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四章 新しい家族との高等学校三年目

16.予防接種騒動

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 マウリ様とミルヴァ様の熱はすぐに下がって翌日には元気になっていたのだが、ヘルレヴィ家ではラント家にも連絡を取ってマウリ様とミルヴァ様の記録を集める作業に追われていた。
 大抵予防接種というものは小さい頃に済ませてしまう。予防接種が金銭的な理由や知識不足で行き渡っていない子どもは、幼年学校に行く頃になると流行性耳下腺炎や風疹や麻疹などの病気が流行って、かかることが多いのだとヨハンナ様は教えてくれた。

「ハンネスは一年生と二年生の頃にほとんどの病気にはかかったと思います」
「詳しく記録があるなら持って来て下さいませ」
「日記をつけていたので、記録はあります」

 ハンネス様に関しては、オスモ殿が予防接種など必要ないと言って受けさせてくれなかったために、かかったが、小さい頃だったので軽傷で済んだ。伝染病の怖いところは幼い頃にかかっていると軽傷で済んで、免疫ができるのだが、大人になってからかかると重症になって命を落とすこともあるということだ。
 どの記録を探してもマウリ様とミルヴァ様が予防接種を受けたという記述はなかった。ラント領に来たときに2歳だったので、わたくしの両親ももう予防接種は終わっていると思い込んでいたのだろう。
 公爵の子息と令嬢が命を守るための予防接種をされないなんてことがあっていいわけがない。

「フローラの記録も取り寄せたが、予防接種をしていないことが分かった」

 カールロ様の言葉はわたくしたちを震撼させた。
 3歳になるフローラ様も予防接種を受けさせてもらっていない。

「気付く機会があってよかったです。マウリとミルヴァとフローラ……それにハンネスもかかっていないものは予防接種を受けさせましょう」

 それからがまた大変だった。
 マウリ様とミルヴァ様の説得は難しくはなかった。

「マウリ様、ミルヴァ様、病気にかからないために注射をしなければいけません」
「ちゅうしゃ、いたい? こわいの……」
「わたくし、へいきよ!」
「注射をしておいたらかかることはありませんし、他のひとにうつすこともありません。わたくしは予防接種を受けていますが、使用人さんの中には受けていないひともいます。そういう方たちがかかると、死んでしまうかもしれません」

 わたくしの説明をマウリ様もミルヴァ様も真剣に聞いている。

「しようにんさん、しんじゃうの!? わ、わたし、いたいの、がまんする!」
「わたくしも、なかないわ!」

 理屈の分かる二人は納得してくれた。それに安心していると、予防接種の注射を持って待機しているお医者様を見てフローラ様が猫に擬態したホワイトタイガーの姿でベッドの下に逃げ込んでしまったのだ。

「フローラ様、出て来てください!」
「いーやー!」
「予防接種は受けなければいけません!」
「いたいのこわいのー!」

 子ども用のベッドの下は狭くて大人はぎりぎり手が入るくらいの高さである。手を伸ばしてオルガさんがフローラ様を捕まえようとするが、フローラ様は奥の方に逃げてしまって捕まえることができない。

「フローラ様が病気にかからないためなのです」
「やーなのー!」
「フローラ!」

 抵抗してベッドの下から出て来ないフローラ様に、ヨハンナ様から叱責が飛んだ。フローラ様がベッドの下で泣き声を上げる。

「びえええええ! いやだもおおおおおお!」
「出てきなさい、フローラ!」
「ごあいよー! いやだよー!」

 ベッドの前と下で攻防戦を続けるヨハンナ様とフローラ様を見ていられなくて、わたくしが介入しようかと思ったところで、ミルヴァ様が前に出た。すたすたと歩いてベッドの前に行って、ベッドに手をかけて軽々と持ち上げてしまう。
 ベッドの下で埃塗れになって、フローラ様はお漏らしをしていた。
 ベッドを持ち上げたミルヴァ様が無造作にベッドを別の場所に降ろすのを、わたくしもヨハンナ様もオルガさんも、呆然と見ているしかなかった。

「フローラ、わたくしがみほんをみせます」
「ねぇね……」
「わたくしがりっぱにちゅうしゃをうけるところをみていてください」
「あ、あい……ふぇ」

 ヨハンナ様に抱き上げられてバスルームで身体を流した猫に擬態したホワイトタイガーの姿のフローラ様。オルガさんが床の上にできたお漏らしのシミを片付けている。
 しっかりとヨハンナ様に抱かれたフローラ様はぷるぷると震えながら、袖を捲ったミルヴァ様がお医者様の前に出るのを見ていた。ミルヴァ様は凛々しい顔で腕を差し出している。

「ちょっと、ちくっとしますよ」
「はい、よろしくおねがいします」
「しっかりした方ですね」

 アルコール綿で腕を拭いてから、お医者様がミルヴァ様の腕に針を刺す。一瞬ミルヴァ様の顔が泣きそうに歪んだが、すぐに元のきりりとした顔になって、予防接種を終えた。

「わたくち、がんばう」

 ミルヴァ様の勇姿を見ていたフローラ様も心を決めたようだった。猫に擬態したホワイトタイガーの姿のままでぷるぷると震えながらヨハンナ様に抱っこされてお医者様の前に出る。お尻に注射を刺されて、尻尾がぶわっと膨らんで怯えていたがフローラ様も無事に予防接種を終えることができた。
 次はマウリ様の番だった。

「あ、アイラさま、おててをにぎっていて」
「はい、頑張りましょうね」
「まー、がんばる……がんば……びゃー!?」

 刺された瞬間マウリ様が悲鳴を上げてしまったのを聞いたが、わたくしはそれはそっと心の中にしまっておいた。蜂蜜色のお目目から涙がポロリと零れてわたくしにしがみ付いてくるマウリ様も予防接種が相当怖かったようだ。
 無事に終わって、ハンネス様もかかっていない分の予防接種を受ける。

「今日で終わりではありませんよ。これから定期的にお医者様が来て、打っていない予防接種を受けて行きますからね」

 スティーナ様に言われて、まだ人間の姿に戻れていないフローラ様はヨハンナ様にしがみ付いて震えているし、マウリ様は完全に硬直している。ミルヴァ様は凛々しく表情を引き締めて、こくりと頷いていた。
 マウリ様とミルヴァ様とフローラ様、そしてハンネス様の件も受けて、スティーナ様とカールロ様はヘルレヴィ領での予防接種の必要性について考え始めたようだった。

「親が受けさせない場合もあるが、義務化して、無料にすれば、受けるものが増えるんじゃないだろうか」
「受ける機会を設けてもいいですね。幼年学校に入る前に予防接種を受けるために、幼年学校を開放して摂取会場にするとか」

 まさか公爵家の子息と令嬢であるマウリ様とミルヴァ様が予防接種を受けていないなんて考えもしなかったが、フローラ様も受けさせてもらっていなかったようなので、貴族の家でも親の判断で受けさせない家庭はたくさんありそうだった。
 義務となれば少しでも受けさせる家庭が増えるだろうし、無料となれば今まで受けられなかった貧しい平民の家庭でも受けさせることができる。
 伝染病の流行は子どもたちだけではなく、大人たちも危険に晒す。それを早いうちに封じられるのならば、ヘルレヴィ領全体の利益となることは間違いなかった。

「マウリとミルヴァの風邪をきっかけに、予防接種のことに気付けてよかったです。アイラ様ありがとうございます」
「わたくしではなく、ヨハンナ様が伝染病ではないのか聞いたからですよ」

 お礼を言われてわたくしは恐縮してしまう。スティーナ様はわたくしを評価してくれているが、わたくしはマウリ様とミルヴァ様が予防接種を受けたことがないなど考えたこともなかった。

「ヨハンナ様、本当にありがとう」
「アイラ様がマウリ様とミルヴァ様の不調に気付いたおかげです。わたくしは気付けませんでした」

 カールロ様にお礼を言われてヨハンナ様はわたくしのことを言っている。わたくしはヨハンナ様のおかげだと言い、ヨハンナ様はわたくしのおかげだと言い合っている様子がおかしかったのか、ヨハンナ様に抱っこされていたフローラ様がくすくすと笑った。
 笑った拍子に人間の姿に戻って、ヨハンナ様が慌てて抱き直している。

「フローラ、もう大丈夫ですか?」
「あい……これからも、ちっくん、するの?」
「しますよ。フローラのためですからね」
「……が、がんばう。ねぇね、がんばってた。わたくちも、ターヴィとエミリアのねぇね!」

 フローラ様の宣言を聞いてわたくしはターヴィ様のことに気が付く。

「ターヴィ様も予防接種を受けていないのでは?」
「ネヴァライネン家に確認をとりましょう」

 まだまだ、予防接種騒動はおさまらないようだった。
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