけどそれだけやった。そう……自分の感じた音をそのまま出すってことが……何故か欠落してしまっていたんやなぁ」
と言葉をつづけた。
「あれが俺の音? ……って人生の何か大事なものをどこかに無くしてしまったような愚か者みたいな言われようやな」
「はは、そんな大層なもんかぁ……でも、おもろい事言うなぁ。まあ、欠落したというか敢えて見ない様にしていたというか……。兎に角やなぁ、あれはお前の音やった。厳密に言うと今日のお前がこの場で感じた音やな。お前の音とか決まったもんがあるわけではないっちゅう事は、分かったやろう? もしあるとしたらそれはお前だけのタッチや。そしてお前だけの世界観や」
「俺だけのタッチに世界観かぁ……うん。まだ感覚でしか捉えられてないけど、なんとなくわかるような気がするわ。少なくとも今日の世界観と言うか……一瞬で消え去るような……でも確かに掴んだような……」
お嬢と出会う前にも、好きなように思いつくまま弾く事はあった。それを伊能先生には『コンクールとか発表会でそのまま弾いても良いのよ』と言われたこともあった。確かにそれはそれで個性的な音だっただろうし、ある意味自分の感性だったかもしれない。
でも、今日実感した音の粒とは明らかに違う。今日の音の粒は自分自身でも『これが僕の音だ』と思う箇所が何度もあった。全てではないが自分の魂を削り出した音の粒だという実感があった。
「ほほぉ。その顔はそれなりにちゃんと理解しとうみたいやな。流石は我が息子と言うか、その勘の良さは母親似やな」
と今度は本気で感心したように頷いた。
オヤジの言葉を聞きながら僕は『何故冴子にあのピアノを教えたのか』を聞きそびれていた事に気が付いた。
「なに冴子に個人レッスンしとんねん」
と僕は詰め寄った。
「あれぇ? 冴ちゃん、うちの星の王子様にばらしたん?」
と、オヤジは意外そうに冴子の顔を見た。
「え? 星くずの王子様には、まだなんも言うてないです」
と冴子は頭を上げると首を振った。
「え?」
オヤジは驚いたように僕の顔を見た。
「あんなもん聞いたらすぐに分かるわ。それに俺は星の王子様なんかになった覚えはないぞ!」
僕は二人に見くびられたような気がして更に憤慨していた。
「そうかぁ……やっぱり分かるかぁ……流石、王子様やな」
そう言いながらオヤジの口元は緩みっぱなしだった。
僕が何を言っても面白くて仕方ないようだ。確かにツッコミどころ満載だろう。
――……というか、俺はそもそも王子様ではない――
「焦ったやろう?」
早速、いたずらっ子のような顔をしてこの中年オヤジは聞いてきた。
見ているだけでなんだか腹が立つ。
「ふん。まあ、少しぐらいは……」
――なんかムカつく――
「頭真っ白になったやろう?」
少しオヤジに対して殺意が湧いた。
「……」
――なんで分かんねん――
「図星みたいやな」
そう言うとオヤジは今度は声に出して笑った。
しゃくだったがその通りだ。言い返す気力も湧かないほど図星だった。
どうやらオヤジには全てお見通しだったようだ。
「真っ白な頭で演奏したらどうやった?」
と笑いを堪えながらオヤジは聞いてきた。
できる事ならこんなオヤジには何も答えたくなかったが、僕が感じたこの感覚を理解しできるのはオヤジしかいないというのも分かっていた。
「何か知らんけど考え過ぎて訳が分かん様になって、自分の弾きたいように弾いてた」
「ほほぉ……で弾いてたらどうなった?」
「舞う音の粒に自分が一緒に溶けているような気がしたわ」
と素直に思い浮かんだ言葉を全部言ってみた。なんだかオヤジの思った通りに自分が動かされているような気がして、応えながらがら更にムカついてきた。
それと同時に本当はもっといろいろな事な感覚を味わっていたし、ピアノを弾いている感触が今までとは全然違っていて、それをうまく言葉で説明できないもどかしさも感じていた。
もしかしたら実はその時感じた感覚を誰かに伝えたかった……いや、正直に言うと初めからオヤジには伝えたかったのかもしれない。
しかし僕の言葉を聞いたオヤジの勝ち誇ったような顔を見て、僕は脱力した。
――腹立つけど、このオヤジにはまだ勝てんな……お見通しや――
オヤジは僕の想いとは裏腹に
「おお、なんか格好いい事を言うてんなぁ……でもなぁ。ええ演奏やったわ。あれは間違いなくお前だけの音やったなぁ。亮平しか出せん音やった」
と満足そうな笑みを浮かべた。
もっとツッコまれるのかと思っていたのだが、なんだか褒められたような気がして少し嬉しくなった。
その一言で僕の中に少し残っていたわだかまりが消えた。自分で言うのもなんだが……僕は単純かもしれない。
「そうなんかな? でもどんな演奏したかはっきり覚えてへんねん」
「そうかぁ……まあ、そんなもんやろうな」
昔の記憶を辿る様にオヤジは少し考えてから言った。
「父さんも経験あんの?」
「ああ、あったなぁ……で、お前は至福な時を過ごせたんか?」
オヤジは当然のごとくと頷いてから僕に聞き返してきた。
――そうかぁ、やっぱりオヤジもあの景色を見ていたんや――
オヤジと一緒の景色を見たと思うと少し嬉しくなった。
「うん。もう一度あの景色が見たい」
そう言いながら僕にはあの情景が色が目の前に蘇っていた。本当に至福な時だった。
「ほほぉ。だったらもう大丈夫やな」
「何が?」
「頭でっかちのピアニストにならんで済んだってことや」
と言うと
「自分で感じた音が全てや。理論と技術があってもお前のピアノには風景が無かった。確かにええ音出しているんやけどそれだけやった。そう……自分の感じた音をそのまま出すってことが……何故か欠落してしまっていたんやなぁ」
と言葉をつづけた。
「あれが俺の音? ……って人生の何か大事なものをどこかに無くしてしまったような愚か者みたいな言われようやな」
「はは、そんな大層なもんかぁ……でも、おもろい事言うなぁ。まあ、欠落したというか敢えて見ない様にしていたというか……。兎に角やなぁ、あれはお前の音やった。厳密に言うと今日のお前がこの場で感じた音やな。お前の音とか決まったもんがあるわけではないっちゅう事は、分かったやろう? もしあるとしたらそれはお前だけのタッチや。そしてお前だけの世界観や」
「俺だけのタッチに世界観かぁ……うん。まだ感覚でしか捉えられてないけど、なんとなくわかるような気がするわ。少なくとも今日の世界観と言うか……一瞬で消え去るような……でも確かに掴んだような……」
お嬢と出会う前にも、好きなように思いつくまま弾く事はあった。それを伊能先生には『コンクールとか発表会でそのまま弾いても良いのよ』と言われたこともあった。確かにそれはそれで個性的な音だっただろうし、ある意味自分の感性だったかもしれない。
でも、今日実感した音の粒とは明らかに違う。今日の音の粒は自分自身でも『これが僕の音だ』と思う箇所が何度もあった。全てではないが自分の魂を削り出した音の粒だという実感があった。
「ほほぉ。その顔はそれなりにちゃんと理解しとうみたいやな。流石は我が息子と言うか、その勘の良さは母親似やな」
と今度は本気で感心したように頷いた。
オヤジの言葉を聞きながら僕は『何故冴子にあのピアノを教えたのか』を聞きそびれていた事に気が付いた。
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる