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第二章 魔術学校とそれぞれの恋

4.過去と本心

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 魔術学校の初日は宿題も出たが、特に問題なく過ごせた。ツムギの後ろに隠れていたころには、話そうと思わなかった同級生とも、怯えながらだが話すことができたし、イサギにとっては大きな進歩だった。
 働きながら学校に通う学生に配慮して、宿題は出るが魔術学校の午後の授業は、夕方には終わる。制服のままでイサギが真っすぐに向かったのは、領主の御屋敷の庭の薬草畑だった。
 日除けの帽子を被って、手袋を付けたエドヴァルドが、薬草の世話をしている。足元には南瓜頭犬のポチとスイカ猫のタマが、じゃれ合っていた。

「ただいま、エドさん!」
「お帰りなさい。学校、どうでした?」
「古代文字の講義があって、その後に自分で訳した文献の実践をしてレポートを書いて来いて言われたわ」
「私も学生時代はレポートを書きましたよ。どの文献を選んだんですか?」

 収穫した薬草を保管庫に持っていきながら問いかけるエドヴァルドに、イサギは訳した文献を書いたノートを見せる。保管庫に入って、帽子を脱いで、ランプを付けてから、エドヴァルドは薬草をテーブルに置き、ノートを覗き込んだ。
 温度や湿度も保存状態に影響するので、薬草保管庫は常に魔術でひんやりと涼しく保たれている。防水の手袋を付けて、昨日蒸留水に浸しておいた薬草を取り出して、イサギは薬草は絞って干して、浸した蒸留水は薬液として瓶に移す。
 ノートに書かれた文字を全部見てから、エドヴァルドはイサギからペンを借りて、数カ所チェックを入れた。

「ここの表現が微妙に違いますね。『混ぜ合わせる』が先で、その後で『加熱する』です。逆だと鍋から溢れます」
「文献の本文読まへんでも分かるんか?」
「私もこれ、やったことがあるんですよ」

 王都の魔術学校では、その文献が薬草学の基礎の演習の中に含まれていたとエドヴァルドは教えてくれた。道具は揃っているし、サナからも学校の課題での使用許可は得ているので、エドヴァルドと一緒に文献の通りに数種類の薬草を乳鉢で細かく擦って、薬液を混ぜ合わせてから、火にかける。
 粗熱をとって、出来上がった薬をイサギは小瓶に詰めた。
 先にエドヴァルドが収穫してくれた薬草の処理を終えてから、薄暗くなり始めた薬草畑の作で囲まれた向日葵駝鳥の元に行った。秋も深まり、収穫の時期を迎えている向日葵駝鳥のうな垂れた顔から種を一つもらって、空いた場所に植えて、上から瓶の薬を振りかけた。
 土を押し上げて双葉が伸び、すくすくと葉を茂らせて成長していく。

「成功、ですか?」
「あ、ダメや。止まってしもた」

 途中で成長が止まって、その後枯れていく向日葵駝鳥の雛を、イサギは収穫した。恐らく、文献の途中までしか訳していないので、足りない箇所があったのだ。分かってはいたが、イサギの勉強のためにエドヴァルドは口を出さずにいてくれたのだろう。

「失敗したて、レポートに書くわ」
「そうですね、どこがいけなかったのかを纏めたら、最初の宿題としては充分なものになると思いますよ」
「ただ……レポート、古代文字で書かなあかんねん」

 薬草の調合や成長の記録を取るのは得意だが、まだ古代文字は覚束ないイサギが、げっそりとした表情になっているのに、エドヴァルドが肩を抱いて慰めてくれる。

「辞書もありますし、分からないところは教えますよ」
「うん……頑張ってみる」

 畑仕事をしていたはずなのに、汗の匂いではなく、ふわりと香るのはエドヴァルドの爽やかな香水で、密着する体にイサギは心拍数が早くなる。婚約したのだが、結婚を許されるのは三年後なので、部屋は別々で一緒にも寝ていないし、まだイサギはエドヴァルドと口付けをしたことがない。額にキスをしてくれることはあるが、唇同士で口付けはどんなものかと、イサギの視線は自然とエドヴァルドの唇に向いて、求めるままにタコのように唇を尖らせてしまう。
 無自覚でエドヴァルドの唇を見つめて、完全に変顔になっているイサギの鼻を、手袋を外した指が柔く摘んだ。

「帰って晩御飯にしましょうか」
「せやな。お腹空いてきたわ」

 邪な思いを抱いてはいけない。
 結婚していない男女が、一般的に肉体関係を持つのは良くないとされている。男同士であって妊娠はしないと分かっていても、婚約してはいるが、エドヴァルドとイサギが不純な交友をしていい理由にはならなかった。
 正直に言えば、したい。どうすればいいのかその方法もイサギにはよく分かっていないのだが、エドヴァルドのそばにいて、体温を感じて、その香りを胸いっぱい吸い込みたい。
 年頃の少年らしく反応しそうになっている股間を隠して、前のめりで内股でイサギは家までの道を歩いた。
 朝にある程度仕込んで行ってくれていたようで、イサギがパンをバターをひいたフライパンでカリッと焼き直したり、飲み物を準備している間に、エドヴァルドは鶏肉のホワイトシチューと簡単な茹でただけの温野菜のサラダを出してくれた。
 スプーンとフォークを用意して、二人で手を合わせて「いただきます」をすると、食べ始める。唇を開いてエドヴァルドがスプーンでホワイトシチューを口に運んだり、唇についたシチューを舐めとったりするのに、妙に意識してしまって、真っ赤になって俯いて食べるのに集中しようとするイサギの異変に、エドヴァルドも気付いたようだった。

「久しぶりの学校はそんなに大変でしたか?」
「大変……やったんやろか? 前は全然興味なくて、先生に怒られんかったらええと思うてたけど、古代文字もちゃんと読めな、薬草学も碌にできへんて分かったし」
「頑張る理由ができたのは良いことですが、頑張りすぎてはダメですよ」
「今週末のお休みには、王都でエドさんとデートやし、それまでは頑張るで!」

 演目がダリア女王に気に入られて、王都で追加公演をしているツムギは、サナとレンの結婚式の後で慌ただしく劇団のいる王都に戻っていった。大役ではないが、台詞のほとんどない端役でも、ツムギは絶対に手を抜かない。舞台に立つ役者の誰一人として欠けては舞台は成り立たないと、劇団長や先輩からの教えを守っているのだ。
 忙しくてツムギがいないので、エドヴァルドと二人きりになれるのは嬉しいが、どうしても意識してしまう。
 食事をするエドヴァルドの唇ばかり見ていると変な気を起こしそうで、イサギは勢いよく椅子から立ち上がった。

「ご馳走さま! エドさん、作ってくれたから、俺、食器は洗っとくわ」
「その間にお風呂を洗って、お先に入っておきますね。イサギさんもお風呂に入ったら、宿題を手伝いますよ」
「めっちゃ優しくて、気の利くお嫁さんや……あかん、鼻血出そう」

 幼い頃に領主だった父を亡くし、母はイサギとツムギを次期領主であるサナを暗殺させるために教育を受けさせたせいか、エドヴァルドの前では素直に泣いて足にすがることもできたが、エドヴァルドと離れてからはイサギは自分に恐怖以外の感情があることを忘れていたくらいだった。
 それが、今ではエドヴァルドの一挙手一投足に悶えて、鼻血まで出そうになっている。
 食器を洗って片付けて、エドヴァルドの次にお風呂に入ってリビングに出ると、辞書やノートやペンを持ったエドヴァルドがソファで待っていてくれる。同じボディソープのはずなのに、エドヴァルドからは甘い香りがしてきて、くんくんと無意識に鼻を鳴らして嗅いでいると、笑われてしまった。

「ポチみたいですよ」
「ポチもタマもヒヨ達も、みんな、ええ子やったか? エドさんに失礼なことしてへん?」
「みんな可愛くて良い子でしたよ」

 南瓜犬のポチも、スイカ猫のタマも、向日葵駝鳥のヒヨ達も、みんなエドヴァルドには懐いているようで、イサギは胸を撫で下ろす。

「あいつら、一度は貰われて行ったんやけど、貰い主噛んだり引っ掻いたり蹴飛ばしたりして、脱走してきてんねん」

 それで仕方なくイサギが面倒を見ていたら、規格外に大きくなりすぎて、売り物にならなくなった。処分するには心が痛むし、薬草畑にやってくる害獣を追い払ってくれるので、そのまま飼うことにしたのだ。

「エドさんは、物腰も柔らかやし、喋りも丁寧やから、好かれてるんやろなぁ」
「イサギさんが可愛がっている子たちだから、私にも可愛いですよ」

 嬉しい言葉ににやけていると、宿題を見る手を止めて、エドヴァルドがぽつりぽつりと語り始めた。

「小さい頃から、『王族で、どんな身分の相手と話すことになるか分からないから礼儀正しく』と教え込まれていて、遊びらしい遊びもしたことがなくて、世間のことを知ろうと、屋敷の厨房で料理をさせてもらっていたりしたのですが、やはり、私は面白みがないのではないかと……」
「そんなことあらへんで! 俺はエドさんと一緒におるとめっちゃ楽しい!」
「こんなだから、女遊びもしたことがないんだろうと、学生時代に妓館に連れて行かれそうになったんです」
「え、エドさん、誰かと、その……」
「断って逃げたんですけど……もしかして、男が好きなんじゃないかって言われて……」

 身分のあるエドヴァルドが、結婚も婚約も拒んでいて、女遊びもしないことから、魔術学校の同級生に妙な噂を立てられそうになった。同級生は、エドヴァルドに言ったのだ。

──男同士、試してみたかったし、シてやらなくもないよ

「私は確かに女性を愛せないけれど、男性ならば誰でも良いわけではないし、お願いして誰かに相手をしてもらいたかったわけでもない……魔女騒動があって、セイリュウ領に来て、イサギさんが求めてくれて、私は本当はすごく幸せでした」

 目元を赤く染めて告げるエドヴァルドの気持ちが嬉しくて、イサギは涙ぐんでしまう。

「き、キス、して?」

 そのキスが、額へのものであっても、エドヴァルドの本心を聞いた後では、イサギは満たされて、ぐすぐすと洟をすすりながら、エドヴァルドに抱き付いていた。
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