俺は貴女に抱かれたい

秋月真鳥

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二部 晃と霧恵編

弱いアルファでいいですか? 1

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 大学に入って初めての飲み会で、都築つづきあきらは未成年なのにアルコールを飲まされそうになって、半泣きになって抵抗して、どうにか店から飛び出した。外は小雨が降っていて、春先というのに夜は妙に冷えた。明るい時間と周囲の風景が全く違うように見えて、妖しいネオンと街灯に照らされた薄暗い街の中で、晃はすっかりと道に迷ってしまった。
 高校まではずっと道場で都築流という特殊な古武術に近い武芸を嗜んでいた。実力はあるのに、試合に出るたびに、ぎらぎらと勝利を求める相手の顔が怖くて怖くてたまらなくて、負け続きで、師範代にもなれる腕と言われたのに、必死に抵抗して大学は薬学部に入った。
 サークルも道場の練習で部活が許されなかったので、憧れていた吹奏部に入ろうと意気込んでいた矢先の歓迎会でのアルハラに、晃は怯え切っていた。ぷるぷると震えて街を歩く18歳の青年は、とてもアルファには見えなかったのだろう。
 酒臭い息を吐くスーツ姿の男に、腕を掴まれた。

「びゃあ!?」
「君、可愛いねぇ。オメガでしょう? 相手を探してるの?」
「ち、ちが……手、はな、してぇ」

 完全に怯え切って震えている晃の腰を抱いて、男はホテルに連れ込もうとする。振り払おうと思えば振り払えたし、投げ飛ばそうと思えば投げ飛ばせたはずなのに、晃は恐怖で身体が固まってしまって、真っ青になって震えていることしかできなかった。

「た、たしゅけて……」

 涙目で周囲に訴えるも、男はアルファなのだろうか、誰も近付きたがらない。
 ベータ性というのが発見されたのは医学が進んだ近代のことで、それまでは経国のとか、魔性のとか呼ばれていた歴史上の人物は、大概オメガだったと言われている。
 世界人口の約一割が、高い能力を持ち男女問わずオメガや女性を孕ませることのできて、他者を圧倒するオーラを持ったアルファという産ませる性。同じく約一割が、男女問わず子どもを孕むことができて、発情期ヒートと呼ばれる妊娠しやすい時期があって、アルファをフェロモンで誘うオメガという産む性。残りの八割がごく普通のベータと呼ばれる男女という内訳で、オメガはアルファとの間に優秀な子どもを産むとして、アルファとオメガが夫婦になるのが一般的とされていた。
 せっかく見つけたオメガを逃したくないアルファの男と、実はオメガではなくアルファであるがオーラも全くなくひ弱に見える晃。
 絶体絶命の場面で、その女性は現れた。
 いわゆる姫カットというのだろうか、前髪を真っすぐに切りそろえて、横を顎下で前下がりに真っすぐに切って、後ろは長く伸ばした漆黒の髪の長身のその女性は、見るものを引き付ける美しさと、目が離せなくなるような恐ろしさを兼ね備えていた。

「その子、嫌がってるんじゃないの? その手を離しなさい、下衆野郎」

 オーラに当てられたのか、アルファらしき男ががくりとその場に膝を付く。震えながらそこから逃げ出そうとしても、膝が笑って動けない晃に、彼女は凛々しく手を伸ばしてくれた。

「こんなに震えて。こんな可愛いチワワちゃんが、どこから紛れ込んじゃったのかしら。あたし、これから用事があるけど、アナタ、一人で帰すのは心配だわ。付いてくる?」

 長身に見合う指の長い綺麗な手を取ると、その爪が鮮やかな青色に塗られているのが分かった。ふわりと漂う甘い香りに引き寄せられるように、晃は頷いてそのひとに付いて行った。

「あたしは舞園まいぞの霧恵きりえよ。アナタは?」
「俺は、都築晃いいます」

 そういえば、あの男は名乗りもしなかった。味見して捨てるだけのオメガならば、自分の身元が知れない方がいいと思ったのだろう。
 スマートに自己紹介をする霧恵は、あの男に比べてずっと紳士で優しくて好感が持てた。ぎらぎらとした欲望が見えないだけでも、晃には安心できる存在で、不思議とこのひとは怖くないと思えた。
 連れて来られたのはクラシックなよく磨かれた重い木の扉のバーのようなところだった。そこには大人の男女が集っていて、霧恵が現れると歓声が上がる。

「ママ、今日は出勤日だったの?」
「こっち来て、飲もうよ、ママ」
「可愛い子連れて、その子誰?」

 ぶわりと店の中に籠る独特の香りで、晃はこの店に来ているのが全員オメガだと気付く。その匂いに気分が悪くなりそうになったが、繋いだ霧恵の手の暖かさになんとか意識は保っていた。

「顔色が悪いわ。アナタ、大丈夫?」
「に、においが……」
「もしかして、アナタ、アルファ?」

 あら大変、と言われて、がたがた震えながら晃は霧恵にしがみ付いた。霧恵から香ってくる匂いは、晃を安心させる。

「霧恵さん、ええ匂い、しはる……」
「フェロモン漏らしてないはずなのに」

 不思議ねぇと呟きつつも、霧恵は晃に冷たいジャスミン茶を出してくれた。霧恵のフェロモンに似た爽やかな香りと冷たさに、晃はほっと溜息を吐く。
 聞けば、ここはオメガのためのバーなのだという。

「差別はなくなったって、建前では言うけど、現実的に発情期ではアルファを求めずにいられないし、抑制剤は常に使ってないといけないし、オメガって生きにくいでしょう」

 そういうオメガが苦しみを共有したり、自立して生きていけるように職場を紹介し合ったりする場所が、このバーなのだという。経営者の霧恵は『ママ』と呼ばれているが、本業のモデルが忙しくて、月に2~3度しか顔を出せないので、来る日には客が増えて店が賑わう。
 迷い込んできた晃にかかりっきりになっているが、霧恵と話したそうなひとの気配に、晃はおずおずと席を立とうとした。

「俺、未成年ですし、お邪魔ですやろ。すんません……ご迷惑、おかけしました」

 スツールから降りて店の外に出ようとするが、こわばった身体のせいで、脚がもつれて転びそうになる。腕が延ばされて、ふんわりと晃は抱きとめられていた。
 鍛え上げられた腕と、大きく豊かな胸。
 強いオメガがコンセプトのモデルをしているという霧恵は、身長も180センチ以上あって、晃より少し背が高くて、体格はよく鍛えられて引き締まった筋肉に覆われていた。

「何をそんなに怖がってるの? いいわ、今日はアナタの話を聞く日にしましょう」

 もう一度スツールに座らされて、隣りに腰かけた霧恵がパンツスーツに包まれた長い脚を組む。胸の谷間が見えるようなシャツを着ているのに、不思議と霧恵からはいやらしさは感じられなかった。

「俺は、都築道場いう道場の門下生で、実力だけは師範代になれるくらいあるって言われてたんに、試合で戦うのが怖くて、一度も勝ったことがないんや。『お前はアルファの価値がない』って親にも言われて……」

 それで絶縁状態になって、奨学金をもらって入った大学が、薬学部だった。誰かを傷付けるよりも、薬剤の研究をして、誰かを救う方がいい。師範代になる5歳年上の従姉がアルファだが女性だから、晃を師範代にできると信じ込んでいた両親には、結局理解してもらえなかった。
 情けなく語るのを霧恵は遮らずに最後まで聞いていてくれた。

「すごいわ、アナタ。自分の意志を通したのね」
「俺が、すごい?」

 話し終えてから霧恵の口から出た言葉に、俯いていた晃が顔を上げる。
 弱虫だ、アルファらしくないと、ずっと蔑まれて、褒められたことなどない。霧恵の口から出た誉め言葉に、晃は我が耳を疑った。

「アルファだから強くあるべきとか、オメガだからお淑やかにするべきとか、生まれたときから決まっていて、自分の意志で変えられないもので判断するのは、ただの差別だわ。それに負けずに、アナタは、自分のしたいことを、ご両親に反対されても選んだのよ。すごい勇気だわ」
「俺が、勇気があるて?」
「えぇ、素敵だと思うわ」

 真っ赤なルージュの塗られた肉厚の唇が笑みの形を作る。美しい笑顔を見て、晃の目から涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
 強くならなくていい。
 戦わなくてもいい。
 アルファだ、オメガだと拘らず、自分の生きたいように生きていい。
 そう言ってくれた霧恵の手を、晃は握り締める。

「霧恵さん、好きや。愛してます。結婚してください」

 恋に堕ちた瞬間、晃の口から出たのはプロポーズの言葉だった。
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