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2.万里生は人生を選べない
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日本には有名なゲームがあって、そのキャラの名前がマリオだった。
両親が万里生にどうしてその名前を付けたのか分からない。
両親は万里生が幼い頃に離婚して、二人とも再婚して万里生が邪魔になって施設に預けたのだ。
万里生は両親と話した記憶はほとんどない。両親が面会に来たこともない。両親に会いたいと思ったこともない。
子どもというのは残酷なもので、異質のものを見つけるとそれを排除しようとする。
万里生は名前だけでも目立つのに、施設の子どもということで幼稚園時代からずっと苛められていた。小学校に上がっても、中学校に入学しても、高校でも万里生に友達らしい友達はできなかった。
何より、万里生は友達と遊んでいる暇などなかった。
この生活から抜け出したい。
それだけを願って万里生は真面目に勉強していたが、塾に行って勉強する同級生に適わずに成績は中の上くらい。大学に進学したいと考えていても、入学費用や学費が圧倒的に足りなかった。
施設は十八歳までしかいることができないので、万里生は高校を卒業したら施設を出なければいけない。
一人暮らしをしながら大学の費用を稼ぐなど、万里生にはとても無理だった。
ギリギリまで進学コースで粘ってみたが、無理だと諦めかけた万里生にバイトの話が入って来たのは、高校三年の夏のことだった。
運命の研究をしている製薬会社で、血液検査の治験を受けるだけでかなりの額がもらえるというのだ。
もちろん、そんなうまい話には裏があるわけで、もし運命の相手が見付かったら、その相手と会うことや、その相手との相性を調べることも条件に入っていたが、とにかくお金が必要だった万里生はその治験に参加した。
大学の願書を送ることを諦めて、就職を考え始めた頃に、製薬会社から連絡が来た。万里生の運命の相手が見つかったのだ。
そのときに万里生の頭を満たしていたのは、その相手から金を援助してもらうことだった。
運命の相手ならば体の相性がいいという。子どもも産めば優秀な子どもが生まれるという。
それを盾にとって、相手から金を引き出すのだ。
体を売ろうと考えたこともあったが、ギリギリのプライドがそれを許さなかった。しかし、もう願書を送る期限が迫っている。
一刻の猶予もないのだ。
万里生は製薬会社の社長という運命の相手に会いに行った。
施設で渡される服は親が買ってくれている子どもはいいのだが、買ってくれない子どもは施設に寄付されたものとなる。擦り切れたコートとセーター、素足に穴の開きそうなスニーカーを履いて行った先が高級なホテルのレストランだったので、万里生の足は竦んだ。
ホテルに部屋を取っていて、相手は万里生を抱くつもりかもしれない。
それでも構わない。
もうこれ以外に方法はないのだと、万里生は勇気を出して場違いに華やかなレストランの中に入って行った。
レストランにいたのはスーツ姿の男女だった。
男性は長身で淡い金色の髪に緑の目の体格のいいタイプで、きっちりと体に合ったスーツを着こなしている。女性の方は黒髪を纏めた仕事のできそうなタイプで、パンツスーツに踵の高いパンプスをはいている。
「阿納万里生です……」
「こちらは、ファビアン・フーゴ・ウーレンフート氏です。私は通訳の佐野菜摘です」
通訳ということは、男性の方が万里生の運命の相手のようだ。
運命の相手に出会えば電撃が走ると言われているが、そんなことはなかった。ただ、ちょっとだけ格好いい相手でよかったとは万里生は思った。
レストランの席に案内されて、万里生は極力ファビアンの目を見ないように視線を逸らしていた。目を見たら決意が薄れるような気がしたのだ。
「それで、幾らくれるの?」
「え?」
「俺に子どもを生ませたいんだろ! それが目的なんだろ? 俺は大学に行きたい。金が欲しい。条件は飲むから、それだけの対価は払って欲しい」
どうしても大学には行きたかったから必死になって慣れたふりをして交渉すると、ファビアンは戸惑っているように見えた。
「通訳しますか?」
「いや、僕が話すよ」
通訳がいるのでファビアンは日本語を話せないのかと思ったが、流暢に日本語を話している。菜摘との間の方が余程お似合いなのに、ファビアンは万里生をこれから抱くのだろうか。
「マリオ、僕は……」
「名前で呼ばないで欲しい。その名前は嫌いなんだ」
「なんで? いい名前じゃないか」
「ゲームのキャラだと散々馬鹿にされて苛められて来た。この名前は嫌いなんだ」
親し気に名前を呼ばれそうになって、万里生は威嚇を込めて声を低くする。自分の名前が嫌いなのはその通りだったが、それ以上にファビアンに踏み込まれたくなかった。ファビアンに踏み込まれてしまうとお金だけの関係と割り切れなくなりそうな気がしたのだ。
「アノ、君を援助することは当然考えている。その見返りに体を要求しようとは思っていないよ」
「運命なんだろう? それを狙って来たとしか思えないんだけど」
ここはホテルのレストランだし、そういう関係を求めてきたとしか万里生には思えなかった。それなのにファビアンは万里生を強引に抱こうとはしない。
「運命の相手とは結ばれたいと思っている。でも、君はまだ十八歳だ。僕は君がもっと大人になるまで待つつもりだし、君と関係を築いていきたい」
「関係を……それじゃ、あんたの部屋に住ませてくれる? 俺、十八になったから、施設を出なきゃいけないんだ」
それならば骨の髄まで利用し尽くしてやろう。
住む場所もファビアンの部屋ならばいい場所だろうし、体の関係を迫られたら金をせびればいい。
ファビアンを完全に利用するつもりの万里生にファビアンは二つ返事で答えた。
「いいよ。僕のマンションにおいで。部屋は余っている」
「体の関係を持つときには、ちゃんと金を払ってもらうからな?」
「そんなに警戒しなくていいよ」
その後も高いベッドや机や椅子を買ってくれたり、万里生がそれまで着たことのないような値段の服を買ってくれたり、眼鏡を買ってくれたりしたファビアンに、恩は感じないと思いつつも、体を要求されたら応えなければいけないのかと万里生は警戒していた。
ファビアンとの暮らしは穏やかなものだった。
朝はファビアンがなかなか起きられない万里生に声をかけて起こしてくれて、朝ご飯を作ってくれる。
パン食がメインなのかと思ったら、ファビアンは日本食を好むようだ。
卵焼きと焼き魚とキャベツ炒めとご飯とお味噌汁の朝ご飯だけでも、豪華で万里生はがっついてしまう。
施設の食事は大量のご飯と汁物一品とおかず一品だった。
「アノ、お昼はどうしてるの? 僕でよければお弁当を作ろうか?」
「そんなことしても、一銭の得にもならないよ?」
「僕のお弁当を作るついでだよ」
警戒を解かない万里生に、ファビアンが笑う。
お弁当はおにぎりと唐揚げと豚肉の生姜焼きとブロッコリーとトマトとジャガイモのミニグラタンと彩りも鮮やかで、毎日施設で渡されるお昼ご飯代五百円では足りずにお腹を空かせていた万里生にはあり難かった。
絆されないようにと思いつつも、美味しいご飯と暖かい寝床があるとファビアンの部屋をつい居心地がいいもののように感じてしまう。
大学を卒業したら、万里生は就職してファビアンの元を去るのだ。そのときのためにお金は貯めておかなければいけない。
バイトを入れて貯金を始めた万里生にファビアンが心配してくれる。
「生活には困っていないんだし、無理にバイトをすることはないんじゃないかな?」
「自分のものは自分で揃えたいし、バイトも社会勉強だろう?」
それとも、あんたが俺の体を買ってくれる?
挑発するような万里生の言葉に、ファビアンが悲し気に微笑んで万里生の頬を撫でる。
「そんなことを言わなくてもいいんだよ。僕に好意を持ってくれたら嬉しいけど、そうじゃなかったら、僕は君を縛ることなんてしたくないんだ」
そんなことを言っていても、ファビアンは万里生が絆されるのを待っている。そして、万里生を抱いて子どもを生ませることだけが目的なのだ。
万里生はファビアンを信用していなかった。
両親が万里生にどうしてその名前を付けたのか分からない。
両親は万里生が幼い頃に離婚して、二人とも再婚して万里生が邪魔になって施設に預けたのだ。
万里生は両親と話した記憶はほとんどない。両親が面会に来たこともない。両親に会いたいと思ったこともない。
子どもというのは残酷なもので、異質のものを見つけるとそれを排除しようとする。
万里生は名前だけでも目立つのに、施設の子どもということで幼稚園時代からずっと苛められていた。小学校に上がっても、中学校に入学しても、高校でも万里生に友達らしい友達はできなかった。
何より、万里生は友達と遊んでいる暇などなかった。
この生活から抜け出したい。
それだけを願って万里生は真面目に勉強していたが、塾に行って勉強する同級生に適わずに成績は中の上くらい。大学に進学したいと考えていても、入学費用や学費が圧倒的に足りなかった。
施設は十八歳までしかいることができないので、万里生は高校を卒業したら施設を出なければいけない。
一人暮らしをしながら大学の費用を稼ぐなど、万里生にはとても無理だった。
ギリギリまで進学コースで粘ってみたが、無理だと諦めかけた万里生にバイトの話が入って来たのは、高校三年の夏のことだった。
運命の研究をしている製薬会社で、血液検査の治験を受けるだけでかなりの額がもらえるというのだ。
もちろん、そんなうまい話には裏があるわけで、もし運命の相手が見付かったら、その相手と会うことや、その相手との相性を調べることも条件に入っていたが、とにかくお金が必要だった万里生はその治験に参加した。
大学の願書を送ることを諦めて、就職を考え始めた頃に、製薬会社から連絡が来た。万里生の運命の相手が見つかったのだ。
そのときに万里生の頭を満たしていたのは、その相手から金を援助してもらうことだった。
運命の相手ならば体の相性がいいという。子どもも産めば優秀な子どもが生まれるという。
それを盾にとって、相手から金を引き出すのだ。
体を売ろうと考えたこともあったが、ギリギリのプライドがそれを許さなかった。しかし、もう願書を送る期限が迫っている。
一刻の猶予もないのだ。
万里生は製薬会社の社長という運命の相手に会いに行った。
施設で渡される服は親が買ってくれている子どもはいいのだが、買ってくれない子どもは施設に寄付されたものとなる。擦り切れたコートとセーター、素足に穴の開きそうなスニーカーを履いて行った先が高級なホテルのレストランだったので、万里生の足は竦んだ。
ホテルに部屋を取っていて、相手は万里生を抱くつもりかもしれない。
それでも構わない。
もうこれ以外に方法はないのだと、万里生は勇気を出して場違いに華やかなレストランの中に入って行った。
レストランにいたのはスーツ姿の男女だった。
男性は長身で淡い金色の髪に緑の目の体格のいいタイプで、きっちりと体に合ったスーツを着こなしている。女性の方は黒髪を纏めた仕事のできそうなタイプで、パンツスーツに踵の高いパンプスをはいている。
「阿納万里生です……」
「こちらは、ファビアン・フーゴ・ウーレンフート氏です。私は通訳の佐野菜摘です」
通訳ということは、男性の方が万里生の運命の相手のようだ。
運命の相手に出会えば電撃が走ると言われているが、そんなことはなかった。ただ、ちょっとだけ格好いい相手でよかったとは万里生は思った。
レストランの席に案内されて、万里生は極力ファビアンの目を見ないように視線を逸らしていた。目を見たら決意が薄れるような気がしたのだ。
「それで、幾らくれるの?」
「え?」
「俺に子どもを生ませたいんだろ! それが目的なんだろ? 俺は大学に行きたい。金が欲しい。条件は飲むから、それだけの対価は払って欲しい」
どうしても大学には行きたかったから必死になって慣れたふりをして交渉すると、ファビアンは戸惑っているように見えた。
「通訳しますか?」
「いや、僕が話すよ」
通訳がいるのでファビアンは日本語を話せないのかと思ったが、流暢に日本語を話している。菜摘との間の方が余程お似合いなのに、ファビアンは万里生をこれから抱くのだろうか。
「マリオ、僕は……」
「名前で呼ばないで欲しい。その名前は嫌いなんだ」
「なんで? いい名前じゃないか」
「ゲームのキャラだと散々馬鹿にされて苛められて来た。この名前は嫌いなんだ」
親し気に名前を呼ばれそうになって、万里生は威嚇を込めて声を低くする。自分の名前が嫌いなのはその通りだったが、それ以上にファビアンに踏み込まれたくなかった。ファビアンに踏み込まれてしまうとお金だけの関係と割り切れなくなりそうな気がしたのだ。
「アノ、君を援助することは当然考えている。その見返りに体を要求しようとは思っていないよ」
「運命なんだろう? それを狙って来たとしか思えないんだけど」
ここはホテルのレストランだし、そういう関係を求めてきたとしか万里生には思えなかった。それなのにファビアンは万里生を強引に抱こうとはしない。
「運命の相手とは結ばれたいと思っている。でも、君はまだ十八歳だ。僕は君がもっと大人になるまで待つつもりだし、君と関係を築いていきたい」
「関係を……それじゃ、あんたの部屋に住ませてくれる? 俺、十八になったから、施設を出なきゃいけないんだ」
それならば骨の髄まで利用し尽くしてやろう。
住む場所もファビアンの部屋ならばいい場所だろうし、体の関係を迫られたら金をせびればいい。
ファビアンを完全に利用するつもりの万里生にファビアンは二つ返事で答えた。
「いいよ。僕のマンションにおいで。部屋は余っている」
「体の関係を持つときには、ちゃんと金を払ってもらうからな?」
「そんなに警戒しなくていいよ」
その後も高いベッドや机や椅子を買ってくれたり、万里生がそれまで着たことのないような値段の服を買ってくれたり、眼鏡を買ってくれたりしたファビアンに、恩は感じないと思いつつも、体を要求されたら応えなければいけないのかと万里生は警戒していた。
ファビアンとの暮らしは穏やかなものだった。
朝はファビアンがなかなか起きられない万里生に声をかけて起こしてくれて、朝ご飯を作ってくれる。
パン食がメインなのかと思ったら、ファビアンは日本食を好むようだ。
卵焼きと焼き魚とキャベツ炒めとご飯とお味噌汁の朝ご飯だけでも、豪華で万里生はがっついてしまう。
施設の食事は大量のご飯と汁物一品とおかず一品だった。
「アノ、お昼はどうしてるの? 僕でよければお弁当を作ろうか?」
「そんなことしても、一銭の得にもならないよ?」
「僕のお弁当を作るついでだよ」
警戒を解かない万里生に、ファビアンが笑う。
お弁当はおにぎりと唐揚げと豚肉の生姜焼きとブロッコリーとトマトとジャガイモのミニグラタンと彩りも鮮やかで、毎日施設で渡されるお昼ご飯代五百円では足りずにお腹を空かせていた万里生にはあり難かった。
絆されないようにと思いつつも、美味しいご飯と暖かい寝床があるとファビアンの部屋をつい居心地がいいもののように感じてしまう。
大学を卒業したら、万里生は就職してファビアンの元を去るのだ。そのときのためにお金は貯めておかなければいけない。
バイトを入れて貯金を始めた万里生にファビアンが心配してくれる。
「生活には困っていないんだし、無理にバイトをすることはないんじゃないかな?」
「自分のものは自分で揃えたいし、バイトも社会勉強だろう?」
それとも、あんたが俺の体を買ってくれる?
挑発するような万里生の言葉に、ファビアンが悲し気に微笑んで万里生の頬を撫でる。
「そんなことを言わなくてもいいんだよ。僕に好意を持ってくれたら嬉しいけど、そうじゃなかったら、僕は君を縛ることなんてしたくないんだ」
そんなことを言っていても、ファビアンは万里生が絆されるのを待っている。そして、万里生を抱いて子どもを生ませることだけが目的なのだ。
万里生はファビアンを信用していなかった。
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