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十一章 研究課程最後の年

9.オクサラ辺境伯の秘密

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 控室として借りている部屋を出て長い廊下を歩いて、階段を降りる。まだ一部の式典が終わったばかりなので、王族や公爵や辺境伯は、二部のために休憩をしていたり、移動を始めていることだろう。スティーナ様とヨハンナ様を呼ぶにはちょうどいい時間だ。
 わたくしがマウリ様に手を引かれて階段を降りきって廊下を歩き始めると、後ろから大きな声で呼び止められた。

「アイラさまー!」
「ダーヴィド様!?」
「ダーヴィド、ついて来ちゃったの?」

 振り返るとダーヴィド様が一生懸命ポーチのジッパーを開けて中身を見せている。ポーチの中身を見せながら歩いて来ていたので、わたくしとマウリ様と、ダーヴィド様の間には距離があって声が聞こえなかったようだ。

「なんどもよんだけど、とまってくれなくて、おいかけてきちゃったの」
「どうしましたか? 困ったことが起きたのですか?」
「わたし、おもらしはしてないんだ。してないんだよ! でも、おてあらいでおしっこをするときに、ちょっとだけしたぎにとんじゃって、ぬれちゃったんだ。マルガレータさんにかえてもらおうとおもったけど、サラがなきだしちゃったでしょう?」
「それでわたくしを追い駆けて来たのですか? ハンネス様やミルヴァ様もいらっしゃいましたが」
「はずかしかったの……らいちゃんにバレてしまいそうで」

 恥ずかしくてハンネス様やミルヴァ様に言えずにわたくしを追い駆けて来たというダーヴィド様を一度連れ戻していると、スティーナ様とヨハンナ様が食事会場に移動してしまう。わたくしは近くのお手洗いにダーヴィド様を連れて行った。

「ここに、あたらしいしたぎがあるの」
「こちらにはき替えましょうね。スラックスも靴下も濡れていませんね。よかったです」
「らいちゃんにいう?」
「内緒にしましょうね」
「ありがとう、アイラさま」

 ダーヴィド様の着替えを手早く終わらせて、わたくしはマウリ様を見た。マウリ様は分かっているというようにこくりと頷く。このままダーヴィド様を連れて行った方がスティーナ様とヨハンナ様に早く会えるだろう。
 わたくしとマウリ様が手を繋いで、わたくしはもう片方の手をダーヴィド様と繋ぐ。三人ではぐれないようにしながら人ごみを抜けていくと、途中でオクサラ辺境伯とアルベルト様の姿を見た気がした。そちらに視線を向けると、違和感を覚える。
 アルベルト様は神殿での修業が終わったばかりで、髪は剃ったままのはずである。生えているとしても少しだけのはずだ。それなのにもっさりと頭の上に不自然に髪が乗っている。隣りに立つオクサラ辺境伯を見ると、頭頂部の髪が横にずれて、肌色が見えている気がする。
 これは見てはいけないものを見てしまったのではないか。口に出してはいけないとわたくしが口を真一文字に結ぶと、マウリ様もぷるぷると肩を震わせながら一生懸命口を閉じている。
 オクサラ辺境伯とアルベルト様の前を通ってわたくしとマウリ様とダーヴィド様はスティーナ様のところに辿り着いた。カールロ様とスティーナ様は大広間から出てすぐのところで、オクサラ辺境伯に引き留められていた。

「私たちも心を入れ替えてヒルダ女王陛下にお仕えするつもりです。どうか、オクサラ辺境伯領との羊毛の取り引きを再開してもらえませんか?」
「オクサラ辺境伯、あなたがわたくしたちにした仕打ちをわたくしたちは忘れていません」
「どうぞ、お引き取りください」

 スティーナ様とカールロ様に交易の再開を求めるオクサラ辺境伯に、きっぱりとスティーナ様とカールロ様は断っている。わたくしはスティーナ様の耳元に囁いた。

「サラ様がお乳を欲しがっています」
「おかあさま! あのひと、かみのけがへんだよ!」

 声を潜めたわたくしの囁きと、ダーヴィド様の純粋な元気な声が重なってしまった。はっと気付いて頭に手をやったオクサラ辺境伯だが、勢いがよすぎて、頭頂部からずれた髪がぱさりと落ちてしまう。頭頂部だけつるつるに禿げた頭を晒したオクサラ辺境伯が慌てているのに、ダーヴィド様がにこにことしながら落ちた髪の毛を拾って持って行った。

「はい、これ、おとしたよ!」
「い、いや、これは、私のでは……失礼! 手洗いに行って来る」
「こっちのひとも、かみのけがおちそうになってるよ?」

 オクサラ辺境伯だけでなくアルベルト様にも声をかけたダーヴィド様からひったくるように髪を受け取り、オクサラ辺境伯は足早にその場を去っていく。アルベルト様もずれた髪を押さえながらオクサラ辺境伯に続いた。
 オクサラ辺境伯がいなくなると、スティーナ様とカールロ様が声を上げて笑い出す。

「ダーヴィド、よくやりました」
「え? わたし、おとしものをとどけて、えらかった?」
「偉かったぞ、ダーヴィド。最高だ!」

 抱き上げられて褒められているダーヴィド様はにこにこしているが、自分たちの髪……かつらについて無邪気な子どもに言及されて、慌ててかつらを落としてしまってダーヴィド様に拾われたオクサラ辺境伯は相当恥ずかしかっただろう。同じくアルベルト様も恥ずかしかったに違いない。

「ヨハンナ様、ティーアが泣いているの。お腹が空いているみたい」
「マウリ様、ありがとうございます。サロモン、先に食事会場に行っていてください」
「分かりました。ヨハンナ、少し休んで来てもいいですからね」

 ヨハンナ様の体調を気にしてサロモン先生は優しい声をかけていた。スティーナ様とヨハンナ様を連れてわたくしとマウリ様とダーヴィド様は来た道を戻っていく。広い控室につくと、ライネ様がドアの前で待っていた。

「だーちゃん! いなくなったから、しんぱいしたよ」
「えっと……わたし……」
「ダーヴィド様もスティーナ様とヨハンナ様を呼びに行ってくださったのです」
「そ、そうなの! よびにいっていたの。らいちゃんにいわないででていって、ごめんね」
「なんだ、ははうえとスティーナさまをよびにいっていたのか。アイラさまとまーあにうえがいっしょならあんしんだった」

 上手く言い訳ができないダーヴィド様の代わりにわたくしが話をすると、ライネ様は納得してダーヴィド様の手を引いてまた遊びに行っていた。スティーナ様とヨハンナ様は、ベッドのある部屋でサラ様とティーア様にお乳を上げている。
 わたくしたちもお腹が空いて来たと思ったところで、控室に昼食が持ち込まれた。サンドイッチやおにぎりや簡単な摘まめるおかず、焼き菓子などが大量に乗ったトレイを使用人さんが置いて行ってくれる。紅茶も人数分淹れてくれた。
 カードゲームをしていたテーブルは食事用のテーブルに変わった。ソファに座ってわたくしとマウリ様とミルヴァ様とハンネス様とフローラ様は軽食を食べて、エミリア様とライネ様とダーヴィド様はマルガレータさんとオルガさんと一緒に、取り分けて敷物の上に座ってピクニック気分で食べている。

「アイラ様、マウリ、ダーヴィド、来てくれてありがとうございました。また泣いたら、遠慮なく来てください」
「ありがとうございました。必要なときは呼んでくださいね」

 お乳を上げ終えて一休みしたスティーナ様とヨハンナ様は、また慌ただしく式典に戻って行った。次は二階の食事会場なので、儀式のための大広間よりもこの部屋から近くなる。

「おかあさまとおとうさまとはなしてたひとがね、かみのけがへんだったの。へんだよっていったら、かみのけがおちてしまったんだ」
「え? それは、かつらじゃない?」
「かつら? かつらってなぁに?」

 純粋なダーヴィド様はオクサラ辺境伯とアルベルト様の身に起きたことがなんだったのか理解できていないようだった。思い出して笑ってしまうわたくしに、マウリ様も笑っている。

「誰がかつらだったの、アイラ様、まー?」
「オクサラ辺境伯とアルベルト様だよ」
「アルベルト様は神殿で修行するために剃っておられましたからね。まさか、オクサラ辺境伯までそうだったなんて……」
「頭のてっぺん、つるつるだったね」
「マウリ様、もう言わないでください。笑ってしまいます」

 わたくしが吹き出すと、マウリ様もくすくす笑っている。ミルヴァ様も、話を聞いていたハンネス様もフローラ様もエミリア様も笑っていた。

「カールロ様とスティーナ様に無実の罪をきせた相手を辱めてやったわけですね、ダーヴィドはやりますね」
「ダーヴィド様はすごいですね。僕もその場面を見たかった」

 興味津々に水色の目を煌めかせるクリスティアンにわたくしは、不謹慎だと言いたかったけれど、わたくし自身が笑っているのでひとのことは言えない。 
 ヘルレヴィ家とヴァンニ家とラント家の子どもたちの控室は笑いに溢れていた。
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