上 下
130 / 484
四章 新しい家族との高等学校三年目

15.マウリ様とミルヴァ様の熱

しおりを挟む
 魔法学の授業の終わりにはエロラ先生の淹れてくれたお茶を飲む。エリーサ様が来るようになってからは、ミルクで煮出した紅茶やスパイスを入れたミルクティーのチャイを飲むことが多くなっていた。
 ミルクで煮出した紅茶は、この季節にはとても身体が温まる。ふうふうと吹き冷ましながら飲んでいると、エリーサ様がエロラ先生の隣りに座って寄り添っている姿が湯気の向こうに見える。美しいお二人が寄り添う姿は眼福だ。

「わたくし、ダンスの練習を始めました。お二人も踊ることがありますか?」
「私とエリーサは公には仲が認められていないから、舞踏会で踊ることはないけれど、二人きりでなら踊ったね」
「森の中、月の下で、音楽もないのに二人、踊りましたね」

 木の根や草に足を取られることなく、エロラ先生とエリーサ様は優雅に踊ったのだろう。月の下の木々の間から零れる光の中で、密やかに二人だけで踊る姿はどれ程美しかったか。想像するだけでも胸がいっぱいになる。

「アイラちゃんが踊り始めたなんて、マウリくんがよく許したね」
「それなんですが……他の男性とは踊らないでと言われました」

 可愛い独占欲でわたくしも嬉しかったのだが、男性のパートを知らないスティーナ様にお相手を務めさせるのは負担が大きいのではないかと不安でもあった。産後スティーナ様は順調に回復しているとはいえ、まだ四か月しか経っていないのだ。
 赤ん坊を産むのは母体にとても大きな負担がかかる。マウリ様とミルヴァ様を産んだ後スティーナ様は毒の影響もあったが四年間も寝込んでいたのだ。無理をさせたくないというわたくしの気持ちも仕方がないものだった。

「メル、あなたがお相手をして差し上げたらどうですか?」
「私が? エリーサは妬かない?」
「わたくしがアイラ様に妬くわけがないでしょう?」

 ころころと鈴を鳴らすように笑うエリーサ様に、エロラ先生も乗り気になったようだった。

「練習のときに呼んでくれたら、私でよければ、お相手を務めよう」

 エロラ先生は男性ではないし、エリーサ様と踊れるのだから男性のパートは覚えているはずだ。スティーナ様と踊るのは嫌ではなかったが、男性のパートはスティーナ様も初めてで戸惑いがあって、わたくしも踊るのが初めての初心者で、どちらとも上手くいかない状態だったから、上手なひとに教えてもらいたいという欲がないわけでもなかった。

「よろしいのですか?」
「エリーサの許可が出たからね」
「アイラ様だから特別ですよ」

 悪戯っぽく笑うエリーサ様の頬にエロラ先生が自然な動作で口付ける。くすぐったそうに笑うエリーサ様はとても幸せそうだった。
 この幸せな光景も長くは続かない。授業が終わるとエリーサ様は移転の魔法でラント領に帰ってしまうのだ。手を振りながら消えていくエリーサ様を見つめるエロラ先生の背中は寂しそうだった。
 エリーサ様とエロラ先生が引き離されることなく暮らせる日が遠すぎて、わたくしはもっと近くならないのかと考えてしまう。誰がエリーサ様とエロラ先生の仲を反対していて、こんな条件を付けたのだろう。
 百年など経たなくてもお二人の気持ちが変わることは決してないだろうし、お二人を引き離している時間がただの無駄に思えてならない。抗議できるものならばわたくしはお二人を引き離しているひとに話をしたいと思い始めるようになっていた。
 魔法学の授業が終わるとお弁当の時間を挟んで午後の授業に入る。午後の授業は農学だった。
 ヘルレヴィ領で行われている果樹の栽培や酪農、辺境域で行われている放牧などを習うと共に、今年度から教科書の項目が一つ増えていた。

「マンドラゴラ栽培について、ですか」
「ヘルレヴィ領でもマンドラゴラ栽培をする畑と寮が作られたから、授業に加えて、更にマンドラゴラを栽培する農家が増えるようにしたいんでしょうね」
「エーリクも幼年学校でマンドラゴラの授業が増えたって言ってました」

 ニーナ様の弟のエーリク様は新しくマンドラゴラの授業も受けるようになったようだ。マンドラゴラを栽培することはヘルレヴィ領にとって大きな利益になることを見越して、カールロ様とスティーナ様が教育に取り入れるように取り計らったのだろう。
 授業を受けると、わたくしは経験していることばかりだったが、マルコ様もニーナ様も真剣にノートに授業内容を書いていた。

「マンドラゴラのための薬草についても教えてくれてるから、しっかり学ばないと」
「うちも薬草を買うんじゃなくて、自分で育てないといけないかな……」
「エーリク様の勉強にもなるから、育てた方がいいですよ」

 マルコ様は自分の家の農地の一部でマンドラゴラの栄養剤のための薬草を育てているようだが、ニーナ様は買って手に入れているらしい。買うよりも自分で育てる方が勉強になると促すマルコ様に、ニーナ様も何となく納得したのか頷いていた。
 授業が終わると迎えに来た馬車に乗ってヘルレヴィ家に帰るのだが、珍しくエロラ先生が高等学校の校門近くの前庭でわたくしを待っていてくれた。

「あれが、妖精種の……」
「女性なのに男性のような姿をしている」
「本当に女性なのでしょうか?」

 人前に姿を現すことをあまり好まず、サンルームの中にエロラ先生が閉じこもっているのは、こんな妙な声をよく聞くからだろう。エリーサ様と一緒にいると尚更妙な声が聞こえてくるのかもしれない。
 わたくしはエリーサ様とエロラ先生が女性同士で愛し合っていても、愛は性別を問わず素晴らしいものだと思うのだが、そうは思わないひとたちがたくさんいることも知っている。そういうひとたちを気にしないのだろうが、エリーサ様とエロラ先生は反対するひとに阻まれて百年間引き離される時間を過ごさなければならない。
 残りは六十年くらいと言っていたような気がするが、それでも十分な長い。四十年もお二人が我慢できたのが信じられないくらいだ。

「アイラちゃん、これをエリーサが君たちに」
「わたくしたちに? スティーナ様ですか?」
「いや、アイラちゃんとマウリくんとミルヴァちゃんとハンネスくんとフローラちゃんに、かな」

 ヘルレヴィ家の子どもたちに宛ててエリーサ様は手紙を書いてくださった。受け取ってわたくしはお礼を言ってエロラ先生を見送る。堂々と大股で歩いて行くエロラ先生は凛としていて格好いい。周囲の声など聞こえていないようだった。
 ヘルレヴィ家に帰ってからわたくしは着替えて子ども部屋に行った。子ども部屋ではマウリ様とミルヴァ様がサロモン先生の授業を受けていて、同じテーブルでハンネス様が宿題をしている横でフローラ様がお絵描きをしている。

「おかえりなさい、アイラさま!」
「ただいま帰りました、マウリ様」

 椅子から飛び降りてわたくしの元に駆けて来るマウリ様を抱き締めると、マウリ様もぎゅっとわたくしにしがみ付いてきた。小さなお手手が熱い気がする。

「マウリ様、ちょっと失礼します」

 前髪を上げてマウリ様の額に触れると、マウリ様の額がいつもより熱い気がした。ほっぺたも赤くなっているし、洟も垂れかけている。洟を拭きながら、わたくしはマウリ様の生命力を見てみた。
 額に触れた手からマウリ様の生命力が感じられる。いつもは緑に澄んでいるのに、今日はどこか濁っている気がする。

「気分は悪くありませんか? 頭は痛くないですか? 吐き気はしませんか?」
「えっとね、あさからちょっとおのどがいたくて、ごはんがたべにくかったの」

 わたくしの問いかけに答えたマウリ様に、傍で聞いていたヨハンナ様が顔色を変える。

「朝食で食欲がなさそうだとは思っていたのです。昼食もあまり召し上がらなかったし……」
「熱があるかもしれません。スティーナ様にお知らせして、お医者様を手配してもらいましょう」

 話している間に、椅子に座っているミルヴァ様が傾いていることにわたくしは気付いた。勉強を中断していたサロモン先生は気付いていないようだが、わたくしはミルヴァ様に駆け寄る。

「ミルヴァ様、どこか痛いところはありませんか?」
「あたまがふらふらするの」

 ほっぺたを赤くしているミルヴァ様もどうやら調子が悪いようだった。手を翳してみるといつもは澄んだ赤に感じる生命力が、今日は濁っている気がする。

「ミルヴァ様も朝食と昼食をあまり召し上がりませんでした。最近は介助なしで食べられるので、今日はお二人とも食べたくない日なのかと思っておりました。気が付かなくてすみません」
「まだ6歳ですもの。食べるのにむらがあっても仕方がないです。ヨハンナ様のせいじゃありません」

 謝るヨハンナ様にわたくしは答えてから、スティーナ様とカールロ様にマウリ様とミルヴァ様が熱を出していることを伝えた。執務室からすぐに来てくれた二人は、マウリ様とミルヴァ様のためにお医者様を呼んでくれた。

「風邪だと思いますよ」
「伝染病ではないのですか?」
「お二人は風邪ですね。ただ……流行性耳下腺炎や風疹、麻疹が幼年学校で流行っていますが、予防接種は受けられましたか?」
「ハンネスは小さな頃かかりましたが……マウリ様とミルヴァ様は予防接種は受けていないのでは?」

 マウリ様とミルヴァ様はただの風邪だったが、ここでわたくしはマウリ様とミルヴァ様について新しい事実を知ってしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。

屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。) 私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。 婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。 レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。 一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。 話が弾み、つい地がでそうになるが…。 そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。 朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。 そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。 レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。 ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。 第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞

【完結】「冤罪で処刑された公爵令嬢はタイムリープする〜二度目の人生は殺(や)られる前に殺(や)ってやりますわ!」

まほりろ
恋愛
【完結しました】 アリシア・フォスターは第一王子の婚約者だった。 だが卒業パーティで第一王子とその仲間たちに冤罪をかけられ、弁解することも許されず、その場で斬り殺されてしまう。 気がつけば、アリシアは十歳の誕生日までタイムリープしていた。 「二度目の人生は|殺《や》られる前に|殺《や》ってやりますわ!」 アリシアはやり直す前の人生で、自分を殺した者たちへの復讐を誓う。 敵は第一王子のスタン、男爵令嬢のゲレ、義弟(いとこ)のルーウィー、騎士団長の息子のジェイ、宰相の息子のカスパーの五人。 アリシアは父親と信頼のおけるメイドを仲間につけ、一人づつ確実に報復していく。 前回の人生では出会うことのなかった隣国の第三皇子に好意を持たれ……。 ☆ ※ざまぁ有り(死ネタ有り) ※虫を潰すように、さくさく敵を抹殺していきます。 ※ヒロインのパパは味方です。 ※他サイトにも投稿しています。 「Copyright(C)2021-九頭竜坂まほろん」 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 ※本編1〜14話。タイムリープしたヒロインが、タイムリープする前の人生で自分を殺した相手を、ぷちぷちと潰していく話です。 ※番外編15〜26話。タイムリープする前の時間軸で、娘を殺された公爵が、娘を殺した相手を捻り潰していく話です。 2022年3月8日HOTランキング7位! ありがとうございます!

処理中です...