上 下
5 / 30

5.

しおりを挟む
 カマルと暮らし始めてセイジが最初にしたのは、カマルの部屋を作ることだった。セイジの小屋は二階建てでかなり広い。セイジの部屋は二階で、イオの部屋は一階で、一階には書庫があったがそこを片付けて二階の書斎に合わせてしまって、カマルの部屋を作った。
 買ってきたベッドは移転の魔術で部屋に飛ばして、テーブルや椅子やソファも揃える。新しい家具にひたすら恐縮していたカマルも、部屋が出来上がるにつれて嬉しそうな表情をしていた。

「これが、私の部屋……」
「これまで部屋はなかったのか?」
「魔王の部屋の隣りに豪奢な部屋が……。豪華な家具も調度品も誰かから奪われたものだと思うと使うのが申し訳なくて、身の置き場がありませんでした」

 本当にカマルは魔王の異母姉で半分魔族なのかと疑ってしまうくらい、欲望というものがなかった。生まれたときから親子二代の魔王に囚われ続けて来た生活でも、カマルは闇に染まってはいない。
 そういうところがイオから見たら聖女と思えるのかもしれない。
 セイジもカマルのことがただものではないのではないかと思い始めていた。

「いつかは出て行かなければいけないのに」
「出て行かなくていいのですよ。カマルさんはずっとここにいればいいのです」

 あっさりと言うイオだが、セイジも同じ気分になっていることは口には出せない。セイジにとってもカマルは大事な相手になっていた。

「最近山に魔物が多いですから、カマルさんは一人で出かけてはいけませんよ」
「魔物が増えている……?」

 イオの言葉にカマルの肩が震える。魔物は魔族が使役するもの。増えているということは魔王が動き出していることを示唆している。

「魔王は許せんな。やっぱり、右腕はすり潰すか」
「師匠! イオは最初から言っていたでしょう。すり潰しましょうと」

 凄惨な場面をカマルには見せられないので小屋の中に入ってもらって、セイジは呪符で封印した魔王の右腕を取り出してきた。丁寧に呪符を剥がしていくと、まだびくびくと蠢いているのが分かる。
 魔王は腕をもぎ取られたくらいでは死なないし、腕の方も残しておけば取り返せば自然とくっ付く。大きな岩を台にして石ですり潰そうとしたとき、褐色の肌に艶やかな黒髪、美しいドレスのカマルそっくりの人影が現れた。ゆらりゆらりと揺れながら、人影はこちらに近付いてくる。

「私の弟の腕に酷いことをしないでください。弟の腕を返してあげてください」

 カマルと同じ声がその人物の喉から聞こえてくるが、カマルのように柔らかで優しい響きはなく、感情が宿っているとも思えない。

「魔王の手先か。カマルさんの姿で来るなんて、小賢しい」

 張ってある結界を厳重なものにするとカマルに似せた姿の魔族は、入って来られずに足止めされている。その目の前で、セイジとイオは入念に岩を台にして、石で腕をすり潰していく。飛び散る血にカマルに似せた姿の魔族が悲鳴を上げる。

「やめろぉおおお! うああああ! 腕があああ!」

 先ほどまではカマルに似せた声で話していたのに、それが野太くなってドレスを着た姿も歪んで変わっていく。右腕のない金髪に赤い目に褐色肌の男性が、痛みに悶絶している姿を見て、セイジはそれが魔王だと悟った。

「右腕とカマルさんを取り返しに来たのですね。今度こそ、息の根を止めてやるのです」

 魔王の右腕をすり潰し終えたイオが意気揚々と駆けて行くのをセイジは止めてしまった。止めている間に魔王は血のような赤い目でセイジとイオを睨み付ける。

「最愛の姉上は必ず取り返す。貴様ら、覚えておけよ!」

 移転の魔術で逃げていく魔王にイオが不機嫌に唇を尖らせている。

「イオは、絶対に逃しませんでしたよ! 一瞬で息の根を止められたのに、どうして止めたんですか?」
「カマルさんが……」
「カマルさんが……お腹を空かせている!? 確かにお昼ご飯の時間でしたね。イオは大事なことに気付いていなかったのです。師匠、早くご飯にしましょう」

 魔王がいなくなればカマルがこの小屋にいる口実がなくなってしまう。それを口に出せなかったセイジに、イオは勘違いをしていた。勘違いしていてくれる方が助かるのでセイジは小屋に戻って昼食を作り始めた。


 レタスとトマトを洗って、レタスは千切って、トマトは切って、厚焼きのベーコンと一緒にパンに挟む。イオには四つ、セイジが三つ、カマルには悩んだが一つサンドイッチを皿に乗せた。
 大きな口でぱくぱくと食べていくイオと対照的に、カマルはサンドイッチを端からちびちび齧って、後ろから具が零れ落ちそうになっている。

「サンドイッチを食べるのは初めてか?」
「はい。なかなか難しいです」
「お行儀とか考えずに、大口でかぶりつけばいい」
「え……はい」

 一生懸命口を開いて噛み付くカマルだが、その拍子に後ろからトマトが滑り落ちて皿の上に乗る。驚いて金色の目を丸くしているのが可愛くて、セイジが笑うとカマルも笑う。

「まだまだ修行が必要みたいです」
「イオよりも熱心だな」
「セイジ様、私に料理を教えてくれますか?」

 食べるばかりで全く料理は習おうとしなかったし、魔術に関しても見ていたら覚えるか、興味がなければどこかに行ってしまうようなイオと違って、カマルは料理を覚えようと考えている。これから長期間カマルと暮らすようになれば、カマルが生活力を点けてくれた方がセイジにはありがたかった。

「お洗濯もします」
「洗濯は自分の分を洗ってもらえれば」
「お世話になっているのです、セイジ様とイオ様の分も洗います」

 洗濯物には下着も靴下も入る。そんなものをカマルに洗ってもらうのは申し訳ないのだが、カマルは絶対に譲らない。

「魔王城では誰が洗っているか分からなくて怖かったので、下着だけは自分で手洗いして部屋に干していました。洗い方は何となく分かります」
「これからも下着は部屋に干してくれると助かるな」
「セイジ様とイオ様の下着もですか?」
「いやいやいや、俺とイオのは気にしないで」

 世間知らずなのか金色の目を丸くして聞いてくるカマルに、セイジは戸惑ってしまう。年齢はセイジよりも一つ年上だが、カマルはとても純粋だった。その純粋さがセイジには眩しくもある。
 十代の頃に王宮でひとの汚さは十分に見て来た。これ以上ひとの汚さを見たくないからこそ、面倒になって山に隠居したのだ。それが今、イオの連れて帰って来た魔王の異母姉に心を奪われそうになっている。
 女遊びはしてきたが、セイジが本気になったことはない。自分は感情が欠落しているので、誰か一人を本気で愛せるなどセイジは思っていなかった。自分は他人を愛せないのだと理解しつつ、たった一人の運命が現れることに憧れていたセイジ。

「お洗濯をするのも、お料理を習うのも、とても楽しいです。魔王城にいた頃と比べ物にならない。毎日が楽しいんです」

 ありがとうございますとお礼を言われて、セイジはカマルの純粋な笑顔に眩しさを覚えてしまう。目が眩むような心も姿も美しいカマルに、自分如きが手を出していいものなのか。
 遊んで快楽に落とすことは簡単である。その術をセイジは知っていた。
 そんなことをすればイオが怒り狂うことも分かっている。

「カマルさん、魔王が退治されたら、あなたはどうするつもりなんだ?」

 問いかけにカマルが洗濯物を干しながら困ったように小首を傾げた。

「分かりません……魔王と共に処刑されるのが正しい道なのでしょうけれど、浅ましくも私は死にたくないと思っています」

 最初にイオに保護されて連れて来られたときには、魔王と共に殺されようとしていたカマルが、今は死にたくないと思っている。外の世界を知ってカマルの中に希望が生まれたのだろう。
 しかし、魔王の異母姉としてずっと魔王の傍にいたカマルを民衆がどう思うかは分からない。
 ずっとこの腕に閉じ込めて守っていられればいいのにと思わずにいられなくて、セイジはカマルの金色の瞳を見つめていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

奪われる人生とはお別れします ~婚約破棄の後は幸せな日々が待っていました~

水空 葵
恋愛
婚約者だった王太子殿下は、最近聖女様にかかりっきりで私には見向きもしない。 それなのに妃教育と称して仕事を押し付けてくる。 しまいには建国パーティーの時に婚約解消を突き付けられてしまった。 王太子殿下、それから私の両親。今まで尽くしてきたのに、裏切るなんて許せません。 でも、これ以上奪われるのは嫌なので、さっさとお別れしましょう。 ※他サイト様でも連載中です。 ◇2024/2/5 HOTランキング1位に掲載されました。 ◇第17回 恋愛小説大賞で6位&奨励賞を頂きました。 本当にありがとうございます!

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

処理中です...