可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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十二章 奏歌くんとの十二年目

25.ペーパードライバーを目指して

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 春公演の期間中に奏歌くんは高校三年生になった。
 高校二年生と三年生との違いが何かと言われても、私には答えられないが、奏歌くんが高校卒業の年になったのは純粋に嬉しかった。
 奏歌くんに対して進級祝いを送りたかったのだが、春公演は四月中ずっと続く。劇団が休みの日はあるのだが、土曜日も日曜日も祝日も劇団の公演はあるので、奏歌くんとの休みが重ならないのだ。
 公演が午後まである日はマンションに帰ってくる時間も遅くなって、奏歌くんは家に帰っている。炊かれているお米と用意されているお味噌汁かスープにお惣菜を添えて晩ご飯を食べるのも寂しかった。
 奏歌くんの気配がしているマンションに帰っても寂しいのに、夏休みには奏歌くんは免許証を取るための合宿に行ってしまうという。一週間も奏歌くんが完全にいなくて耐えられるのか、私には自信がなかった。
 奏歌くんが免許証を取るのも私のためだと分かっているのだが、できる限り離れたくない、できることならば奏歌くんと一緒に合宿先に行きたい私がいた。
 その件に関しては奏歌くんと話し合ってもいた。

「合宿所は免許習得コースに申し込んだひとしか泊まれなくて、毎日朝から晩まで勉強と運転の練習があるんだよ。海瑠さんは免許を取らないから合宿所に泊まれないし、近くに宿を取っても僕が忙しくて会いに行けないと思う」
「お昼ご飯や晩ご飯だけでも一緒に食べられないの?」
「合宿所から基本出ることはなくて、食事も全部合宿所の食堂で食べるんだ」

 奏歌くんの言葉に私は完全に意気消沈してしまった。
 遠くからでも奏歌くんの姿を見たい。奏歌くんの存在を感じたい。そうするためには、私が免許を習得するコースに申し込む他、方法がない。

「百合、免許を取るのって難しい?」

 稽古場へも、劇場へもいつも車で送ってくれている百合に相談すると、ものすごい顔で見られた。

「み、海瑠……まさか、免許を取るつもり?」
「興味があるだけよ」
「海瑠には無理! 絶対無理よ! 冷静になって考えて? 歩いてひとにぶつかっても相手が死ぬことはほとんどないけど、車でひとにぶつかったら、大抵の場合相手は大怪我をするし、最悪、死ぬのよ?」

 車を運転すると言うのは私が考えているほど甘い話ではなかった。
 車を運転するのは乗っているひとの命を預かるだけではなく、事故を起こした場合に相手のひとの命を奪う危険性すらある。そんな恐ろしいものを私が習得できるはずもない。
 落ち込んでいる私に、百合が聞いてくる。

「どうして免許を取ろうと思ったの? 海瑠に免許が必要なの?」
「奏歌くんが免許を取るための合宿に夏休みに行くの。その間、会えないのが寂しいから、私も免許を取るコースを申し込んだら、一緒にいられるかと思ったのよ」
「ダーリンかぁ……合宿所の傍に宿を取って会いに行けないの?」
「原則外には出ないって言ってた。奏歌くんがいないなんて」

 両手で顔を覆って悲壮感に包まれる私を百合が励ましてくれる。

「期間はどれだけなの?」
「一週間……」
「海瑠、一週間の夏休みを取って、一緒に行きなさい」

 百合の言葉が先ほどと真逆で私は顔を上げて百合をまじまじと見つめる。

「どういうこと? 私に免許は危険なんじゃないの?」
「やるからにはしっかりやってくるのよ。それで、公道では車に乗らなければいいのよ」
「公道では乗らない? どういうこと?」
「海瑠、こんな言葉を知っている? ペーパードライバー」

 ペーパードライバーとは何なのだろう。
 全然意味が分からなくて戸惑っていると、百合が説明してくれる。

「免許は持っているけれど、全然運転しないひとのことをペーパードライバーって言うの。海瑠は免許を習得しても、一度も運転しなければいいのよ。ペーパードライバーを目指して免許証を取るのよ!」

 ペーパードライバーを目指して免許証を取る。
 それならば私にもできるような気がしてきた。車の運転をする演技をしたことがあるので、なんとなく運転席に座った感じも分かっている。実際に交通法を学んで、運転免許証を取れば、私の演技の幅も広がるかもしれない。

「運転できない役者よりも、運転できる役者の方が、いいかもしれないわ! ありがとう、百合。私はペーパードライバーを目指す!」

 次に奏歌くんに会ったときには合宿所の場所とコースと期間を聞いて、私も申し込みをしようと決意した。
 それはそれとして、話は冒頭に戻る。
 奏歌くんの進級祝いである。奏歌くんの喜んでくれるものをプレゼントしたいのだが、何がいいのか全然分からない。普通の17歳の男の子が何をもらって喜ぶのか、私には理解できていなかった。
 こっそりと美歌さんにメッセージを送って奏歌くんの欲しがっているものをリサーチする。

『奏歌は最近、いいイヤホンが欲しいって言ってましたよ。海瑠さんのCDを聞くために、携帯電話のイヤホンじゃ物足りなくなってきたって』
『美歌さんは進級祝いに何か上げましたか?』
『私は安彦とも約束していたので、パソコンを買ってあげました。パソコンで使える良いイヤホンを探しているみたいです』

 やっちゃんが奏歌くんにパソコンを買ってあげると言っていたが、それは先延ばしになっていたようだ。高校三年生の進級祝いに奏歌くんは美歌さんからパソコンを買ってもらっていた。
 私は美歌さんからの情報を元に、いいイヤホンを探すことにした。

「百合は、イヤホンのことは詳しくないわよね?」

 お昼の休憩のときにお弁当を食べながら聞いてみたら、当然のように百合が答える。

「詳しいはずがないでしょう!」
「私、結構詳しいですよ」

 話に入ってきたのは雪乃ちゃんだった。

「イヤホン、どんなのが欲しいんですか? カナル式? オープンイヤー? インナーイヤー?」
「え!? それ何語!?」

 雪乃ちゃんの言っていることが分からずに混乱する私に、雪乃ちゃんが説明してくれる。

「オープンイヤーは耳を塞がずに周囲の音が聞こえるイヤホンです。カナル式は耳栓型のイヤーピースを耳の中に入れる、音漏れが少なくて低音の細かい音が聞きやすいイヤホンです。インナーイヤー型は耳の表面にイヤホンパーツを引っかけて使うタイプで、空間表現力が高いと言われています」
「どれが雪乃ちゃんのお勧めなの?」
「私はカナル式だと長時間使うと耳が蒸れるので、インナーイヤーを愛用してますね。外れやすいのが難点ですけど、録音現場の空気感も伝わってくる気がします」

 全く知識のなかった私にとっては、雪乃ちゃんの説明は半分くらいしか理解できなかったが、インナーイヤーというイヤホンを雪乃ちゃんはお勧めしてくれていた。携帯電話でインナーイヤー型のイヤホンについて調べると、ワイヤレスかワイヤーありかでまた分かれてくる。

「ワイヤレスとワイヤーありってどういうこと?」
「ワイヤレスはBluetooth接続でワイヤーなしで音楽を聞けます。ワイヤーありはプラグに差し込んでワイヤーで繋がった状態で音楽を聞けます。ワイヤレスは充電しないといけないけど、ワイヤーありは充電がいらないので、その辺も好みですね」

 ワイヤーありはワイヤーで繋がっているけれど充電が必要なくて、ワイヤレスはワイヤーで繋がっていないけれど充電が必要になる。
 雪乃ちゃんから得た知識を頭に叩き込んで、私は劇場の帰りに百合に電気店に寄ってもらった。

「インナーイヤー型のワイヤレスのイヤホンをください」

 時間もないので勇気を出して店員さんに声をかけてみると、売り場に案内される。売り場には大量に商品があって、どれがいいのか全く分からない。

「どれがインナーイヤー型でワイヤレスなんですか?」
「この棚全部ですね」

 もう何が何だか分からない。
 早く奏歌くんのいるマンションに帰って奏歌くんに会いたくてたまらない私は、一番高いイヤホンを手に取ってそれを買っていた。
 電気店から出ると百合が車で待っていてくれる。

「海瑠、買えた?」
「買えたと、思う」

 持っている商品がどんなものかもよく分からないままで私は百合の車で奏歌くんの待つマンションに帰ったのだった。
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