気分は基礎医学

輪島ライ

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2019年9月 微生物学発展コース

162 気分はポスター発表

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 発表者の皆さんが念入りに準備してきただけあってホテル2階のホールでのポスター発表は大いに盛り上がった。

 ヤミ子先輩は「ラット腎臓への化学的発癌誘導機構の解明」、剖良先輩は「哺乳類の呼吸器発生に関与する因子の同定」、ヤッ君先輩は「マウスモデルを用いた膵癌転移機構の研究」、マレー先輩は「デングウイルスの生物学的特性の研究」についてそれぞれポスター発表を行い、どの先輩にも同じぐらい人が集まっていた。

 医学部2回生の僕にとっては専門的すぎて内容はあまり理解できなかったが高学年の学生や各大学の先生方は興味深い様子で発表に耳を傾けており、頼りになる先輩方だけあって優れた発表を行っていたようだった。

 本人が話していた通りくれさんは公衆衛生学、加山さんは生理学についてそれぞれポスター発表を行っており、テーマが人文学的であることもあって呉さんのポスター発表には特に多くの人が集まっていた。


 講堂などに聴衆を集めて行うスライド講演とは異なり、ポスター発表では聴衆が発表を聞いている最中にその場を立ち去り別のポスターを見に行ってよいという点が特徴的だ。

 この特徴によりポスター発表では面白い発表をしていればどんどん人が集まってくる一方、発表がつまらなければ目の前で立ち去られるという恐ろしさもある。

 僕も来年か再来年にはポスター発表をすることになりそうなので、先輩方を見習って今から心構えをしておこうと思った。


 それからはホテル最上階の広々としたレストランに集められて、やはりグループごとに着席してバイキング形式の夕食を頂いた。

 柔道部に所属していて普段から運動しているらしい呉さんや非常に身長の高いマレー先輩は男らしくよく食べていて、女性陣やヤッ君先輩は控えめな食べ方だった。

 合宿1日目のイベントはこれにて完全終了となり後は自分の客室に戻って休むだけになったので、僕は同じグループのメンバーに挨拶してレストランを出た。


 ヤッ君先輩並びにマレー先輩と同室である客室に向かおうとするとちょうどレストランを出た所らしい壬生川さんを見かけたので、僕は彼女に声をかけてエレベーターの前まで並んで歩いた。

「今日はお疲れ様。この合宿は初めてだけど楽しかったわ。あんたはどう?」
「緊張してたけど話しやすい人が多くて安心したよ。でも、やっぱり外部の人と話すと疲れるね」
「確かに。私も普段の生活でよその大学の人と会うのってバスケ部の試合ぐらいだし」

 歩きながら会話は続き、壬生川さんは夕食の時のことを話してくれた。


「さっきの食事中向かい側に座ってた西宮医大の2回生男子が何回も話しかけてきて、デザート取りに行ったら付いてきたの。連絡先とか聞かれたらどうしようって思ったけど流石にそこまでじゃなかったみたい」
「へえー、流石は壬生川さんだね」

 やはり美人は違うなと思ってそう言うと、


「……それだけ?」
「えっ?」

 壬生川さんは若干不満そうな表情で尋ねてきた。


「まあいいわ、あんたのそういう所にはもう慣れっこだから。ところで、これから全員集まったら先輩方とカナちゃんとで温泉に行くから」
「温泉っていうと、確か地下にあるんだよね」

 このホテルにはあまり豪華ではないらしいが人工の温泉があり、地下1階に入り口があるとのことだった。

 僕も後でヤッ君先輩並びにマレー先輩と入りに行くことになっており、こういう機会は1回生の時の剣道部の合宿以来なので楽しみにしている。


「あんたも一緒に入る?」
「ふぇっ!?」

 例によって変な声が出た。


「冗談よ、冗談。大体他の女の子もいるのに入れる訳ないでしょ」
「もちろんそうだよね。びっくりした……」

 そのタイミングでエレベーターが到着し、僕と壬生川さんは下に向かうエレベーターに乗り込んだ。

 そして壬生川さんはエレベーターの扉を見つめながら、


「……2人きりの時なら、考えてあげる」

 静かに呟き、そのまま僕の手を握った。


 僕の客室は壬生川さんが降りた階の2つ下の階にあり、マレー先輩から渡されていたカードキーで誰もいない客室に入ると僕は私服のまま畳の床に寝転んだ。


「そうか、僕は壬生川さんと付き合ってるんだった……」

 虚空を見上げながら一人呟くと脳内に壬生川さんのあられもない姿が浮かんできて、僕は床をゴロゴロと転がりながら雑念を振り払った。
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