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第二章 魔術学校とそれぞれの恋

10.大人の階段

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 向日葵駝鳥の収穫が終わると、柵付きの畑にはススキフウチョウの種が撒かれる。今年は例年よりも遅い植え付けになったので、イサギとエドヴァルドは薬草保管庫で訳した文献を手にしながら、成長促進剤を調合した。

「続きが分かったんや、あれ、一晩弱火で薬液を足しつつ煮詰めて、濃くせんとあかんやったんやな」
「古代語の勉強が進んでいるようですね」
「知ってても、教えんでくれてありがとな。おかげで、その続きを必死に訳したわ」

 夜中に交代で仮眠を取りながら、成長促進剤が焦げて干上がらないように薬液を足して、混ぜながら煮詰める作業中に、イサギは休憩室の長椅子に横になって、巾着を握り締めていた。紺色のビロードの小さな巾着袋の中には、青いカメオで狼の横顔を彫ったカフスボタンが、一対入っている。
 8年前に領主になったばかりのサナの元にお見合いに行かされたとき、片方をイサギに渡して、「失くした」と言い張って結婚を拒んできたエドヴァルド。見つかったのだったら、エドヴァルドに返すはずが、思い出の品だったし、言われなかったので渡すのが寂しくて持っていたら、もう片方もくれたのが先日のこと。
 結婚を拒否する理由になるくらいの魔術具なのだ、簡単に譲渡していいはずはない。

「本当にええの?」
「非常に強い守護の魔術がかかっています。イサギさんに何かあれば、私のお得意の魔術の盾が展開されて、身を守ってくれます」

 それに、とエドヴァルドは言葉を続けた。

「私のラペルピンと連動していて、持っている人物、つまり、イサギさんに異変が起きたときには、伝わるようになっているんですよ」

 本当はラペルピンではなく、髪飾りで、そちらを結婚相手に渡すように揃いで作ってもらっていたのだが、エドヴァルドはレンに依頼してカメオの髪飾りをラペルピンの飾りに変えてもらっていた。
 カフスボタンと髪飾りは男女を想定したものだったのだろうが、カフスボタンとラペルピンはいかにもイサギとエドヴァルドらしくて、密やかに細工をしてくれていたことがイサギには嬉しかった。

「エドさん、好きや……」

 巾着を失くさないように、首からかけられるように紐を付けて、シャツの中に入れて目を閉じる。眠りの浅いイサギも、エドヴァルドと暮らすようになって、少しは眠れるようになっていた。
 意識が眠りに落ちそうになると、のしりと重いものが腹の上に乗って来る。薄っすら目を開ければ、スイカ猫のタマが蔓の尻尾をゆらゆらさせて、お腹の上で寛いでいた。

「あんさん、スイカなんやから、俺が寝返り打って落ちたら、割れてしまうんやで?」
「びゃう」
「勿体ないから割れてしもたら、薬に使うけど……」

 何度出荷されても、買い主を噛み、窓から飛び出し、馬車から駆け下り、根性で戻って来たスイカ猫のタマである。他の兄弟スイカたちは全部こんなに大きく丸くなる前に出荷されたのに、長々とイサギの元にいるので、既に大玉スイカの域に達している。
 エドヴァルドと再会する前も、活力のないイサギの足元に、捕えた鼠やモグラを持ってきてくれていたのだから、情がわいていないはずもない。
 割れたり傷が付いたりしないように、そっとお腹から降ろすと、もう一度登ってこようとする。攻防戦が続いて、眠れそうになかったので、薬草保管庫に顔を出せば、鍋の前でエドヴァルドが汗を拭きながら木のへらで薬液をかき混ぜていた。

「交代の時間ですか? 大丈夫ですよ、無事に焦げていません」
「エドさん、一度家に帰ってシャワー浴びてきたらええよ」
「お言葉に甘えましょうかね。ここ、凄く熱が籠るんですね」

 薬草保管庫の別の部屋に熱が行かないようにしっかりと遮熱された調合室は、冬場でも長時間火を焚いていると熱が籠って高音になる。汗だくのエドヴァルドと変わって、今度はイサギが鍋の番をした。

「夫婦の共同作業って感じやなぁ」

 しみじみと呟きながら鍋をかき混ぜていると、シャワーを浴びて戻って来たエドヴァルドが、水筒を差し入れてくれた。中身は良く冷えた水出しの緑茶で、すっきりとした苦みと甘みが喉を潤す。

「夜が明けてきましたね。後は、冷めるまで放置で大丈夫でしょう。帰りましょうか」
「せやな……ちょっと眠いわ」
「イサギさん、仮眠とれなかったんじゃないですか?」

 学校が休みの前日に合わせて作業をしたので、成長促進剤が冷めるまではゆっくりしていられる。軽い朝食を作ってくれていたエドヴァルドに感謝して食べてから、イサギもシャワーを浴びて出て来ると、リビングでエドヴァルドが向日葵駝鳥の収穫作業を纏めたレポートに目を通していた。

「それ、まだ仕上がってないんや。今度、レンさんの工房に実際に種が使われるところまで見せてもらって、そこまで入れて仕上げようって話してて」
「学校でいいお友達ができたんですね」

 良いレポートだと言われてにやけながらエドヴァルドの隣りに腰かけたイサギは、爽やかなエドヴァルドの香りにこくりと喉を鳴らした。
 劇団の公演では、手を繋いで唇にキスをした。
 それ以来、キスはしていないけれど、イサギはそれ以上にエドヴァルドに触れたくてたまらなかった。キスをすれば、その次と、思春期の欲は尽きない。

「え、エドさん、俺も、こ、子どもやないんや……エドさんと、シ、シたい……」
「あの……方法が、分かるんですか?」
「む、難しいんか?」
「男性同士ですから、男性と女性とは同じようにはいかないのは分かりますか?」
「お、同じやないんか!? 役割があるのは分かってるけど……そ、そんなに難しいもんなんか!?」

 愕然としたイサギに、エドヴァルドは怪訝そうな顔で問いかけてきた。

「なんの話をしているか、聞いてもいいでしょうか?」
「あんな……ひ……」
「ひ?」
「膝枕……」

 真っ赤になって蚊の鳴くような声で告げたイサギに、「あぁ」と得心が行ったようでエドヴァルドが頷いた。
 膝枕には、膝に乗せる方と、乗る方の役割がある。その話をしていたつもりなのだが、エドヴァルドが何を思っていたかは、知識のないイサギにはよく分からなかった。

「大丈夫です。難しくないですよ。ちなみに、どっちを?」
「エドさんの太ももに、俺の頭を乗せたいんやけど……そんなん、まだ早いやろか? え、エッチすぎる?」
「イサギさんは……いいですよ。特別ですからね?」

 悪戯っぽく微笑んで、エドヴァルドが筋肉質な太ももをポンポンと叩いて示してくれる。ソファに横になって、イサギはドキドキしながらエドヴァルドの太ももに頭を乗せた。
 筋肉というのは、力が入っていない状態だと、意外ともちもちとして弾力があって柔らかい。

「エドさんの匂いがする……」
「汗臭くないです? ちゃんと洗ったつもりですけど」
「良い匂いや」

 うっとりとしていると、エドヴァルドの肉厚の手が、イサギの髪を梳いて撫でる。心地よさに目を閉じれば、仮眠できなかった分の眠気が襲ってきた。

「私、他人に触られるのが好きじゃないんですよね。髪を切られるのも嫌だから、全部剃ってしまったんですけど……」
「俺がこういう風にするのは嫌?」
「イサギさんは、不思議と嫌じゃないです。可愛いです」
「かわいい……俺、エドさんにとって、かわいい……」

 眠さと嬉しさでふにゃふにゃと顔が緩んで、だらしない表情になるイサギの額にキスをして、エドヴァルドは髪を撫で続けてくれた。
 目が覚めたのは小一時間ほど経ってからで、イサギは慌てて起き上がる。

「ね、寝てもた!? 重くなかった? ごめんなさい!」
「平気ですよ。このまま休めそうなら、ベッドでもう少し寝直して来たらいいですよ」
「う、うん。ひ、膝枕、気持ちよかった。またシてくれる?」
「ツムギさんがいないときに」

 ふわぁと欠伸を飲み込んで、まだ眠気は続いていたので部屋に行くイサギが振り返って問いかければ、エドヴァルドは色っぽく微笑んで答えてくれた。
 ベッドに入った後も、エドヴァルドの匂いに包まれているようで、イサギはそのまま深く眠りについてしまった。
 起き出してから、イサギはようやく自分の異変に気付く。

「ほえ? これ、エドさん!? エドさんがしたんか!?」

 走って部屋から出てきたイサギと、寝直して起きた後なのだろう、洗面所で顔を洗っていたエドヴァルドが、鏡越しに目が合う。鏡に映っている長めのイサギの茶色の髪の片側は、細かく編み込みがされて、模様のようになっていた。

「気付かれてしまいましたね」
「エドさんも、こんな悪戯するんやなぁ。俺、可愛い?」
「可愛いですよ」

 全然気付かずに寝てしまっても解けないくらいしっかりと編み込まれた髪を、意外とイサギも気に入って、その日はそのままで領主の御屋敷の畑に出て、出来上がった成長促進剤をススキフウチョウにかけていく作業をしたのだった。
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