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5.ゆーちゃんと僕の学生時代
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寛がいれば夜も怖くはない。
一人だとどうしてもひとではない何かを見ることが、僕にはものすごく恐ろしかった。
家族と住んでいた時期も、実家に入り込んでくるひとではない何かに僕は脅かされていた。
怖くて怖くて自分の部屋から出られない日もあった。
ベッドに寝ている僕の体の上に奇妙な生き物が乗ってきて、ずっと僕の顔を覗き込んでいる。
目を閉じて気付いていないふりをしても無駄だった。
ひたりと冷たい手が首に当てられる。
『この子を殺して、私のあの子の魂を戻そう』
例えその生き物が生前に悲しいことを経験していようと、僕を殺すのは間違っている。
抵抗したいのに金縛りのようになって身体を動かすことができない。
じわじわと首が締められる。
息が苦しくなって、僕は心の中で助けを求める。
「楓ー! もう起きなさい! 寛くん迎えに来るわよー!」
階下から母の声が聞こえる。
僕は起きているのに動くことも、目を開けることもできずに、じわじわと首を絞められて息が止まって行く。
指先が冷たくなりそうになったときに、部屋に寛が飛び込んで来た。
「おはよー! かーくん! どうしたんだ?」
「ゆーちゃん……た、すけ、て」
こういうことが何度もあった寛は心得ていた。
すぐさま僕の体の上の虚空にパンチを放つ。シャドーボクシングの要領で、当たった生き物は悲鳴を上げて消えていく。
『ぎゃあああ! なんでこんな……!』
消えて行った生き物にやっと起き上がれた僕に、寛は時計を指差す。
「遅刻! さっさと着替えてご飯!」
「ご飯はいいよ」
「ダメだ! かーくんのお母さんがせっかく作ってくれてるんだからな!」
僕を着替えさせて階下に連れて行って、テーブルで僕がもさもさとご飯を食べている間も、寛は少しも苛々したところを見せずに待っていた。
「寛くん、楓が寝坊助なせいでごめんなさいね。先に行ってていいのよ」
「かーくんとは遅刻するときも一緒だ」
「優しいのね」
母は僕のことが分からないから寝坊だと思っているが、僕はひとではない生き物にのしかかられて、殺されるところだったのだ。
それがこれくらいで済んだのは本当によかったのだが、首に触れるとまだ冷たい手の感触が残っている気がする。
どれだけ頑張ってもご飯を早く食べられない僕を待っていたせいで、寛は遅刻ギリギリに教室に駆け込んだ。
走るのは苦手だったけれど、寛を遅刻させるわけにはいかないので、僕も必死に走ってついて行った。
それが小学校高学年の頃。
その後は中学、高校と私立の中高一貫校に入学して、寛と僕はずっと同じ部屋だった。
ひとではないものが見えることを口にすれば気味悪がられて、言わなくても僕はひとではないものに絡まれて奇妙な行動をするので、中学でも高校でも遠巻きに見られていた。
はっきりと苛められなかったのは、同室の寛の存在があったからだろう。
寛もいきなりシャドーボクシングをするという奇行で恐れられていたが、性格は明るく、親切で世話焼きだったので、友達は多かった。
その中でも寛が絶対に同じ部屋で一番に気にかけているのが僕だということが、僕にはとてもありがたかった。
中学と高校のシャドーボクシングを抜けて、僕と寛は文系の大学と調理師専門学校に進んだ。
寛が中高一貫の学校を選んだ理由が、成績優秀で授業料免除だったことと、両親が離婚の直前で揉めていて家に居場所がなかったというのがあった。
寛の両親は寛が高校を卒業と同時に離婚した。
両親とも今は再婚しているので、寛には帰る実家という場所がない。
シェアハウスを申し出られたときに、寛には寂しさがあったのだと思う。
僕は僕で、自分一人では寂しくて暮らせる気がしなくて、寛がいてくれないとひとではないものに襲われたときが怖かった。
僕と寛は寂しさを友情で埋め合う仲なのだ。
遊園地から新幹線で帰って部屋に戻ると、僕は撮って来た写真をパソコンで纏めて、整理して、資料にフォルダ分けしていた。
寛から声がかかる。
「洗濯物出せよ。今回は俺が洗ってやる」
「助かるよ。ありがとう」
「次はかーくんな」
「分かった」
キャリーケースから洗濯物を出して、寛に手渡す。下着も入っているのだが、中高一貫の学校の寮のときからこういうことは日常茶飯事だったので、慣れている。
一日や二日の洗濯物では、洗うのには少なすぎるのだ。
それでも、寛は体操服や制服のシャツを何枚も持っているわけではなかったので、頻繁に洗って乾かさなければいけなかった。
僕は両親が心配して多少多めに買っていてくれたが、寛にお願いされて、一緒に洗濯をするようになった。
寛が洗濯をした次の回は、僕が洗濯をする。
手間も半分に省けるし、新しいシャツや体操服を買って欲しいと両親に言わなくて済むのも助かった。
それが今も続いていて、寛が洗濯をした次の回は僕がして、その次は寛と順番に回していく生活が続いていた。
寛がどんな下着を着ているかも知っているし、寛の服も使ったタオルも洗って干すのが僕の日常になっている。
資料が纏まったところで、編集の鈴木さんにメッセージを入れようと携帯電話を手に取ると、アプリに通知が入っていた。
編集の鈴木さんからだ。
『前回の異世界恋愛もの、重版かかりましたよー! おめでとうございます!』
『ありがとうございます。鈴木さんのおかげですよ。遊園地もすごく勉強になりました。作品に役立てます』
お礼のメッセージを入れてから僕は立ち上がってガッツポーズを取った。
「よっしゃ!」
「どうした、かーくん?」
「重版だよ! 新刊が重版された!」
「それはおめでとう」
洗濯機を回していた寛が顔を出して祝ってくれる。
「なんか、美味しいもの食べに行くよ」
「うちの店に来てくれるのか。いつか? 明日? 予約しとくよ」
「寛も抜けられる?」
「それは分からん」
時間によっては寛が抜けて一緒にご飯を食べられる時があるのだが、忙しいときは無理だ。
真顔になった寛に、僕はため息を吐く。
「寛にもお礼をしたいんだけどな」
「礼はうちの店に来てくれるだけで十分だ」
パンデミックのせいで経営が悪化しているお店には、一人でも多くのお客が欲しい。
長引くパンデミックでみんな慣れてきたとはいえ、飲食店は未だ経営が厳しいままだった。
「俺が腹減らしてたら、賄い食べさせてくれた店なんだよ」
小学校の頃から寛の家は両親が冷めきっていて、食事も碌に与えられなかった。お腹を空かせた寛を見かねて、声をかけてくれたのが女将さんだったという。
「中学で寮に入ったら、食事は食堂で全部食べられたけど、それまでは、毎日夕方にあの店に行ってたんだ」
「女将さんはゆーちゃんの恩人だもんね」
「あの店をもう一度盛り立てたい」
それが寛の願いだった。
僕が援助するという手もあるのだが、それに関しては寛は断っていた。
「作家の収入なんていつなくなるか分からないんだ。ちゃんと貯金してろ」
「重版かかったんですけど」
「次の本が売れるとは限らないだろう」
多少はお金が入ってきたことを示しても、寛は了承してくれない。
寛にとって、して欲しいことは、お金での援助よりもお店に来ることのようだった。
「今度から、お昼もお店で食べようかな」
「弁当もあるぞ」
「お弁当買うか、食べに行くよ」
これならばささやかだけど寛のお店の援助になるのではないだろうか。
僕が提案すると、寛はそれは了承してくれたようだった。
「一応、Wi-Fiいれてるから、仕事もできると思う」
「入れたんだ、Wi-Fi」
「最近はないとお客が来ない」
Wi-Fi環境も整っているならば、お昼ご飯を食べて、おやつも何か頼みつつ、店で仕事ができるかもしれない。
そういう新しい環境も取り入れて行かなければお客さんが来ないというのは、それだけ大変なのだろう。
「重版お祝い、明日な」
「ゆーちゃんも席に来てくれたらいいんだけどな」
「乾杯だけはいくよ」
答える寛を僕がじっと見つめると、ため息をつかれる。
「晩ご飯早くすると、かーくん、夜中つらいだろ?」
「早くなら大丈夫?」
「五時半とかになるぞ?」
「それでもいい! お願い!」
寛とお祝いができそうな気配に僕はワクワクしていた。
一人だとどうしてもひとではない何かを見ることが、僕にはものすごく恐ろしかった。
家族と住んでいた時期も、実家に入り込んでくるひとではない何かに僕は脅かされていた。
怖くて怖くて自分の部屋から出られない日もあった。
ベッドに寝ている僕の体の上に奇妙な生き物が乗ってきて、ずっと僕の顔を覗き込んでいる。
目を閉じて気付いていないふりをしても無駄だった。
ひたりと冷たい手が首に当てられる。
『この子を殺して、私のあの子の魂を戻そう』
例えその生き物が生前に悲しいことを経験していようと、僕を殺すのは間違っている。
抵抗したいのに金縛りのようになって身体を動かすことができない。
じわじわと首が締められる。
息が苦しくなって、僕は心の中で助けを求める。
「楓ー! もう起きなさい! 寛くん迎えに来るわよー!」
階下から母の声が聞こえる。
僕は起きているのに動くことも、目を開けることもできずに、じわじわと首を絞められて息が止まって行く。
指先が冷たくなりそうになったときに、部屋に寛が飛び込んで来た。
「おはよー! かーくん! どうしたんだ?」
「ゆーちゃん……た、すけ、て」
こういうことが何度もあった寛は心得ていた。
すぐさま僕の体の上の虚空にパンチを放つ。シャドーボクシングの要領で、当たった生き物は悲鳴を上げて消えていく。
『ぎゃあああ! なんでこんな……!』
消えて行った生き物にやっと起き上がれた僕に、寛は時計を指差す。
「遅刻! さっさと着替えてご飯!」
「ご飯はいいよ」
「ダメだ! かーくんのお母さんがせっかく作ってくれてるんだからな!」
僕を着替えさせて階下に連れて行って、テーブルで僕がもさもさとご飯を食べている間も、寛は少しも苛々したところを見せずに待っていた。
「寛くん、楓が寝坊助なせいでごめんなさいね。先に行ってていいのよ」
「かーくんとは遅刻するときも一緒だ」
「優しいのね」
母は僕のことが分からないから寝坊だと思っているが、僕はひとではない生き物にのしかかられて、殺されるところだったのだ。
それがこれくらいで済んだのは本当によかったのだが、首に触れるとまだ冷たい手の感触が残っている気がする。
どれだけ頑張ってもご飯を早く食べられない僕を待っていたせいで、寛は遅刻ギリギリに教室に駆け込んだ。
走るのは苦手だったけれど、寛を遅刻させるわけにはいかないので、僕も必死に走ってついて行った。
それが小学校高学年の頃。
その後は中学、高校と私立の中高一貫校に入学して、寛と僕はずっと同じ部屋だった。
ひとではないものが見えることを口にすれば気味悪がられて、言わなくても僕はひとではないものに絡まれて奇妙な行動をするので、中学でも高校でも遠巻きに見られていた。
はっきりと苛められなかったのは、同室の寛の存在があったからだろう。
寛もいきなりシャドーボクシングをするという奇行で恐れられていたが、性格は明るく、親切で世話焼きだったので、友達は多かった。
その中でも寛が絶対に同じ部屋で一番に気にかけているのが僕だということが、僕にはとてもありがたかった。
中学と高校のシャドーボクシングを抜けて、僕と寛は文系の大学と調理師専門学校に進んだ。
寛が中高一貫の学校を選んだ理由が、成績優秀で授業料免除だったことと、両親が離婚の直前で揉めていて家に居場所がなかったというのがあった。
寛の両親は寛が高校を卒業と同時に離婚した。
両親とも今は再婚しているので、寛には帰る実家という場所がない。
シェアハウスを申し出られたときに、寛には寂しさがあったのだと思う。
僕は僕で、自分一人では寂しくて暮らせる気がしなくて、寛がいてくれないとひとではないものに襲われたときが怖かった。
僕と寛は寂しさを友情で埋め合う仲なのだ。
遊園地から新幹線で帰って部屋に戻ると、僕は撮って来た写真をパソコンで纏めて、整理して、資料にフォルダ分けしていた。
寛から声がかかる。
「洗濯物出せよ。今回は俺が洗ってやる」
「助かるよ。ありがとう」
「次はかーくんな」
「分かった」
キャリーケースから洗濯物を出して、寛に手渡す。下着も入っているのだが、中高一貫の学校の寮のときからこういうことは日常茶飯事だったので、慣れている。
一日や二日の洗濯物では、洗うのには少なすぎるのだ。
それでも、寛は体操服や制服のシャツを何枚も持っているわけではなかったので、頻繁に洗って乾かさなければいけなかった。
僕は両親が心配して多少多めに買っていてくれたが、寛にお願いされて、一緒に洗濯をするようになった。
寛が洗濯をした次の回は、僕が洗濯をする。
手間も半分に省けるし、新しいシャツや体操服を買って欲しいと両親に言わなくて済むのも助かった。
それが今も続いていて、寛が洗濯をした次の回は僕がして、その次は寛と順番に回していく生活が続いていた。
寛がどんな下着を着ているかも知っているし、寛の服も使ったタオルも洗って干すのが僕の日常になっている。
資料が纏まったところで、編集の鈴木さんにメッセージを入れようと携帯電話を手に取ると、アプリに通知が入っていた。
編集の鈴木さんからだ。
『前回の異世界恋愛もの、重版かかりましたよー! おめでとうございます!』
『ありがとうございます。鈴木さんのおかげですよ。遊園地もすごく勉強になりました。作品に役立てます』
お礼のメッセージを入れてから僕は立ち上がってガッツポーズを取った。
「よっしゃ!」
「どうした、かーくん?」
「重版だよ! 新刊が重版された!」
「それはおめでとう」
洗濯機を回していた寛が顔を出して祝ってくれる。
「なんか、美味しいもの食べに行くよ」
「うちの店に来てくれるのか。いつか? 明日? 予約しとくよ」
「寛も抜けられる?」
「それは分からん」
時間によっては寛が抜けて一緒にご飯を食べられる時があるのだが、忙しいときは無理だ。
真顔になった寛に、僕はため息を吐く。
「寛にもお礼をしたいんだけどな」
「礼はうちの店に来てくれるだけで十分だ」
パンデミックのせいで経営が悪化しているお店には、一人でも多くのお客が欲しい。
長引くパンデミックでみんな慣れてきたとはいえ、飲食店は未だ経営が厳しいままだった。
「俺が腹減らしてたら、賄い食べさせてくれた店なんだよ」
小学校の頃から寛の家は両親が冷めきっていて、食事も碌に与えられなかった。お腹を空かせた寛を見かねて、声をかけてくれたのが女将さんだったという。
「中学で寮に入ったら、食事は食堂で全部食べられたけど、それまでは、毎日夕方にあの店に行ってたんだ」
「女将さんはゆーちゃんの恩人だもんね」
「あの店をもう一度盛り立てたい」
それが寛の願いだった。
僕が援助するという手もあるのだが、それに関しては寛は断っていた。
「作家の収入なんていつなくなるか分からないんだ。ちゃんと貯金してろ」
「重版かかったんですけど」
「次の本が売れるとは限らないだろう」
多少はお金が入ってきたことを示しても、寛は了承してくれない。
寛にとって、して欲しいことは、お金での援助よりもお店に来ることのようだった。
「今度から、お昼もお店で食べようかな」
「弁当もあるぞ」
「お弁当買うか、食べに行くよ」
これならばささやかだけど寛のお店の援助になるのではないだろうか。
僕が提案すると、寛はそれは了承してくれたようだった。
「一応、Wi-Fiいれてるから、仕事もできると思う」
「入れたんだ、Wi-Fi」
「最近はないとお客が来ない」
Wi-Fi環境も整っているならば、お昼ご飯を食べて、おやつも何か頼みつつ、店で仕事ができるかもしれない。
そういう新しい環境も取り入れて行かなければお客さんが来ないというのは、それだけ大変なのだろう。
「重版お祝い、明日な」
「ゆーちゃんも席に来てくれたらいいんだけどな」
「乾杯だけはいくよ」
答える寛を僕がじっと見つめると、ため息をつかれる。
「晩ご飯早くすると、かーくん、夜中つらいだろ?」
「早くなら大丈夫?」
「五時半とかになるぞ?」
「それでもいい! お願い!」
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