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2019年10月 解剖学発展コース
178 出会いのかたち
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2019年10月3日、木曜日。時刻は昼14時頃。
3回生に進級してからの定位置である第三講堂窓側の座席で剖良はスマートフォンの画面に視線を集中させていた。
「……この混合性結合組織病というのは自己免疫疾患の中でも相当厄介な部類に入りまして、SLEと強皮症の両方の所見が重複することが特徴です。患者の血清中には抗U1―RNP抗体が検出され……」
講堂の前方では膠原病内科の講師である教員が医学部3回生の後期科目「アレルギー・免疫」の講義を行っているが、今の剖良は真面目に授業に参加できる精神状態ではなかった。
剖良の座席は横に3つ並んだ座席の左端で、2つ隣の席にはいつも通り理子が座っている。
剖良と理子は予備校生の頃からの親友だが共通の友人は少なく、研究医生仲間である龍之介と微人を除いては剖良とも理子とも仲の良い3回生はほとんどいない。
2人が横にぴったりくっ付いて座るとお互いの友人連中が話しかけにくいという事情から、1回生の中盤からはどちらから提案することもなく2つ隣の座席に座るようになっていた。
ふと右隣を見ると理子はいつものようにパソコンを開いて真剣に講義の板書を取っており、その横顔はいつ見ても美しかった。
そして愛しい理子はもはや自分のものにはなってくれないということを理解して、剖良は再びスマホの画面に視線を落とした。
剖良が今現在開いているのはマッチングアプリ「フェルミオン」の検索ページで、そこには様々な女性の写真とプロフィールが並んでいる。
このフェルミオンというアプリは数あるマッチングアプリの中でもレズビアン同士の出会いに特化したもので、利用者は成人女性かつ自身が女性であることを証明する資料を運営に提出できる人物に限定されている。
母数が少ないレズビアンの女性に対して利用を促すためフェルミオンでは基本的な機能の利用が完全無料となっており、課金要素は日記機能の利用や検索機能の強化、追加の写真閲覧(無料では相手の写真を3枚まで閲覧できる)といったプラスαの利用に限られている。
剖良はこれまで人生でマッチングアプリというものを使ったことがなく見ず知らずの他人とインターネット上だけで知り合うという行為には嫌悪感も強かったが、医学生の狭い人間関係では理想の相手を見つけようがない事実を考えれば一歩踏み出すしかなかった。
インターネットで口コミを慎重に調べ、レズビアン専用のアプリでは最大手かつ基本無料で利用できるという理由から剖良は2日前の夜にフェルミオンをスマホにインストールしたのだった。
フェルミオンはマッチングアプリの中でもレズビアン専用である関係上、利用者の個人情報の保護については最大限配慮されている。
このアプリに登録していること自体がレズビアンであることの証拠となってしまうので利用者にはハンドルネームの使用が推奨されており、無料で閲覧可能な3枚の写真のうちはっきりと顔が分かるものは1枚までと決められていた。
その分だけプロフィールの項目は細かく設定可能になっており、剖良の場合は「職業:大学生(理系・6年制大学)」「居住地:兵庫県」「出身地:兵庫県」「年収:1000万円以上(予定)」「クラブ・サークル活動:弓道部(現役)」「好みのタイプ:打ち解けやすい人、思いやりのある人」というような項目に加えて大まかな身長・体重とスリーサイズまで記載していた。
(この人、スリーサイズではスタイルいいけど写真からするとそうは見えない。この人は修正してこの顔なら論外だし、この人は大学出てないみたい……)
次々に検索ページを切り替えながら、剖良はもはや何人目になるか分からないほど他の利用者を脳内でボツにしていた。
(この人は家庭的とか書いてるけど得意料理肉じゃがしか書いてないし、この人は年収300万円以下だからちょっと釣り合わないかな……)
まだ誰とも付き合ったことのない身分としては若干傲慢な態度になりつつ、剖良は次々に他の利用者をボツにしていく。
そこまで検索ページを開いた瞬間に通知欄に再びアイコンが表示され、剖良はそれを指でタップした。
検索して出てくる人々よりはもう少しレベルの高い女性からのフォローリクエストだったがその女性はルックスが良さそうで高学歴であるものの居住地が三重県であり、この距離では流石に交際は無理と考えて剖良は相手からのリクエストを断った。
剖良は全く加工していないプロフィール写真と医学生であることによる年収1000万円以上(予定)という記載のおかげで登録から2日の時点でも多数のフォローリクエストを受けており、今のところ気に入った相手は1人もいないが先行きは明るそうだった。
そんな中、再び自分から他の女性を検索した剖良はある人のプロフィールが目に入った。
その女性は理子とよく似たショートボブの髪型で剖良からすると理子ほど美しくは見えないが十分に美人と呼べるルックスであり、画像も大きくは加工していないようだった。
写真につられて詳しいプロフィールを開くと以下のような項目が並んでいた。
名前:まこっちゃん
職業:大学生(文系・4年制大学)
居住地:京都府
出身地:京都府
年収:400万円~500万円(予定)
趣味:政治・社会の勉強、エッセイを書くこと
特技:TOEIC800点台前半、ITパスポート試験合格
クラブ・サークル活動:囲碁サークル(現役)・マスコミ研究会(現役)
好みのタイプ:上品な人、胸が大きくて顔が綺麗な人
京都府の文系女子大生らしく、全身が確認できる写真とスリーサイズによると剖良によく似たスレンダーな女性のようだった。
ITパスポート試験というのが何なのかは分からないが趣味や特技からは知的さが感じられ、剖良はこの人なら自分の相手に相応しいのではないかとやはり傲慢な姿勢で女性に興味を持った。
このアプリでは気に入った相手には直接フォローリクエストを出すだけでなく後で相手のプロフィールを見返せるようブックマーク登録をしておくことが可能であり、剖良はアプリをインストールしてから初めてブックマーク機能を使った。
「ねえ、何見てるの?」
右隣から呼びかけられた声に剖良はビクッ! とした感じでうろたえた。
声のした方に振り向くと、相手は言うまでもなく理子だった。
「女の人が写ってたけど、何かのサイト?」
「や、ヤミ子、ずっと見てたの?」
「そういう訳じゃないんだけど、授業中からずっとスマホ見てたからさっちゃんにしては珍しいなって……」
講堂前方を見ると既に教員の姿はなく、剖良は自分がアプリに熱中するあまり5分間の休み時間に入ったことにも気づいていなかったと悟った。
「盗み見しちゃったみたいでごめんね。でも女の人が何人も写ってたからファッション関係のサイトとかかなって」
「フェルミオン」は先述の通りレズビアン専用のマッチングアプリであり、利用者の個人情報保護について最大限配慮されているのはもちろんアプリの画面だけではマッチングアプリと分かりにくいデザインになっている。
アプリ名は起動時にしか表示されずプロフィール写真が並んでいる検索ページもファッション誌の誌面のようになっているため、理子はファッション誌のWEB版か何かだと勘違いしてくれているようだった。
「そうなの、最近ファッション誌のアプリ版を読むようになってちょうど流行りのコーディネートが特集されてたから。でも授業中に読むのはよくないから、今度から気を付けるね」
さらなる追及をかわすべく、剖良は普段よりかなり早口でそう答えた。
「うん、授業中にさぼるのは別に悪くないと思うけど堂々とスマホ見てるのはちょっと危険かなって。どうせならパソコンで見てみたら?」
理子はそう言ってにっこり笑い、その笑顔はやはりこの世の誰よりも美しく見えた。
それから剖良は学内でマッチングアプリを見るのはやめ、通学電車の中や自宅にいる時にだけ利用することにした。
「まこっちゃん」というハンドルネームの女子大生には後でフォローリクエストを送って、剖良は相手からの反応を楽しみに待った。
3回生に進級してからの定位置である第三講堂窓側の座席で剖良はスマートフォンの画面に視線を集中させていた。
「……この混合性結合組織病というのは自己免疫疾患の中でも相当厄介な部類に入りまして、SLEと強皮症の両方の所見が重複することが特徴です。患者の血清中には抗U1―RNP抗体が検出され……」
講堂の前方では膠原病内科の講師である教員が医学部3回生の後期科目「アレルギー・免疫」の講義を行っているが、今の剖良は真面目に授業に参加できる精神状態ではなかった。
剖良の座席は横に3つ並んだ座席の左端で、2つ隣の席にはいつも通り理子が座っている。
剖良と理子は予備校生の頃からの親友だが共通の友人は少なく、研究医生仲間である龍之介と微人を除いては剖良とも理子とも仲の良い3回生はほとんどいない。
2人が横にぴったりくっ付いて座るとお互いの友人連中が話しかけにくいという事情から、1回生の中盤からはどちらから提案することもなく2つ隣の座席に座るようになっていた。
ふと右隣を見ると理子はいつものようにパソコンを開いて真剣に講義の板書を取っており、その横顔はいつ見ても美しかった。
そして愛しい理子はもはや自分のものにはなってくれないということを理解して、剖良は再びスマホの画面に視線を落とした。
剖良が今現在開いているのはマッチングアプリ「フェルミオン」の検索ページで、そこには様々な女性の写真とプロフィールが並んでいる。
このフェルミオンというアプリは数あるマッチングアプリの中でもレズビアン同士の出会いに特化したもので、利用者は成人女性かつ自身が女性であることを証明する資料を運営に提出できる人物に限定されている。
母数が少ないレズビアンの女性に対して利用を促すためフェルミオンでは基本的な機能の利用が完全無料となっており、課金要素は日記機能の利用や検索機能の強化、追加の写真閲覧(無料では相手の写真を3枚まで閲覧できる)といったプラスαの利用に限られている。
剖良はこれまで人生でマッチングアプリというものを使ったことがなく見ず知らずの他人とインターネット上だけで知り合うという行為には嫌悪感も強かったが、医学生の狭い人間関係では理想の相手を見つけようがない事実を考えれば一歩踏み出すしかなかった。
インターネットで口コミを慎重に調べ、レズビアン専用のアプリでは最大手かつ基本無料で利用できるという理由から剖良は2日前の夜にフェルミオンをスマホにインストールしたのだった。
フェルミオンはマッチングアプリの中でもレズビアン専用である関係上、利用者の個人情報の保護については最大限配慮されている。
このアプリに登録していること自体がレズビアンであることの証拠となってしまうので利用者にはハンドルネームの使用が推奨されており、無料で閲覧可能な3枚の写真のうちはっきりと顔が分かるものは1枚までと決められていた。
その分だけプロフィールの項目は細かく設定可能になっており、剖良の場合は「職業:大学生(理系・6年制大学)」「居住地:兵庫県」「出身地:兵庫県」「年収:1000万円以上(予定)」「クラブ・サークル活動:弓道部(現役)」「好みのタイプ:打ち解けやすい人、思いやりのある人」というような項目に加えて大まかな身長・体重とスリーサイズまで記載していた。
(この人、スリーサイズではスタイルいいけど写真からするとそうは見えない。この人は修正してこの顔なら論外だし、この人は大学出てないみたい……)
次々に検索ページを切り替えながら、剖良はもはや何人目になるか分からないほど他の利用者を脳内でボツにしていた。
(この人は家庭的とか書いてるけど得意料理肉じゃがしか書いてないし、この人は年収300万円以下だからちょっと釣り合わないかな……)
まだ誰とも付き合ったことのない身分としては若干傲慢な態度になりつつ、剖良は次々に他の利用者をボツにしていく。
そこまで検索ページを開いた瞬間に通知欄に再びアイコンが表示され、剖良はそれを指でタップした。
検索して出てくる人々よりはもう少しレベルの高い女性からのフォローリクエストだったがその女性はルックスが良さそうで高学歴であるものの居住地が三重県であり、この距離では流石に交際は無理と考えて剖良は相手からのリクエストを断った。
剖良は全く加工していないプロフィール写真と医学生であることによる年収1000万円以上(予定)という記載のおかげで登録から2日の時点でも多数のフォローリクエストを受けており、今のところ気に入った相手は1人もいないが先行きは明るそうだった。
そんな中、再び自分から他の女性を検索した剖良はある人のプロフィールが目に入った。
その女性は理子とよく似たショートボブの髪型で剖良からすると理子ほど美しくは見えないが十分に美人と呼べるルックスであり、画像も大きくは加工していないようだった。
写真につられて詳しいプロフィールを開くと以下のような項目が並んでいた。
名前:まこっちゃん
職業:大学生(文系・4年制大学)
居住地:京都府
出身地:京都府
年収:400万円~500万円(予定)
趣味:政治・社会の勉強、エッセイを書くこと
特技:TOEIC800点台前半、ITパスポート試験合格
クラブ・サークル活動:囲碁サークル(現役)・マスコミ研究会(現役)
好みのタイプ:上品な人、胸が大きくて顔が綺麗な人
京都府の文系女子大生らしく、全身が確認できる写真とスリーサイズによると剖良によく似たスレンダーな女性のようだった。
ITパスポート試験というのが何なのかは分からないが趣味や特技からは知的さが感じられ、剖良はこの人なら自分の相手に相応しいのではないかとやはり傲慢な姿勢で女性に興味を持った。
このアプリでは気に入った相手には直接フォローリクエストを出すだけでなく後で相手のプロフィールを見返せるようブックマーク登録をしておくことが可能であり、剖良はアプリをインストールしてから初めてブックマーク機能を使った。
「ねえ、何見てるの?」
右隣から呼びかけられた声に剖良はビクッ! とした感じでうろたえた。
声のした方に振り向くと、相手は言うまでもなく理子だった。
「女の人が写ってたけど、何かのサイト?」
「や、ヤミ子、ずっと見てたの?」
「そういう訳じゃないんだけど、授業中からずっとスマホ見てたからさっちゃんにしては珍しいなって……」
講堂前方を見ると既に教員の姿はなく、剖良は自分がアプリに熱中するあまり5分間の休み時間に入ったことにも気づいていなかったと悟った。
「盗み見しちゃったみたいでごめんね。でも女の人が何人も写ってたからファッション関係のサイトとかかなって」
「フェルミオン」は先述の通りレズビアン専用のマッチングアプリであり、利用者の個人情報保護について最大限配慮されているのはもちろんアプリの画面だけではマッチングアプリと分かりにくいデザインになっている。
アプリ名は起動時にしか表示されずプロフィール写真が並んでいる検索ページもファッション誌の誌面のようになっているため、理子はファッション誌のWEB版か何かだと勘違いしてくれているようだった。
「そうなの、最近ファッション誌のアプリ版を読むようになってちょうど流行りのコーディネートが特集されてたから。でも授業中に読むのはよくないから、今度から気を付けるね」
さらなる追及をかわすべく、剖良は普段よりかなり早口でそう答えた。
「うん、授業中にさぼるのは別に悪くないと思うけど堂々とスマホ見てるのはちょっと危険かなって。どうせならパソコンで見てみたら?」
理子はそう言ってにっこり笑い、その笑顔はやはりこの世の誰よりも美しく見えた。
それから剖良は学内でマッチングアプリを見るのはやめ、通学電車の中や自宅にいる時にだけ利用することにした。
「まこっちゃん」というハンドルネームの女子大生には後でフォローリクエストを送って、剖良は相手からの反応を楽しみに待った。
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