可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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十一章 奏歌くんとの十一年目

1.茉優ちゃんのお願い

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 奏歌くんの高校一年生の夏休みが始まった。
 夏休みの補講というのが入っていて、夏休みでも高校に投稿しなければいけないというのは若干腑に落ちないが、奏歌くんが高校を卒業して大人になるためなのだから仕方がない。
 やっちゃんが茉優ちゃんに血を分けたという話を聞いてから、私は茉優ちゃんとよく話すようになっていた。補講で奏歌くんはいないけれど、稽古がお休みの日には私の方が篠田家にいて奏歌くんを待つ。真夏の暑さと制服姿でマンションに来たくないために、奏歌くんは一度家に戻ってシャワーを浴びてから私のマンションに来るのだ。
 それならば私は篠田家で待っていた方が早く奏歌くんに会える。

「茉優ちゃんは夏休みの補講はないの?」
「三年生の補講は、受験する子だけが受けるの。就職する子や、受験しない子は受けなくていいことになっているわ」

 高校を卒業したらイギリスに行く茉優ちゃんは就職コースでも受験コースでもない。一応クラスは就職クラスに入れられたのだが、先生には事情を話しているので、夏休みの間は英語の勉強に時間を費やせている。

「海瑠さんの英語のCDを使わせてもらっているのよ。聞き取りやすくてとても勉強になるわ」
「私のCDが役に立ってるんだ」

 茉優ちゃんにも私の朗読した英文のCDが役に立っていると聞くと嬉しくなる。これまで舞台に立つことでしか自分の価値を実感できなかった私に、奏歌くんは朗読という世界での活躍の場を与えてくれた。

「奏歌くんは血を分けたら奏歌くんのオーラを纏うから身を守れるって言ってたんだけど、茉優ちゃんは何か変わった?」

 私の問いかけに茉優ちゃんが茶色っぽい目を大きく見開く。

「そんなことがあるのね」
「そうみたい。茉優ちゃんもやっちゃんに守られてるんだと思う」

 説明すると、茉優ちゃんは「それで」と思い当たることがあったようだ。

「高校に行くときに同じ時間に同じ電車に乗って来る男のひとがいたのよ。すごく気持ち悪くて時間をずらしたりしたけど、私のことを待ってたみたいで……。でも、血を分けてもらってから、そのひとのことは見てないわ、そういえば」

 やはり茉優ちゃんにもやっちゃんの庇護のオーラが纏わりついていて、しっかりと守られているようだった。私は何か変わったのだろうか。自分では分からないが、奏歌くんに守られているのだとすればとても心強い。
 茉優ちゃんと話していると奏歌くんが帰って来た。

「ただいま! 海瑠さん、来てたんだね」
「うん、奏歌くんのこと待ってたのよ」
「ちょっと待ってね。僕、今、汗臭いから、シャワー浴びて着替えてくる」

 灰色のスラックスに白い半袖シャツ姿の奏歌くんは荷物を部屋に置いて、着替えを持ってバスルームに飛び込んでいった。少しして出てきた奏歌くんはバスタオルで髪を拭きながら、ラフなポロシャツとジーンズ姿でリビングにやってきた。

「アイスティーが入ってるよ」
「茉優ちゃんが出してくれていただいたわ」
「よかった。茉優ちゃん、ありがとう」

 一時期はあまり茉優ちゃんや美歌さんと話したり、一緒に行動したりするのを恥ずかしがっていた奏歌くんだが、高校に入ってから心境は多少変わったようである。ソファに座っている私の隣りに座って、茉優ちゃんがタブレット端末から流している私のCDの音を聞いている。

「BGMも付いてて、すごく豪華だよね」
「聞き取りやすいし、覚えやすいし、勉強になるわ」
「海瑠さんはやっぱりすごい」

 奏歌くんと茉優ちゃんの二人に褒められると、表情が緩んでしまう。

「海瑠さん、次の公演は『細川ガラシャ』だってやっちゃんに聞いたけど」
「やっちゃんから聞いてたのね。そうなのよ」

 次の公演は明智光秀の娘、細川ガラシャの生涯を描く歴史の演目だった。
 細川忠興に嫁いだガラシャは、気性の激しい忠興に深く愛され、父親の明智光秀が謀反を起こして打ち取られた後も、幽閉されるだけで離縁は申し出られなかった。その後、羽柴秀吉の取りなしで幽閉を解かれ、キリスト教カトリック信者となり、忠興の出陣中に城に攻め入られて側近に命を断たれるまで信仰に身を捧げながら過ごす。
 劇団では男役が主役となる話が多いのだが、今回は長年女役トップスターを務めている百合を主役として抜擢するという異例の行動に出た。百合の方もこれまでの苦労が報われた形でとてもよかったと私は思っているのだが、劇団の方針を変えるということについてファンの皆様がどう思うかはとても重要なことだった。
 私は細川忠興役で、主役の細川ガラシャを深く愛しながらも、謀反人の娘として幽閉しなければいけなかったり、バテレン追放令が発令されていたことからキリスト教カトリック信者となったガラシャの信仰をやめさせようとしなければいけなかったりする場面があって、かなり二人の間で愛と苦悩が入り乱れる。
 最終的にはガラシャは石田三成軍に人質に取られることを拒んで、忠興の命じたとおりに側近に介錯してもらうのだが、それもまた悲劇ということで、今までの劇団の劇とは少しテイストの違う仕上がりになる予定だった。

「一応、細川忠興とガラシャのダブル主人公なんだけど、今回はガラシャに視点を向けた形になってるわね」
「百合さんが大活躍するんだね」
「百合も女役トップスターになって十年経つから、その記念公演でもあるみたいよ」

 百合にとっては次の秋公演が女役トップスターになって十年目の記念公演なのだ。これまで女役トップスターをそんなに長く続けられた役者はいないし、百合が退団すれば今後もそんなに長く女役トップスターを続けられる役者は出て来ないだろう。
 奇跡の女役トップスター、伝説の女役トップスターとして、百合は劇団で初めて女役トップスターがメインとなる演目を組んでもらったのだ。

「見に行くのが楽しみだな」

 期待している奏歌くんに茉優ちゃんが私の方を見た。

「お祖母ちゃんと行ける最後の公演になると思うから、私とお祖母ちゃんの分もチケットを取ってもらえないですか?」

 茉優ちゃんのお祖母様の莉緒さんは私と百合のファンクラブに入ってくださっているくらい劇団のファンでいてくれる。来年の春には日本を離れる茉優ちゃんが莉緒さんとの思い出作りをしたいと考えているのならば、私は当然協力するつもりだった。

「チケット取れるか、津島さんに相談してみるね」
「お願いします」

 頭を下げる茉優ちゃんに、私はどうしても莉緒さんと一緒に秋公演を見て欲しかった。
 劇団の稽古場に行くと、百合は着物の着付けをしていた。本番用の着物ではないが、立ち稽古からできるだけ本番に近い衣装を用意するのが私たちの役目だ。私も男性用の着物を用意して着ていた。

「久しぶりの和物だから緊張するわ」
「派手な殺陣もあるから、しっかりやらなきゃ」

 細川忠興として出陣していく私には殺陣があって、帰りを待つ百合には歌と日舞風の踊りがある。和服で踊るのは慣れていないと裾の翻りが気になるので、しっかりと稽古しておかなければいけない。
 午前中の稽古が終わって休憩に入ると、私はマネージャーの津島さんに相談に行っていた。

「今回の秋公演、チケットを三枚確保して欲しいんですが」
「今回は一枚じゃないんですね。分かりました、日付はいつにしますか?」

 津島さんに聞かれてから、私は奏歌くんのスケジュールしか聞いていなかったことを思い出す。急いで茉優ちゃんに携帯電話で連絡を入れると、奏歌くんにチケットを確保している日で大丈夫だと返事が来た。

「その日で大丈夫です」
「海瑠ちゃんがスケジュール管理をするようになったなんて、成長しましたね」

 奏歌くんが小学生だった頃は何も考えずに私の都合でチケットを確保していた。奏歌くんの方が私の都合に合わせてくれていたのだ。中学生になって奏歌くんにもスケジュールがあることにやっと気付かされた。
 気付くのが遅かったかもしれないが、私は奏歌くんと茉優ちゃんのスケジュールを気にすることができるように今はなっている。
 これも成長なのかもしれないと、私は自分が少しだけ誇らしかった。
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