上 下
41 / 80
番外編 『ローズとイレーヌ王国』

1.死なぬ女帝の帝国

しおりを挟む
 リュリュが生まれたのは、大陸の砂漠地帯が多く、魔術師の血統が少なく、南部には獣の特徴を持つ、『獣人』と呼ばれる種族もいる国だった。魔術師と結婚したとしても、決して魔術の才能の出ない『獣人』はその国では軽んじられ、希少な魔術師だけが高貴な血を引いているとされていた。
 国の名はイレーヌ帝国。そこの女帝がイレーヌという名前だったので変えられた国の以前の名前は、誰も口に出すことは許されない。力の強い魔術師だったイレーヌは、即位した頃には賢帝だったとの記録もあるが、年を経るに従って、自分が老いること、死ぬことが恐ろしくなった。

「国が荒れるのは、皇帝が代替わりをするからです。代替わりのしない永遠の皇帝がいれば、国は安定するのです」

 その考えの元で、イレーヌは自分が死なないように、老いないようにと国の魔術師をかき集めて研究をさせた。いつ頃からか、魔術の才能がある子どもが生まれれば、身分に関係なく王宮に召し上げれて、イレーヌの望む研究をさせるためや、イレーヌを守るためや楽しませるためにだけの魔術師を育成する機関が、王宮の中にできた。
 リュリュが生まれた頃には、イレーヌの治世は既に80年を超えていた。ひととしての領域を踏み外した彼女は、若々しく美しいままで、大勢の愛人を侍らせて、贅沢の限りを尽くしていた。初めは国民のために政治を行っていたはずなのに、女帝として過ごした日々が、彼女を完全に歪めてしまった。

「僕の父と母は、僕をそんな女帝の元には渡したくなかったようなのです」

 「そなたの話が聞きたい」とローズに請われて、リュリュは生まれ育ったイレーヌ帝国の話を寝物語に口にした。
 愛しい我が子に魔術師の才能があると判明したとき、リュリュの両親は生まれたばかりのリュリュを連れて、異国に逃げ出そうとした。二人には魔術の才能がなかったし、移転の魔術師に頼めば逃げ出したことが発覚してしまうので、目立たぬように馬車を飛ばしている最中に、追手がかかって、リュリュと両親は捕まってしまう。

「父と母は投獄されて、僕は王宮の魔術師を育てる機関で育てられました。父と母のことは、女帝に逆らった罪人だと教えられていたので、立派な魔術師になって、両親を開放しなければと必死でした」
「それで、歌を練習したのかい?」
「はい。僕には解呪の能力があると言われていたので、その才能を伸ばすべく、努力したのですが……」

 美しい歌声は評判になって、リュリュは11歳になってすぐから、イレーヌの褥で彼女が天蓋付きのベッドの中で、複数の愛人と睦み合うのを見せつけられながら、歌うように命じられた。見たくもなかったので必死に歌にだけ集中して、歌っていると、リュリュはイレーヌに気に入られたようだった。

「可愛い小鳥、そなたに褒美をやろう。何が欲しい? 美しい衣装か? 宝石か?」
「両親を……投獄されている両親を、開放してください」
「……罪人を恩情で開放すると国が荒れる。だが、どうしても、それが欲しいのならば、分かるな?」

 12歳になって直ぐで、まだ精通も来ていないリュリュは、女帝に食い散らされるくらいならば命を絶とうと考えていた。逃げ出すことも過ったが、両親が殺されてしまうかもしれないし、捕えられればリュリュ自身も無事では済まないだろう。
 死を決意した少年の元にやってきたのは、宮廷楽師の魔術師だった。彼は以前イレーヌの寵愛を受けていたが、リュリュが歌うようになってからお呼びがかからなくなったのだという。

「お前を金糸雀にして逃がしてやるよ」
「僕が逃げたら、両親がどうなるか分かりません」
「煩いな、お前は邪魔なんだよ!」

 赤銅色の金糸雀に変えられて、魔術のかかった鳥かごに入れられて、リュリュは『解呪の歌の歌える金糸雀』として売られてしまった。歌えば命を削るし、自分が人間であることを伝えるには、魔術のかかった鳥かごから満月の晩に出なければいけないのだが、『解呪の歌を歌える金糸雀』などという希少な生き物を外に出す愚か者がいるはずがなかった。

「生まれながらに王宮に囚われて、次は鳥かごの中で、僕は一生檻に囚われて、自由など知らぬままに死ぬのだと思っていました」
「リュリュ……」
「初めてだったんです、僕を鳥かごから出してくださったのは」

 籠にかけられた留め具を外して、ローズの白い手袋を付けた指に留まって、初めてリュリュは自由を得た。金糸雀にされる呪いは解けていないが、そこからどこにでも飛んでいける自由が、広がっていた。

「逃げないでくれるか?」

 優しい問いかけも、かけられたことのなかったもの。
 逃げるか逃げないか、選択肢をローズはリュリュに与えてくれた。

「あのとき、この方が好きだと思いました」

 逃げるかもしれないと心配する案内人に、ローズは「それならば、正しい方法ではなかったというだけだ」と穏やかに告げた。逃げてもリュリュを恨まないどころか、信頼して語り掛けてくれるローズに、リュリュは恋に落ちた。

「私は生まれたときに母を亡くし、父にも顧みられなかった。このまま放浪してどこかに行ってしまっても、きっと私は図太く生き延びられる。だが、私には守らなければいけない、愛する妹がいるのだ」

 話してくれたローズに、残り一度くらいしか歌う生命力は残っていなかったが、初めて自分に自由をくれて、信頼してくれたこの方を助けるために、その命を棄てる覚悟ができた。

「口付けで呪いが解けるけれど、信頼が必要だとローズ様は仰っていました。あのときにはもう、僕はローズ様に惚れていたのです」
「なんと可愛いことを言ってくれる」
「どうか、ローズ様、あの国には関わらないでくださいませ。僕にとっては、ローズ様が一番大事な方です。傷付くところは見たくありません」
「……外交問題は、得意ではないしな」

 島国であるアイゼン王国は、魔術師が多いことと、大陸から海で隔たれているので、それで守られているところがある。魔術師の数の少ないイレーヌ帝国からすれば、魔術師の血統を奪いたくてたまらないのだろうが、攻め入ることは荒れる海が困難にしていた。

「『獣人』は普通のひとよりも力が強く、様々な能力を持っていると言われるが」
「女帝は『獣人』がお好きではないのです……冷遇されていると聞いていました」

 帝都で『獣人』を見たことはない。特に王宮にほとんど閉じ込められていたリュリュは、『獣人』が獣の特徴と能力を持つことは知っていても、実際に会ったことはなかった。

「人口の3割が『獣人』と聞いたが、その能力を活かせていないとは、無能な女帝だな」
「あの国のことは、思い出すと気が滅入ります。もっと違うお話を……そうです、僕、お料理を習い始めたんですよ」
「厨房に顔を出していると思ったら、そんなことをしていたのか?」
「最近、ローズ様が食欲がないと仰るので、食べやすいものが作れたらと」

 体が強く、体力がある上に、軍で鍛えてもいたローズは、病気らしい病気をしたこともなく、ひとが羨むほどの健康体だった。大陸に渡って解呪の方法を探していたときにも、砂漠に慣れた案内人よりも体力があって、ローズは平気で気候の変化にも体調は崩さなかった。
 それが食欲がないとは、リュリュが心配になっても仕方がない。

「女王になってから、制定することが多くて、会議会議で座ってばかりいたから、運動不足なのだろう」
「久しぶりに軍の訓練に加わりますか?」
「そうだな……狩りにでも出かけるかな」

 ベッドで布団をかけ直しながら、ローズがリュリュの髪を撫でてそのほの赤い唇に口付けをする。ぽっと白い頬を赤らめて、リュリュがローズに抱き付いた。

「何か美味しいものを狩って来るのですね。なんでしょう……鹿ですか? 鳥ですか?」
「そうだな……豚かな」
「豚!?」
「リュリュのために、良く肥えた豚を狩って来よう」

 そうすれば食欲も戻るかもしれないと笑うローズに、リュリュは真剣な顔で「豚の捌き方と調理方法を習っておきます」と拳を握る。
 抱き締め合って、ローズのために歌を歌って眠るのは、リュリュの安寧のひとときだった。

「僕は自由で、僕の大好きなローズ様やダリア様のために喜んで歌いますが、強制されてはもう二度と歌いません」
「私のために歌っておくれ、可愛い私のリュリュ」
「愛しています、ローズ様。ローズ様が僕を愛してくれて、結婚出来て、本当に幸せです」
「可愛いことを言う」

 誰よりも愛しい小鳥のようなリュリュ。
 彼を苦しめた、権力を食らう豚のような女帝と、呪いをかけた宮廷楽師の首を取れば、食欲も戻る。
 そんな物騒なことをローズが考えているとは、リュリュは知りもしないのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

賢者となって逆行したら「稀代のたらし」だと言われるようになりました。

かるぼん
BL
******************** ヴィンセント・ウィンバークの最悪の人生はやはり最悪の形で終わりを迎えた。 監禁され、牢獄の中で誰にも看取られず、ひとり悲しくこの生を終える。 もう一度、やり直せたなら… そう思いながら遠のく意識に身をゆだね…… 気が付くと「最悪」の始まりだった子ども時代に逆行していた。 逆行したヴィンセントは今回こそ、後悔のない人生を送ることを固く決意し二度目となる新たな人生を歩み始めた。 自分の最悪だった人生を回収していく過程で、逆行前には得られなかった多くの大事な人と出会う。 孤独だったヴィンセントにとって、とても貴重でありがたい存在。 しかし彼らは口をそろえてこう言うのだ 「君は稀代のたらしだね。」 ほのかにBLが漂う、逆行やり直し系ファンタジー! よろしくお願い致します!! ********************

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

婚約破棄されて捨てられた精霊の愛し子は二度目の人生を謳歌する

135
BL
春波湯江には前世の記憶がある。といっても、日本とはまったく違う異世界の記憶。そこで湯江はその国の王子である婚約者を救世主の少女に奪われ捨てられた。 現代日本に転生した湯江は日々を謳歌して過ごしていた。しかし、ハロウィンの日、ゾンビの仮装をしていた湯江の足元に見覚えのある魔法陣が現れ、見覚えのある世界に召喚されてしまった。ゾンビの格好をした自分と、救世主の少女が隣に居て―…。 最後まで書き終わっているので、確認ができ次第更新していきます。7万字程の読み物です。

転生聖賢者は、悪女に迷った婚約者の王太子に婚約破棄追放される。

克全
BL
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 全五話です。

【完結】薄幸文官志望は嘘をつく

七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。 忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。 学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。 しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー… 認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。 全17話 2/28 番外編を更新しました

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

侯爵令息は婚約者の王太子を弟に奪われました。

克全
BL
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

処理中です...